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学校では、授業中の徘徊など、教室崩壊が問題になっているそうです。
脳や発育の障害や、多動症(ADHD)などの病気が原因であれば、きちんと治療し、少なくとも症状が発現しないようにするべきですし、また、そうできることでしょう。
しかし、単なる躾の悪さであるのなら、原因は明らかで、そうであれば、対処方法もおのずと明らかです。
私が子どもの授業参観へ出掛けたときも、なるほど、よそ見をしたり、先生の話を聞いていない子どももいましたが、まあ、小学生ならこんなものかな、と思える程度でした。
ところが、この問題は、どうやら別のところに原因がありそうです。
参観日には、多くのお母さん達と、お父さん達もちらほら見られます。
ところが、そのお母さん達の中に、子どもの授業参観そっちのけで、廊下で、お母さん同士でのお喋りに夢中になっている方が、少なからずいました。
もちろん、保護者同士が「こんにちは」「いつもお世話になっています」と挨拶するのは当然ですから、そのことを言っているのではありません。
お母さんたちのお喋りは、教室の中まで響いてきて、授業をしている先生の声を掻き消してしまうほどの嬌声です。
そしてついに、あろうことか巡回の先生に、「授業中ですから、静かにしてください」とたしなめられる始末です。
また、運動会に出掛けた時は、ビールを飲んでいる親がいました。昼食の時ならまだしも、競技中に、です。
運動会は学校教育の一環であり、親が運動会を見るのは、授業参観と同じです。
授業参観中にビールを飲む親は、さすがにいないようですが、運動会が授業参観と同列だと、なぜ思わないのでしょう。
つまり、こうした場面に応じてどう振舞うべきかきちんと自覚し、自律した態度をとれない、けじめのない親が増えており、当然、そうした親の姿を見て育った子は、授業中であろうとも、授業中にあらざる行動をとってしまいます。
「暑い中、運動会を見てるんだから、堅いこと言うな」と思う方もいるかもしれませんね。
でも、学校とは堅いところです。少なくとも子どもには、そう教えなければなりません。
子どもの問題は親の問題である。
なるほど、その意味が良く分かる出来事でした。
本当に教育が必要なのは、自覚のない親のほうです。
学校では、授業中の徘徊など、教室崩壊が問題になっているそうです。
脳や発育の障害や、多動症(ADHD)などの病気が原因であれば、きちんと治療し、少なくとも症状が発現しないようにするべきですし、また、そうできることでしょう。
しかし、単なる躾の悪さであるのなら、原因は明らかで、そうであれば、対処方法もおのずと明らかです。
私が子どもの授業参観へ出掛けたときも、なるほど、よそ見をしたり、先生の話を聞いていない子どももいましたが、まあ、小学生ならこんなものかな、と思える程度でした。
ところが、この問題は、どうやら別のところに原因がありそうです。
参観日には、多くのお母さん達と、お父さん達もちらほら見られます。
ところが、そのお母さん達の中に、子どもの授業参観そっちのけで、廊下で、お母さん同士でのお喋りに夢中になっている方が、少なからずいました。
もちろん、保護者同士が「こんにちは」「いつもお世話になっています」と挨拶するのは当然ですから、そのことを言っているのではありません。
お母さんたちのお喋りは、教室の中まで響いてきて、授業をしている先生の声を掻き消してしまうほどの嬌声です。
そしてついに、あろうことか巡回の先生に、「授業中ですから、静かにしてください」とたしなめられる始末です。
また、運動会に出掛けた時は、ビールを飲んでいる親がいました。昼食の時ならまだしも、競技中に、です。
運動会は学校教育の一環であり、親が運動会を見るのは、授業参観と同じです。
授業参観中にビールを飲む親は、さすがにいないようですが、運動会が授業参観と同列だと、なぜ思わないのでしょう。
つまり、こうした場面に応じてどう振舞うべきかきちんと自覚し、自律した態度をとれない、けじめのない親が増えており、当然、そうした親の姿を見て育った子は、授業中であろうとも、授業中にあらざる行動をとってしまいます。
「暑い中、運動会を見てるんだから、堅いこと言うな」と思う方もいるかもしれませんね。
でも、学校とは堅いところです。少なくとも子どもには、そう教えなければなりません。
子どもの問題は親の問題である。
なるほど、その意味が良く分かる出来事でした。
本当に教育が必要なのは、自覚のない親のほうです。