続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

法の女神テミス

2010-09-27 | 法学講座
ご訪問ありがとうございます→にほんブログ村 科学ブログ 人文・社会科学へ←ポチっと押してください

 ギリシャ神話の女神テミスは、右手に剣、左手に天秤を持っています。剣は正義を表わし、天秤は公平を表わすことから、法の原則である「正義と公平」を象徴するテミスは、「法の女神」とされています。
 ←私のプロフィール欄に掲げてある写真は、最高裁判所に飾られているテミス像です。

 もっとも、平和主義者である私にとって、天秤が公平を表すというのはともかく、殺人用の武器である剣が正義を表わすというのには、かなり違和感を覚えます。
 剣による「断罪」が正義だというのも理解できなくはありませんが、それならば、死刑に絞首刑以外の方法を採用していないわが国では、テミスの右手には、ロープの輪を持たせるべきだと思いますが・・・あまりにも生々し過ぎますかね。

 それはともかく、正義と公平、全くすばらしい理念です。
 しかし問題は、何が正義で何が公平かという点と、その正義や公平がきちんと実現されているか、という点です。

 正義や公平の概念が、時代や国によって違うことは、言うまでもありません。

 たとえば、あなたがプロゴルファーと試合をすることになったとしたら、そのまま戦うのはどうみても不公平です。あなたには、腕前に応じたハンデをつけるのが、「公平」です。
 また、ボクシングは体重別にクラス分けがあり、同じクラスの者同士で戦うことが「公平」とされています。しかし相撲では、体重差などに関係なく戦うことが「公平」です。

 正義にしても、日本では、他国と仲良くすることが正義ですが、ある国々では敵を屠るのが正義です。
 某超大国は、自国が人類を何十回も滅亡させる程の核兵器を持つことは正義で、他国、特に、まつろわぬ他国に対しては、核兵器を持つことはおろか、核開発をすることさえ悪と決め付けています。

 一体どちらが正しいのでしょう?

 裁判で、素人が、弁護士や検事などの専門家を相手に戦うのは、プロゴルファーやヘビー級ボクサーと試合をするようなもので、戦う前から結果は分かりきっています。これは戦うだけ無駄、すなわち戦わないほうが得策ということで、これでは、「正義」が実現されません。
 同じように、個人が国や大企業を相手に戦っても、まず勝ち目はありません。

 それに加えて、正義や公平云々以前に、国が決めたルールの中で裁判は行われるのですから、当然、ルールは国や大企業にとって有利なように作られ、かつ運用されており、これで勝てば奇跡です。

 私には、テミスの天秤は、大きく傾いているように見えるのですが、あなたには、そう見えませんか?

 結局、世の中は強者のために作られています。
 そして強者は、ますます強者に有利なように、世の中を変えていっています。
 それが極限まで行き着いたとき、歴史の中では何が起こったか、思い出してみるといいでしょう。

 ただしその後、また秩序は強者に有利なように作られました。人類に進歩がないのは、どうしようもないのでしょうか。

 秤量器には、ふつう較正機能がついているのですが、テミスの天秤に較正機能はついていないのか、ついていても、較正ボタンは、較正する気などない連中に握られていて、いずれにしても天秤の傾きは、元に戻る気配すらありません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。