ご訪問ありがとうございます→←ポチっと押してください
ギリシャ神話の女神テミスは、右手に剣、左手に天秤を持っています。剣は正義を表わし、天秤は公平を表わすことから、法の原則である「正義と公平」を象徴するテミスは、「法の女神」とされています。
←私のプロフィール欄に掲げてある写真は、最高裁判所に飾られているテミス像です。
もっとも、平和主義者である私にとって、天秤が公平を表すというのはともかく、殺人用の武器である剣が正義を表わすというのには、かなり違和感を覚えます。
剣による「断罪」が正義だというのも理解できなくはありませんが、それならば、死刑に絞首刑以外の方法を採用していないわが国では、テミスの右手には、ロープの輪を持たせるべきだと思いますが・・・あまりにも生々し過ぎますかね。
それはともかく、正義と公平、全くすばらしい理念です。
しかし問題は、何が正義で何が公平かという点と、その正義や公平がきちんと実現されているか、という点です。
正義や公平の概念が、時代や国によって違うことは、言うまでもありません。
たとえば、あなたがプロゴルファーと試合をすることになったとしたら、そのまま戦うのはどうみても不公平です。あなたには、腕前に応じたハンデをつけるのが、「公平」です。
また、ボクシングは体重別にクラス分けがあり、同じクラスの者同士で戦うことが「公平」とされています。しかし相撲では、体重差などに関係なく戦うことが「公平」です。
正義にしても、日本では、他国と仲良くすることが正義ですが、ある国々では敵を屠るのが正義です。
某超大国は、自国が人類を何十回も滅亡させる程の核兵器を持つことは正義で、他国、特に、まつろわぬ他国に対しては、核兵器を持つことはおろか、核開発をすることさえ悪と決め付けています。
一体どちらが正しいのでしょう?
裁判で、素人が、弁護士や検事などの専門家を相手に戦うのは、プロゴルファーやヘビー級ボクサーと試合をするようなもので、戦う前から結果は分かりきっています。これは戦うだけ無駄、すなわち戦わないほうが得策ということで、これでは、「正義」が実現されません。
同じように、個人が国や大企業を相手に戦っても、まず勝ち目はありません。
それに加えて、正義や公平云々以前に、国が決めたルールの中で裁判は行われるのですから、当然、ルールは国や大企業にとって有利なように作られ、かつ運用されており、これで勝てば奇跡です。
私には、テミスの天秤は、大きく傾いているように見えるのですが、あなたには、そう見えませんか?
結局、世の中は強者のために作られています。
そして強者は、ますます強者に有利なように、世の中を変えていっています。
それが極限まで行き着いたとき、歴史の中では何が起こったか、思い出してみるといいでしょう。
ただしその後、また秩序は強者に有利なように作られました。人類に進歩がないのは、どうしようもないのでしょうか。
秤量器には、ふつう較正機能がついているのですが、テミスの天秤に較正機能はついていないのか、ついていても、較正ボタンは、較正する気などない連中に握られていて、いずれにしても天秤の傾きは、元に戻る気配すらありません。
ギリシャ神話の女神テミスは、右手に剣、左手に天秤を持っています。剣は正義を表わし、天秤は公平を表わすことから、法の原則である「正義と公平」を象徴するテミスは、「法の女神」とされています。
←私のプロフィール欄に掲げてある写真は、最高裁判所に飾られているテミス像です。
もっとも、平和主義者である私にとって、天秤が公平を表すというのはともかく、殺人用の武器である剣が正義を表わすというのには、かなり違和感を覚えます。
剣による「断罪」が正義だというのも理解できなくはありませんが、それならば、死刑に絞首刑以外の方法を採用していないわが国では、テミスの右手には、ロープの輪を持たせるべきだと思いますが・・・あまりにも生々し過ぎますかね。
それはともかく、正義と公平、全くすばらしい理念です。
しかし問題は、何が正義で何が公平かという点と、その正義や公平がきちんと実現されているか、という点です。
正義や公平の概念が、時代や国によって違うことは、言うまでもありません。
たとえば、あなたがプロゴルファーと試合をすることになったとしたら、そのまま戦うのはどうみても不公平です。あなたには、腕前に応じたハンデをつけるのが、「公平」です。
また、ボクシングは体重別にクラス分けがあり、同じクラスの者同士で戦うことが「公平」とされています。しかし相撲では、体重差などに関係なく戦うことが「公平」です。
正義にしても、日本では、他国と仲良くすることが正義ですが、ある国々では敵を屠るのが正義です。
某超大国は、自国が人類を何十回も滅亡させる程の核兵器を持つことは正義で、他国、特に、まつろわぬ他国に対しては、核兵器を持つことはおろか、核開発をすることさえ悪と決め付けています。
一体どちらが正しいのでしょう?
裁判で、素人が、弁護士や検事などの専門家を相手に戦うのは、プロゴルファーやヘビー級ボクサーと試合をするようなもので、戦う前から結果は分かりきっています。これは戦うだけ無駄、すなわち戦わないほうが得策ということで、これでは、「正義」が実現されません。
同じように、個人が国や大企業を相手に戦っても、まず勝ち目はありません。
それに加えて、正義や公平云々以前に、国が決めたルールの中で裁判は行われるのですから、当然、ルールは国や大企業にとって有利なように作られ、かつ運用されており、これで勝てば奇跡です。
私には、テミスの天秤は、大きく傾いているように見えるのですが、あなたには、そう見えませんか?
結局、世の中は強者のために作られています。
そして強者は、ますます強者に有利なように、世の中を変えていっています。
それが極限まで行き着いたとき、歴史の中では何が起こったか、思い出してみるといいでしょう。
ただしその後、また秩序は強者に有利なように作られました。人類に進歩がないのは、どうしようもないのでしょうか。
秤量器には、ふつう較正機能がついているのですが、テミスの天秤に較正機能はついていないのか、ついていても、較正ボタンは、較正する気などない連中に握られていて、いずれにしても天秤の傾きは、元に戻る気配すらありません。