Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

グルダは真実のみを語るのか?(No.1831)

2011-04-14 20:21:00 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)

MPSからグルダのドビュッシー前奏曲全集がリリースされた!


 これは、グルダ以外の誰もが思いもつかなかった「奇襲」であった(爆
DECCA とのトラブルは十分に「業界」には有名で、Amadeo, Concert Hall, PREISER の3小レーベル以外は、10年近く「大レーベル」はグルダの録音を避けていた。おそらく「グルダが無茶苦茶」言った、と推測される。グルダの公式見解だけを読んでいると「悪いのはDECCAだ!」となっているのだが、まず99%「グルダが無茶苦茶言った」のが原因だろう。1958年のことだから63年も前! 当事者は全員天国に行ってしまって会議をしているかも知れないが(爆


 ジャズの2枚は「クラシック界の録音関係者」には全く無視されたようだが、DECCA にも(モノラル録音時代に)録音&リリースした ドビュッシー前奏曲全集が出たのには仰天したようだ。

古巣の DECCA が「ウィーンフィルとのベートーヴェン協奏曲全集」録音を持ちかける大成果


を挙げる。「専属契約時代(1947-1958)12年間でウィーンフィルとの録音は3曲(ベートーヴェン協奏曲第1番、ベーム指揮、他2曲)」のみだったことから類推すると格段の待遇である。モーツァルトやショパンやR.シュトラウスの協奏曲は全部「ロンドンのオケ」と(しかも2流の指揮者との)共演を余儀なくされていたので、「隔世の感」だっただろう。
 DECCA に続いて、Deutsch Grammophon も「アバド指揮でウィーンフィルとの録音でモーツァルト」を提案して来る。この 1970-1975 の6年間が「協奏曲のグルダの全盛期」である。グルダの揺さぶりは物の見事に「決まった!」のである。

 ・・・で、ベートーヴェン協奏曲全集に続いて、モーツァルト協奏曲全集が出来たか? と問われれば、出来なかったのである。おそらくグルダの問題。その遠縁が「1969年の4枚の録音」に内在しているのだ!
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1830)

2011-04-13 21:48:07 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)

グルダの「MPS初録音」の4枚



  1. ドビュッシー:前奏曲集第1巻全12曲


  2. ドビュッシー:前奏曲集第2巻全12曲


  3. 「遙かな惑星の歌」(グルダのピアノソロのみ)


  4. 「我がウィーン再訪」(グルダが変名の「ゴロウィン」を用いてヴォーカルを兼ねたジャズピアノトリオ)



 この4枚を 1969年2月に「MPSスタジオ」で録音した。リリースした順序は知らない。昨日号に掲載した「MPS録音一覧HP」見ても、私高本が持っているLP(現に手元にある!)が掲載されていなかったりするので、カタログとしては不完全。何ともかんともわからないのである(爆

 ドビュッシーの2枚組日本プレスLP(テイチク盤)には、グルダを「左手側」から撮った録音風景写真が1枚掲載されている。暗いのではっきりしないところもあるが、録音スペースは決して広くない。この広さでは「ジャズピアノトリオ」は余裕であるが、「フルバンド」や「モーツァルト規模のオーケストラ」は極めて難しい感じである。MPS はグルダの協奏曲は1枚も収録しなかった。協奏曲は「MPS録音時代」に他レーベル、しかもメジャーレーベルからリリースしており、「シュタイン指揮ベートーヴェンピアノ協奏曲全曲(LP4枚)」と「アバド指揮モーツァルトピアノ協奏曲4曲(LP2枚)」であり、『グルダ協奏曲の最高傑作』とされている。


 つまり「グルダの絶頂期=MPS録音時代」となっているのが「後世の評価」である。正確に書けば

1967.07ベートーヴェンピアノソナタ全曲(amadeo) - 1978.10.15"Message from G"(MPS)が演奏も作曲もグルダの全盛期


である。
 「11年も持ったのか!」と感じるか、「11年しか持たなかったのか!」と感じるかは人それぞれ。

私高本は、マリア・カラスに比べれば、遙かに長い全盛期を保ってくれた グルダ に感謝!


である。

 さて、「MPS録音最初の4枚」であるが、1969年2月の「28日全部」だったのか、2~3日だったのか? は今のところわからない。当時夫人だった「ユーコ・グルダ」に尋ねればわかるかも知れないが、わからないかも知れない。
 この4枚の「意義」をここに書き記す。

1969年2月「MPS録音最初の4枚」の意義



  1. 「グルダの意図」通りの録音 → 発売 が初めて実現した


  2. 「グルダ自作」が思うように、録音できるようになった


  3. グルダが変装した歌手 = ゴロウィン を登場させ、この後9年間も世間を欺いた(爆


  4. MPSが「クラシック音楽界」で基盤を作った



以上である。分析は次号で。
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1829)

2011-04-12 21:42:49 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
 グルダの言質は全部信じてはいけない。あくまで「グルダ側の論理」だけだからである。グルダが「全世界に飛躍したのは、アマデオ録音のベートーベンピアノソナタ全集」録音のおかげである。
 その直後に、1968年4月1日に発足したばかりの「MPS」と録音を開始したグルダ。もっと言えば、前身の SABA 時代にLP1枚録音していた(1965)が、「MPS」発足と同時に4枚録音する。

MPS records Home Page

興味ある方は読んで下さい。
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グルダは真実のみを語るのか?(No.1828)

2011-04-11 20:44:48 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
 グルダについて語る。

グルダほど「正規録音レーベル」が多岐に亘り、右往左往した演奏家は他にはいない


ことは断言する。
 グルダは「奇妙なレパートリー」と大言壮語でいろいろとトラブルを起こし、グルダほど実力が無ければ、とっくの昔に消えていた芸術家である。また、普通はグルダほど実力があれば、多少の融通を利かせて「大レーベル」と長く良好な関係を築けるのである。ブレンデル、グールドを見れば一目瞭然である。

グルダ正規録音レーベル一覧



  1. DECCA


  2. RCA


  3. Deutsch Grammophon


  4. Amadeo


  5. Concert Hall


  6. PREISER


  7. MPS


  8. Philips


  9. Teldec


  10. Sony


  11. LOFT



 「オーストリア国営放送(ORF)」とか「NDR」とかの「放送音源」を抜いた「正規録音レーベルリスト」がこれ。フツーこれだけ渡り歩く前に、演奏家生命が尽きてしまうのが常。「録音しなかったメジャーレーベル は EMI のみ」と言う状況であった、マジで。欧州系だけでなく、米国メジャー両レーベルも制覇したからなあ(爆

EMI は「グルダ死後直後」に、遺族と契約して1枚リリースした実績を作ったが、これが完全な「旧録音パクリ」の録音データ捏造だったことは超有名


 う~ん、誰が「遺族代表」か知らんが、チェリビダッケ遺族と同程度に惨いことを次々に行っているのが忍びない(泣


 ・・・で、「生前のグルダ」が聴衆に真実しか伝えなかったか? を実証してみたい。相当に多くのカネと時間をツッ込んだ私高本がここに書く。ドイツ語はわからんが、耳には自信あるよ。
 『手元のカシオの腕時計』も正確だよ。どんなにブレても1秒はずれないだろう(爆


「グルダの正規録音」には1つの鉄則がある。「シューベルト、モーツァルト、ベートーベン合わせ物、フランス印象派はベーゼンドルファー」、「ベートーベンソロとジャズはスタインウェイ」


 例外が全く無いワケではないが、この原則は『文章として』見たこと無いから、案外盲点なのかも知れない。グルダは勝手気儘に弾いた、と見えるが「ピアノ」には妥協はしなかった。(これがトラブルの原因の1つと思われる。後述する。)

グルダ録音で最も惑わされたのは「MPS録音」


である。全体像を掴めている人はいるのだろうか? 私高本も「未だ8合目」の感触である。重要な録音だけで以下の通りである。現在のリリースレーベルが滅茶苦茶なので、判る人は私高本以外いないかも知れない(爆

グルダの主要MPS録音一覧



  1. ドビュッシー「前奏曲」全2巻(1969)


  2. ベートーベン「ディアベリ変奏曲」(1970)


  3. "MIDLIFE HARVEST"(1973)


  4. バッハ「平均律」全2巻全48曲(1972-73)


  5. "Message from G"(1978.10)


  6. モーツァルト「ピアノソナタ」全集(公式発表を信じると1980-1982)



 最後の「モーツァルトソナタ全集」がグルダ生前にリリースができなくなって、プロデューサーのブルンナー=シュヴェル(Brunner-Schwer)は、会社をコカしてしまい、「フィリップス」に売却せざるを得なくなってしまった。失意のママ2004年に彼は死去する。「ジャズとクラシックの融合」を熱烈に語るグルダに魅せられた1人であり、「個人的な最大のスポンサーの1人」だったが、「裏切られた感」が強かったのだろう。「最後の傑作= Message from G」を決してCDではリリースしようとはしなかった。とても面白い、というか、グルダの最高傑作の1つなのだが。
 上記の「MPS録音一覧」は本当だよ。リリースレーベルがバラバラなので信用できない人が多いことだろう(爆
「近接マイク録音」で「音の質」が近似していることも確認できるだろう > 全部聴けば

 大切なこととして

MPSは「フル編成の協奏曲」録音は、モーツァルトでさえ出来なかったこと!


である。「コンサートホール」レーベルよりも編成が小さい。なぜか? この疑問については次号で掲載する。おそらく明日。(・・・とほざく私高本も「グルダ並み」の「騙り」かも知れない。)
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作曲家グルダの全盛期について(No.1783)

2010-08-19 23:49:03 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
好きな作曲家の1人に「グルダ」を挙げると、大概の人が「えっ? グルダってピアニストでしょ??」の反応を示す。佐伯周子もその1人だった(爆

 私高本は

グルダ = クライスラー並みのウィーンの作曲家


と固く信じている。この信念は誰も変えられない(爆


 モーツァルト とか ベートーヴェン とか シューベルト とか「昔の大作曲家」だと写真や録音が残っていないこともあり、実像が掴みにくいことは否定できない。

グルダ = 20世紀後半が産んだ「ウィーン最大の作曲家」


と私高本は信じる
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グルダについて(私高本への影響)その1(No.1756)

2010-07-02 23:05:23 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
 私高本が最も影響を受けた音楽家は誰だろう? 影響を受けた順に

  1. シューベルト
  2. ブレンデル
  3. 岡原慎也
  4. 川上敦子
  5. 伊福部昭
  6. 佐伯周子

パッと思い浮かぶのはこの6名のようについ先日まで思っていたが、2番目と3番目の間に重要な人が1人欠けていることに気付いた。

フリードリヒ・グルダ


である。

 グルダについて最初に聴いたのは、ご多分に漏れず「amadeo盤 ベートーヴェンピアノソナタ全集」であった。LP盤であったが、あまりの技巧的な冴えが(ケンプ盤やブレンデル盤に比べて)圧倒的だったので、LP購入して最初に聴いた時に止まらなくなって夜中まで聴き続けた記憶がある。1978年に大学1年の時だった。もう32年も前になるのか(藁


 その後、「DECCA盤 ベートーヴェンピアノ協奏曲全集」「アバドとの モーツァルトピアノ協奏曲4曲選集」「スワロフスキ指揮ベートーヴェンピアノ協奏曲第5番」「シューベルト即興曲+楽興の時」などとともに当時録音されたばかりだった

グルダ : 「Message fron G」


を聴いた。
 「玉石混淆」とは、まさにこのアルバムのためにある言葉! と思った。録音は「ライブ1発生撮り」なので、それほど質は高くないが、「ライブ感」があまりに素晴らしいのだ! 「ブレンデルのディアベリ変奏曲」もライブ録音として評価が極めて高いが、あの水準では無い。「グールドのザルツブルクでのゴルトベルク変奏曲」並みなのだ! 良い演奏は!!
 「アリア」とか「変奏曲」の素晴らしさは信じられない高みに達していたが、反面何が何だか全く理解できない愚作も入っていた。その後、テレマンを知った私高本には「出来不出来の大きい作曲家は実在するよな!」と思えたが、まだまだケツが青かった若き日の私高本は何が何だかよくわからんかった。
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20世紀後半のアンナ・マグダレーナ・バッハ = 祐子グルダ(No.1488)

2007-07-13 23:41:12 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
本日、「祐子グルダ ピアノリサイタル」を埼玉会館で聴いた。演奏会批評と言うよりも、

作曲家としての フリードリヒ・グルダ と 祐子グルダ


について、感じたことが深かったので、記したい。

20世紀後半のアンナ・マグダレーナ・バッハ = 祐子グルダ


 F.グルダは、20世紀の最後の年 = 2000年1月27日 に亡くなった大作曲家であり、ピアニストである。
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作曲家論 : グルダ第4回(No.1455)

2006-12-28 05:34:10 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
グルダ作曲 チェロ協奏曲 の 自作自演(グルダ指揮)初録音盤の初出国内盤LPにて ソロを弾いた ハインリヒ・シフ の言葉が 富士田靖子 訳にて掲載されている。この曲は 国内盤CDで出たこともあるらしいが、私高本は店頭で見ていない。 輸入盤には 原文(ドイツ語) と 英訳 が掲載されているのだが、日本語訳は 読んだことの無い方が多いだろう。以下の通りである。(指示代名詞の直訳がわかり難い時が多々あるのだけが難点。後「一所懸命」と言う単語を正確に知らないのだろうか? 一生けんめい とかな漢字交じりになってしまっているのが残念。「作曲者」もフツーに訳せば「作曲家」で良い箇所である。)

グルダの「チェロとブラスオーケストラのための協奏曲」について


ハインリヒ・シフ


訳・富士田靖子

 3年前の夏、雨の降る日に私ははやる心を抑えて、フリードリヒ・グルダ邸を訪れた。私はそれまで一度だって、あまつさえ夢の中ですら、この出会いから彼との協演までこぎつけるとは思ってもいなかった。私のグルダへの、そして彼の広い分野にわたる才能への尊敬は、今に始まったことではなく、私の子供時代にまでさかのぼることになる。私の中にあった古典音楽への狭い了見を広げてくれたのも、ひとえに彼に負うところが多い。
 初対面の短い挨拶をかわしたのち、いとも自然に私立ちはグルダのあのクラヴィコードと私のチェロで短い即興演奏を始めた。私はこの思いがけないグルダとの出会いとその後の数ヶ月が、私のチェロ演奏というアイデアとその実現の基盤を強めていくことになったと思っている。つまりグルダが私のチェロと私自身を数ヶ月にわたって理解し、評価してくれたことが演奏会を可能にしたのである。加えて彼の素晴らしいインスピレーションと実行力は、2年後の1980年に開かれた私のチェロ演奏会に非常に役立ち、それによって私は個人的にも音楽的にもこの人物に大きな借りを作ることになった。
 この協奏曲の第1楽章はチェロ奏者に全く新しいチャレンジを要求している。難解な技巧がはいっているだけではなく、さらに抑えた音でテンポの速いロックのリズムをマスターしなければならないのだ。そのうえそれらは正確に、ビブラートなしで、どんなクラシック的な弾き方をとり入れることもなく演奏されなければならない。私は私達がこの目標に達することができてすこぶる満足しているし、おそらくグルダもそうであろうと思う。穏やかで叙情的な間奏をはさんでの3度にわたるテーマのくり返しは、チェロをロックやジャズに近づけたいという私の夢を実現してくれ、その上聴き手をいわゆる「ロック・ハード・テンション」の境地へとひき込んだのである。これが驚くことに第2楽章では全く逆になる。
 「Idylee イディル」とは本来は田園の風景画をさす言葉であるが、ここでは曲の美しさ、素晴らしさ、それでいて単純さという性格をひき出すことになったオーストリアのザルツカンマーグートのことである。(私自身がそこの出身であったことは全くの偶然ではあったが、そのためにそれはまたそのことを音楽で表現してみるということでの1つの挑戦でもあった。)広がりを持ちつつも単純な旋律は、私達がしばしばうしなったて捜し求めているすべてのものをよびおこしている。もし聴き手が自由な感じ方でこの音楽のエネルギーをとらえることができたならば、私達のこころみは成功したと言えるだろう。この楽章の陽気な中間部では私達に楽しい田舎風のくつろぎをおぼえさせ、そしてそこはまた、自分でもそうと意識できるほどに一生けんめいに頑張っているチェロ奏者がくつろげるための場にもなっている。ここが楽章の中央部となっている。(A-B-C-B-A形式のCにあたる。)
 コンチェルトの中間部(第3楽章)であるカデンツァの楽章はニ長調の終止和音から展開する。2つの即興の部分は容易にその性格をとらえることができる。1度目は激しい重音奏法で、2度目はグルダによれば愛らしいフラジオレッタで。これらは躊躇しつつも思索に富むモノローグ(作曲者がベースの低音を加えてくれたことに感謝!)とその典型が示される前のリズム的に回想する部分と共に互いに対照をなしている。
 聴き手は突然自分が眠っているような静寂の中にあることに気がつく。そこはメヌエット(第4楽章)の幻想的な非現実の世界であり、まるで中部ヨーロッパから東洋の夢の中にすべり込んでしまった気分になる。長調のトリオはもはやとどまることなく漂っているかに見える。
 終楽章で聴き手は勝利の幸福感にみたされる。それはせっかちで多少きどっているアルペン音楽ではなく。まさに圧倒的、確信的な歓喜である。チェロはここでブラズの名手にまじって異彩を放っている。ここでチェロはある保養地(ボヘミアか?)の有名な旋律を2度もかなでて、自らをアピールしている。中間部ではオーストリアのザルツカンマーグートのあらしのようなジャズが展開される。それに続くのは、初めは軽い「幸福感」の音楽で、それからすばらしいコーダまでソリスト達はクレッシェンドを続け、一気に終わりに達するのである。

1981年5月ウィーン コンツェルトハウス録音
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作曲家論 : グルダ第3回(No.1452)

2006-12-25 20:53:37 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
BIGなクリスマスプレゼントが Piano Music Japan に来た!

グルダ夫人 = 祐子 グルダ からコメント頂いた!


 もう感激!!! グルダ夫人にして、最高傑作 = プレイ ピアノ プレイ(祐子に捧げる10の練習曲)を捧げられた 祐子 グルダ がわざわざ、

  • 1970年クリスマスの Yuko に F.Gulda から献呈された
  • 同じ干支(犬年でしょ?)の 2006年クリスマス丁度の日 に「コメント」頂いた!

なんて信じられないほどうれしい。36年前は私高本はまだ小学生のガキで、地元の久地小学校に通っていました(爆
 この当時の 「祐子 グルダ」の美貌写真は、グルダ著「グルダの真実」で拝見させて頂いています。


 現在我が家は「グルダ作品鳴りまくり」状態です、ハイ。もう昨日までの「バッハ尽くし」なんて、どこにも無いです。 バッハ「フーガの技法」と グルダ「プレイ ピアノ プレイ」 を比べたら、「評論家高本秀行」は 「フーガの技法」の方が名作と言いますが、

私高本個人は グルダ「プレイ ピアノ プレイ」 の方がはっきり好き!


です。 ここに明言します。

デイリー創刊(1996年12月6日)以降に生きていた作曲家の中で既に亡くなった作曲家では、「伊福部昭」「グルダ」だけが後世に残る!


と信じています。今、生きている作曲家の皆様には、名作期待しています! 吉松隆 は、今も「交響曲」書いているのだろうか?(爆


・・・で、『祐子 グルダ』からご指摘頂いた

  • F.グルダ「チェロ協奏曲」 には
  • 2曲(2楽章の意味だと思う)の旧作あり!

なんて、どこにも書いて無い「ビッグニュース」だ! 本当にありがとうございます!!




1,420円(税込)



  • 演奏   :☆☆☆☆☆
  • 資料価値:☆☆☆☆☆
  • 音質   :☆☆☆


 マジで『世界的スクープ』の書込を、グルダ夫人 から頂いたと思う。

  1. 作品が1級
  2. 身近な方が「真相を語る」

が必要。 う~ん、この条件を「完全に満たしている」ように思う。『私高本が新作を作曲しました』なんてホザいても、誰も相手にしないんだよね(藁

・・・で、F.グルダである。「チェロ協奏曲」は初出の時(=LPのみだった!)に購入して、CD化された時(=輸入盤のみだった)にも購入した。前者はベートーヴェンの「チェロとピアノのための変奏曲 作品66」とのカプリングで、後者は「ウルズラのための協奏曲」とのカプリングだった。 どの解説にも「旧作からの引用があります」とは書いていなかったと思う。 記憶が薄れて来ているのかしら?(爆


2,4,5楽章 が絶品なのに、1,3楽章が足を引っ張っている グルダ「チェロ協奏曲」


 どの楽章が「過去の名作からの引用?」かは、グルダ夫人 = 祐子 グルダ からも(メヌエットはご指摘頂いたが)ご指摘頂いていない状況での「作品批評」である。 結構「ヤバい」批評かも(爆

 グルダ「チェロ協奏曲」は、グルダ自身の記述を信じれば「クラシック音楽作曲家」としては頂点を極めたに近い成功作である。 この辺りは 絶版になった「グルダの真実」を読んで頂きたい。

・・・で、「チェロ協奏曲」の作品批評である。 私高本は貸出楽譜を有料で借りるような金銭的な余裕は無い(泣
 あくまで、「CD聴いての印象批評」である。文句があれば、コメントか トラックバックに書いて下さい。気に食わないと削除するかも(爆

 祐子 グルダ が「2つの楽章が旧作」との マル秘究極情報を頂いたのだが、その確認もしないママに、ここに「作品批評」を書く。「早い男は嫌われる」の実見本かも(爆笑



  1. メヌエット は 「作曲家 : グルダ」を代表する名作である。

  2. パストラーレ と フィナーレ は、「メヌエット」に次ぐ名作と思う

  3. 1楽章 & 3楽章 は不釣り合いなほど不出来


 グルダの個人的な 離婚とか、結婚の情報は、私高本では(今の状況では)全くわからない。 この「チェロ協奏曲」は、信じられないほどの「曲内の水準の高低差」がある曲である。 しかも、「クラヴィコード独奏版」では スカスカな「第3楽章」を演奏しているので、私高本としては「謎の曲?」であった。 ちなみに「ジャズでも演奏している」のご指摘を(夫人の祐子さんから)受けたが、手元のCDでは確認できていない。う~ん。
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作曲家論 : グルダ第2回(No.1410)

2006-11-04 06:18:55 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
冒頭にお断りしておくが、ピアニスト論でなく、作曲家論である。

ウィーンの伝統通りの「型破り作曲家」 = グルダ


 後世から見ると「伝統を墨守」しているかのように見える『ウィーンの作曲家』たち。しかし、よ~く見て見よう。

  1. ハイドン(1732-1809)

  2.  「交響曲」「弦楽四重奏曲」「ピアノソナタ」の分野で、確固たる「楽章構成」「楽章内形式」をほぼ1人で作り上げた改革者。

  3. モーツァルト(1756-1791)

  4.  「フリーの作曲家」を目指して成功した史上初の作曲家。「ドイツ語でオペラ」に成功した世界初の作曲家。

  5. ベートーヴェン(1770-1827)

  6.  器楽曲の「規模の拡大」と「1曲毎の個性付け」に成功した作曲家。「傑作の森」= 作品53以降の中期 は、特に拡大と個性付けに成功している

  7. シューベルト(1797-1828)

  8.  「連作歌曲」と「循環形式器楽曲」の成功作を世に送り出した世界初の作曲家。また「規模の拡大」にもベートーヴェン以上に成功している。『演奏しない作曲だけの作曲家』としても史上初だろう。

  9. ブルックナー(1824-1896)

  10.  「交響曲」1点に絞り、「規模の拡大」に成功した作曲家。第2番以降の交響曲が全て1時間を超す規模であり、第8番はCD1枚に収まらないことも多いほどの長さ。

  11. ヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)

  12.  「ウィンナ・オペレッタ」の創始者! 「こうもり」のおかげでどれだけ多くのウィーン人が生きて来たことか!!

  13. ブラームス(1833-1897)

  14.  この人だけは「伝統の良き後継者」でありながら、「世界的な作曲家」と評価された「唯一のウィーン作曲家」かも知れない。

  15. ヴォルフ(1860-1903)

  16.  歌曲の奇才。 その余りにエグい表現は、当時ほとんど受け入れられなかった、と言う。

  17. マーラー(1860-1911)

  18.  ブルックナー路線をさらに拡大した「交響曲の規模の拡大」を徹底追求した作曲家。交響曲第8番「千人」は、舞台上に出演者が並び切れないほど! 生前は「オペラハウス指揮者」としての評価が高かった。

  19. シェーンベルク(1874-1951)

  20.  「12音技法」創始者。「ゲンダイオンガク」を作り出した才能は敵味方ともに評価する。

  21. フリッツ・クライスラー(1875-1962)

  22.  「ウィーン的ヴァイオリン小品」 = クライスラー作品 と言って良いほどの「ヴァイオリン小品作曲家」! 生前は、ヴァイオリン奏者としての評価の方が高かった。

  23. ベルク(1885-1935)

  24.  「12音技法」を用いながら、2つのオペラ(「ヴォツェック」「ルル」)を作曲すると言う離れ業を世界初に行う。

「ウィーンの大作曲家」と言えば、大体このようなところだろう。J.シュトラウス1世 とか、ジーツィンスキー とかまだまだいることはいるのだが。

 グルダ に戻ろう。「クラシックピアニスト = グルダ」としての録音は、その全てが「出す度に絶賛」されて来た。ところが「作曲家 = グルダ」としての演奏会 & 録音 は、常に「出す度に罵倒」されて来た、と言って良い。グルダが自伝「グルダの真実」で語っているくらいである。
 初期のグルダ(amadeo ベートーヴェンソナタ全集発売以前)自身が「ジャズ」と称している音楽は、相当数の録音が残っているのだが、どれを聴いても(グルダ自身の言葉には反して)大したことはない。

パオラ・レーヴ との離婚が ベートーヴェンソナタ全集(1967)を産んだ


とは、グルダ自身の言葉だが

脇山祐子 との結婚が「作曲家グルダ」を開眼させた


である。 尚、 Yuko Gulda ホームページ も充実したホームページなのでご覧下さい。日本語で掲載されているので、私高本もきちんと読めるホームページです。

 後期のグルダが「CD化して後世に残さなくてはならない」と思った作品は、「メヌエット」1曲を除き、「祐子との結婚~リコのために」時代である。

  1. アリア

  2.  1970.02 録音1973?LP → 1973出版

  3. プレイ ピアノ プレイ(祐子に捧げる10の練習曲)

  4.  1970クリスマスの Yuko に献呈 → 1971出版(Yukoのため明記) → 1972録音1973LP

  5. 前奏曲とフーガ

  6.  1971.02.26録音1973LP → 1971出版

  7. 序奏とダンス(序奏とスケルツォ)

  8.  1972出版 → 1978録音1979LP

  9. パウルのために

  10.  1974出版 → 1977-1978録音1978LP

  11. リコのために

  12.  1977-1978録音1978LP(クラヴィコード)→ 1990.11.26録音1992CD(ピアノ) → 2000出版

    次の作品だけは「グルダの人生」の方の詳細が、私高本はわからないが、「祐子&リコ」とは別の場所に心が移った後の作品である。

  13. メヌエット

  14.  1980原曲「チェロ協奏曲」作曲 1981録音LP → すぐに「貸出用スコア」作成 → 1983 クラヴィコードソロ用編曲録音 → 1990 ピアノソロ用編曲録音(この曲のみピアノソロ版で未出版)


 グルダの主要作品について、まとめた文章は私高本は見たことがない。出版と録音の年月はわかる限り記載したが、もっと早いモノがあるかも知れない。ご存知の方はお教え頂きたい。「作曲の下限」は明示されていると思う。

 作曲家=グルダ は、徹頭徹尾「ピアノの人」だった。他の楽器のために作曲した曲も、結局「作曲家ピアノ編曲版」が最高だった。歌を歌ったり(ゴロウィンと言う変名も持っていて、ジャケット写真まで撮った!)リコーダーを吹いたり、クラヴィコード弾いたりもしたが、最後の最後は 1986~1991に3種類のCDを作って『音として記録』させた。 残念なことに この内2種類は廃盤。1種類は 世界規格廃盤で国内盤のみ現役。 Piano Music Japan 10月24日号 で紹介しているから、興味ある人は読んで下さい。

 「序奏とダンス」(← 単独曲ではグルダの最高傑作と思う)は少なくとも3回録音されているのだが、全部廃盤。(内1回は悪名高い「パラダイスバンド」が演奏しているので、スグ廃盤になるかな? と思って新発売時に購入したら、思った通りスグに廃盤になった)
 「プレイ ピアノ プレイ」(← これがグルダの最高傑作と思う)全曲も2回録音されているのだが、音質も演奏も優れている新盤が廃盤。あちゃ~!
 クライスラーも没後、最重視されていたのは、ベートーヴェンヴァイオリン協奏曲だったから、仕方ないのかも。『これがウィーン流儀』かも知れない。

グルダ = 作曲家として「クライスラー級」


 クライスラーはもちろん、「世界級作曲家」である。エルガーよりは上だと多くの人は思っているだろう。私高本も同じ認識である。
 グルダは作曲家として「世界級」であると同時に、「ピアニストとして世界最高峰の1人」であり、こちらは今もバカ売れ! グルダ作品は廃盤だらけ! 代わりに「ベートーヴェン:ピアノソナタ全曲」について『グルダ自身が生前認めた正規録音』全部を聴き比べて、『1曲毎のBest』を作る。
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作曲家論 : グルダ第1回 (No.1344)

2006-08-19 23:22:07 | 作曲家兼ピアニスト・グルダ(1930-2000)
 「総合評価」号を早めに書きたい衝動が止まらない。「ABC順」で次の「Gu」のグルダです。


グルダ(1930-2000)総合評価



ピアノソロ曲:☆☆☆☆
ピアノ協奏曲:☆
ピアノ室内楽:☆
連弾&2台 :☆
歌曲伴奏  :☆☆
ピアノ教育 :☆☆☆☆

音楽史評価 :☆☆☆☆
コメント 等は明日号以降にて。
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