Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

ピアニスト 鈴木弘尚 附論(No.1579)

2008-08-09 19:11:05 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
 鈴木弘尚3部作は、久方ぶりの大作でした。昨日は疲れでブログ更新できませんでした(爆


ピアニストはピアノ音楽だけ磨き上げればいいのか?


 「鈴木弘尚論」を(これまで13年間書きたい、と思いながら書けなかったのに)書き上げることが出来たのは、実は 8/1(金)の 『佐伯周子ベーレンライター新シューベルト全集に拠るピアノソロ曲完全全曲演奏会 Vol.4』で、リスト「ローレライ S532」の 9/8 の箇所(第33小節)に入ってスグのところだった。佐伯周子の演奏は

  • やや低めのテノールか、ハイバリトンのソロ歌手がそこに居て
  • 佐伯周子のピアノ『伴奏』に合わせて、歌曲「ローレライ」を歌っているかのよう!

であった。

  • 楽器「ピアノ」は打楽器の一種なので、アクセントを出したりするのは得意だが
  • 「歌う」ことはやや不得意の楽器

が通説となっている。


 この通説を乗り越えられないと「ピアニスト」にはなれないが、乗り越え方法に幾つかの違う道がある。

  1. 「とにかく歌わせる」ことだけを最優先にし、他は顧みない(→ ラフマニノフ方式)

  2. オペラや交響曲、協奏曲など「広い範囲の音楽」を身に付け、「自然に歌い」かつ「自然に伴奏」を1人で演じる(→ リスト方式)


 私高本は「リストの方が、ラフマニノフより好き」だが、『ラフマニノフ編曲モノ』を聴く時に「リスト方式」を押しつけるようなアホなマネはしない。

  1. リスト編曲モノ → リスト方式

  2. ラフマニノフ編曲モノ → ラフマニノフ方式

  3. ボロドス編曲モノ → ラフマニノフ方式


と切り分けて聴く。


 鈴木弘尚の「リスト編曲シューベルトモノ」はCDでも聴ける。「デビューCD」で、シューマン「交響的練習曲」作品13 の直後に収録されている。聴き手は「交響的練習曲」並みの演奏を期待している。少なくとも私高本は。


 鈴木弘尚デビューCDは

  1. シューマン(交響的練習曲)

  2. シューベルト/リスト(「水車屋と小川」A128/2 ← サール番号不明)

  3. ラフマニノフ5曲

  4. ヒナステラ「アルゼンチン舞曲」


となっている。超名演のシューマンの直後に収録された「シューベルト/リスト」に誰もが期待するだろう!!!


 ・・・が、シューベルトファンは裏切られる。いや、シューベルトファンでなくてもリストファンも裏切られるだろう。「リストの譜面」と違う。違い過ぎる。鈴木弘尚は「ピアノがピアノとして鳴り響いている」のだ。佐伯周子(と岡原慎也の「白鳥の歌」のリスト編曲の演奏)は「ピアノが『歌』として鳴り響いた上に、ピアノ伴奏も鳴っている」だった。


 私高本のサイフを悩ませることの一つが、佐伯周子が「オペラを聴きたいのでチケット下さい」と言うことだ(涙
 岡原慎也の文章で(確か「レッスンの友」掲載だったと思うが)

ピアノを演奏するためには、ピアノだけでなく「オペラ」や「オーケストラ」を貪欲に聴くことが糧


なんてのも読んだ。岡原慎也本人に尋ねたら、相当な金額を費やして、オペラやオケを聴きまくっていたようだ。それから室内楽もね!


 もう1度「原点」に戻ろう。佐伯周子が リスト「ローレライ」を弾いた。その曲のレシタティーヴォが終わり、「アリア」相当の箇所(= 33小節)に来た時、「低めのテノール」だか「ハイバリトン」の声が聞こえたような気がした。佐伯周子が「低めのソプラノ」か「ハイメゾソプラノ」を奏でていたのかも知れませんが。
 朗々と響く歌唱。濃い表情の「ピアノ伴奏部分」。佐伯周子の演奏は「端正な中に響き亘る」演奏。岡原慎也の「白鳥の歌D957」のリスト編曲 A49(サール番号不明)も、佐伯周子 と同方向だった。「シューベルト最優先」の姿勢が!


 鈴木弘尚 の演奏は「ラフマニノフの方向」である。「良い悪い」ではない。単純に「趣味の問題」である。しかし「リスト編曲」を弾くと「リストファン」が喜び、「ラフマニノフ編曲」を弾くと「ラフマニノフファン」が喜ぶだろう。私高本は「プロデュース第1回」を「リスト」で実行した人間なので、

リスト > ラフマニノフ


と固く信じている。錯覚かも知れないが(爆


  • コンクール用の選曲 と
  • 非コンクール用の選曲

があるのかも知れない。鈴木弘尚は「危ない橋」を渡って来てくれた恩人だと感じる。 しかし、それ以上に 岡原慎也 や 佐伯周子 は「1歩踏み外せば地獄への直行便」 の演奏会を聴かせてくれていたことを実感する。「踏み込みの良さ」に関して「シューベルト」に限定するならば、数倍(数十倍?)上だったから。

佐伯周子 + 岡原慎也 の連弾 が聴きたい!


が実感。
 この2人、テンポ設定だけでも相当に揉めるかもしれないが、「ブレンデル + 女弟子」よりも数倍良い演奏してくれる可能性も高い > 伊福部昭作品の共演実績から


 ・・・が、岡原慎也も佐伯周子も「シューベルトのピアノソロ」をもっともっと聴きたいピアニストである。


 鈴木弘尚については、「シューマン、ラフマニノフ、プロコフィエフ」を聴きたいピアニストである。ヒナステラも良いぞ!


 「佐伯周子の リスト『ローレライ』を聴いた瞬間、これまで13年間書けなかった「鈴木弘尚論」が書けたことだけは、ここに記しておきたい。鈴木弘尚 と 佐伯周子(と岡原慎也) には感謝するばかりである。
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ピアニスト 鈴木弘尚 その3(No.1578)

2008-08-07 19:21:48 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
 前2回で書いた「日本国際音楽コンクール最終回(1995)」では、少なくとも1部の審査員から「余りにもかわいそう」の意見が出たようで、「奨励賞」を授与された。それから2年弱後、鈴木はイタリアに留学する。


 その後、新たなレパートリーが花開く。

  1. シューマン : 交響的練習曲作品13
  2. ラフマニノフ : コレッリ変奏曲作品42
  3. ヒナステラ : アルゼンチン舞曲

 次々と素晴らしいレパートリーが増え、コンクールでの活躍も広がる。(5年前鈴木が入賞した時の)浜松国際コンクールの時点で、出会ってから8年。(私高本自身がプロデュースしたピアニストを除くと)外国人も含め、最も惹きつけられたピアニストだったので、できる限り機会があれば、聴いていた。



    鈴木弘尚の1998年以降のコンクール歴は


  1. 1998 第14回園田高広賞ピアノコンクール優勝(メシアン賞と富士通賞も併せて受賞)

  2. 2000 第52回ブゾーニ国際コンクール第6位

  3. 2003 第5回浜松国際音楽コンクール第5位


 この成績を「素晴らしい!」と思うか「実力にふさわしい結果は得られなかった」と思うかは、(受け手により)それぞれだろうが、私高本は 2003年の浜松国際コンクール終了の時点では「実力にふさわしくない(= 不足気味の)結果」と感じていた。


 ・・・で、ふと思うと、「鈴木弘尚の演奏会をプロデュースしたい」と思ったことが皆無だったことに気付く。(一昨日まで全く気付いていなかった)
 プロデュースしたのは、川上敦子、岡原慎也、佐伯周子。3名のレパートリーとは、鈴木のレパートリーは重複していない。鈴木のメインレパートリーは

  1. シューマン
  2. ラフマニノフ
  3. プロコフィエフ
  4. ヒナステラ

 皆好きな作曲家だ。プロコフィエフなんて、「たった2人しか聴かないバレエ音楽大作曲家」である。う~ん、なぜだ???


 鈴木弘尚のCDをここ3日繰り返し聴いている。素晴らしい!

 しかし、シューマンとプロコフィエフに関しては「他の曲の鈴木の演奏」が全く思い浮かばないのである。名曲は多く作曲している作曲家であるのに。



  1. コンクールを勝ち抜くためには(ショパンコンクールなどごく1部の例外はあるが)

  2. 「バロック」「古典派」「ロマン派」「近代」「現代」などの各時代から満遍なく1~2曲づつ弾け

  3. 大きな減点をされないように、選んだ曲を「磨き上げる」


技術を競い合うのが「コンクール」である。「プロコフィエフの9曲のピアノソナタを手に入れているピアニスト」よりも、「ベートーヴェンソナタ1曲 + ショパンソナタ1曲 + プロコフィエフソナタ1曲 + ヒナステラソナタ1曲 = 4曲」を手に入れているピアニストの方が上位に行く。鈴木弘尚の磨き上げ方は最高級だった、と私高本は思う。但し「レパートリーは広がりを止めた」と感じた。


 現在、鈴木は「レコーディングを含めた演奏活動」に熱心なマネジャー(プロデューサー?)が付いている。鈴木の演奏が魅力的だからだ! 2枚出しているCDについて言及すれば

  1. シューマン : 交響的練習曲 作品13 は、ブレンデルやポリーニを越した演奏

  2. ラフマニノフ : コレッリ変奏曲 作品42 は、アシュケナージを越した演奏


に聞こえる。
 ・・・で、その水準の演奏が、他のシューマンの曲(「謝肉祭」とか「幻想小曲集」とか「幻想曲」とか名曲は多くある)や他のラフマニノフの曲で聴けるか? と言う感触が薄いのだ。


 鈴木弘尚の才能は輝くばかりだった! わずか17才で、「日本国際音楽コンクール」にてオーラを放っていた。今も放っている。だが「磨きに磨いた」からと言って「増加3曲」は、あまりにも(私高本には)少ない。ここ3回の「鈴木弘尚批評」は期待が大きかった鈴木弘尚が「思ったコンクールを取れなかった」ことが引き金になって書いた。コンクールには「年齢制限」があり、鈴木はそろそろ大半のコンクールの年齢制限に引っ掛かる。明日から始まるオリンピックでも年齢制限がある種目は意外に多い。例えばサッカーとか(爆


 13年前に、東京文化会館で「日本国際音楽コンクール最終回第3次予選結果発表」後に落胆していた鈴木弘尚 + 江口文子先生 の姿は、目に焼き付いていて忘れられない。「人生の全て」を賭けていた!


 もし、鈴木弘尚が「コンクールの呪縛」から逃れて、『得意の作曲家に集中』していて演奏が素晴らしかったならば、また違った音楽世界が広がっていた、と思う。


 鈴木弘尚の今後の大活躍を期待する、と共に、「シューベルトに関して」言えば

  1. 岡原慎也 や 佐伯周子 の「踏み込みの良さ」を
  2. 1回聴きたかった

と感じる。岡原慎也 も 佐伯周子 も(シューベルトに関して言えば)良い演奏と良くない演奏の差が激しい。(落差は)鈴木の比では無い。しかし「うまく決まった時」の爽快感が信じられないほど高い。『あらかじめ(コンクール用に)設定した高さ』では無いからだ。『対シューベルト』で、岡原慎也 や 佐伯周子 は「音楽」を決めている。時にはマネジャーから見ると、不必要に「高み」を狙って時間を費やしているように見えるのだが(爆


 今の私高本が鈴木弘尚に最も切望することは

得意な作曲家のレパートリー拡充


である。おそらく、現マネジャーと違うだろうが。
 今も「交響的練習曲 CD」を聴いている。この水準で「シューマン全曲」弾いたら、アシュケナージなんて目じゃないぞ、鈴木!!!
 世界に向けて(今以上に)羽ばたいてほしい > 鈴木弘尚

 才能を不必要に「細かな仕上げ」に使わないでもいいのでは? 「コンクール」はもう終わったのだから(もし、これからもコンクール受けるのであれば、ゴメンナサイ)


 誤解ないように言えば

  1. 鈴木弘尚は、才能は抜群に高かった!

  2. 大事なポイントで「裏技」に沈められた(← 13年前の日本国際音楽コンクール最終回)

  3. 注意深くなり過ぎて「踏み込み」がモノ足りない曲がいくつか出現している


である。鈴木弘尚 のおかげで、シューマンとラフマニノフの世界の魅力を教えてもらった私高本はこれからもますます活躍してほしい、と願うばかりである。
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ピアニスト 鈴木弘尚 その2(No.1577)

2008-08-06 21:27:31 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
 鈴木弘尚は、今は亡き「日本国際音楽コンクール」最終回で、第1次予選は全く無難に(ミスが皆無ということ。全く聴き取れませんでした!)通過し、第2次予選に出た。

  • 決め技 = プロコフィエフ「風刺」作品17

だった。『プロコフィエフの根性が曲がっているが、音楽的には直裁的な魅力』をプンプンと外へ向けて発散。楽々通過。


 ここで「鈴木弘尚にとっての運命の分かれ道 = 第3次予選 = 最終予選」が来た。ショパンコンクールでさえ、第3次予選まで。『第4次予選』なんてあったら、コンクール参加者は発狂する、としか思えない > 私高本


 ・・・で、第3次予選の鈴木も素晴らしかった! バッハ(トッカータ BWV914)とヒナステラのソナタ第1番作品22 が素晴らしかった!! 他に弾いたシューベルトピアノソナタ第20番D959 と リスト ハンガリー狂詩曲だ12番も、それぞれ「ブレンデルの名演」や「シフラの名演」には及ばないモノの、同時に受けていたコンテスタント = コンクール参加者 では圧倒的な出来。「これは100%決勝に進出!」と思っていた > バカなオレ


 結果は「第3次予選で、プロコフィエフピアノソナタ第8番」が完全に平板に過ぎたソ連ピアニストが決勝進出 + 優勝」となった。マジかよ(怒
 決勝も死ぬほどテンポのノロい「ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番ハ短調 作品37」のトロトロと「譜面をなぞっただけの演奏」を聴かされた。40分以上かかったと思う。あれだけ(ベートーヴェンの意思に反して)トロいテンポで弾けば、国際コンクールを目指しているピアニストならば誰でも弾けるでしょ > ベートーヴェンの意思に逆行するが。


  • 第3次予選で落ちた鈴木弘尚 > 優勝者ドミトリエフ(ソ連)

は誰の耳にも明らか。「コンクールってこんなモノですか!!!」の失望感を私高本が味わうとともに、鈴木弘尚の躍進はこれからも続いたのである。
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ピアニスト 鈴木弘尚 その1(No.1576)

2008-08-05 20:43:40 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
 私高本が「避けて通れない道」がいくつかある。その「1本の道」について本日号で書く。この大ピアニストを批評すること無しは「批評家高本秀行」は存在しない。このピアニストとの(わずか数週間であった)最初の出会いが私高本を「音楽評論家」への道を志望させた。そして、それまでの「36年間の人生観を全部ひっくり返してくれた」大恩人である。「音楽評論家 = 私高本」はこれまでに評価されて来てはいないが(爆
今後認められることがあるならば、その起爆剤となったのは(岡原慎也でも、川上敦子でも、佐伯周子でもない)鈴木弘尚である。1995年の秋、相当寒かった記憶があるが、単に私高本の体調が悪くて寒かっただけかも知れない。しかし、この瞬間を境に「日本国際音楽コンクール」は消えてなくなってしまったのである。 それまで支援して下さっていた企業 = KDD とか 東京新聞 が経営基盤に何かしら問題が発生したのだろう。私高本の近所では「電話交換手の家庭がリストラされた」ってな会話があった記憶がある。


 鈴木弘尚を知ったのは「最終回日本国際音楽コンクール = 1995年」である。1次予選から卓越した技巧を聴かせ続けてくれ、最高の演奏をしたにも関わらず、本選に進めず落ちた。


 当時の資料を振り返って見よう。

  1. 高円宮憲仁親王
  2. 河野洋平外務大臣
  3. 遠山敦子文化庁長官(← 今年の『新国立劇場芸術監督』クビのすげ替えで超有名になっている新国立劇場理事長!)
  4. 青島幸男東京都知事
  5. 江戸英雄第6回日本国際音楽コンクール会長
  6. 金平輝子東京都歴史文化財団理事長
  7. 市原博KDD社長
  8. 安川加寿子第6回日本国際音楽コンクール運営委員長

の名前(とお言葉)が掲載されている。今も(疑惑を抱えて紛争しながら)全力で走っている人もいれば、既に鬼籍に入った方もいらっしゃる。
 この皆様のおかげで、実行されたコンクールである。


 この当時の私高本は「音楽評論家になるんだ!」の意識が(過剰に?)高く、ピアノ部門の全演奏を聴いた。どんなに夜遅くなろうとも「審査結果発表の瞬間」も立ち会った。(今では無理だ。体が持たない。頑張り過ぎると、死ぬ可能性80%かも)


 1次から素晴らしかった鈴木弘尚は、(第3次まで全て素晴らしかったのに)第3次で落ちた。私高本は「音楽コンクールは、音楽を聴くだけで審査されるのでは無い」事実をその瞬間に知る。「音楽の友」と「音楽現代」に(当時の青臭い)渾身のFAXを送り、その後「音楽現代」にて評論家として登用される。カネにならないことも実感できたが(爆
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ブレンデルのピアニスト人生を振り返る その4(No.1523)

2008-01-14 14:27:35 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
 1955年、ブレンデル24才の時に VOX初録音 となる。これが壮大なプロジェクトに繋がる。

『世界初のベートーヴェンピアノ曲全曲録音』を遂行したブレンデル


  VOXでの録音も「ロシア物」で開始される。録音した順を推定すると

  1. ムソルグスキー「展覧会の絵」、バラキレフ「イスラメイ」、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3章」

  2. リスト「詩的で宗教的な調べ」から抜粋5曲

  3. バルトーク「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」ストラヴィンスキー「2台のピアノのための協奏曲」

  4. ブラームス「ハンガリー舞曲」全曲(連弾)

  5. リスト「ピアノ協奏曲第1番 + 第2番」

  6. リスト「死の舞踏 + 呪い」

  7. リスト ソロ曲【LP5枚】分

  8. シェーンベルク ピアノ協奏曲


 3枚目の録音は「存在自体」をブレンデルが全く語ったことが無い上、1回もCD化されていないので、ほとんど知られていない。(LP VOX TV-S 34465)
 「21世紀のブレンデル」とは随分違うレパートリーである(爆

技巧派ピアニストが、リストを中心に現代物を弾く!


がイメージである。


 LP10枚分を遙かに超える録音をした時に、VOX社が社運を賭けた大プロジェクトを開始しようとした。

大作曲家ピアノソロ曲全曲録音プロジェクト


であり、

初回に選ばれたのがベートーヴェン


である。そして

ブレンデル が「ベートーヴェン全曲演奏」の大役を担い、1958年12月 - 1964年7月 に録音され、順次発売された


のである。
現在、CD13枚で「ほぼ全て」入手できる。(幻想曲作品77だけが別売になっている)
 ソロ曲録音期間中の1961年頃に ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番、第4番、第5番 も録音される。ソロ曲の売れ行きが好調だったからだろう、ピアノ協奏曲第1番、第2番、合唱幻想曲、ロンド変ロ長調WoO.6 も 1966年頃に録音される。

ベートーヴェンピアノとオーケストラの全曲録音プロジェクト


も完成させたことになる。

 ロシア物 から開始された LP録音は、リストの充実ぶりが認められ、【リストの師匠の師匠 = ベートーヴェン】 の大プロジェクトを成し遂げた世界初のピアニストとなったのである。


 ・・・が、「世界一のベートーヴェン弾き」として即認められたワケではない。最も大きな問題点は

VOX = 廉価盤専門レーベル


ということ。21世紀の現在で例えれば、「NAXOS」「Brilliant」に専門に録音しているピアニスト並みの扱いであったのだ!
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ブレンデルのピアニスト人生を振り返る その3(No.1522)

2008-01-12 18:44:53 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
  ブレンデルに幸運が舞い込んでくる。1952年1月(21才)に待望の「LP初録音」だ!

「運」を離さなかった『LP録音』の仕事


  1949年第1回ブゾーニコンクールで4位になった ブレンデル は
  • テクニックがある
  • 現代モノが得意
  • ウィーン在住

と言うように、アメリカのLP会社から評価される。 1951年12月に グラーツに里帰りしていたブレンデル宛は、アメリカLP会社(おそらく EVEREST)から「プロコフィエフの<ピアノ協奏曲第5番>を録音しませんか?」と言う電報を貰った。ブレンデルは「1回も演奏したことが無かったが、即OKした」

 この録音は「全プロコフィエフ」で
  • A面 = ピアノ協奏曲第5番
  • B面 = ピアノソナタ第5番

で ジョナサン・スターンバーグ指揮 ウィーン交響楽団、 EVEREST 3385 である。協奏曲の方は 米VOXから発売されている「Young BRENDEL」と言うCD6枚組で今も聴ける。はっきり言って、特に何も記すところのない平凡な演奏である(爆
  しかし、この録音がきっかけとなって、ともにアメリカLP会社である VOX と SPA と言う2社との録音が続く。SPA は5枚出したところで終わった。契約が終了したのか? 会社がコケたのか? 社長が変わったのか? 事情はわからない。しかし、VOX の方は、13年間(1955 - 1967) に亘り「大規模プロジェクト」を含めた関係が続くことになり、これが ブレンデル を全世界に広く知らせることとなったのである。
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ブレンデルのピアニスト人生を振り返る その2(No.1521)

2008-01-11 22:13:51 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
  本日はブレンデルの「誕生~ウィーンデビュー」までを綴る。

ウィーン周辺人としての「苦汁」をいやと言うほど呑まされたブレンデル


  1931年1月5日、アルフレート・ブレンデル は 現在のユーゴスラヴィア で産まれた。当時は「オーストリア=ハンガリー帝国」だったハズである。祖父母が全員違う民族、とのこと。「ヨーロッパ人」の感覚で育ったようだ。「1人っ子」で大事に育てられ、6才からピアノを習う。「ゾフィー・デジェリッチ」という名の先生に初めに師事し、その影響で「指で叩き込みながら、音色の変化を出す奏法」のきっかけを掴んだようだ。
  親の転居とともに各地を転々とするも、学生生活の締めは、南オーストリアの グラーツ。1948年(17才)にデビュー。1949年に『第1回ブゾーニコンクール』で第4位。(自伝に書いてある「優勝」は全くの間違いの様相!)
  1950年、初の「ウィーンでのリサイタル」を弾く。大叔母の家に住まわせてもらっての「ウィーンデビュー」であった、とのことである。


  これだけを読めば「19才でウィーンデビュー、しかも前年に国際コンクールで第4位!、すごい!!」と思うかも知れないが、実情はチョット違う。 1946年には『フリードリヒ・グルダ が戦後初の ジュネーブ・国際コンクールで優勝』していた。 ブレンデルも(受けた年は明らかにしていないが)その数年後には、ジュネーブ国際コンクール を受けた。そして、予選で落ちた。


  当時は、21世紀の「今」ほどコンクールが無かったので、さぞや心痛が強かったことだろう。このような状況下で ブレンデルはデビューした。普通に考えて「世界の大ピアニスト」になる、とは思い難い旅立ちだった。 しかし、ここから『世界のブレンデル』は飛翔するのである。(明日も書くぞ!)
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ブレンデルのピアニスト人生を振り返る その1(No.1520)

2008-01-10 20:48:53 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
 昨年11月24日の ブレンデル引退宣言 以降、ブレンデルのこれまでの録音を聴きまくったように思う。 私高本自身、1991年までは「ブレンデル信奉者」だった。1997年までかも知れない。(10年以上前のことなので覚えていない!)

「ヘンシェル + 岡原慎也 の シューベルト 冬の旅」


を生誕200年の年 = 1997年 に聴き、

「ブレンデルのシューベルト」とは違って、かつ、超えているシューベルト演奏がある!


ことを教えてもらった。 ブレンデルは

ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、リスト、ブラームス、シェーンベルク で第1人者


の評価があるピアニストだ! 私高本はシェーンベルクは嫌いだが、生涯で協奏曲を3回も正式録音したピアニストは、他にはいないだろう。かのポリーニでさえ1回だ(爆


 レパートリーは狭いピアニストだった、と思う。上記8作曲家以外には
  • バッハ(1枚少々)
  • ウェーバー(2曲)
  • メンデルスゾーン(1曲)
  • ムソルグスキー(1曲)

くらいしか、「Philips時代」はスタジオ録音を残していないかも知れない。
  • スメタナ
  • バルトーク
  • ベルク
  • ブゾーニ

なども「ナマ演奏」では披露してくれているのだが、その「演奏家生命全貌」からすると少ないかも。他に、古くは バラキレフやストラヴィンスキなどの録音もあるし、プロコフィエフも、ドヴォルザークもある。ショパンも1枚だけあった。う~ん、結構錯綜していますね。


  今年の 12月18日 のウィーンの演奏会が「引退演奏会」になるようだ。出典は ココ。
 ファンの皆様は、ウィーンに行って聴いて下さい。

 私高本 は、「50年以上のピアニスト ブレンデルの活動」を本日以降、掲載する予定。1才上の グルダ も死んで久しいし、1才下の グールド は死んで 25年以上になる。『巨匠』になった ブレンデルに 乾杯!
  • どの演奏会(東京&神奈川)も素晴らしかった
  • 1991年までの正規録音は、全て素晴らしかった

は、まさに神業。
 この 「ブレンデル像」に迫って、

これから将来ある 日本人若手ピアニスト の大活躍を祈念


したい。ブレンデルは、ケフェレック や クーパー のような大ピアニストを養成した経緯からして、きっと賛同してくれることだろう。
  正直「山有り、谷有り」の人生を見事に突き抜けた ブレンデル に「乾杯!」
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