ピアノの音色 (愛野由美子のブログです)

クラシックピアノのレッスンと演奏活動を行っています。ちょっとした息抜きにどうぞお立ち寄り下さいませ。

こけらおとしコンサート終了

2014年04月29日 | レッスンメモ
いよいよゴールデンウィーク真っ最中です。皆さまいかがお過ごしでしょうか。私はといえば先日から東京方面に出て来ています。27日の朝一番の飛行機で東京に行き、埼玉県のますこしょうこ先生のお宅に新築されたホールの「こけらおとしコンサート」で演奏させて頂きました。

お客様は全国から駆けつけたしょうこ先生のお友だちです。皆様あたたかくて気心のしれた仲間のようなメンバーですが、全員ピアノの先生なので恥ずかしい演奏はできないと、心を込めて弾きました。プログラムはバッハのイギリス組曲第二番、モーツァルトソナタK545、ショパンのバラード3番、フォーレのノクターン4番、そしてレクォーナのスペイン組曲でした。あと、ちゃっかりアンコール(シューマン)も用意していて、それも弾きましたよ。

それにしても素晴らしいホールでした。ピアノがホールととてもあっていて、既に馴染んできた感がありました。それでもこれから、もっともっとよくなっていくピアノなんだなと思いながら弾かせて頂きました。こういうホールを作りたいというのはしょうこ先生が以前からずっとおっしゃっていた「夢」でした。それをとうとうほんとに実現されたんだなあと、あらためて感動です。こんな記念の日に演奏させて頂き、皆さんからあたたかい拍手も頂き、とても幸せでした。ますこしょうこ先生、本当におめでとうございます。そして皆様ありがとうございました。

当日の詳しい様子はしょうこ先生のブログに写真たくさん付きで紹介されています。是非ご覧になってください。

<おまけ>コンサートの翌日はディズニーシ―に繰り出しました。

すっかり童心に帰って、はしゃいでしまいました。ほんとに楽しかった!

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感動する力

2014年04月26日 | レッスンメモ
ショパンのノクターン第2番、とても有名な曲ですね。フィギュアスケートの浅田真央さんがショートプログラムでこの曲を使ったので、益々おなじみの曲になってきたようです。先日、教室の生徒の一人がこの曲を弾きたいと言ってきました。彼女なら雰囲気もぴったりなので、ちょっと背伸びだけど頑張ってみようかということになりました。その際、ちょっと1回だけ「この曲でしょ?」という感じで、私が弾いてみせたらその生徒がものすごく感動してくれて、お家に帰ってお母さんに「レッスンついてくれば良かったのに。先生のショパンが聴けたのに、すごい良かったよ!」と報告したのだそうです。翌週、お母さんも一緒にいらして、レッスンの終わった後に、是非もう一度ということで、また私の演奏を聴いてもらうこととなりました。お母さんとお嬢さんのお二人そろって、ほんとに喜んでくれました。こんなときって、私の脳内ではもうピアノの先生ではなくて、ピアニストに切り替わっているので、こんなに喜んで頂けて、こちらまで本当に嬉しくて、まさにピアニスト冥利に尽きるというひとときでした。

再び先生目線に戻ってこのときの彼女の様子を振り返ってみると、彼女はこの曲をほんとに愛してるんだなあということがすごくよく伝わってきます。この曲を聴くこと、そして弾くことへの喜びや感謝を全身で示してしてくれるのです。このように、自分の好きな曲に対する強い思い入れを持つということが、音楽を学ぶ上ではとても大切なことだと思います。彼女の素晴らしいところは、そのような思い入れの核になる、「感動する力」を持っているということだと思っています。


レッスン室に我が家自慢の大きなボタンを活けました。この色が大好きです。淡い淡い上品なピンク。

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自分に厳しく

2014年04月25日 | レッスンメモ
先日、ある人からこんなお話を聞きました。「モデルさんほど自分の容姿にコンプレックスを持っている人が多い職業はない。」 これを聞いて私は「エッ!?」と思わず声をあげて驚きました。モデルさんといえば抜群のスタイルと美貌の代名詞。人もうらやむ容姿の人たちばかりなのに、自分の容姿にコンプレックスを抱くなんてあり得ないじゃないですか。

ところが実際、プロのモデルさんというのは自分の容姿をトコトン磨きあげることが必要なお仕事なので、自分自身の容姿を見る目がハンパじゃないんだそうです。私たち一般人から見ればため息がでるほどの容姿に見えても、プロのモデルさんが鏡に映った自分の姿を眺めると、「ああ、ここ、もう少ししぼらなきゃ」とか、「ここんとこ、大っきらい。私ってどうしてこうなのかしら!」という風になるんだそうです。そうやって、自分を徹底的に厳しくチェックして、そこから対策を研究して、自分磨きを実行するわけです。食事や運動、効果がありそうと思えるものには何でも挑戦。身体に悪影響がありそうなことはやらない。強い意志で継続。ストイックにコツコツと。これがプロのモデルさんの生きる道・・・。

何だかわかるような気がしますね。私は自分の容姿に関しては大甘で、ま、しょうがない、これでいいか、で済ましてしまいますが、ピアノについてはそうはいきません。自分のコンサートの出来不出来については、間違いなく自分自身が一番厳しい聴き手だと思っています。お客様からどんなに「素晴らしかったわよ!」とほめられても(お世辞かもしれませんが)自分では「あそこ、ほんとうはもっとうまくできるのに、なんでかなあ」などと悔しがったりしているのです。そして家に帰って対策を研究して、おさらいしてまた練習、練習。それでも、ちっともいいと思えずダメだしの連続。

昨日のブログに書いた「美点凝視」というのは、自分で自分を見るときに当てはめてはいけませんよね。自分自身をみるときは甘やかさずに、ほかの誰よりも厳しい眼で見なければいけません。自分で自分を褒めるという人もいるようですが、私はそういうのは苦手です。どちらかというと自分で自分のアラ探しばかりして苦しむタイプです。だからこそ、人様から思いがけずお褒めの言葉をかけていただいたりすると、飛び上がるほど嬉しく感じられて幸せになってしまいます。というわけで皆さん、コンサートで私の演奏をお聴きになった後はお手柔らかにね。(笑)責めるのは自分自身でイヤというほどやってますから!

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美点凝視

2014年04月24日 | レッスンメモ
美点凝視(びてんぎょうし)という言葉が好きです。相手の欠点に目くじらを立てるのではなく、長所に注目するという意味です。減点主義ではなくて、加点主義です。ピアノを生徒に教えていると、「短所を直す」ところと「長所を伸ばす」ところの両方が出てきます。どちらも大切なことなのでしっかり教えなければいけません。時々私はレッスンの終わった後にちょっと自分で振り返ってみることがあります。今終わったレッスンで、自分は「直す」ための指導と「伸ばす」ための指導と、どちらをどれくらいやっただろうか、そのバランスはどうだっただろうかと? 何事であれ、悪いところや欠点というのは目に(耳に)つきやすいものです。まして相手が未熟な生徒であればなおさらです。レッスンの間じゅう、ダメ出ししようと思えばいくらでも簡単にできるわけです。でもそれでは生徒は伸びません。逆に委縮してしまいます。だからこそ美点凝視が大切です。欠点は簡単に目につくけれど、美点というのは凝視しないとなかなか見えるものではないという意味も、この言葉には込められていると思っています。

コンクールの審査員をしているときも自分としては長所と短所のバランスに気を配るようにしています。ここはいただけないなと思うところは減点の対象になりますが、長所に対する加点ということを常に意識して採点するようにしています。ノーミスだけれども取り立てて魅力が感じられない演奏と、多少の欠点はあったものの、素晴らしい音色を響かせてくれた生徒とでは、後者の方に魅力を感じます。

コンサートを聴きに行ったときはなおさらです。楽しむために行っているのですから、とにかくその演奏家の良いところに注目します。「あれ?」と思うことが多少あっても、それを上回る「うわ、素敵!」があれば十分満足です。コンクールじゃないので「あそこでミスがあったわね」とかアラ探ししても意味ないと思うのですよね。

人の気づかないような小さな欠点まで素早く察知できる耳も必要だけど、人の気付かないような美点を、それもまだ小さな双葉の頃から、いち早く見いだせるような、そんな耳をもちたいと思っています。

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意外にわかってない

2014年04月22日 | レッスンメモ
ピアノを教えていて、こちらが普通に使っている言葉の意味を相手が誤解していたとか、知らないままでやり過ごしていたということに気がつくことがあります。一番分かり易い例は拍子記号ですね。四分の三拍子とか八分の三拍子とかいうやつ。これ、算数で習う四分の三とか八分の三という分数の意味ではありません。四分の三拍子というのは一小節の中に「四分音符」が「三つ」という意味です。二分の二拍子なら「二分音符」が「二つ」です。八分の三拍子なら・・・、もうお分かりですね。「八分音符」が「三つ」です。学校で分数を習う前にこの拍子記号の意味を教え込んでしまえば楽チンです。大人の生徒や保護者の方の中には、初めてこのことを知って、「えっ、そうだったんですか!」とびっくりすることがあります。

私は拍感を身につけることが大事だといつも言っていますが、それにはこの拍子記号の意味を正しく理解して、四分の四拍子と二分の二拍子の違いを聴き分けること、そしてもちろん弾き分けることが大切なのです。これを算数で使う分数だと勘違いしていたら、たとえば四分の三拍子と八分の六拍子は同じものだということになって、違いが分からなくなってしまうでしょう。実際にそんな弾き方をしている人も少なくありません。拍子記号は分数ではないので「約分」してはいけないのです!

以前から楽典やソルフェージュをもっと強化しなくてはいけないと感じていたので、今月から楽典・ソルフェージュ専門のクラスを通常のレッスンとは別に設けることにしました。日頃のレッスンで私が普通に使っている用語の意味をみんなほんとにきちんと正しく理解しているのかどうか。みんなわりとおとなしくてシャイなので、分からなくても「それどういう意味ですか?」と聞き返してくる生徒はほとんどいないんですよね。でも、たまに私の方から「これ、どういう意味かな?」と尋ねてみると、ある程度弾けるようになってる生徒でも、「あらまあ!」という感じになることがあります。意外と基本的なことが抜け落ちてたりします。

これは先生の私が悪かったと反省しきりです。限られたレッスン時間の中では、「さあ聴かせてね。今週はどんなになった?」と聴くのを楽しみにしてるものですから、とにかくピアノを弾いてもらってそれで時間はすぐに経ってしまうわけで、楽典の方は「もうこんなに弾けるんだから、基礎的なことは当然知ってるよね~」とにこちらの方が勝手に甘えていたのです。

でもこれではいけません。いくら弾けても音楽の基礎理論をしっかり学んでおかなければ後になって生徒が苦労する、恥をかいてしまう。この状況を何とかせねば!というわけで今月から通常のレッスンとは別に楽典とソルフェージュのためのクラスを設けることにしました。とりあえず月二回程度のペースですすめて行こうと思っています。まだ、始めて間もないのですが、手ごたえ十分。みんなで楽しそうにやってくれます。始めて良かったと思っています。

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練習曲の練習する順番

2014年04月21日 | レッスンメモ
バッハが残した数多くの作品の中でもピアノ学習者になじみの深い「インヴェンションとシンフォニア」。それぞれが15の小品でできていて、合計30曲の練習曲集です。私の教室でもよく利用しています。さて皆さん、この練習曲集のうち、例えばインベンションを1番から15番まで、どのような順番で生徒に教えていますか? 普通の教材なら1番から順番に番号通り進めて行けば大体OKだと思いますが、この教材についてはそうはいきません。順番通りに弾こうとすると、易しい曲と難しい曲がごちゃまぜに出て来て、スムーズに学習を進めることが困難になるのです。ほかのピアノ教材では易しい曲からだんだんと難しい曲へと配列されているのが多いです。あるいは左手の練習、右手の練習というように技術習得上の目的に応じてまとめられていたりすることもあります。ところがインベンション(シンフォニアも平均律も)の場合は良く知られているように、曲の調性に応じた順番に並べた配列になっています。音楽理論的には意味のある並べ方なのでしょうが(バッハの独り善がりと言う人もいます)、初心者がピアノの奏法を学ぶのに適した曲の並び方とは言えません。なので、実際にこの教材を使うとなるとどういう順番で教えようかと、悩むことになります。バッハの並べた曲の順番にこだわらずに、それぞれの曲の難易度順に並べ替えて練習を進める方が実際的だし、効率も良くなるのです。

では、たとえば、インベンションのそれぞれの曲を難易度順に並べるとどうなるか? この点について解説書などを見てみると、これがまた人によって違うというのが面白いですね。私の場合は、とにかく柔軟に考えることにしています。どの順番でなければならないということはない、その生徒に合った、教えやすい順番で学習を進めていくということです。大体、最初のあたりに触れるのは、私の場合、4番1番8番13番あたりでしょうか。むずかしいとするものは、14番、15番、9番。それも流動的です。生徒によってそれぞれ違う順番でやらせているということもよくあります。

一方、ブルクミュラー25の練習曲集などは、順番通りに練習していきます。出来れば全部練習したいですが、生徒の特性や学習テーマに応じていくつか抜粋することもあります。

というわけで、同じ練習曲集を使っていても、その中の曲を練習する順番はピアノの先生それぞれによってずい分違うのではないかなと思います。また私自身、同じ教材でも昔と今では違う使い方をしているということもあります。こればっかりはいくら長くやっていても「どんな生徒に対してもこれで決まり!」なんていう指導法は見つかりっこないわけですから、これからもずっと生徒と一緒に勉強していこうと思っています。

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無駄なことはない

2014年04月20日 | レッスンメモ
人生、色んな事があります。私の場合その色んな事を経験した中で、ピアノだけはずっとずっとやり続けてきたのですが、そのピアノとのかかわりの中で最近つくづく思うことがあります。それは、回り道でも何でもとにかくずっと続けてやっていると結局無駄なことなんてないのだということ。そりゃあ、いくら大好きなピアノのお仕事といえども、いつもいつも楽しくできるものではありません。ちょっと嫌だなと思う仕事もあるし、がっかりすることもある。それでも淡々と前を向いて今日は今日のそして、明日は明日の仕事をこなしていく。

複雑な思いでやった仕事が、後になって思いがけず役に立つということもあるのです。それをやったからこそこんなことができるようになったとか。これはそのとき嫌な思いをしたからといって、そこでやめていたら絶対できなかった仕事かもと思うことが時々あります。誰でも若い頃は何事にも敏感で感情の起伏も激しくて色んなことに過剰反応しがちなものです。そのこと自体は感性が新鮮な証拠ですから決して悪いことではないと思います。ただ、「もうやめた!」というのだけは慎重にした方がいいと思います。自分が「これ」と決めたことに関しては、何があっても続ける、絶対やめない、たまに放り投げることや、ストライキを起こすことはあっても、とにかく続ける。そうすればきっと後になって、ああ、あの時のアレもコレも、みんな結局今の自分の役に立っているんだなということが分かってきます。

いつも焦らず諦めず、気持ちをくさすことなくピアノと音楽を大事にする。この気持ちにブレがなければ、人生、無駄なことなんか一つもないと実感しています。

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「ゆっくり練習」と「高速練習」

2014年04月18日 | レッスンメモ
曲を練習する時には色んなテンポで練習するのがいいと思っています。その曲の持つ適度なテンポで弾けるようになることが大事なのはもちろんですが、たとえそれができるようになってもそのテンポばかりで練習せずに、あえて、ゆっくりのテンポや速過ぎるテンポを、練習に取り入れるという意味です。ゆっくり練習することが大切なことは言うまでもありません。ゆっくりゆっくり一つひとつの音色、音と音のつながり、関係性、縦ラインのバランスなどを吟味しながら、耳を澄まして良く聴きながら練習します。

もうひとつ、高速練習もお薦めです。これは音色の吟味というよりは、頭の中の整理整頓の練習です。暗譜ができている気になっていても、意外とすべての音を完璧に全部は把握してないことがあります。ピアノを弾くということは指と音が頭の中でつながっていなくてはならないわけですが、ちょっとしたことでそこが分からなくなったり迷ったりしてしまうことがあります。昨日までちゃんと覚えていたのに今日はどこかの音が一つ抜けたり、違う音に変身したりすることがあります。音と指のつながりの把握、これが頭の中できちんと整理整頓されてないといけません。このためには「高速練習」が効果的です。とにかく出来る限りのスピードで速く正確に弾く練習です。そうすると日頃普通に弾けていたところがうまく弾けなかったり、あやふやなところが出てきたりします。普通のテンポでは発見できない不確かな指の動き、これを発見してもう一度すべての音たちを、しっかり頭に入れ直して、どの指を使って鍵盤のどの位置をタッチするか、イメージを研ぎ澄ますのです。ただし、「高速練習」のやりすぎは危険です。演奏が雑になってしまいますからね。これはあくまでも音の並びの把握と指使いのための練習だということをお忘れなく。

そもそも曲の解釈の上で、どのようなテンポで弾くかというのは、それぞれのピアニストごとに、一番分かりやすい違いが出てくるところです。自分がその曲をどういうテンポで仕上げたいかということを極めていく上で、色んなテンポを自由自在に操ることができるようになっておくことは大切です。「高速練習」と「ゆっくり練習」を組み合わせながら、その曲にもっともふさわしいテンポを見つけ出して曲を完成させたいと思っています。
今日はお天気崩れそう。お花が散らないか心配です。私の頭の中の音符たちも散らないでほしい

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黄色の花がきれい

2014年04月17日 | レッスンメモ
ちょうどこの時期、我が家の黄色い花が満開です!
ヤマブキ

カロライナジャスミン

ユリオプスデージー(?)

おまけ  こうやって庭のお花を少しだけ摘んで部屋に飾るのが好きです。


今日はこれからグループUNOの打ち合わせ。お天気も最高で気分爽快。では行ってきまーす。

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嬉しいお手紙

2014年04月16日 | レッスンメモ
先月、名古屋で公開レッスンをさせて頂きました。皆さんとても素直なお子さんたちで、私のレッスンを熱心に一生懸命受けてくれました。もちろんその時に初めて出会った生徒さんたちばかりだったのですが、緊張したり固くなりすぎることもなく、楽しいレッスンが出来たように思います。そうしたら、先日、主催者の方から封書が届いて、中を拝見してびっくり。そのときにレッスンした生徒さんのうち何人かが私宛に御礼のお手紙を書いてくれていて、それを主催者の方が届けてくださったのです。

ほんの短い時間に、自分の持ってる力をギュッと詰めてレッスンする。あれもこれも言いたいけど、限られた時間の中で何を伝えるか。伝える内容が大事なのはもちろんですが、相手がこちらに耳を傾けるように心を開かせる工夫も大事。レッスンは一方通行ではなくて、双方向のコミュニケーションですから、特に相手が初対面のお子さんの場合は楽しくやりとりができるように心がけています。それにしてもやはり時間に限りはあるので、色々とたくさん言い残したことがあって、「あれで良かったかしら」と自問自答していただけに、可愛い文字で、「とても楽しいレッスンだった」、「これからもまた頑張ります」、というような内容のお手紙を頂いて本当に嬉しくなりました。これからもますますピアノの練習を楽しんで続けていただきたいと思います。

公開レッスンや学校訪問コンサートなどの後に、このようなお手紙をちょうだいすることが時々あります。これはもうほんとに嬉しいですね。ものすごく元気をもらいます。今日は張り切ってピアノが弾けそうです

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イェルク・デームス先生のレクチャーコンサート

2014年04月15日 | レッスンメモ
昨日は福岡まで勉強に行ってきました。イェルク・デームス先生のバッハの平均律の講座です。昨年初めて参加してとても勉強になったので今年も迷わず参加を決めました。今年は平均律1巻の第13番からのレクチャーでした。1曲ずつ、それぞれの特徴や演奏の仕方、考え方など、とても具体的に教えてくださいました。こんなに具体的だととても分かりやすくてすぐに自分の演奏に結び付けることができる、そんな実践的で興味深い、楽しい講座でした。

1時間半のレクチャーの後、休憩をはさんでオールバッハのコンサート。平均律の後半全部とパルティータの第1番。どれも音が素晴らしい! 何と言ったらいいかしら、一つひとつの音がメレンゲのふわふわした丸い玉みたいな感じで、一音ごとに心が洗われるような感じでした。さすがにご高齢ですから多少のミスはないわけではありませんが、それにしてもあの「音」の美しさは本当に素晴らしかったです。ミスしても全然気にならないくらい、音楽的な演奏。歌声がピアノの音と一緒に聴こえてくるような演奏。そんな演奏でした。そんな美しい「音」を出す技術と表現を身につけるには一体どうしたらいいのか・・・。デムス先生のレクチャーと演奏を聴いていいると、その秘密の一端に触れることができるように思えて、とても勉強になるのです。

今年は私の教室の生徒と一緒に参加しました。デムス先生がレクチャーのところでさらっと弾いて見せたとき、私の隣の席に座っていた彼女がすぐに「あぁ、綺麗な音・・・」と小声を漏らしました。敏感に素直に反応してくれて嬉しかったです。まさにこの音に触れてほしかったのです。この生徒は今ちょうど平均律を勉強中ですから、とても貴重な機会になったと思います。デムス先生のこの音を忘れずに、自分の演奏にも活かしてほしいと思います。こうやって生徒と一緒に勉強するというのも良いものですね。二人で同じものを一緒に聴いているので、「ほら、あの時の、デムス先生のあの音よ、あれを思い出して!」と言えばお互い分かり合うことができますものね。

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遠くの音をつかまえる

2014年04月14日 | レッスンメモ
一人で一生懸命ピアノを弾いていると、ついつい陥りやすい現象。それは眼の前のピアノの音に気をとられてしまうことです。眼の前のピアノの音というのは、鍵盤があってハンマーがあって弦を打つ、すると、すぐそこの弦が音を出す。その音のことです。それに気をとられるということは、つまり、ピアノの響板とか、部屋の壁や天井などからの響きに対して注意力がおろそかになるということです。ピアノの弦そのものが鳴る音と、それが響板を介してピアノ全体から響く音とは、もちろん違っています。一方は「弦鳴り」、他方は「箱鳴り」として区別されます。バイオリンやギターの人にとってはおなじみの言葉だと思いますが、実はピアノも同じように弦と箱でできている楽器なので、これと同じことが言えるのです。

バイオリンの名器の響きの鍵が、その木製の胴体にあるというのは分かりやすいと思います。ピアノという楽器は構造がもっと複雑で色んな部品によって構成されているので勘違いしやすいのですけれど、実はピアノも同じ。ピアノにとって大事な部品は、ギターやバイオリンと同様に、響板(サウンディングボード)なのです。ほかのすべての部品は取り換えや修理が可能ですが、響板が駄目になった時はそのピアノの寿命が尽きた時と思い定めた方がいいようです。


というわけでピアノの練習で大事なことは弦を鳴らすことと同時に、響板を鳴らすこと。つまりピアノの箱鳴りに耳を澄ますことです。そしてもっと言えばそのピアノ全体から響く音が部屋や会場の床、壁、天井に届いてそれが反射してくる、その音にまで耳を澄ますことです。一人でガンガン練習していると、自分はものすごく頑張っていい気になって弾いているのだけれど、実は音がちっとも響いていない。遠くに届いていない。独り善がりの弦鳴りになってしまっている、ということがあります。これでは、「げんなり」ですね(笑)。ピアノを箱鳴りさせること。ピアノの音を飛ばして向こうの壁から、天井から、四方八方から聴こえてくる音をしっかり聴きながら弾くこと、これを忘れてしまうのです。

なるべく遠くの音を捕まえる意識をもつと言えばいいのかなあ。表現は難しいですね。ちょっと曖昧で具体的ではないけれど、音自体、具体的な形になって人間の眼に見えるものではないので、ついこんな表現になってしまいます。自分の出した音の行く先をできるだけ遠くまで追いかけていく意識、と言ってもいいかも。この音を弾いた、今度は次の音だ、それまたその次の音は、という風に次から次へと音を出しっぱなしにして、後は知らないよ、というのでは駄目なんです。音は出せば終わりなのではなくて、出した後に何かにぶつかって響いて返ってきて、それが耳に届いてくるものですから。そもそもピアノにぴったりくっついて音を聴いている人は演奏している人のほかにいないので、弦鳴りの音が聴こえているのは演奏者である自分だけだと思った方がいいでしょう。他のお客様のすべての人が聴いているのは箱鳴りであり、また会場全体を駆け巡る響きの音なのです。だとすればどちらの音を意識して、どちらの音に耳を澄まして練習しなければならないか、それは明らかですよね。

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私の練習パターン

2014年04月11日 | レッスンメモ
月末にコンサートを控え、一生懸命練習しています。昨日は比較的自分の時間がとれる日でしたから、いつも以上に集中して練習に取り組むことができました。「いつもどんな風に練習なさってるんですか」と尋ねられることがよくあるので、昨日はどんな感じだったか書いてみます。

朝一番の練習開始は、まずスケールとアルペジオをさらーっとやって準備運動。その後、いきなりコンサートのプログラムを最初から最後まで全部通してみる。前の日にチェックしたところがちゃんと出来てるか、まだほかに気をつけなければいけないところがないか、確認しながらではありますが、とにかく一気に弾き通す。途中でとまらずに本番同様に弾き通すと、ちゃんとやれてないところ、確実でないところ、不満なところなどがボロボロ出てきます。それに加えて、プログラム全体を通しての集中力やパワーの配分などの感覚がつかめるので、とても大事な練習だと思っています。

そしてその後は一つひとつの曲の中身の再検討に入ります、不満なところや改善しなければいけないところなどにたくさんの付箋を貼り、一つずつやっつけて行く作業。いわゆる部分練習です。これで午前中が終わります。昼食後さらにその続きをやって、今度は符箋をどんどんはがしていく。そして、夕方頃になると今度はもう少し賢く、体力、気力、集中力の配分を考えながら、もう一度プログラム全体を通して弾いてみる。部分練習をしっかりやった後ですから朝一番に弾き通したときよりもぐんと良くなっているはずです。しかし、しかーし! そうは問屋が卸さない、というのはこういうのを言うんでしょうねえ・・・。予期しないところで不意打ちを受けたりして、また沈没、なんてことことがしょっちゅうです。まあ、こういうことを繰り返しながら、少しづつ、ほんの少しづつでも前に進んで行く、進むことができる、と信じて来る日も来る日もやってみる。これしかないですね。だからほんとに毎日がチャレンジだなーと思ってはいます。でも実はそんなに歯を食いしばってやってるというわけじゃないんです。何しろ相手は大好きなピアノさんですから、格闘してるのか、仲良く遊んでるのか、最後は自分でもわからなくなってしまうというのが実情です(笑)

もちろん普段はこんなにまとまった時間はとれないのでもっと細切れの練習になって、プログラム全体の「通し練習」が、曲の「通し練習」に代わったりしますが、「通し練習」と「部分練習」の組み合わせという基本的なパターンは、学生時代以来あまり変わっていません。限られた時間の中でもっともっと効率的な練習方法はないかと色々試しながら、基本的にはこのやり方でやっています。

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曲を研究することと弾くこと

2014年04月10日 | レッスンメモ
楽譜にはフォルテやピアノなど様々な演奏記号が書かれています。しかし例えばフォルテと書かれてあっても、実際にどんなフォルテを出すのか、あるいはピアニッシモと指示されているところでどんなピアニッシモを作ればいいのか、具体的に細かな指示まで明らかなわけではありません。その辺はもう、演奏者自身がその楽譜全体を通して読みとらなくてはいけないことです。「楽譜に忠実に」ということをどんなに心がけていても、そこには弾き手による解釈の違いが必ず出てきます。

同じ「ピアニッシモ」でも、ただ小さい音で弾けば良いというのではなく、例えば、それは冷たいピアニッシモなのか、あるいは、ほんのりと暖かさを帯びたピアニッシモなのか、きちんと区別して表現されることが必要な場合があります。さらに、冷たいピアニシモって、じゃあ、その冷たさはどのような冷たさなのか? 氷のように冷たいのか、それとも薄暗い冬の部屋の冷たさなのか。こうやってどんどん掘り下げて行って、曲や音質のイメージをできるだけ具体的に描いて、そうしてそれを音で表す、これが理想だと思います。

ピアノやフォルテだけに関しても深く追求すればきりがないもの。というわけで、私のレッスンでは、「そこのフォルテ、そこ、どんなフォルテなの? 」という感じで生徒に問いかけることも多々あります。それは生徒に自分自身でもっともっと考えて欲しいから。もっともっと自分自身で曲のイメージを確固たるものにしてほしいからです。簡単なのはこちらが一方的に弾き方(解釈)を押しつけることです。問答無用で、「そうじゃないっ、 こうしなさい!」と言えば済むのですから。もちろん時と場合によってはそういう指導も必要ですけれど、ある程度土台ができてきたら、こうした問答を通じて自分で考える習慣を身につけることがとても大事になってきます。その問答の相手が、始めはピアノの先生かもしれませんが、そのうちだんだん楽譜と語り合うようになってきます。自分の問いかけに楽譜自身が答えてくれる。そんなときはとても嬉しいですね。作曲家自身と対話ができたと感じられる瞬間です!

楽曲の理解についてせっかくこんな境地に達しても、実はまだピアノを弾くことの苦悩は続くのです。そう、それを実際にきちんと弾けるかどうかということ。たとえ自分で納得のいく楽曲の理解ができたとしても、それを鍵盤上で再現できなければ全然意味がないです。もちろんこれは簡単にできることではありません。耳と頭と指と自分の持てるものを全部使って、鍵盤に向かうのですがなかなか思い通りにはいきません。鍵盤はどんなときでもいつも通りに整然と並んでいて、こちらの気分にはおかまいなしのツレナイ相手ですが、何とか仲良くなって、指との間の対話がスムーズに行くようにしなければいけません。私にとっては偉大な作曲家と対話するよりも、むしろ、この白と黒の無機質な鍵盤と対話する方が、ムズカシイ・・・。

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イェルク・デームス先生

2014年04月09日 | レッスンメモ
来週はイェルク・デームス先生の講座とコンサートがあります。私にとってデームス先生の音楽に触れるのはは昨年に続いて二回目です。前回の講座はとても勉強になったし、演奏会の方も素晴らしかったので、今年も楽しみです。内容は今年も平均律のレクチャーとその後引きつづきそのレクチャーで取り上げた曲の演奏会となっています。レクチャーで言ったことを、ただ言いっ放しというのではなく、すぐ後で実際に全部自分で実演して聴かせるというわけですから、無責任なことは言えませんよね。自分で本当に確かめて、やり抜いてきたことを基にして語ってくれるからこそ、デームス先生のお話には説得力があるのだと思います。85歳という御高齢で、欧州から日本にやって来るというだけでも大変だと思うのですけど、レクチャーも演奏もと、今なお元気にご活躍というのですから頭が下がります。昨年のあの精力的な姿勢と演奏が忘れられません。今年も楽しみです。とにかく私にとってバッハは勉強すればするほど奥が深いと感じさせられる相手。時には本当に難しいと感じて頭を抱えてしまうほどです。だからこそ、もっともっと色んな機会をとらえて勉強したいといつも思っています。

ドッキリピンクが鮮やかなハナズオウ

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