老舎 作『駱駝祥子』(岩波文庫)読了。
生粋の北京っ子、老舎による、中国の首都が南京に置かれていて、現在の北京が北平(ペイピン)と呼ばれていた時代の社会の底辺の人々の悲喜哀歓を描いた作品。(悲喜哀歓を描いたとはいえ、悲哀の割合が8割以上であるように思った。)
『駱駝祥子』を読む前に道教関連の本に触れていたことで、『駱駝祥子』に出てくる習俗(道教俗神信仰の様子や中国の法定祝祭日の町の様子)について改めて調べることなしに読めたのはよかった。また、二ヶ月前に読み終えたパール・バックの『大地』にも主人公が一時的に人力車夫となるエピソードもあったから、『駱駝祥子』の主人公が身をおく環境の描写にもすんなり入っていけた。
作品の舞台は国民党が統治する時代の北京だが、(北京の町なかに行ったことないので勝手ながら)、地名や建造物名の共通点以外にも今の北京にもどことなく共通するのではないかと思ったいくつかの施設や人びとの特徴の描写が印象に残る。
まずは結婚斡旋所。その説明も3行ほどしかないにもかかわらず、その3行に結婚斡旋所の今昔が凝縮されているのだ。
次に蝦蟆(ガマ)仙人。体の状態が思わしくない切羽詰った状態の人間に前世での行ないを説き祈祷をほどこし金丹を服用させるも、苦痛にもだえる人間に何ら安らぎや苦痛の軽減をもたらさない。それでいて蝦蟆仙人とお付の者が高額なお礼を受けうまい物を食ってさっさと去っていくさまは、決して北京に限った話ではない。21世紀に入った現代であってもしばしば起こりうることである。
作品は冒頭にも書いたとおり悲哀の要素が強く、社会を見ていれば嫌でも目に入ってくる現実を描く、つまりはリアリズムが基底にある。これまで読んできた初心で馬鹿正直で世渡りが下手な主人公の努力が報われない、読んでいて救われない成れの果てを描く作品やキャラをいくつか思い出したが、老舎の描くキャラクターは悲劇が悲劇たらんとすればするほど滲みててくる笑いの要素が少ないという意味ではちょっと物足りなかったかもしれない。ただ、ラストで市中を引き回される死刑囚に失望する見物人たちの様子には、思わず「あの作品のパロディでは?」と不謹慎なようだがにやりとしてしまった。