デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



司馬遼太郎 著『アメリカ素描』(司馬遼太郎全集53、文藝春秋)読了。

英語圏政治・文化研究者の越智道雄氏の著作や森本あんり氏の『反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体』に書かれている内容の肝心なところは既に『アメリカ素描』の中に描かれているんだなぁということが、読んでいる途中で分かった。たとえ越智氏の著作が先に出ていたとしても要点がきちんとまとめられていて読者に凄みを覚えさせる描かれ方がなされているのは『アメリカ素描』の方だろうと思う。(失礼を承知でいえば、司馬氏の書いたことの焼き直しじゃないの?と疑ってみたくなる気にさえなる。)
塩野氏の本でもそうなのだが、司馬氏の本を読むと「司馬さんはこうおっしゃっておられる、皆の者、耳をかっぽじって耳を傾けよ」という気になってくる。それだけ面白い内容だし、書き方が痛快なのだ。事実とそれを踏まえた想像を断言調でこう書いているから間違いないという印籠や権威主義が授かった感じというか。
そんな感じで個人的に私は司馬氏の文を読むときは斜に構えて気をつけているのだが、今回、『アメリカ素描』の内容は非常に良く分かるものとして実感できた。アメリカの地でぜひとも足を運びたいところは人によって様々だが、近代・現代のアメリカ文学、マイノリティとされる人々の歴史、カウンターカルチャーの地、アメリカ経済システムがもたらすアメリカ国民の労働者にとっての負の側面、アメリカンドリームの幻想、人種の坩堝、多様性などを短い期間でも体験したい旅の趣向を持つ私も『アメリカ素描』で書いてあることが否応無く分かる。何様のようだけれども、さすがだな先に巡られてしまっていたのだなと思うとなんだか悔しい(笑)。
悔しい羨ましいついでにいえば、司馬氏の戸惑いつつも率直な疑問を同行者、現地での案内人(この案内人も多様性の象徴のような人たちである)をぶつけるくだりは、本当に貴重な体験だったことだろうなぁと思う。向こうの人々にとっては当然のことが訪問者には以心伝心とはいかない。そのことの「ショック」を文に起こすことは困難だ。相手にとっては当然の思考をなんとか理解しようと忍耐強く臨むときに、アメリカの原型なるものを覗き見ることができる。『アメリカ素描』には事前のにわか知識を詰め込んだぺろんとした旅行者である私がいつも求めているものがあった。

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