ことほぎ日記

ことほぎ【寿・言寿・言祝】ことほぐこと。ことばによる祝福。ことぶき。ことほがい。そんな日記になればなあ、と思っています。

人とモノを自由に選ぶ

2010-08-30 | ことほぎインデックス

吉原珠央さんの「人とモノを自由に選べるようになる本」という本を読んだ。
吉原さんの1作目の著書もよかったのと、
この本の題名が気になったので手にとってみた。

モノはともかく「人を自由に選ぶ」って少し不遜では?などと思ったけれど、
そんなことはまったくなく、むしろ経歴から見る限り、
順風満帆にここまでこられたようなのに、
すごく腰が低く、
「駕籠に乗る人 担ぐ人 そのまたわらじを作る人」ということわざを例に出し、
自分がどれだけ多くの人に支えられているか、ということが書かれていた。

高校生くらいの頃、両親に
「自分ひとりで大きくなったつもりでいるんじゃありません!」と
よく叱られた。
今、思えば本当にそう。

私の周りで育児をしている人を見ても、24時間付きっ切りで
授乳し、おむつを換え、服を着替えさせ、入浴させ、
そんなこんなで1日などあっという間に終わってしまうそうだ。

今は、大抵のことは自分ひとりでできるようになったけれど、
それでも「駕籠に乗る人~」のことわざのように、
職場1つ行くにしても、バスに乗り、電車に乗り、
いろんな人の手を借りながら職場にたどり着き、
職場でも、いろいろな人に助けられ、教えられ、支えられて1日の仕事を終える。

夫が口癖のように「当たり前ってことはないんだよ」という。

最初こそ「そうかしら?」なんて思ったけれど、
今はつくづくそう思う。

両親に教えてもらったけれど、うまく飲み込めなかったこと、
反発や反抗で、素直に聞き入れられなかったことを
夫や本を通じて、またちゃんと教わる機会もこうしてめぐってくる。

まだ、たった30年とそこらだけれど、
人生って面白い、学ぶべきことって山ほどあるなあ、と
にっこり微笑む吉原さんの写真を見ながら改めて思う。


三十路の教訓 その2

2010-08-27 | 食事とか生活のこと
昨日はアルコールスプレーで冷蔵庫の庫内を拭いたり、
掃除機をかけたり、久々にワックスがけをしたり、
なんだかすがすがしい1日だった。

ブログを職場で読んでくれたらしい夫から
「よくがんばったね♪」とメールも来る。

(私時計からすると)夜遅くに夫が帰宅し、簡単な食事を出す。
普段だったら、面倒くさいし眠いので夫が食べたものを水につけ、
翌朝洗うのだけれど、あちこちきれいなのに、
汚れた食器をシンクに置きっぱなしにするのが忍びない。

食器やグラス、夫のランチだったお弁当箱、
水筒、フライパンなどを洗ってもたぶん5分しかかからない。

でも、夜中や翌朝(つまり今)目が覚めて、
すっきりしたシンクを見るのは、すっごくすがすがしくていい気分。

まあ、それが日常でも習慣でもなく、
たまにするから、こんなにえらそうに書いているのだけれど・・・。

金八先生などでもよく登場する割れ窓理論のように、
汚いところ、よくないところは放っておくとどんどん増殖する。

そして、きれいなところ、よいところも同じように増殖する。
今の私がそう。

ひとつがキレイだと、よその汚いのが余計クローズアップされ、
重い腰も少しずつ動く。

今は少し、家の中がきれいになった。
後は、これをどうやって保つか。

小さな頃から、爆発的に汚し、爆発的に片付ける、を繰り返してきた私。
ちょうどCMか何かで岡本太郎さんが
「芸術は爆発だ!」というのが流行っていて
弟に「お姉ちゃんの部屋って芸術なんだ」と言わしめた、
曰くつきの私・・・。

(当時は、自分が岡本太郎さんの本を愛読するようになるとは、
思いもしなかったなあ(遠い目))

家の中がキレイだと、やっぱりとても気持ちがいい。
どうか、これが維持できますように。

三十路の教訓

2010-08-26 | 食事とか生活のこと

食器を洗いながら
「掃除機かけなくちゃなあ」
「久し振りに、ワックスもかけたいなあ」
などと思っていた。

そして、ふと「思ってるより、やっちゃった方が早いのでは?」という
至極当たり前の結論に達し、掃除機をかけ、ワックスをかけた。

そして、アルコールスプレーで、冷蔵庫の外と中も拭いた。

ああ、すっきりした。

「やろう、やろう」と思ってるんだったら、
すぐやっちゃった方が、どれだけいいか!
でも、お尻が重たくてなかなか動かないのも、
これまた自分だから、仕方ないのだけれど・・・。

シーツを洗ったり、床を拭いたりすると、
手触り、足の裏が床に触れた時の感触が全然違う。

半分は「私、やったのよ!」という気持ちの問題かも知れないけれど、
残りの半分は確実に、感触が違う。

母もよく「水を通すだけでも違うのよ」と言っていたっけ。

私は全然まめではないし、きれい好きでもない(決して自慢ではないけれど)。
だから、ワックスの薄め方も忘れてしまうほどだし、
買ってからずいぶんと経つのに、片手で数えられる程しか、
ワックスをかけた経験もない(恥)。

そもそも「掃除機かけた」「ワックスかけた」と
こうして自慢気に話していることからして、
どれだけ普段していないか、ということを
お伝えしているようで、少し、恥ずかしい。

「やろう、やろう、と思っているなら、
やっちゃった方が早い」

三十路も半ばを過ぎ、今頃得た教訓(笑)。



「本当はね、掃除機もワックスがけも毎日するものだよ」

夫の穏やかな声が遠くから聞こえる気がする。


もったいなくて・・・

2010-08-26 | 食事とか生活のこと

今日はお休み。ほぼ1日家にいる予定。
外はお日様が元気にご活躍。

そうすると、洗濯機を1度回しただけではもったいなくて、いたたまれない。

洗濯するものないかなあ、となまはげのような気持ちで探してみる。
でも、綿100%のソファカバーやクッションカバーも、
タオルケットも洗ったばかりだし、
シーツは日々交互に洗っているし、
洗うものが見当たらない・・・。

この、いたたまれない気持ちをどうすれば・・・。

そんな時、冬布団のカバーを見つける。
実家では、真夏でも冬布団をかぶって寝るほど朝晩は涼しいのだけれど、
わが家では最後の使ったのがいつか思い出せないくらい、
冬布団は長いこと使っていない。

いつか、また使うであろう時に気持ちよく使えますように、と
布団カバーをはがし、洗濯機に放り込み、スイッチをいれる。

私は決して「きれい好き」とは言いがたいけれど、
家の中にきれいなもの、清潔なものが増えていくのは
やっぱり楽しいし、すがすがしい。

洗濯機2度回すだけで、そんな気分が味わえるなんて
お得だなあ、安上がりだなあ、と思いながら、こうしてキーを叩く。


残暑がきびしいので・・・

2010-08-26 | 食事とか生活のこと

この間のお休みに体調がよいこともあって、
家の中を結構きれいにした。

そうしたら、埋もれていた服や忘れていた服が出てきたりして
懐かしくて、ぎゅっと抱きしめたりもした(大袈裟)。

私にしては珍しく掃除機もかける。
普段はクイックルワイパーで済ませてしまうのに。

そうやって、クローゼットや食卓の上、床の上、
あちこちがきれいになると、いろんなことに気づく。

「髪の毛1本落ちた!」
「このタオル、そろそろ雑巾行きかも」
「机の上は、こういう風に整頓すればいいな」などなど。

「家の中の様子とあなたは一緒です」なんてどこかで読み、
耳が痛かったけれど、確かに自分に余裕がないと片付けすらする気が起きず、
家の中も乱れがちになる。

富士山はもう山じまいだというのに、残暑は厳しく、まだまだ日中は
外に出たい、という気持ちになれない。
今日も、熱中症が怖いから、エアコンをかけ、
冷たいほうじ茶を飲みながら、家の中を整えよう。

当たり前だけど、やっぱり家の中がキレイだと
とっても、とっても気持ちがいい。


みそ汁の効能

2010-08-25 | 食事とか生活のこと

最近夏バテ(らしきもの)からも開放され、
朝も比較的早く目が覚めるようになり、
またみそ汁を作り出した。

わが家の朝食はご飯とあるものをちょこっと出すだけだけれど、
みそ汁があると、目も胃も満足感、満腹感が違う。

わが家では「山門みそ」という鹿児島の麦味噌を使っている。
マクロビオティックの料理教室の先生もオススメ、という
いいおみそ(でも高くない)なのだけれど、
「面倒だから」という理由で、ずっと顆粒のおだしを使っていた。

このところ「もっと体にいいものを!」と思い、
実家でそうだったので、煮干でおだしを取り
夫の勧めで煮干に昆布一切れも追加することに。

そうしたら、当たり前だけれど顆粒だしよりきつくなく、
まろやかで、本来のお味噌の味がより引き出されるような・・・。

なんとなく「面倒くさい」という思いで、ずっと顆粒だしを使ってきたけれど、
前の晩にお鍋に水を張り、煮干と昆布をつけておけば、
翌朝、お鍋の蓋を開けるだけでも煮干の香りがぷ~んとするし、
おだしが出るのも早い気がする。

それに思ったよりずっと簡単。

暑い夏の朝でも、あたたかいみそ汁を飲むとなんだかほっとし、
満腹感も得られ、今日も1日がんばろう、という気になる。

海のもの(煮干や昆布)、山のもの(今日の具材は玉ねぎ、えのき茸、しめじ)を
一緒に食べられるみそ汁って偉大だなあ、と
当たり前のことをしみじみ思う。


苦手の克服

2010-08-24 | 好きな人のこと
先日、以前お世話になっていたお料理教室の先生に
お電話する用事があった。

先生に、はがき1枚を送り、
母の看病のため、お料理教室をやめさせていただく旨を伝え、
その後、特にご連絡を差し上げていなかった(ように思う)。

なので、ただでさえ苦手な電話なのに余計に緊張しながら電話をすると
先生のだんな様が電話に出られた。

とても穏やかな声で電話を取ってくださり、
「○○先生のお宅でしょうか?」とお尋ねすると
「さようでございます」と。

その後も、こちらがとても立派な人物であるかのような
とても、丁重な応対、言葉遣いをしてくださり、
恐縮、そして頭が下がる思い。

その後、奥様である先生に換わって頂き、
先生と2年ぶりくらいに通話をし、こちらのお願い事を伝える。

先生は相変わらず、朗らかで明るく、
受話器を通して親子くらい年齢が違うであろうに、こちらが元気を頂く。

そして、2年間も音沙汰のない私のこともちゃんと覚えてくださっていて、
母の体調まで気遣ってくださり、ただひたすら頭が下がるばかりだった。

電話の向こうの、姿も見えない私に対して、
穏やかな口調で、丁重な言葉遣いをして下さった先生のだんな様。
久し振りの連絡にも関わらず、私のことを覚えてくださっていて、
母の健康まで気遣ってくださる先生。

なんて素敵なご夫婦なんだろう、と苦手な電話を切った後、
しばらくほわ~、っと幸せな空気に包まれた。

普段は苦手なはずの電話なのに、
「案外苦手じゃないかも!」と先生ご夫婦のおかげで、少しだけ自信がついた。

まいた種は刈り取る

2010-08-24 | 日々、思うこと

私の母はクリスチャンなので、時々聖書に載っている言葉を口にする。
それを私たち子どもは小さい頃から聞いてきた。

たとえば
「すべてのわざには時がある」とか
「辻褄は合う」とか
「まいた種は刈り取る」とか。

最近その中でも「辻褄は合う」とか「まいた種は刈り取る」を
実感するような出来事があった。

私は「素直じゃない」とよく夫にたしなめられる。
モノの考え方が少しひねくれているところがある。

たとえば、音大を出ている女優さんで、女優としても活躍し、
音楽の方面でCDを出している方がいる。
そういう場合、素直な人なら
「天は二物を与えるのね」となるだろうけれど、
私は
「彼女より音楽方面で優れている人はたくさんいるだろうに、
ちょっと顔がいいから、って・・・」と思ってしまう・・・。

ひねた、意地悪な考え方。

ほかにも結婚当初
「どうして、テレビを見ながら文句ばっかり言ってるの?」と
夫に呆れられたこともある。

そういうところが私には往々にしてある。

そして、そんな私が矢面に立つ番がやってきた。
まさに、「まいた種は刈り取る」。

「なんで・・・」と悲しく、夫に愚痴ったりもしたけれど、
いろいろ考えてみたら、母の言うことは正しかったのかも。
夫が言うように、素直じゃないところもたくさんあった。

今まで自分がやってきたことが、自分に返って来ただけのこと。

アマゾンで書名で検索しても出てこなかったけれど、
以前
「あなたが与えたものが、あなたが受けとるもの」(VOICE)という本を
読んだこともあったっけ。

この本を読んだ時にも、自分の意地悪な部分を知っていたので
「私が与えたものを受けとる? 恐ろしぃ~」と少し思ったけれど、
今回は心底、実感。

夫とお互い100歳まで健康で長生きしよう、と思っていて、
そう考えたらまだ道半ば、というより3分の1。

道3分の1で、私がよい方向に変わるチャンスを与えてもらったんだから、
感謝、感謝、ありがたい。

昨日の夜は、すっかり落ち込んでいたけれど、
そう思えたら、気分もさっぱりした。

急須で淹れた鉄観音茶を多量の氷で冷やし、
アイスで飲みながら、残り3分の2の自分の変身ぶりに期待することにする。


山盛りの休日

2010-08-23 | 日々、思うこと
このところ、夏バテというか、体調が芳しくなかったのを口実に
テレビを見ながら家でごろごろ、というのが多かった。

でも、ブログの更新を見ていただいても分かるように、
徐々に体調が復調してきて、昨日はやりたいこといっぱい、
山盛りの休日だった。

洗濯機を2度回し、ソファのカバーなどもさっぱりと洗う。
夫のシャツやズボン、私のハンカチにアイロンをかけ、
家の中を掃除し、あるべき場所にモノを片付け、
図書館で本を返したり、借りたり。

大学院時代の先輩に頼まれた韓日翻訳のネイティブチェックをし、
合間合間に10回ずつ、計80回のスクワットをこなす。

朝起きたら、筋肉痛で大変なことになっていたけれど・・・。

あるべきものがあるべきところに収まり、すっきりと整頓されているのは
とっても気持ちいい。
このところ、ずっと家事や家の中を整えることを怠りがちだったので、
反省、また反省。

でも、おかげで今日は爽快な気分で1日を始めることが出来た。
昨日の自分に感謝。

ニコニコの効用

2010-08-22 | 日々、思うこと

韓国に住んでいる友達に数年ぶりにメールを送り、その返事が来た。

その中で
「夫はほかは文句がないのだけれど、
行かない科がないくらい病院通いなの・・・。
それだけが不満かな・・・」と書かれていた。

私も友人のだんなさんに数回お会いしたことがあるのだけれど、
健康状態があまりすぐれないのが少しだけ分かるような気がした。

お会いしたことは数回なのに、印象に残っているのは
社会や食べ物や人物、宿泊施設、いろいろなものに対する文句ばっかり。
朝から晩まで、いろいろなものに不満を述べていたような・・・。

私も決して人のことは言えないのだけれど、
私の周りを見ていて、健康な人、ご長命な人は、みなニコニコ明るく、
不平よりも感謝を口にする人たちだった。
やっぱり私も不平を口にする人より、感謝を口にする人のそばに行きたい。

日本のことわざで「人を呪わば穴二つ」というのがある。
最初はどういう意味か分からなかったけれど、
人を呪うと呪われた人が入る墓穴、そして呪った人が入る墓穴、
2つの墓穴を掘っているようなもの、という意味なんだそう・・・。

恐ろしい・・・。

そんなことやこんなことがあって、私は徐々にではあるけれど、
人を悪く思ったり、批判したりすることを控えている。

ニコニコ明るくて、楽しい気分でいた方がずっといい。

ここ数日(たった数日・・・)心がけていたら、なんだかちょっといいことがあったり、
「ご褒美」みたいな出来事があったりして、さらにうれしく思う(単純だなあ・・・)。

こういう風に考えられるようになったのも、
一番身近にいる夫のおかげ。

感謝、感謝、と思いながら休日も仕事がらみで出かける夫を見送った。


ある本のこと

2010-08-21 | 日々、思うこと

昨日、久し振りに1冊の本を読了した。
褒めコトバはないので、書名は明かさないことに・・・。

その本は、現代の人がどれだけ忙しい「フリ」をしているか、
忙しい、と言っている人がテレビやネット、ケータイなど
どれだけ無駄なもの(著者曰く)に時間を割いているか、
「忙しい」と口にすることが、どれほど格好悪いことか、
などといったことがほぼ1冊、ずっと書かれていた。

最初こそ「そうよねぇ」などと思いながら読み進めていたけれど、
読んでいくうちにだんだん苦痛に。

だって、文句ばっかり。
否定ばっかり。

私が直接文句を言われているわけでも、否定をされているわけでもないけれど、
でも、そういう文章をひたすら読み続けるのはなかなか辛い。

でも、待てよ。

私も夫によく言われたっけ。

「テレビを見ながら文句ばっかり」とか
「人に対して批判的」とか。

自分のことはなかなか分からないし、認めたくないけれど、
人やモノのいやな部分を見て、自分と比べ、反省する。

接客業のアルバイトをしているので、お客様の顔もよく見るし、
スタッフや社員さんの顔もよく見る。

スタッフで、お客様に対しては、笑顔でコトバも優しく、少し高めの声で
かわいらしい応対をする人がいる。
でも、接客をしていない時は、怖いくらいの無表情の顔で
もくもくと作業をこなす人がいる
(私も作業している時はそうかも知れないけれど)。

私は接客業だから、お客様に対して笑顔で接するのは当たり前だけれど、
同じように、スタッフ同士でも笑顔で接したい、と思っている。


人のフリ見て、わがフリ直せ。


普段は鏡など見ていないから、私がどんな顔で仕事をしているかは
正直分からない。
私もほかのスタッフからは「無愛想」とか「無表情」と思われているかも知れないけれど、
昨日読んだ本のことも参考に、
人を批判したり、文句ばっかり言うのはやめて、
まあるい気持ちで、いつも笑顔で過ごしたい、と思う。

こう思えるようになったのも、夫の影響かな、と
夫に朝から感謝する。


(やっぱり)類は友を呼ぶ

2010-08-20 | 好きな人のこと
昨日、夫の知人からお招きを頂き、
私としては初対面の方とばかりお会いし、
楽しい時間を過ごした。

お招きくださったご夫妻が気さくな人柄で、
集まって来た方々もみな、気さくで話しやすく、
初めて会った私にも気を配ってくださって
おかげさまでとても楽しい時間を過ごした。

お住まいのマンションの屋上で、花火を見ながら
食べたり、飲んだり、笑ったり。

花火も間近で見られ、暑くもなく、雨も降らず、
会話は心地よく、みなが笑っていて、
夫と帰り道「楽しかったねー」
「うれしかったねー」
「類は友を呼ぶんだねー」と納得しあいながら帰る。

仕事で疲れていたり、体調が芳しくなかったりすると
つい、目が三角になって、笑顔も出なくなってしまうけれど、
あんな気持ちよい夜風に吹かれ、
みなで持ち寄ったものを仲良く食べ、
いい時間が過ごせたら、
人に意地悪をしたり、意地悪な気持ちが起こる理由も見つからない。

誰かが「幸せな人は意地悪をしない」って言っていたけれど、
本当にそうだなあ。
意地悪な考えが浮かんでしまう自分って、
その時々で心に余裕がないんだなあ、とこうべを垂れる。

そして、会う人みなが気持ちよかった会に
お招きいただいたことを再度感謝する。

私もどうか、昨日お会いした方々の「類」に
入れますように・・・。

お盆も過ぎて・・・

2010-08-19 | 日々、思うこと
父の新盆も終え、お盆も過ぎ、海にはくらげが出る頃になった。
まだまだ暑さは続くけれど、
たまに書くはがきのご挨拶も「暑中お見舞い」から「残暑お見舞い」に変わった。

お盆、といえばお茄子やきゅうりで牛や馬を作るけれど
来るときは馬に乗って早く来てください、
帰るときは牛に乗って、ゆっくり、
ゆーっくり帰ってくださいね、という意味だと今頃知った。
出来ることなら姿は見えずとも、
帰らずにずっと家にいてほしい、と思いつつ。

お盆は夫と私の実家に帰省し、短いながらも顔を合わせ
楽しい時を過ごした。

夫のお母さんは目の回りそうな忙しい時間を過ごされているのに、
夫と二人暮らしのわが家よりずっと整った家で
きちんと生活されていて、その暮らしぶりに頭が下がる。

実家の母も病後の体(といっても比較的元気だけれど)にも関わらず
「お父さんが喜ぶだろうから」と新盆のお客様を一生懸命もてなしていた。

一番若くて元気であろう私が暑さのせいか力なく、なんだか恥ずかしいなあ、と
帰宅後散らかった家を見て思う。

「できることを すこしだけ」

昨日、自分で書いていたけれど、家の中をきれいにすることも、
大事な大事な私に出来ること。
仕事で疲れてきた夫が少しでも気持ちいいように、
今日、すこしだけでもいいからやってみよう、っと。

できることを すこしだけ

2010-08-18 | 日々、思うこと
今、わが家の生活(というか、私の心)はだいぶ落ち着いているけれど、
母の大病があったり、父が亡くなったりして、
いつも心はバタバタ、あたふた、うるうるしていた。

暇さえあればいつも泣いていたし、いつでも
号泣する準備はできていた」。

今は父が痛がる姿を見ることもなく、
母も病床から復帰し、自分の心は比較的落ち着いている。

でも、周りを見渡せば子育てだったり介護だったり、
めまぐるしい日々を過ごしている人もたくさんいる。

私に何が出来る?
私は何をして差し上げられる?

自分自身にも仕事があり、家族がいて、
飛んで行きたい気持ちはやまやまだけれど、なかなかそうも行かない。

「ああ、何も出来ない」と悶々とした気持ちで過ごすより、
今、私が出来る小さなことを、少しだけでも実行に移すことが大切、と思う。

お手紙を書く。
お電話をする。
メールを送る。
お祈りをする。

5分くらいしかかからないことだけれど、悶々とするよりずっと生産的。

誰かにとって、ことほぎ日記が、そんな役割を果たせたらなあ、と思いつつ・・・。

結局、お得

2010-08-18 | 好きな人のこと

まだ知り合って間もないのだけれど、自慢の知り合いがいる。

人の悪口を言わない。
いつもニコニコして、人のいいところばかりを見たり、話したりする。

私は時として人を批判したり、裁いたり、
「自分は正しい」という定規で、人を判断してしまうことも
往々にして、ある。

けれど、彼女はわが家に遊びに来て、
ぴっかぴかのほっぺたで、にこにこしながら
「あの人のここが素敵♪」
「ここが素晴らしい」
「あなたのここ、最高!」
「この家、なんて素敵なの♪」と
わが家や人物、私が作った料理(普通のもの)、
いろいろなものをそれこそ宝石のような美しいコトバたちで形容し、
さわやかに去っていった。

私も、悪口をまったく言わない夫を見習って、減らそう、なくそうと思ってはいるけれど、
仕事をしたり、接客をしている中で、カチンと来たり、ムッとしたり、
そういうことはたくさんある。

そしてそれを、相田みつをさんよろしく
「にんげんだもの」と当たり前のように思ってきた。

でも、でも。

さわやかに去っていった彼女を送り出した後、
彼女と私とどちらが得かなあ、などと実も蓋もない考えをめぐらすと、
やはり、断然彼女の方が得、という結論に達した。

悪口を言ったって、家に帰って夫に向かって毒づいたって、
何もいいものは生まれないし。

彼女のように、素敵な言葉ばかりを散りばめてお話をすれば、
家の中の空気まで、きれいになる(本当に)。

にんげんだからこそ、
家族や周囲の人といい関係を気づきたいからこそ、
彼女のような心持ちに、少しでも近づけますように。