雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

コルドバ市内

2017-06-15 22:21:05 | 旅行
コルドバでの訪問記として、パティオ祭りメスキータ・アルカサルはそれぞれ記事にした。ここでは、これら以外のコルドバ訪問記を記すこととする。

(地球の歩き方より)
「ローマ時代に築かれたコルドバは、756年から1031年まで後ウマイヤ朝の首都として栄華を極め、『西方の真珠』と呼ばれた。全盛期の人口は50万とも100万ともいわれ、」「イスラムの進んだ学問を学ぶためヨーロッパ各地から人々が集まった。」

《5月9日》
羽田からフランクフルト、マドリッドと飛行機を乗り継ぎ、マドリッドからは特急に乗ってここコルドバに到着した。出発に書いたとおりである。
滞在先のホテル・マイモニデスに到着したのは午後6時前であっただろうか。太陽は西に傾いているがまだ日中である。私は一人で、最初の市内観光に出ることとした。ホテルはメスキータの西端に位置している。ここから西へ行くとすぐに、旧市街の城壁に達する。まずはそこへ行くこととした。
アルカサルの北にあるセビーヤ門あたりを経由して、西端の城壁の外に出た。そこから城壁に沿って、アルモドーバル門まで北上する(下写真)。



上の写真がアルモドーバル門である(多分)。

アルモドーバル門から旧市街に入り、路地を南下していく。レコンキスタの前のイスラム時代はユダヤ人居住区だったようだ。パティオ祭り参加の青30番のパティオを見た後、途中の右側にシナゴーグ(シナゴーガ)(ユダヤ人の会堂)(下写真)がある。
「魅惑のスペイン」によると、14世紀に建てられたもので、トレドのシナゴーグと共にスペインでは貴重な遺構だそうだ。「ムデハル様式による壁面の漆喰細工が美しい」とある。
 

街のいろいろなところから、ミナレット(メスキータの尖塔)を見ることができる(左下写真)。右下写真は、狭い路地の間から見えた尖塔である。どこの尖塔かは不明であるが。
 
こうして、9日夕刻の散策は終わった。

《10日》
まずは3人でメスキータを訪問した。そのあと、妻と二人で、パティオ巡りをかねて市内散策である。
まずは、メスキータの北北東端から少し歩いた所にある「花の小道」だ。狭い路地を突き当たりまで進み、振り返ると、そこにミナレットが現れるという寸法である(下写真)。ただし実際には、路地は観光客の密集である。下の写真も、観光客がいる地面近くを除いてアングルを決めている。


ホテルでパティオ祭り地図をもらったのだが、白黒のコピーだ。そのため、青色マーク(パティオ)と茶色マーク(公共施設)の区別が付かない。さらに、後から確認してみると、この日歩いた地域(メスキータの北東方向)は茶色マークの施設ばかりであった。

《考古学博物館》
 
博物館の入口                           博物館の内部

 
「魅惑のスペイン」より
「パエス広場の一角に、16世紀中頃にできたルネッサンス様式のヘロニモ・パエス邸がそびえており、今では考古学博物館になっている。」「なかでも興味深いのはイベリア人が造ったライオンの石像、ローマ時代のモザイク(上写真?)、イスラム時代の陶器などである。」

白黒地図を頼りにパティオ祭り参加パティオを探すのだが、見つからない。この近くには茶色印しかないのであるから、無駄な努力ではあった。それでも、前述の青33番のパティオを見つけることができ、成果はあった。

こうして、10日午前の市内観光が終わった。一度ホテルへ戻る。

午後の市内観光は、ローマ橋が中心である。
グアダルキビール川の川岸に出て、ちょっと上流にあるろーま橋を目指す。途中、左下写真の水車の遺構が目に留まる。この水車は、アルカサルの庭園に水を汲み上げるのが目的だったらしい(魅惑のスペイン)。河原には別の遺構(土台のみ)が見られ、こちらは粉挽きのための水車跡だそうだ(写真なし)。
右下の写真は、ローマ橋の北詰に建つ建物である。後方はメスキータの南端である。
 

「ローマ橋は紀元前1世紀末アウグストゥスの治世に造られ、16のアーチを支えている橋脚の石組みは、洪水のときの激流に堪えられるように流線型になっている。戦乱のたびに、敵の侵入を阻止するためアーチの一つ二つを取り壊したり、また修築したりということが繰り返されたが、基本的にはローマ時代のままだ。」(魅惑のスペイン)
左下写真は北から見た橋の西側、右下写真は南のラ・カラオーラの塔の上から見た橋の東側(上流側)の写真である。
 
橋の南端は、左上写真に見えるように、ラ・カラオーラの塔が立ちはだかっている。昔は、塔の中央に設けられた出入り口からしか出入りできなかったのだろう。現在は、塔の東側に迂回路が設けられ、塔を経由せずに南岸に出られる。塔の内部は歴史資料館になっている。
南側から塔を見ると(左下写真)、まさに砦である。そして塔の南側を堀が取り囲んでいる(右下写真)。今は空堀だが、有事には水を満たすのであろう。グアダルキビール川の南から攻める外敵に対して、ローマ橋を守るための砦となっていることがわかる。
 

本日の夕飯は、市内で食材を仕入れてホテルの部屋で食する予定である。食材を売っている店を探すのだが見つからない。ラ・カラオーラの塔の頂上から南岸を見たら、近くにバールがあるようだ。行ってみた。しかし、欲しいものは見つからなかった。バーテンダーのお兄さんは「キッチンをクローズしたんだ」と申し訳なさそうだった。
バールの向かいに、軽食屋っぽい店を見つけた(左下写真)。いろんなおかずを売っている。「持ち帰りたいんだが」とジェスチャーすると、右下写真のお姉さんが「パッケージ?」という。「そうそう」と答えると、店の奥からパッケージを持ってきてくれた。3人分の夕食に足りるおかずをゲットできた。
 

《11日》
まずはアルカサルを訪問した。次いで、旧市街の南西端付近のパティオ巡りであるが、パティオが開く11時まではまだ間がある。近くに城壁が見えたので、城壁の外へ出てみた(下写真)。
 
11時からは、市街の南西端に密集するパティオを見て回った(前述)。どこも行列で、長時間炎天下で立ちづめとなった。
午後は、メスキータのミナレットの塔に登った(前述)。

《12日》
コルドバ滞在最終日である。
グラナダ行きのバスは、11時にバスターミナル(コルドバ駅の近く)を出発する。それまでの時間、私一人で最後のコルドバ歩きに出かけた。
コルドバ旧市街の東側はまだ訪問していない。まずは、南東端近くに出かけ、そこから北上することとした。
メスキータの北東端から東進すると、ポトロ広場に出る。ここに、旅籠屋ポトロがある(左下写真)。
「魅惑のスペイン」によると、「昔の旅館の造りがよく残っていてたいへん面白く、・・・。馬やロバをつないでおくのに使った細長い中庭を囲んで、二階建ての建物に部屋が並び、素朴な木造の手すりの付いた外廊下がめぐっている。セルバンテスもこの旅籠に泊まったことがあり、そのときの経験が『ドン・キホート』のなかで生かされているようだ。」とある。
左下の写真は、二階の外廊下から撮ったものである。
 
旅籠屋ポトロを後にして、北上してピアナ宮殿に向かう。ガイドブックの地図には、途中に「ローマ神殿跡」という表示がある。恐らく右上写真がそれであろう。石積みの土台が残っているだけだが、こんな街中に、よくぞ土台だけでも残ったものだ。

ピアナ宮殿と、その近くのパティオ祭り参加パティオの様子は、前述のとおりである。

ホテルへ帰り、荷造りと身支度をしてこのホテルから出発である。ホテルのフロントにタクシーを呼んでもらい、タクシーに乗り込んだ。このホテルはメスキータに隣接しており、つまり入り組んだ路地を通り抜けないと旧市街から出ることができない。バスターミナルは北西方向だが、タクシーは東へ進んだ。路地の一方通行の関係だろう。しかしメスキータを過ぎたあたりから、路地は渋滞で動かなくなった。ちょっとバスの時間が気になってくる。しかし、車がミラフローレス橋(グアダルキビール川でローマ橋の上流に架かっている)のたもとまで到達し、Uターンして川岸の道路を走り始めると、渋滞は解消し、車は高速で走り出した。こうなるとバスターミナルまではあっという間だ。

戻る                            続く
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