雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

2009年ドナウ流域の旅

2009-07-10 17:34:48 | 旅行
ウィーン-ブラティスラヴァ-ブダペストと、ドナウ川に沿って旅行したのは5月のゴールデンウィークである。それからずいぶん時間が経ってしまった。写真だけは整理したのだが、何かと忙しくて旅行記まで手が回らなかった。
追々、書きためていこうと思う。

4月29日(水)出発
 成田11:15-KL862-16:10アムステルダム17:55-KL1847-ウィーン19:50
 ホテルブリストル泊
4月30日(木)ウィーン滞在() ホテルブリストル
5月1日(金)ウィーン滞在() ホテルブリストル
5月2日(土)ウィーン(オーストリア)-鉄道-ブラティスラヴァ(スロヴァキア)()-鉄道-ブダペスト(ハンガリー)
 ホテルマリオット泊
5月3日(日)ブダペスト滞在() ホテルマリオット
5月4日(月)ブダペスト滞在 ホテルマリオット
5月5日(火)帰路
 ブダペスト11:50-KL3206-14:00アムステルダム15:20-KL861-(5月6日)9:40成田

スロヴァキア
ハンガリー

旅人 家内と私
                        以下、旅行記の詳細に続く
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5月5日帰国

2009-07-05 15:25:06 | 旅行
いよいよ帰国の日である。

ホテルの食堂で朝食をとり、荷物の整理を行った。

ホテルからタクシーで空港に向かう。ホテルの玄関でタクシーを呼んでもらった。6300フォレントであった。ホテルから呼んでもらった場合、金額は行く先毎に均一料金が決まっているようである。

ブダペストからアムステルダムまではKLMを予約したが、ハンガリーの航空会社との共同運航便であった。

空港(ブダペストかアムステルダムか忘れたが)の売店で、珍しいチョコレートを見つけた。買ったわけではないが。STARBROOK AIRLINESとは何だろうか。
  
帰国してから調べたら、以下のようなサイトが見つかった。
Starbrook-Airlines: The Story
Starbrook-Airlinesというのは確かに1930~50年代に実在していたようである。ただし、二人の兄弟の事業で、機材は各時期にde Havilland DH4型機あるいはDC-3型機が1機あっただけのようだが。
そして1988年に、このチョコレートが発売されたようであるが、航空会社とチョコレート会社とがいかなる関係を有しているのか、その点は不明のままである。

頃は新型インフルエンザが注目を集めた時期である。
ウィーンとブダペスト滞在中は毎日ホテルのテレビでNHKのニュース番組を見ていたので、日本での新型インフルエンザ騒動の状況をリアルタイムで把握することができた。この様子だと、成田帰着時には検疫で大変な目に遭うのではないか、と恐れつつ帰ってきた。

ヨーロッパの市内及びブダペストからアムステルダムまでの機内では、マスクをしている人など皆無であった。
アムステルダムから成田行きの飛行機に乗り込むと、マスクをしている日本人がけっこう目についた。われわれの座席近くにも何人かいる。

しかし実際に成田に到着してみると、検疫についてヨーロッパからの到着便ではさほど大したことはなかった。

機内で問診票の記入用紙を渡され(4つほどの質問事項についてありなしいずれかのチェックを入れるだけ)、氏名、パスポート番号、住所、電話番号を記入し、成田到着時に検疫でその問診票を提出するのみである。
検疫では、下に示すような紙切れをもらった。検疫のあとの入国審査において、この紙を見せなければならないとのことだった。


空港のオペレータも、4月29日に成田を出発するときにはマスクをしていたが、5月6日の到着時にはマスクをしているオペレータを見かけなかった。それだけ国内でも騒ぎが沈静化してきたということだろうか。

ということで、通常の帰国時と変わることなく、手続を終了して帰宅することができた。

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5月4日ブダペスト

2009-07-03 23:02:54 | 旅行
朝食はホテルのビュッフェである。

朝食のあと、まずは家内と中央郵便局へ出かける。中央郵便局は、ホテルから東へ1キロ弱のところにある。例によって記念切手を購入するのだ。
郵便局に入ると、案内係のような女性がいたので聞いてみた。すぐ近くの窓口を指す。そこで聞くと今度は「○○へ行け。左奥の向こうにある。」とジェスチャーで教えてくれる。その指示に従って奥の部屋へ行く。もよりの窓口で「記念切手はここか」と聞くと、「ここじゃない」ともと来た窓口へ追い返そうとする。「いや、○○と言われたのだが」というと、「それならこの窓口の隣だ」ということになり、やっと記念切手を売っている窓口にたどり着くことができた。郵便局で働く職員がなぜこんなに無知なんだろう。

記念切手を購入したあと、家内はホテルで休むことにして、私一人で国会議事堂と英雄広場を回ってくることにした。
デアーク広場からメトロのM2に乗って国会議事堂へ向かう。まずは十分な枚数のメトロ乗車券を購入し、メトロに乗り込んだ。
議事堂に近い駅(コッシュート・ラヨシュ広場駅)で降りて地上に出る。議事堂は、1902年完成というから比較的最近である。よくぞこのような建物を建てたものである。
議事堂正面、道路をはさんで対面する位置に民族博物館がある。
  
国会議事堂
  
国会議事堂          民族博物館

国会議事堂は、ドナウ川に面した側が景色が良いのではないかと考えた。メトロに一駅分乗ると対岸である。行ってみた。下の写真である。中央のドームは対岸から見た方がはっきりする。ただしこの日は曇りであった。陽光が差せばより美しさが引き立ったであろう。
  
国会議事堂(ドナウ川の対岸から)

次は英雄広場である。ドナウ川の対岸からメトロM2に乗り、デアーク広場でM1に乗り換える。英雄広場駅で降りて地上に上がる。ハンガリー建国1000年を記念して1896年に造られた広場である。
広場中央には高い塔が立ち、塔の上には大天使ガブリエル、その塔の周りを7人の騎馬像が取り囲んでいる。9世紀後半、ハンガリーの地にアルパート公に率いられたマジャール族ら7つの部族集団がやってきて、この地に定住したのがハンガリーの始まりである。ここの7人の騎馬像は7部族の部族長を表している。中央がマジャール族族長アルパート公である。
  
英雄広場
  
英雄広場 7部族の部族長

記念碑の左右に扇状に並ぶのは歴代の国王や将軍、芸術家などの14人のハンガリーの英雄達ということだ。
  
英雄広場 14人の英雄達

扇の両端に並んでいる像は、向かって左から「労働と繁栄」、「戦い」(左下写真)、「平和」(右下写真)、「学問と芸術」である。
  
英雄広場「戦い」                   「平和」

英雄広場の左右両側には、それぞれ西洋美術館と現代美術館が建っている。
  
西洋美術館            現代美術館

英雄広場でも建物外観の写真撮影に留め、地下鉄M1に乗って終点のヴルシュマルティ広場まで行った。デアーク広場よりもホテルに近い。ここから歩いてホテルに帰る。

ホテルからドナウ川の岸沿いに下ったところに、中央市場がある。昼前、家内と二人でホテルから川沿いに歩いて中央市場へ行った。まずエルジェーベトを通過し、自由橋まで行く。
自由橋の近くに怪しい日章旗を掲げる店があった。怪しいというのは、長い方の辺でポールに結んでいる点である。"Sushi"との表示があったから日本料理屋らしい。

日本料理屋の怪しい日章旗

自由橋のたもとに中央市場がある。外装は煉瓦造り、内部の構造は鉄骨造りである。その鉄骨がデザインになっている。1階は青果、果物、香辛料などを売る小売店がずらっと並んでいる。2階は中央が吹き抜けになっており(右下写真)、左右に刺繍、レース製品などの民芸品を売る店が並んでいる。2階にクレープを作って売る店があったので、そこでクレープを一つ買って二人で食べた。飲み物はスプライトである。そのあと、おみやげの刺繍ブラウスやミニチュアマッチなどを探して購入した。
  
中央市場

エルジェーベト橋から自由橋にかけて、ドナウ川の対岸は緑の丘になっている。ゲッレールトの丘という。その丘の頂きに女性像が見える(左下写真)。しゅろの葉を高く掲げた女性像であり、1945年にナチス・ドイツから町を解放したソ連軍の慰霊碑として立てられたそうである。
丘の中腹にも何やらモニュメントらしきものが見える(右下写真)。聖人ゲッレールトの像だそうだ。ハンガリーの初代国王イシュトヴァーン1世により招かれたイタリア人伝道師だったが、1046年異教の暴徒によって殺された。
  
ゲッレールトの丘の上の女性像       聖ゲッレールト・モニュメント

乗り物の切符が2枚余っていたので、中央市場からの帰りはトラムに乗った。
ここから始発のトラムがある。乗り込んで切符の刻印を試みる。普通の刻印機は、切符を挿入すると自動的に刻印される。ところがこのトラムの刻印機は切符を挿入しても全然動かない。まごまごしていたら、そばのおばちゃんが身振りで教えてくれた。刻印機の上部を手で押し込まないと、刻印がされないのであった。

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5月3日ブダペスト(2)

2009-07-02 23:26:50 | 旅行
王宮の丘からふもとに下り、くさり橋を渡ってブダ側からペスト側に戻る。

くさり橋を渡り終わって正面に見えるのが左下の写真の建物である。地図によるとフォーシーズンズホテル・グレシャムパレスブダペストである。建物は1907年に保険会社として建てられたもので、2003年にホテルとしてオープンしたらしい。写真はちょっと暗い。実はカメラの露出をちょっと前に「-1」に落とし、そのまま忘れて撮り続けていたのだ。
くさり橋のたもとからロータリー沿いに左へ折れると、左正面に見える建物が右下の写真である。何の建物かは不明だ。こちらの写真は露出を正常に戻している。
  
フォーシーズンズホテル     くさり橋近くの建物

ロータリーを回って東へ進むと、聖イシュトヴァーン大聖堂が見えてくる(左下写真)。さらに近づくと、下写真、右下写真と聖堂が迫ってくる。
    
聖イシュトヴァーン大聖堂 表参道         正面
    
聖イシュトヴァーン大聖堂 正面         内部

聖堂の内部は、天井などがカラフルなところが特徴のようだ。
さて、ドームに登るにはどうしたらいいのか。階段はきつすぎる。正面でチェックしてみたら、エレベータがあるではないか。しかも待ち行列ゼロである。入場券を購入し、すぐに登ってみた。ドームの丸屋根のすぐ下にあるバルコニーに出た。ここからはブダペスト、特にペストの街並みが一望できる。左下写真は西方向、彼方にドナウ川対岸の王宮の丘が見える。右下写真は南方向、右上がデアーク広場と思われる。
  
聖イシュトヴァーン大聖堂 ドームの上から

大聖堂見学を終えたあと、デアーク広場を経由してホテルへ戻る。途中でATMを見つけて両替をしようと試みる。ところが、どうしてもATMが見つからない。さんざん歩き回ったが、ホテルに至るまで見つけることができなかった。
  
ペスト内の教会         夜景(王宮とくさり橋)

ブダペストといえば夜景で有名なようだ。王宮の丘の建物とくさり橋がライトアップされる。私も写真を何枚も撮ったのだが、いずれもカメラブレでピンぼけであった。露出を最大の「-2」に落とすのだが、それでも露出オーバーでシャッタースピードが遅い。カメラを支持物に押し当てながらシャッターを押しても、どうしてもぶれてしまう。

本日の夕食は、今回の旅行で唯一、レストランで食すことにした。といっても滞在しているホテルのレストラン、つまり朝食と同じ場所だ。
メニューを見ると、アスパラガス料理の特別メニューがあるではないか。去年のドイツ旅行では、5月初旬でちょうど白アスパラガス料理の旬だったのだが、帰国するまでそんなことを知らず、食べ損ねてしまった。ハンガリーのアスパラガスがおいしいのかどうか知らないが、せっかくだから食べてみよう。
ということで、メインディッシュの白アスパラガス+ハムを一皿、それにアスパラガススープを2人前オーダーし、それらを二人で食した。デザートはシャーベット、ホットチョコレートである。
  
白アスパラガス料理     アスパラガススープ

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5月3日ブダペスト(1)

2009-07-01 21:18:57 | 旅行
ブダペスト滞在1日目の朝である。
朝食はホテルのビュッフェだ。

本日はまず、ドナウ川にかかるくさり橋を渡り、対岸の王宮の丘に向かう計画である。ホテルからくさり橋までは歩ける距離である。

ドナウ川を隔てて王宮の丘

くさり橋に着いた。
この橋は、ドナウ川西岸のブダと東岸のペストを結ぶために最初に設けられた橋で、1849年に完成した。「くさり」というが、実態は自転車のチェーンのように鉄板を重ねてつなぎ合わせたものを吊り橋のケーブルとして使っていた。
このくさり橋は、ハンガリーの英雄セーチェニ・イシュトヴァーン伯爵の提唱で造られ、この橋の正式名もセーチェニのくさり橋という。
  
くさり橋

ドナウ川東岸のブダからくさり橋を渡ると、西岸の丘の上に王宮が広がっている。
麓から丘の上までケーブルカーが動いている。われわれはケーブルカーを利用することにした。輸送能力は低いが、それほど待たずに乗れる。観光客の大部分は、ケーブルカー以外の手段(バス、徒歩)を利用して登るのであろう。
  
くさり橋から見た王宮        王宮へのケーブルカー

丘の上でケーブルカーを降り、まずは王宮へ向かう。
王宮のドナウ川に面した河からドナウ川を望む。くさり橋がすぐ下に見える。対岸の北方には、川に面した国会議事堂を望むことができる。
  
王宮から見たくさり橋        王宮から見た国会議事堂

王宮の正面はドナウ川に面している。この部分の建物は国立美術館になっているようだ。正面の銅像の主は、どうもオイゲン公のようだ。オイゲン公というと、ハプスブルク家の将軍でトルコを駆逐する功績があったあのオイゲン公だろうか。ということは、台座の側面に描かれた戦闘場面は、オイゲン公がイスラム軍を完膚無きまでに叩きのめした1697年のゼンタの戦いであろう。
  
王宮正面(国立美術館)   中央銅像台座の側面

今回、美術館は訪問しなかった。建物の通路から中庭に入る。まず壁面の群像が見える。ガイドブックによると、狩りをするマーチャーシュ王の泉とある。丘の西側の端には、右下写真のような遺構も残っている。
  
中庭 狩りをするマーチャーシュ王の泉       中世城壁の遺構?

王宮左翼(北側)の裏庭には下の写真の銅像が立っていたが、誰の銅像であるかわからないままである。
  
王宮の奥(王宮左翼の裏庭)

王宮の右翼側は中庭になっている。ライオンの中庭と呼ばれるようだ。

ライオンの中庭(王宮の右翼)

王宮の見学を終わり、王宮の丘を北に向かって歩いていく。
三位一体広場に着いた。広場の中央にマーチャーシュ教会、教会の前に三位一体の像が建っている。
教会の高い塔はマーチャーシュ王の命によって造られたようだが、この塔も足場で囲われていた。教会のカラフルな屋根は陶磁器で有名なジョルナイ製、とガイドブックにある。
三位一体の像は、中世ヨーロッパで猛威をふるったペストの終焉を記念して、18世紀に建てられたそうである。
  
三位一体の像           マーチャーシュ教会
  
マーチャーシュ教会

マーチャーシュ教会の後方の広場中央に、聖イシュトヴァーンの騎馬像が見られる。イシュトヴァーンは、ハンガリーをキリスト教国とすべく、洗礼を受け、ローマ法王により1001年に戴冠を受け、キリスト教を国教とした初代のハンガリー王である。死後聖人になった。
  
聖イシュトヴァーンの騎馬像

左上写真、聖イシュトヴァーン騎馬像の後方の建物は、石垣に面した砦であり、中がカフェになっている。そこで昼食にした。ハムサンド1人前とティー2人前を頼み、二人でちょうど良かった。
そのカフェから、ドナウ川に面している“漁夫の砦”を見ることができる。また、ドナウ川のこちかがわはブダの街並み、対岸は国会議事堂である。
  
漁夫の砦  マーチャーシュ教会近くの城壁から見たドナウ川

昼食のあと、三位一体広場北西の位置にあるみやげもの屋(St. Valentin Folklor)を訪れた(左下写真)。娘たちへの土産に刺繍のブラウスを購入した。
  
王宮の丘 みやげもの屋    王宮の丘の下を通るトンネル

歩いて疲れがたまっているし、これからドナウ川対岸の観光に行かなければならない。そこで、路線バスを利用しようとした。しかしそのためには切符を購入しなければならない。バスの車内では買えないのだ。王宮の丘をあちこち走り回ったが、結局この丘の上では切符を購入できないことがわかった。
仕方がない。歩いて丘を下ることにした。

丘を下り、くさり橋を渡って対岸へ戻る。右上の写真は、くさり橋からの道路が王宮の丘の下を通り抜けるためのトンネルの入り口である。王宮となるとトンネルですら美術品になっている。

戻る                            続く
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