会津藩松平肥後守 京都守護職本陣跡。
今年、何度目か…金戒光明寺。行きすぎ。
どーしても11月中公開している庭園を見たくて行きました。
紅葉終わりかけとは言え、観光トップシーズンの京都。
なのに…人少ない…。まぁいいけど。
山門も公開しており、門に登ることができ、感動!!
この写真は、山門から見おろした風景です。
山門は幕末に再建されており、京都守護職・松平容保公以下一千名の
会津藩士が入京した時には、まだ新しかったはずです。
容保公やら新選組幹部やらが見上げたであろう山門…。
公開している大方丈と庭園は、静かで良いところでした。
庭の前にある大方丈は確か昭和19年やら?の再建だそうですが
新選組幹部が容保公に謁見した部屋があり、ひとり涙目
金戒光明寺は法然上人っつーよりも、熊谷直実なわけで…。
下の記事に続き、また平家物語なわけで。
若き平敦盛を討ちとったことで、世を儚み思い悩んだ熊谷直実が
法然に教えを乞うた場所です。
熊谷直実の出家理由は所領争いとか諸説あるようですが、
直実サンってのは、その名前の如くな人物だったようで
熱血で「じっちょく」で直情型な感じでしょうか…。
しかし…またしても熊谷直実の墓所を調べておらず、
お参りをしたかったのに、また墓所にたどり着けず…。
法然上人のお墓のそばに、五輪の塔があるようです。また今度…。
今年、何度目か…金戒光明寺。行きすぎ。
どーしても11月中公開している庭園を見たくて行きました。
紅葉終わりかけとは言え、観光トップシーズンの京都。
なのに…人少ない…。まぁいいけど。
山門も公開しており、門に登ることができ、感動!!
この写真は、山門から見おろした風景です。
山門は幕末に再建されており、京都守護職・松平容保公以下一千名の
会津藩士が入京した時には、まだ新しかったはずです。
容保公やら新選組幹部やらが見上げたであろう山門…。
公開している大方丈と庭園は、静かで良いところでした。
庭の前にある大方丈は確か昭和19年やら?の再建だそうですが
新選組幹部が容保公に謁見した部屋があり、ひとり涙目
金戒光明寺は法然上人っつーよりも、熊谷直実なわけで…。
下の記事に続き、また平家物語なわけで。
若き平敦盛を討ちとったことで、世を儚み思い悩んだ熊谷直実が
法然に教えを乞うた場所です。
熊谷直実の出家理由は所領争いとか諸説あるようですが、
直実サンってのは、その名前の如くな人物だったようで
熱血で「じっちょく」で直情型な感じでしょうか…。
しかし…またしても熊谷直実の墓所を調べておらず、
お参りをしたかったのに、また墓所にたどり着けず…。
法然上人のお墓のそばに、五輪の塔があるようです。また今度…。