8月22日から24日までの行程で、同僚議員と東日本大震災の被災地視察に来ています。
被災地でボランティア活動する訳でもなく、単なる視察で被災地入りすることに抵抗感もありましたが、視察先から構わないとの返事をいただいたことと、被災地の生の声をどうしても聞きたかったこともあり、視察に踏み切りました。
朝早く高浜を出発し、新幹線で福島県郡山市を訪問しました。実は東北新幹線に乗車したのは今回が初めてです。
◆電力会社の福島支援本部
郡山市内にある電力会社の福島支援本部を訪問しました。現在は関西電力が幹事会社を務めており、関西電力の案内で現地本部の概要について説明を受けました。
ここでの主な業務は県から依頼を受けた環境モニタリング(放射線量の測定)と、福島第一原子力発電所から半径20キロ以内に一時立入される住民のスクリーニング検査(放射能汚染が無いかどうかの確認検査)、環境試料の分析などの実施です。
非常に地道な作業ですが大切な作業であり、こうした作業を秩序正しく正確に実施されている様がよく理解できました。
◆福島県富岡町の仮設役場(災害対策本部)
郡山市内にある福島県の施設である「ビックパレットふくしま」を訪問しました。
ここは、事故を起こした福島第一原子力発電所の隣に立地する福島第ニ原子力発電所の立地町である福島県富岡町が町民の避難所と役場の災害対策本部として使っている施設です。
ここでは、富岡町長と議長に応対していただき、事故発生から今日までの経過や、国や東電の原子力災害の対応、今後のエネルギー政策に対する考えや町としての判断など率直な胸の内を聞かせていただきました。
それぞれ町を代表する方の発言であり、しかも非公開の場での発言ですから、その内容をここでつまびらかにすることは控えますが、貴重なお話を数多くお聞きすることができました。
原子力災害発生後、第一避難場所として、富岡町に隣接する川内村に避難された訳ですが、何しろ人口約2千7百人の小さな村に、人口1万5千人の富岡町民が避難するのですから、それこそ村中の施設という施設を避難所として提供を受けたそうです。
とにかく屋根さえあれば土間のコンクリートの上でも使ったそうで、まだ3月の寒い時期でもあり、どれだけ難儀なことであったろうかと思います。
ビックパレット内の避難所の様子も視察いたしました。
ここの避難所は近く閉鎖する予定になっており、避難されている町民の数は少なくなっていました。
避難スペースのプライバシーの確保や、診療施設や図書コーナー、情報盤など良く考えられたレイアウトだと感じました。
原子力事故の避難に関しては、自治体単独で考えるのではなく、広域で避難計画を策定することが重要です。
また、今回、通常では30分で移動できる川内村への避難が、道路の大渋滞により5時間も要した話しを聞くと、これまで国や県から音沙汰の無かった避難道整備について、このことをおざなりにしておくことがどれ程罪深いことかを改めて知ることが出来ました。
発電所周辺の内浦地域の県道整備はもとより、舞鶴市やおおい町へのアクセス道路についても同様に整備が必要です。
これら道路整備は今後、強力に関係機関に働きかけていきます。