作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 会津に「八重の桜」効果が 】

2013-02-01 18:21:33 | 04 時事ニュース

福島に観光客が集るのは、二重の意味で嬉しい。

会津若松市は、原発の位置から遠く離れていて、
放射能にも津波にも影響を受けずにすんだ。

いつも思う事だが、幕末の官軍の、会津藩に対する
暴虐行為には、腹が立つし同情の心が先に出る。

ボクが昔買ったまま、読む気になれずに、置いてある
「会津士魂」という早乙女貢の著書があるが、たぶん
その本を読む機会が訪れることなく、ボクの寿命が
尽きるものと思う。

戊辰の役の会津攻撃は、日本人が同胞を攻めた戦に
しては、残酷であった。

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【 今日の参院本会議で不当な廉売業者が 】

2013-02-01 18:13:06 | 04 時事ニュース

透析中だったから、消音で画面だけを見ていた。
だから何党の質問だったかは分からない。

何党でもよい。大手小売り業者の中に、そこまで
安売りをしなくてもと、思うところが多々ある。

零細な商店は、ますます苦しくなり、シャッターを
下ろさざるを得なくなる。
ミンスの副総裁だった、岡田の実家、イオンもその
代表的な存在で、毎月20日と30日は何%かの
値引きの日と、TVで宣伝している。

牛丼チエーンも、廉価販売で生き残り競争の世界。
そうまでして、そのために輸入の牛を買わねばダメ
なのか。

岡田の実家だから、安倍政権が目指す、物価上昇
に反対行動を取るのだろうか。

昔居たドイツのハンブルグで、最も華やかな店が
並ぶ通りに、大きな文房具屋があって、当時の
旅行者は殆どが大企業の幹部であったが、競って
モンブランの万年筆を購入された。

華やかな通りの大きな店にご案内していた。
ある日、その通りの横丁に、年老いた夫婦で経営
する、まことに小さな店を発見。
モンブランの万年筆の値段が、大通りの店と同じ値段
で売られていた。ボクは自分用のを、その小さな店で
購入した。

ドイツでは、店の規模に関係なく、一物一価が守られて
いたから、老夫婦も生き残っていけた。
あの姿が本当の人間の社会だと思う。

校正取引委員会は、大企業による、不当廉売にもメス
を入れるべきである。

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【 明るいニュースが増える中で 】

2013-02-01 18:11:23 | 04 時事ニュース

製造業の就業者の数が、51年ぶりに一千万人を割った。
昨年12月の数次を総務省が発表したもの。

ピークの92年10月には、1603万人の製造業就業者が
居たのが、その年を頂点に年々減少傾向を示し、遂に
一千万人の大台を割ったことになる。

当然雇用の数も、製造業が特に少なくなり、大卒の新入生も
大企業といっても、外食や小売のサービス産業にウエイトが
移っている。

物作りの国としての、日本の特徴が消えて行くのは寂しい。

ボクが会員に成っているタクシー会社には、大学の理工科を
出た技術者が二名もドライバーとして働いている。


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【 ソニーのウォークマンも終焉 】

2013-02-01 10:26:48 | 02 華麗な生活
ひところ若者の耳を独占した感すらあったウォークマン
が遂に終焉の日を迎えた。

ウォークマンも型を替えながら、ソニーの代表的な品目
の座を守っていたが、MD使用の製品の出荷を3月にも
終了すると発表。

永年にわたり、ソニー党の党員であった身に、寒い風が
吹き込んでくる。

今使っているソニー製のタブレットも、iPad miniに変更し、
ボクの五十年にわたる、ソニー党員生命も終わる。

ソニーは、創業者である井深・盛田両氏の精神を葬った
咎めを今受けている。



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【 予言が当った 】

2013-02-01 09:56:42 | 02 華麗な生活
2012年から2013年が、日中韓の経済の転換期に
とのボクの予言が、当ったようである。

日本の国内生産が、底入れの公算がと、日経紙が書く
のは、何時以来のことだろう。

安倍政権誕生の効果である。
自動車のみならず、半導体まで、非中韓のアジア向けが
好調である。

住宅着工も上昇している。

あのシャープも、営業利益が黒字を計上。

アベノミクスの三本目の矢も、電力各社が安全対策に
一兆円を計上し、民間投資の口火を切った。

日本経済にまた陽が上ってくる。長い暗い夜が明ける。



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【 三菱ケミカルに続いて住友化学も撤退 】

2013-02-01 09:37:12 | 02 華麗な生活

昔日の感がある。
石油化学が、ナフサ分解でエチレン30万トンの
プラントが、三菱油化により鹿島に建設されたのを
皮切りに、日本はエチレン王国を目指したものだった。

エチレンは石油化学の基礎原料。
生産能力は、14プラント合計で721万トンにも達したが
最近の生産量は600万トンを少し上回る程度に落ちていた。

三菱グループが、専門の三菱油化を設立し、鹿島プラント
を立ち上げた頃、ボクは二十代の終わりか、三十代に
突入した頃だったか。

大正年間に三井物産から独立した社名が東洋棉花。
略して東棉は、戦後の民間貿易再開時の花形商社であった。

昭和32年に同社に入社したボクは、繊維の中では先端の
合繊原料部の産業資材課に席を置いていた。

三菱油化に東棉の社員で、初めて名刺を持って行ったのは
間違いなくボクで、いきなり東京本社から出張してきた常務
取締役が、繊維の人の話を聞きたいと、会ってくださった。

当時のボクは平社員である。カネボウこそが、最大のメーカーと
頑迷な繊維担当の専務室に、連日のように押しかけて、綿花・
綿糸布を本命との意識に拘る、専務の頑迷さと戦っていた日々。

東棉にも化学品部があり、そこから合成樹脂部も出来ていたが、
その分野の、特に財閥系の会社には恐れをなして、誰も出向かず
数年で、フィリッピンの財閥向けのビジネスを手始めに、欧州から
南アにまで、三菱油化の製品を輸出するまでに至っていた。

何時東京本社を訪ねて行っても、役員さんがご馳走して下さる、
そんな優遇をボクは受けていた。

三菱グループの最長老と令名の高い、三菱油化の社長が、東棉の
社長を表敬訪問したいとの電話を受けて、当時の社長・副社長が
慌てて、化学品担当の常務を呼んだが、心当たりが無い。

お迎えしたが、歴史上で三菱の最長老をお迎えするのは初めてこと。
お見えになった、話題が進むうちに、来訪の目的が、合繊原料部の
ボクの働きにあると判明し、急遽ボクの上司、部長が席に呼ばれた。

それからだ、繊維の担当専務と険悪な仲になっていた、ボクが一躍
社内で有名人に成ったのは。

三菱油化は、とっくに三菱化成と合同し、三菱化学に成っている。

エチレン生産も、産油国が現地生産するのが主流に変わった。
今朝の日経を呼んで、感無量である。

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