作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 三菱ケミカルに続いて住友化学も撤退 】

2013-02-01 09:37:12 | 02 華麗な生活

昔日の感がある。
石油化学が、ナフサ分解でエチレン30万トンの
プラントが、三菱油化により鹿島に建設されたのを
皮切りに、日本はエチレン王国を目指したものだった。

エチレンは石油化学の基礎原料。
生産能力は、14プラント合計で721万トンにも達したが
最近の生産量は600万トンを少し上回る程度に落ちていた。

三菱グループが、専門の三菱油化を設立し、鹿島プラント
を立ち上げた頃、ボクは二十代の終わりか、三十代に
突入した頃だったか。

大正年間に三井物産から独立した社名が東洋棉花。
略して東棉は、戦後の民間貿易再開時の花形商社であった。

昭和32年に同社に入社したボクは、繊維の中では先端の
合繊原料部の産業資材課に席を置いていた。

三菱油化に東棉の社員で、初めて名刺を持って行ったのは
間違いなくボクで、いきなり東京本社から出張してきた常務
取締役が、繊維の人の話を聞きたいと、会ってくださった。

当時のボクは平社員である。カネボウこそが、最大のメーカーと
頑迷な繊維担当の専務室に、連日のように押しかけて、綿花・
綿糸布を本命との意識に拘る、専務の頑迷さと戦っていた日々。

東棉にも化学品部があり、そこから合成樹脂部も出来ていたが、
その分野の、特に財閥系の会社には恐れをなして、誰も出向かず
数年で、フィリッピンの財閥向けのビジネスを手始めに、欧州から
南アにまで、三菱油化の製品を輸出するまでに至っていた。

何時東京本社を訪ねて行っても、役員さんがご馳走して下さる、
そんな優遇をボクは受けていた。

三菱グループの最長老と令名の高い、三菱油化の社長が、東棉の
社長を表敬訪問したいとの電話を受けて、当時の社長・副社長が
慌てて、化学品担当の常務を呼んだが、心当たりが無い。

お迎えしたが、歴史上で三菱の最長老をお迎えするのは初めてこと。
お見えになった、話題が進むうちに、来訪の目的が、合繊原料部の
ボクの働きにあると判明し、急遽ボクの上司、部長が席に呼ばれた。

それからだ、繊維の担当専務と険悪な仲になっていた、ボクが一躍
社内で有名人に成ったのは。

三菱油化は、とっくに三菱化成と合同し、三菱化学に成っている。

エチレン生産も、産油国が現地生産するのが主流に変わった。
今朝の日経を呼んで、感無量である。

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