作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 リーマンショックを検証する 】

2012-12-25 16:27:15 | 04 時事ニュース

08年に米国の投資銀行リーマンブラザーズ
が経営破綻したことに端を発する世界的な
恐慌を指しての言葉である。

リーマンは米国内の貧困層に持ち家を持たす
べく住宅ローンを貸し出した。その住宅ローン
を、事もあろうに証券化して、世界中に売出した。

つまり米国内で、不良債権を処理すべきを
証券化して世界中に販売することで、不良債権
を世界中にバラ撒いてしまったのである。

これを許した米国が主導するTPP参加に落とし穴
があるだろうと心配するのが、むしろ健全な精神
である。

リーマンの不良債権を攫まされた各国は、通貨の
流通量を増やすことで対処し、通貨安を招いたが
中でひとり日本が、通貨量も増やさず円高を呼んだ。

おかげで輸出企業は、採算が取れなくなり、海外に
工場移転したり、廃業・倒産に追いやられる結果を
生んで、デフレ経済に拍車をかけた。

日本が3割の円高を招く間に、韓国は5割のウオン安
で、日本企業の輸出市場を侵蝕し尽した。
韓国の財閥系のひとり勝ちは、極端な通貨変動の故
である。

日本のデフレは97年に始まった。97年に何があったか。
当時は橋本内閣で、消費税を3%から5%へと増税
した。それが後世に祟ったのである。

その後、小渕首相が大胆な財政出動で、カブも上って
小康状態となったが、病に倒れ、森・小泉時代が来た。
小泉は「郵政民営化」だけで選挙にも大勝し、慶応大
から竹中を引っ張り、経済運営を任せた。

竹中の取った経済運営は、規制緩和の行き過ぎが目立ち
労働市場に、人材派遣なる労賃ピンハネ屋を跋扈させて、
自動車工場の現場にまで、日雇い派遣の労務者を生み、
また交通・運輸関係での競争を激化させる等の弊害を
もたらした。

この間、97年に端を発した日本のデフレは進行し、GDP
の上昇にブレーキが掛かり、中国に大きく差を付けられた。
GDPは530兆円から480兆円にまで目減りし、日本社会に
それまで無かった、賃金格差社会を生じさせた。

民主党の地盤は労働組合である。今の大企業の労組たるや
出世コースと言われ、労組幹部は重役の椅子への近道である。
労組の幹部に、労組に加入する労務者を守ろうとする意思は
無い。彼等を労働貴族と呼ぶに相応しい所以である。
つまり民主党は、広く国民を代表する政党ではない。

97年から12年まで、デフレは15年間も続き、日本円高は
日本の株安をも呼んでいる。自殺者の数も年間一万人増えて
三万人を数え、この15年で十五万人が悲観死している。
これがデフレが長く続いた日本の現状である。

安倍は日銀の白川に2%の緩やかなインフレターゲットを
命じた。戦後の混乱期を知る世代は、とかくインフレを怖がる。
当時の日本は、あらゆる生産手段が破壊され、供給能力が
需要を充たすに程遠かった。
他の敗戦国に見られるような、ハーパーインフレで通貨の価値
が下がり、資産が資産価値を失った体験を持つ。

ハイパーインフレとデフレ脱却のための、緩やかなインフレとは
自ずから性格を異にする。安倍政策に反対する層に問いたい。
ならばデフレを放置するのか。若い世代の失業者が、より増大
しても良いのか。これ以上自殺者を増やす事はあってはならない。


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【 高速道路の補修費に3兆円 】

2012-12-25 14:18:31 | 02 華麗な生活

国土交通省は、この措置で50年以降の
高速道無料化を延期せざるを得ないと発表。

財源捻出のメドが立たぬとあるが、一方では
東北の被災地復興に充てられる筈の特別予算
19兆円の使途が目茶目茶になっている。
平野という復興大臣が無能の故である。

全日本の道路が老朽化し、特にトンネルや橋が
傷んでいる。国交省の3兆円はウソだろう。

首都高速の修理だけでも、もっと多くの財源が
必要となる。列島強靭化を唱えているが、現状は
列島老朽化である。

日銀は毎月一兆八千億円の買いオペを行い、
日本の銀行には使途が見出せないカネが豊富に
ある。その総額だけで600兆円とも言われる。
高速道の永遠有料継続は当然の事で、修理は
待ったなしである。

日経紙も僅か3兆円で一面を書き立てるな。
日本列島強靭化には、その百倍の金額が要る。

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【 新京時代の想い出 】

2012-12-25 14:12:19 | 02 華麗な生活

先週末に、中学生たちが小鳥を捕る話を書いたが、
その連想で、同じく中学生たちが遊ぶ姿を覚えて
いる間に書いておこう。

新京で我が家があった辺りの、すぐ南側に本願寺
が建立される予定地の野っぱらがあり、そこを通り
抜けると順天公園という、かなり大きな公園があり、
それに相応しい大きな池もあった。

ソ連軍が、盗るものを全部盗って、工場の機械なども
運び出して引上げて行った後も、新京では学校が再開
されず、ボク等は小学生浪人みたいな、遊び専門の
状態に置かれていた。

あれは何と呼ぶのか、魚を誘い込んで取る道具が、
今はプラスティック製の物があるが、当時は金網で
出来ていて、小魚が餌に誘われて入ると、出られなく
なる仕掛けの物があった。

中学生たちは、順天公園の池にそれを仕掛けて、
暫く経つと、タナゴが魚麟を光らせながら、満杯に
成る程の漁獲があった。持参したバケツにタナゴを
移してまた池に沈めると、再び多くのタナゴが道具の
中に入っていた。

面白そうだと思ったが、我が家にそんな道具はなく、
僅かの年の差で中学生になると、遊び方が違うものと
感心していた。

新京には、各地の開拓農地から、命からがら逃げて
きた人々も多く、敗戦の八月が、あっと言う間に冬が
到来し、夏の衣類で逃げてきた人々は特に気の毒だった。

栄養失調と寒さで倒れる人々も多く、本願寺の予定地
は、見る間に墓穴だらけになっていった。隣近所でも、
一人の幼い女の子が亡くなり、ボクも泣きながら墓穴を
掘った。

ソ連軍が居なくなってから、現われた担任の先生が、
ご自宅で私塾を開かれ、遊び人のボクも、そこで英才
教育を受けた。その塾の名を同塵塾と先生が名付けた。

同期生の多くが同塵塾で学んだ。そこでの友人の
お母さんが病気で亡くなり、ボク等は先生の引率で、
再び墓穴を掘った。その友人はいま山形県の名士だと
聞いた。

ボクの母親は、ソ連軍が侵入して来る前の8月1日に
手術の失敗で死んだが、まだ平和な時期であったから、
ちゃんとお葬式も出し、火葬に付す事も出来た。
母のお骨は、ボクが胸に抱いて引揚げてきた。
満州の凍土の中に葬られた人々と比べれば、ボクの
母はお骨を持ち帰れた分だけ幸せである。

北朝鮮で戦後亡くなった人たちの、墓参団の訪朝が
報じられたが、あの犠牲者たちの多くは、満州から朝鮮に
逃れた人々であった筈だ。
新京に多くあった野原の至るところが、急ごしらえの墓地
になった。哀しい想い出である。

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【 「真冬の向日葵」読後感 】

2012-12-25 12:26:36 | 02 華麗な生活

三連休の間に三橋貴明さんの著作を読んだ。

改めて日本のマスコミの悪質さに驚かされた。
「真冬の向日葵」は麻生太郎元首相を指すが、
デフレの恐怖を悟った麻生総理が取った緊急
経済対策は、マスコミによって報じられず、
麻生氏は、取るに足らないことで、悪口雑言を
浴びるままにされた。

より気の毒なのは、中川昭一蔵相で、ローマでの
記者会見での酩酊ぶりだけが報じられたが、
三橋氏は作品の中で、中川氏の死にも不審を
抱いており、ボク自身が手術後の多様な機能障害
で悩まされていた時期の話しながら、中川氏には
あるまじき事と、当時の新聞報道に疑問を抱いた
覚えがある。

日本で報じられたバチカンでの中川氏の演じた醜態
の事実は有り得ないことと、中川氏を案内した日本人
神父が、急報してきた事実は初めて知ったこと。
それを、全ての新聞社・テレビ局が報じなかった。
マスコミの有り方には、必ずや神の怒りが下されるで
あろう事を念じてやまない。

今回の自民党による政権奪還で、麻生氏が財務相
として復活し、中川昭一氏の未亡人も、身代わり選挙
で勝利した。中川家は昭一氏の父君一郎氏も、不審
な死を遂げている。

幸いにも、三年有余を政権を欲しい侭にした、サヨクが
去った。麻生氏の名誉は快復されねばならぬし、中川氏
の一連の不審な行動の陰に何があったかも、究明されて
然るべきである。

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