作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 とにかく与党に入りたい公明党 】

2010-03-16 18:51:27 | 04 時事ニュース

公明党には、よほど与党入りしなければ、都合の
悪いことがあるとみえる。

数で押し切ることを、田中角栄から直伝で身に
付けた小沢一郎が、つい最近まで、創価学会の
会長を国会に参考人招致するぞと、脅かして
いたのが、手の平を返すとはこういうことかとの、
みごとな変身にコロッといかれている。(そうしか見えない)

子ども手当ては、歳入に余裕があれば、いくらでも
払えば良いだろうが、公約だった霞ヶ関埋蔵金は
見つかっていないじゃないか。

6月に二か月分をまとめて、一人頭2万6千円が
支払われたら、7月に行われる参院選への武器に
なる。またも小沢戦略か。

小沢戦略といえば、ついに小林千代美の議員辞職
を今日16日まで引っ張った。これで補選が無くなった。
補選をやれば、北教組問題の余熱も熱い選挙区
での民主党の勝ちは望むべくもなかったろう。

自民党の無策には、ただ呆れるばかり。
いくら待っていても、民主党を割って出てくるバカは
今はいない。

高校無償化も何でも、公明党を引き込んだから、
すべて思い通りになる。小沢の高笑いを自民党の
諸君は何と聞く。

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【 長妻厚労大臣に失望 】

2010-03-16 17:17:55 | 04 時事ニュース

鳩山政権の誕生にあたり、この人ほど
期待され、また国民が民主党に投票した
原動力になった人も他にいないだろう。

大臣に任命されて厚労省に入る時、省の
役人どもの誰もが拍手ひとつ無く、憮然として
入室したそうだが、役人どもは書類提出に、
いちいち抵抗し、何も出来ずに居るらしい。

ところで流用はまかりならぬと決まったはずの
国民年金から、相変わらず経費流用が当たり前の
状態が続いていると聞くが、実態はどうなっている
のであろう。

長妻氏は、明らかに活気を失い、心なしか痩せた
感じすら見える。

「みんなの党」幹事長の江田氏のブログに、
90歳の天下りが居るとあり、調べたのだが
ニュースが読みにくく操作されていて、
よく分からない。

このこと自体が問題ではないか。

中高年高齢者雇用福祉協会と長ったらしい
名前の社団法人の理事長が、問題の
90歳の人らしい。

それにしても、その名前にある、中高年と
高齢者のどちらが本当の名前だろう。

中高年には中年が入っており、明らかに
高齢者ではない。

どんな事業を行っているのか、それもよく
分からない。
社団法人の名前も初めて聞いた。

90歳か。高齢者に対する雇用・福祉には、
こんな年齢がふさわしいと考えたのは誰だ。

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【 坂本竜馬人気について (歴史エッセイ 88) 】

2010-03-16 11:40:41 | 05 歴史エッセイ

今でこそ竜馬、竜馬で、長崎も高知も
観光客が押しかけているが、明治維新が
なった直後は、意外にも忘れられたに
等しい存在であったという。

むしろ竜馬の海援隊に倣って、陸援隊を
組織した中岡慎太郎の方が、薩長同盟の
主演者であったとの説が強くあった。
両名共に、倒幕なった京都で「近江屋事件」
で殺され、今にいたるも真犯人が定かでない。
或は京都見廻組の佐々木只三郎だといい、
新撰組説も根強いが、意外や土佐藩上士の
犯行説もある。

本来なら、竜馬と中岡に与えられて然るべき
維新功労者が、土佐藩上士の後藤と板垣退助
に廻り、二人とも参議に列せられた。

竜馬を世に出したのは、司馬遼太郎さんである。
『竜馬が往く』を読んだ青壮年の中から、
彷彿として坂本竜馬の名が拡がっていった。

日本初の新婚旅行と騒がれる「おりょうさん」が、
竜馬の死後、生活に困窮し、一時は土佐の
鬼姉を頼ったが、それも長続きせず、最後は
横浜で舶来品を手がけて稼いだ商人の妾
として終っている。

朽ち果てた「おりょうさん」の墓を、探し出し
手厚く葬ったのは、横須賀の海軍将校たちで、
海援隊こそが我が海軍の祖だとしての行為
であった。

鹿児島への逃避行も、新婚旅行などではなく、
生命を狙われて危ない竜馬を、薩摩の
西郷隆盛が、暫し鹿児島で匿うための
薩摩落ちであった。

             パパゲーノ


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【 坂本竜馬と鳩山邦夫 】

2010-03-16 09:54:11 | 04 時事ニュース

長州と薩摩は共に関ヶ原の敗軍で、何時の日
にか徳川幕府を倒さんとの気概を持ち続けて
二百六十年。

蛤御門の変で、会津を中心とする幕府側が、
長州勢に押されぎみとなって、長州軍勝利の目が
見えた時、それまで中立を守っていた薩摩藩が、
突如会津に味方したため、長州軍は形勢が
変わり、敗戦へと雪崩打って、多くの将兵が
討ち取られたり、自刃して果てる結果となった。

以来長州にあって、薩賊・会奸という合言葉が
できて、共に天を頂かずの気風に充ちた。

しかし、当時の各藩の軍事力を眺め、幕府を
倒し得るだけの力量があるのは薩長二藩に
限られていた。

土佐といえば、山内容堂というバカ殿がいて、
最後まで幕府の護持を願った佐幕派の巨頭で
あり、藩祖山内一豊という無能者の血を幕末まで
引いた、どうしょうもないヤツだった。

土佐藩士は勤皇派として、その多くが
京都見回組や新撰組の犠牲になったが、
彼らはすべて下士の脱藩者であり、京都の
土佐藩邸は何の救いもしていない。

後藤象二郎は倒幕の目がハッキリしてから、
慌てて腰を上げた土佐藩の家老に過ぎず、
坂本竜馬の理解者とは程遠いし、吉田東洋は
奸物である。下士の那須信吾に自邸前で
斬られている。

蛤御門以来の犬猿の仲である、薩長二藩を
同盟させることなぞ、当時の常識外のこと。
それを成し遂げた坂本竜馬を自らになぞらえた
鳩山邦夫が何度目かの離党を行なったが、
どんな理念と政治戦略があるのか、明らか
でない。ただ与謝野と枡添の接着剤になれば
良いというが、ここで必要なのは接着剤では
無いはずだ。

それにしても、自民党はなぜ沈黙しているのか、
それが理解できない。なまじ大臣経験が豊富で、
今更若手の下には入れないとの、余計な
プライドが邪魔するのなら、各自沈没していけば
いい。

政策と理念が明確な「みんなの党」の旗の下に
結集したらどうだろう。

                          パパゲーノ

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