作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 初めての胃カメラ 】

2008-07-19 15:57:14 | 02 華麗な生活

自慢じゃないが、生年が昭和9年だから、74歳になる。
胃カメラを呑んだ経験がなく、透析の場で、そのことを
口走ったのだが、ナースたちがカン高い声で大騒ぎし、
ボクはそんなタイヘンなことなのかと、驚愕した。

「四十歳になったら、胃カメラ」が常識らしいが、ボクには
よほど常識がないのだろう。
てなわけで、近々居カメラを呑む破目となった。

「もし、ガンが見つかったらの話だけど」と、ボクは婦長さんに
依頼した。手術や抗がん剤なんか受けないよと。
直ちにモルヒネの用意をして欲しい。今まで何の異常もなかった。
今だって毎食が美味しい。酒もやめたし、タバコは最初から
身につかなかった。痛みや胃酸過多なんか感じたこともない。

それでもガンが見つかったなら、こっちの寿命とガン細胞の
増殖力との勝負だ。

ついでだから、その後で大腸も診てもらおうと決めた。
ポリープなら昔からある。一個で良性だと聞いている。
同じことを三度言われた。毎回同じ話だから信用ができる。
もし大きくなっていたりしたら、今度こそ切除してもらおう。
検査に使うチューブの先にハサミを付けての手術のはずだ。

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【 明治王政復古と公卿たち (歴史エッセイ 77) 】

2008-07-19 15:51:43 | 05 歴史エッセイ

王政復古とは、武家に任せていた政治主権を、本来あるべき
天皇親政に戻そうという意味である。

さぞかし藤原の流れを引く公卿どもや、女官たちが姦しく天皇の
周りに集まって、勝手気ままを言ったと思いがちだが、これが
意外とそうじゃなく、三条実美と岩倉具視ぐらいしか、政府の
中枢に出てこなかった。特に五摂家はすべて、おとなしくしていた。

三条実美は、早くから長州藩に担がれ、例の七卿落ちの筆頭に
挙げられる人物。新政府の首班の地位を占めたが、たぶんに
看板に据えられただけと思う。家柄は清華家の一で、太政大臣に
になる資格はあった。

これに対し、岩倉具視の家格は低い。策士の感が強く、嫌な男
である。孝明天皇は徳川家茂と仲が良く、松平容保も信頼されて
いた。岩倉は当初は公武合体派で、勤皇の志士たちから奸物と
して、命を狙われていた。

孝明天皇が存命である限り、討幕は難しいと思われていた。
天皇は急死する。毒殺説がもっぱらで、その犯人は岩倉と世間
は思った。ボクもその説に加担する。

西郷・大久保に接近することで、過激派に鞍替えした。鳥羽伏見の
戦いに、錦の御旗のアイデアを出したのも岩倉だと言われている。

最後には西郷を見切り、大久保を支えた。岩倉使節団を率いた
ことで、初志貫徹の成り上がりを果たした。

余談になるが、カン告知を初めて受けた日本人でもある。

下級公卿の活躍をよそに、近衛、鷹司、九条、一条、二条は
政権中枢から遠ざかり、近衛が首相になったのは、昭和軍閥が
天皇の命にも服さぬまで増長した時期であった。

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【 佐賀藩士 (歴史エッセイ 76) 】

2008-07-19 15:14:12 | 05 歴史エッセイ

司馬遼太郎さんの『街道を行く』シリーズの中で、
佐賀県について、「佐賀はな~んもなか」と自虐的な
土地の人の言葉が出てくる。

徳川末期の佐賀鍋島藩は、嘉永年間に製鉄所も、
蒸気機関も開発し、慶応2年にはアームストロング砲
を自力開発して、4門も備えていた、日本で最も工業の
発達した藩であった。

アームストロング砲の威力があったからこそ、上野の山に
立て篭もった彰義隊は、雲散霧消となるのである。

この佐賀が、倒幕の功労藩、薩長土肥の肥に当たる。
明治の元勲の中にも、佐賀藩士が異様なほどに多い。
中で初代枢密院議長で、日本赤十字社を起こした
佐野常民と副島種臣の二人が、天保の前の文政に
生まれた人だが、大木喬任、江藤新平、大隈重信が
それぞれ天保3年、5年、9年生まれである。

新政府の樹立に功があった薩長土肥の、それぞれが
大久保利通による、強権政府が出来るや、反政府の
運動を起こすのだから、人の和は難しい。

特に江藤新平は、自らが制定した法律によって、処刑
される憂き目にあった。

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