作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

歴史・エッセイ・小説・時事ニュース・・・なんでもござれのブログです。どうぞよろしく。

【 但馬の人 】

2008-05-17 22:40:00 | 02 華麗な生活

先週のまさにこの時間帯。ボクは城之崎温泉の老舗旅館
「三木屋」の極上の部屋に、高校時代からの三人の友と
ともに居た。

豊岡で高校の体育教師を定年まで勤め上げた「清ちゃん」が、
しきりに「真ちゃんよ、一度但馬に来いよ」と何度も誘ってくれ
ていた。週に三度の人工透析と、脊柱管狭窄症でここ二年
以上、歩行器を要するボクだけど、京都に住む「カンちゃん」と、
奈良も名張に近い
奥大和に住むトリイ君が、同行介添えをしてくれるとの有難い
友情に甘えて、念願の兵庫県の日本海側に出かけたのだった。

豊岡はコオノトリで有名なところ。今年はなんと七羽ものヒナが
孵った。まだ赤ちゃんもいるし、もう立派に娘さんかと見えるの
もいる。感動したのは、この広い地区に昔ながらの無農薬の
田んぼが拡がっていたことで、田んぼには泥鰌が育ち、たにし
や蛙も繁殖し、そういった天然のエサをもゴチソウに加わった
おかげで絶滅から再度の自然棲息状況をもたらした。

大勢が何十年もかけて、今日の日を迎えている。
但馬の国の人々の、根気強さとやさしさがあってこそ、
コオノトリは蘇ることが出来た。

三木屋の創始者は、秀吉に最後まで抵抗した播磨の豪族、
別所氏の家臣の一人で、三木城が落城後、ここ城之崎まで
やって来て宿屋を始めたと聞いた。
志賀直哉が執筆した部屋は、ボク等が泊まった真上にあり、
ボク等の部屋は恐れ多くも高松宮殿下がご使用になった
ロイヤルルームであった。すべては「清ちゃん」とその奥様の
配慮であった。

ああ、ボクは良い友人たちを得た。
高校生のころ、ボクは清ちゃんと一度も同じクラスになった
ことがなく、野球部でショートを守り、400メーターをぶっちぎり
で独走し、かと思えば文化祭でバイオリンを弾くカレをスターと
して見ていた。

雨の旅館街を、三木屋の浴衣姿で「外湯」に出かけ、歩行の
覚束ないボクを気遣って肩を貸してくれる清ちゃんにボクは言った。
「あの時代に、こんな仲になる二人が未来にあることなんて、
想像もしなかったよな」。カレは大きくうなずいた。

同学年ながら一度も同じ部屋で共に学ぶ機会を得なかったのに、
どうして親友と言える仲になれたのか。
それが何十年も同期の会を開き続けてきたことの神さまからの
ご褒美だと思っている。




                       パパゲーノ

ブログランキング・にほんブログ村へ  Banner_04_3 ←クリックお願いします。



「華麗な生活」目次へ≫


総目次≫


【 田園交響曲 】

2008-05-17 22:00:00 | 02 華麗な生活

今日の演奏会だが、四番と五番が終わった後の幕間に、
井上道義が一人で出てきて、残っていた聴衆に語りかけた。

交響曲の指揮というものは、様々な事柄が影響する。
例えば前の方に座っておられる中に、怖い顔で睨んでいる
人がいたら、影響するし笑顔で迎えていただけたら当然より
良い演奏が出来る。(これは笑いをとるため)
今日のような好天なら、より明る演奏ができるが、あいにく
私は今日まだお昼を食べていないから、それが影響しないか
シンパイ。
特に田園は、皆さん各自がそれぞれの田園光景を作って欲しい。

ボクの生涯の幸福は、まさに田園の舞台に二年ばかり住んだこと。
ベートーベンが聴いたのと同じ、ハイリゲンシュタットの教会の
鐘の音を、ざっと二百回ぐらいは聴いたこと。
だから目をつぶりさえすれば、そこに森もぶどう畑も小川も
浮かぶこと。

久しく小林研一郎の炎の演奏に接していない。
コバケンの語りは絶品である。なんたって声が違う。
彼のマエストロは、オペラ歌手の道を選んでも、超一流の
テナーになったと世界が認めるところ。
その美しい声で語りかける中味がまた素晴らしく、エッセイスト
としてもおそらく大成は間違いがないと思われる。

田園は第三楽章から第五楽章までを、休みを入れず一気に
奏でて終わるのだが、炎のマエストロがこの部分を指揮し終わ
ったら、汗だくだくになり、くたくたになっている。
コバケンは1940年、そして井上は1946年に生まれたと知った。

かえすがえすも呆気ないエンディングが惜しかった。




                       パパゲーノ

ブログランキング・にほんブログ村へ  Banner_04_3 ←クリックお願いします。



「華麗な生活」目次へ≫


総目次≫


【 善き日かな 】

2008-05-17 18:30:00 | 02 華麗な生活

今日(5月17日)、阪神地域は快晴の好天気。
六甲アイランドを脱出して西宮市へ。
芦屋浜出口で高速道路を降りたのは良いが、
昔やったのと同じマチガイをおこして、そのまま
芦屋市内に入ってしまい、一方通行の狭い道に
迷い込んだ。

それでもアタマの中のコンパスに狂いが無かったから、
見事に酒蔵通りに入り、目指していた「東京竹葉亭」に。
今日はここで昼食を摂るプランがあった。
灘の生一本で知られる銘酒の一つ「白鷹」の敷地の中に
高名な「うなぎ」料理屋があることを、ちょっと前に発見して
今日はそこへの突撃の日なのであった。

さすがに来客が多く、半時間以上待たされたが、
立派なお重に入れられたそれは、まことに美味なもので、
従業員の立ち居振る舞いの見事さとともに、
これからも月一ぐらいは来たいものと思わせるに充分だった。

西宮北口にある県立芸術文化センターへ行くのが今日の
メインイベントである。
井上道義のタクトは久しぶりである。
八六年から三年と少しを、ボクはシンフォニーホールの近く
に住み、今は亡きカラヤンや、朝比奈隆さんをはじめ、世界
的な指揮者の演奏の数々に、歩いて行ったものだった。
かれこれ二十年にもなろうかという井上は、みごとに髪が無く
なってその姿がかえって潔く見えた。

ベートーベンの交響曲を、四番、五番、六番と三曲奏でる。
寡黙で暗い男だったと伝えられるベートーベンの交響曲は
奇数に重苦しい曲があり、偶数には明るい曲があるのだと
聞いたことがあるが、タクトを振る井上によるのであろう。
まだ若いメンバーを指揮して思い通りに軽快に、そして華麗
に三曲をこなしたが、敢えて言うなら、田園の最後の部分が
なんとなく終わり、つい小林健一郎のそれとは、相当な差が
有るなと思ってしまった。



                       パパゲーノ

ブログランキング・にほんブログ村へ  Banner_04_3 ←クリックお願いします。



「華麗な生活」目次へ≫


総目次≫