作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 幼き日々のこと (7) 】

2007-03-25 18:56:58 | 12 幼き日々のこと


この弟で母は5人目の子供を産んだことになる。
当時はどこの家でも子沢山だったし、満州は内地
と比べ大陸性の気候で、子供が育ちにくい事情
があったとはいえ、ボク自身を入れて、6年間に
5人の子供を産み、それいずれもが病弱児で、
3人を死なせた。5番目に生まれた弟がこれまた
生まれながらの病弱児で、母は自らの死を迎える
まで、この弟の看病に付ききりとなり、入退院を
繰り返し、だからボクは母の愛情をあまり知らず
に育った。

父はといえば、当時は近所に同業の商社マンが
多く住んでいて、まるで回り持ちみたいに宴会
だの麻雀だのが盛んだった。日曜・祝日となると
ゴルフに出かける。清朝代々の皇帝を祀った陵が
行楽地になっていて、東陵とか北陵とかがあり、
そのどちらか、或いは両方にゴルフ場があった。

女中さん(当時はお手伝いさんという言葉がない)
が居たから、ボクは専らその世話になった。

そんな事情ながら、多少は母の味を覚えている。
想い出にある食べ物の最たるものは、鮭缶の身を
ほぐして食パンにはさみ、それを油で揚げたモノ。
これは大阪の天麩羅屋「与太呂」に行けば、海老
のすり身で同じようなモノが食べられる。察する
に娘時代の母が祖父に連れられて「与太呂」に
行き、それを真似たんだろう。

牛肉の脂身の無いところを、薄切りにして、よく
焼き、ウスターソースをかけて食べるのが、子供
時代から肉嫌いのボクの好物だった。

同じく牛肉の脂身の少ない部分とジャガ芋を、甘
辛く煮付けた一品は、あれは肉ジャガだったのか。
同じく喜んで食べた。思うにボクの肉の脂嫌いは
母譲りだったのかも知れない。

カレーライスもチキンライスも、母の手作りは美味
かった。母が作るチキンライスの鶏肉はささ身の
部分だけだった。ボクの鶏肉嫌いは、皮やヘンな
物が混じっているからです。

蒸しパンとホットケーキも、よく作ってもらった。

父はというと、すき焼きが最高のご馳走と思い込ん
でいたフシがあり、何かというとすき焼きをやら
せた。ボクは最初に鍋に油分をなじませる牛の脂身
そのものが、見るのも嫌、匂いも嫌で、生卵に付け
て食べるのがまた嫌でたまらなかった。

満鉄沿線の主要駅がある地には、満鉄の経営する
近代的なホテル、ヤマトホテルがあり、我が家では
何か家族の記念日が来ると、そこのグリルで本格的
な西洋料理を食べる習慣があった。子供もナイフと
フォークを礼儀正しく使わねばならない。食事内容
は何も覚えていない。デザートに出る三色のアイス
クリームの味が忘れられない。大人になってから、
ヨーロッパ各地でも、いろいろアイスクリームを
食べる機会があったが、ヤマトホテルのグリルで出た
モノに匹敵するのに出会わずじまいで今日に至る。

店屋物は一切取るな。それが父の方針だったよう
で、父が長期の出張に出かけると、入学前のボクは
何度か母の友人宅に連れて行かれた。
お昼になると、何か注文してくれる。初めてザル蕎麦
が運ばれてきたのを見て、ボクはその一箱の大きさ
を横から眺めてビックリし、いざ食べてすぐ下に
すのこが姿を現し、上げ底もヒド過ぎると立腹した。

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【 幼き日々のこと (6) 】

2007-03-25 13:50:53 | 12 幼き日々のこと


幼稚園には行かせてもらえなかった代わりに、
子供用に発行されていた小学生新聞を購読して
いて、難しい漢字にはフリガナがあったから、
結構早い段階で字を覚え、幼年倶楽部も毎月
買ってもらっていた。

読んでいて分からないことが多かった。
笹舟を作って小川に浮かべるとあるが、笹が無い
から、どんな物なのか想像がつかない。

七夕に柳の枝を切ってきて、そこに短冊を吊るす
とあるが、満州には柳の木が無い。柳とは似ても
似つかぬドロヤナギという樹木があるが、太く
ゴツイ木で、到底短冊なんか吊るせるとは思え
ないのです。

囲炉裏も分からんし、サクラも無かったんじゃ。
ウサギを追う山も無ければ、小鮒を釣る小川も
無い。

幼年倶楽部、後に少年倶楽部に昇格したが、裏
表紙に値段が書いてあり、内地は幾ら、満州・
朝鮮・台湾・樺太・千島は幾らと、別価格が記載
されていた。嫌でもボク等は内地の外、植民地に
居るんだと思わされた。

漫画の人気は高く、中でも「のらくろ」「冒険ダン吉」
が大人気だった。他に「タンクタンクロー」とか
「小熊のコロスケ」などもあったと記憶する。

父は漫画は低俗と決め付け、一切の漫画本の購入
を許さなかった。だから幼年倶楽部・少年倶楽部に
掲載されていた漫画しか知らない。

やがてボクも小学校入学の年来に達し、平安小学校
に入学する。ドイツとの同盟の影響か、この年から
小学校の名を国民学校に変える。だから正式には
国民学校生徒になったのです。

前年まで「読本」の第1ページは、サイタ サイタ
サクラ ガ サイタだったのに、アカイ アカイ
アサヒ ガ アカイに変った。

♪国民学校、一年生という歌があり、
♪我等在満小学生という歌も教えられた。

一年生の受け持ちは鈴木先生という男の先生だっ
た。だけど一年生の記憶が殆ど無い。何時の発症
かは知らぬがジフテリヤに罹って、隔離病棟に入れ
られたのです。運動会も学芸会も全く覚えていない。
これは不幸なことです。

ボクは赤ん坊のときにしょう紅熱に罹っている。
だから二度目の法定伝染病で、助からないと皆が
思ったらしい。それまで読みたくても読めなかった
漫画が多数差し入れられた。ボクは大喜びしたが、
無事退院となったときに、すべて焼却されてしまい
ました。

なお、一年生になった4月に弟が生まれています。

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【 幼き日々のこと (5) 】

2007-03-25 13:50:11 | 12 幼き日々のこと


モノゴコロがついた頃、我が家の周辺には戸建
住宅しかなく、少し年令が上がってからアパート
という住宅形式があることを知った。

満鉄(正式名は南満州鉄道)の社宅が多く、ボク
が知る限りでは、その全てがアパート形式、今の
住宅公団のスタイルだった。

戸建住宅の庭には、決まったようにユスラウメの
木がニ・三本植えられていて、それに実る赤い実
が手軽なオヤツになった。サンザシを植えている
家は少なかった。子供達がニ・三人でその家のベル
を押し、出てきた人に「おばちゃん、サンザシ頂戴」
とねだると、たいていの家ではサンザシの実を取ら
せてくれた。

ライラックも殆どの家にあった。この花には蜜が
多く、子供達は花を摘んでは蜜を吸った。リラと
いう別名があることは、後に知ったこと。

満州の家は冬も暖かく快適だった。各戸にボイラー
室があり、石炭を備えている。何軒かで一人の
ボイラーマンを雇い、全室に熱湯が通るパイプを
巡らしているのだった。ボイラーマンは満州人
だった。

市内の乗り物は馬車(マーチョ)と洋車(ヤンチョ)
があった。ヤンチョは人力車だった。満州国の通貨
は円で、補助通貨としての銭の単位でたいていの
ことが足りていたようである。ヤンチョに乗るとき
には値決めをする。五十銭のことをウーモーチェン
と言った。なぜウーシーチェンじゃなかったんだろう。

満州人は漢民族とは異なる、完全な異民族である。
咽喉の骨格から違うから、中国の標準語である北京
官話の発音が出来ない。日本人には発音しやすい
音だった。片言の日常語の多くをヤンチョとマーチョ
に乗ることで覚えた。

日本人の住区にはあまり満州人を見かけなかった。
奉天は清の古都だから、昔の城の中に満州人の
住区があるようだった。それを城内と呼んでいた。
場外に新しく建設した部分に多くの日本人が住み、
自ずと住み分けが出来ていたんだと思う。

荷車を引いて野菜などを売りに来たり、露店を出して
マクワ瓜などを商う満州人は多く居た。殆どの母親
がマクワ瓜の買い食いを、固く禁じていた。赤痢の
原因となると信じられていたのである。

まだ2才児のヨチヨチ歩きのころ、荷車の中にバナナ
があることを見つけたボクが、喜んで一本をもぎ取り
ニコニコと荷車商人に手を振りながら持ち去った一件
は以前に書いたこと。そのときのボクには悪意は全く
無い。金銭という存在を知らず、物売りが来たら好き
な物を選んで取る。それが「買う」という行為だと
思っていたのです。

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【 グーグル検索は楽しい 】

2007-03-25 13:48:27 | 02 華麗な生活


グーグル検索のNHK番組を見て以来、
休みになると、自分の記事の位置確認をして
楽しんでいます。

連載小説の分母(トータル)が毎日のように
変ります。ときどきふるい落として分母も
小さくなります。

今朝は分母が208万。
ボクの連載小説は38位に落ちました。
つい先週は18位だったのに。

他の記事では何拾万、何百万の中で
トップになることが多い。

面白い遊びを覚えました。

 

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【 7分間のギシギシ 】

2007-03-25 10:14:04 | 02 華麗な生活


今朝9時42分頃に起きた北陸での地震。

神戸六甲アイランドの超高層も揺れて

ざっと7分間、壁がギシギシ鳴りました。

たぶんこの辺りの震度は2ぐらい。

それでも7分揺れます。

12年前の本番では、エンドレスと思った。

無理もなかったと、改めて思います。

皆さんに影響がなかったことをお祈りします。

 

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【 アツクお詫びします 】

2007-03-25 10:11:33 | 04 時事ニュース


北陸電力のエライさんの謝罪の言葉。

アツクは篤くだろうが、

「篤く御礼申し上げます」なら分かるが、

「篤く深くお詫びします」なんて言うか?

言わへんやろうなぁ~。

 

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