作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 歴史エッセイ (48) 二つの徳川幕府 】

2007-02-08 17:44:44 | 05 歴史エッセイ


徳川幕府は、七代家継でいったん途絶え、
吉宗が新たに新幕府を継承の形で継いだ。
いわば二つの幕府が接木のごとく継がれた
と見て良いのじゃないかと考える。

家継が夭折し、徳川本家が絶家となった
時、そのための用意の御三家。うち水戸
は将軍になってはいけない藩だから、自動
的に尾張から新将軍が登場して然るべし。

吉宗なんか、紀伊のそれも末っ子で、将軍
に選ばれるには順番からいって遠すぎるの
に、候補者が次々と妙な死に方をする。

吉宗の手が廻り毒殺で消されたと誰でも
思うこと。うしろめたい事の多い吉宗だか
らこそ、中興の祖なんて奉る必要があった
んだろう。最近の若い日本人はドラマで
歴史観を持ってしまうから困る。

直系の子・孫をもって田安・一橋・清水と
領地の無い御三卿を作り、もはや尾張系は
出る幕無しとする。

水戸は徳川一族なれど、尊王の家と家康が
定めた掟にそむいて、水戸から一橋に入った
慶喜を十五代将軍に据えたから、そこで徳川
は滅亡した。

こういう歴史の読み方があってもいいんじゃ
なかろうか。


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【 腰痛治療日記 (6) 】

2007-02-08 15:13:26 | 08 腰痛治療日記


木曜日は「神経ブロック」注射の日。

世の中腰痛に悩む人が多い。
温かいせいもあってか、大勢の患者が
集ってきます。

二番目に呼ばれて、例のごとく

「この一週間はどうでした」

「悪い方だったと思います」

「ほう・・・」

「日曜日にオペラに行き、いつもより脚に
負担をかけましたから」

「痛むのは脚ですか、腰は?」

「腰が痛いとは思いません。坐骨神経痛と
変わらない脚の痛みです」

それから、基本どおりの検査。

前屈、背中反らし、ベッド上で背骨を押す。
押されたら痛いところが一ヶ所ある。

先生に言わせると、狭窄の場所じゃない。
外れているから、毎週先生はクビをひねる。

ベッド上で仰向けになり、両の脚を持ち上げる。
おおよそ90度まで上がるが痛みはない。
ここで痛まないのが、先生は不思議らしい。

そして今日のメインイベント。「ブロック注射」

投手に例えたら、5回と7回に、それぞれ
痛打を浴びて、マウンドに倒れこんだ。

今日は勝利の順番だったのに。

6時間近く経った今もまだ、左ふくらはぎが
パンパンに腫れ上がり、痛いです。

残念、これで二連敗。



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【小宮山洋子というオンナ 】

2007-02-08 15:06:46 | 04 時事ニュース


民主党に属するこいつは、手前を何様と
思ってやがるんだ。

衆院予算委員会での、柳沢に対する執拗な
言葉の揚げ足取りは、青少年を含む国民に

「こうやってイジメルんですよ」と、手本
を示したつもりなんだろうか。

そりゃ「子ども産む機械」と言ってしまった
柳沢はお粗末だ。自分でも述べているように
国語力が貧困すぎる。

多くの独身女性が結婚を望み、子供二人は
欲しいと言っている。それを聞いて健全な
考えと安心した。

そのどこが悪いんだ。

鬼のクビ取ったが如く、子供の居ない安倍は
不健全かとか、結婚した一組に二人の子供を
強要するのかとか、誰もそんなこと言って
居らん。

こんな勝ち誇ったバカオンナに発言させる場
が、予算委員会だから呆れる。

小宮山洋子か、しっかり名前は覚えたぞ。
神戸に来て演説やりやがれ!

一般聴衆の中から、質問するから無視するなよ。

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【 歴史エッセイ (47) 早すぎた水戸藩 】

2007-02-08 15:00:49 | 05 歴史エッセイ


徳川家康は、自分の子孫繁栄を望む一方で、
どうせ何時かは幕府崩壊の日が来るさと
達観していた節が見える。

それが御三家の一家、水戸藩への不思議な
特別扱いである。尾張と紀伊が大納言の位
であるのに、水戸は中納言。そして在府を
命じられる。常に江戸に留まれという意味
である。だから参勤交代の制度が始まって
からも、ひとり水戸藩だけは参勤交代の必
要がない。

家康・秀忠親子は、京の宮廷に対し無礼の
数々を行う。禁中諸法度はその代表。
なのに水戸藩に対しては、宮廷こそが日本
の大本であると、尊王の立場を通せと命じ
ている。だから第二代光圀の時代から日本
の歴史書「大日本史」の編纂が始まり、こ
の大仕事は明治維新後漸く完成をみた。

徳川家公認の教育は儒学であり、詳しくは
宋学である。北の蛮族・金の台頭に押され
て中国南部に逃れ、以後南宋と呼ばれた。
蛮族を撃ち払い、宋の復権を目指す運動が
尊皇攘夷で、これが南宋学の骨子である。

水戸藩は代々尊王の家として続き、九代
斉昭は当時姿を現し始めた黒船撃ち払い
の先頭に立つ。

徳川幕府創生時からはぐくんできた尊王
攘夷の精神が高揚の時を迎え、藩士の急進
派が桜田門で井伊直弼を殺す。藩に迷惑が
掛らぬようにとの配慮から全員脱藩し、
水戸の浪士と名乗るが、つい昨日まで藩士
であった面々による挙行であった。

それから4年後、京の空気は不穏が高まる。
長州藩邸は倒幕の本部化する。桂小五郎が
用意した軍資金で、元家老武田耕雲斎率いる
1千名ばかりの尊王軍、水戸天狗党が決起
する。少々決起の時が早すぎた。あと2年
待てばよかった。明治維新後の中心は長州
でも薩摩でもなく、水戸であったろう。

天狗党の行動も解せない。一気に京を目指
せば良いものを、筑波山から北に向って進軍
し、食料も尽きて加賀前田藩に降伏する。
この時の追討軍司令官は、こともあろうに
一橋慶喜である。水戸斉昭の子だ。

加賀の前田は、せっかくの百万石を260年
無駄飯食って幕府消滅の日を迎えた情けない
大藩だ。天狗党に対する処置も、およそ武士
に対する礼を失し、ろくに食も与えず、寒の
最中に衣服も与えなかあった。浮浪の徒扱い
で、200名を超える死罪、他も人間の尊厳
を無視した措置を取った。

哀れ水戸天狗党は、二年が待ちきれなかった。


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