パンチョの世に棲む日々

自称ドン・パンチョが訪れた名所旧跡の感想を綴ります。

後南朝

2014-05-30 04:51:31 | 日記

 小生のHPにアクセスいただいているビジターの皆さんは、歴史に造詣が深い方ばかりですから、おそらく後南朝(ごなんちょう)のことはご存じだと思いますが、小生は最近になって初めて知りました。中学や高校で小生が学んだ日本史では、後南朝のことを記述したものなどありませんでした。

 鎌倉時代の後、朝廷が北朝と南朝に分裂し、互いに正当性を主張しあった南北朝の時代が半世紀近く続きましたが、足利幕府の調停で両朝が合体したことは知っています。しかし、その後も南朝の後胤や遺臣たちが三種の神器である剣や神璽を奪って吉野の山に籠もって北朝側と争った歴史があったとは意外でした。

 後南朝と関わりが深い金剛寺が吉野の川上村にあり、後南朝を守った当時の郷氏たちの子孫が、今もなお毎年2月5日に暗殺された天皇(?)の追悼して「朝拝式」を行っていると聞いて、俄然興味が湧き、先日金剛寺を訪れてきました。後南朝の歴史と金剛寺探訪の様子を橿原日記にアップしましたので、興味のある方はアクセスしてみてください。

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-11/2014_05_27.htm


一目百万本のツツジ

2014-05-17 22:49:08 | 日記

奈良県と大阪府の間に聳える葛城山の山頂付近には、広大な自生のツツジ園があります。吉野の桜は一目千本と形容されますが、こちらは一目百万本と言われるほど、広大な山腹を真っ赤な絨毯に染めます。

本日は朝から雲一つ無い晴天に恵まれ、絶好の行楽日だったので、6年ぶりに出かけてきました。一目百万本の景観をパソコンのモニター上でお見せします。以下のアドレスをクリックしてみてください。

http://www.bell.jp/pancho/photo_album/2014_05_17_katuragisan.htm


耳障りな日本語会話

2014-05-10 15:20:34 | 日記

最近テレビやラジオでの日本語会話が乱れていることはつとに指摘されている。特に、吉本興業の三流タレントを使ったバライティ番組などでは、聞くに堪えない日本語が氾濫していると感じているのは、小生だけではないであろう。

テレビのワイドショウ-などを見ていて、気になる挨拶言葉がる。例えばキャスターが出演者に「(出演)有り難う御座いました」と感謝の言葉を述べているのに対して、出演者も同じように「有り難うございました」と答えている。これなど、小生にはずいぶん耳障りな会話に思えてしかたがない。

小生は大学時代スペイン語を専攻したが、スペイン語では「有り難う(ございます)」をGracias(グラシャス)という。感謝の意味をさらに込めたければ、Mil Gracias(ミル グラシャス)という。それに対する返事は、家族・友人など、親しい相手に言う場合は、De nada(デ・ナーダ)、あまり親しくない相手に言う場合は、No hay de que (ノ・アイ・デ・ケ)である。いずれも、日本語で言えば。「どういたしまして」に当たる。Graciasに対してGraciasと答える場面など遭遇したことがない。

日本語だって、何かしてやったことに対して「有り難う御座いました」と挨拶されれば、「どういたしまして」と答えるのが正しい日本語の使い方であろう。それを言葉のプロであるテレビやラジオのキャスターが「有り難う」に対して「有り難う」と答えている。これって、なにか変ではないだろうか。正しい日本語表現があることを忘れてしまっているのだろうか。


卑弥呼の時代の呉鏡

2014-05-04 08:30:15 | 日記

倭国連合の卑弥呼が魏に使節を派遣した頃の年号を記した呉の鏡が2面(3面?)見つかっています。卑弥呼が魏の皇帝から貰った鏡が三角縁神獣鏡であるとする考えと、いや三角縁神獣鏡は国産であるとする考えが考古学会を二分しています。

卑弥呼の時代の呉の鏡がわが国の古墳から見つかっていることは何を意味するのか。ひょっとして卑弥呼は呉とも外交関係を結んでいたのではないかとも思われます。それで三国時代の呉の外交戦略の講演があるというので参加してきました。

講師は早稲田大学の渡邊義裕教授。面白い内容だったので、講演の要旨をまとめてみました。詳しくは下記をごらんください。

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-11/2014_04_26.htm