久々このシリーズ。店舗でスタッフの雑談を耳にして、「子供が小学校のプールの時間に水着を忘れて入れなかった」とかいう話に、なんとなく「小学校のプール」ってヤツがやけに懐かしく思い出されました。
私の小学校時代は昭和40年代前半。都会のど真ん中の小学校だったので運動場が狭く、プールは運動場の端に作られていました。しかも夏場プールを使用する時以外は木でふたがされてそこはグラウンドの一部になるという、今思うと大きなお風呂みたいな実に変わったプールでした(運動会の徒競争とか一部この木の上を走るの、変でしょ?)
覚えているのはタテ(プールの長い方)が20メートルで5コースという、今考えるとあり得ない半端なサイズだったのです。普通のプールは25メートル単位ですよね。コースも6~8コース。それもこれも狭い敷地に無理やり作ったせい?でもあの時代は何でもありだっのかな。それにしても20メートルじゃ50メートルのレースはできない訳で、100メートルのタイムトライアルをやったとしても25メートルプールよりもターンが1回多くなっちゃう。これじゃ都とか区の記録にも提出のしようがないと思うんですがね。いい加減だったんですよ、きっとね。
今思うと授業も適当だったなぁ。水泳を教わった覚えは全然なくて。勝手に泳いだり碁石やらカラーリングやらを先生が投げ込んでそれを拾う数を競わされたり。だいたい先生の平泳ぎの足がみんな“あおり足(カエルっぽく横に広がるやつ=公式競技では失格)”でね。あれじゃ教わりようがない。私は当時巷に出来はじめのスイミング・スクールとかに通っていたのでけっこう水泳には自信があって、「先生それ“あおり足”じゃん」って言ったんだけど全然通じなくて、逆に平泳ぎの進級試験とかあった時に「足が広がってないから失格」とか言われちゃったり。けっこう悲しかったな。
その進級テストもいい加減で、タイムトライアルはなくて基本的には距離と持久力だったとの記憶です。例えば6級が「平泳ぎで40メートル完泳」、5級は「クロールで40メートル完泳」とか…。クロールの方が速い分偉かったみたい。けっこう得意の水泳の事だからよく覚えているんだけど、2級が「何でもいいから100メートル完泳と潜水20メートル」。1級は「何でもいいから200メートル完泳と立ち泳ぎ1分」って、今思うとかなり変でしょ。東京のど真ん中の小学校でこれだったんだから、やっぱり昭和なのかな。結局私はと言えば、意地でもスイミング・スクールで教わった“正しい”平泳ぎの足(ドルフィンキック)を曲げなかったので、「平泳ぎ20メートル完泳」の8級に上がれずじまいでした。
もうひとつ、昭和の学校のプールは水が冷たかった。水道水そのままだもん。しかも今みたいにプールって青くなかったんだよ。底も横も全部白のタイル張りでさ、余計に冷たそうに感じたよね。シャワーだってお湯なんか出なかったんだから。今日みたいな曇った日の体育=プールはホント嫌だったなぁ。
私の小学校時代は昭和40年代前半。都会のど真ん中の小学校だったので運動場が狭く、プールは運動場の端に作られていました。しかも夏場プールを使用する時以外は木でふたがされてそこはグラウンドの一部になるという、今思うと大きなお風呂みたいな実に変わったプールでした(運動会の徒競争とか一部この木の上を走るの、変でしょ?)
覚えているのはタテ(プールの長い方)が20メートルで5コースという、今考えるとあり得ない半端なサイズだったのです。普通のプールは25メートル単位ですよね。コースも6~8コース。それもこれも狭い敷地に無理やり作ったせい?でもあの時代は何でもありだっのかな。それにしても20メートルじゃ50メートルのレースはできない訳で、100メートルのタイムトライアルをやったとしても25メートルプールよりもターンが1回多くなっちゃう。これじゃ都とか区の記録にも提出のしようがないと思うんですがね。いい加減だったんですよ、きっとね。
今思うと授業も適当だったなぁ。水泳を教わった覚えは全然なくて。勝手に泳いだり碁石やらカラーリングやらを先生が投げ込んでそれを拾う数を競わされたり。だいたい先生の平泳ぎの足がみんな“あおり足(カエルっぽく横に広がるやつ=公式競技では失格)”でね。あれじゃ教わりようがない。私は当時巷に出来はじめのスイミング・スクールとかに通っていたのでけっこう水泳には自信があって、「先生それ“あおり足”じゃん」って言ったんだけど全然通じなくて、逆に平泳ぎの進級試験とかあった時に「足が広がってないから失格」とか言われちゃったり。けっこう悲しかったな。
その進級テストもいい加減で、タイムトライアルはなくて基本的には距離と持久力だったとの記憶です。例えば6級が「平泳ぎで40メートル完泳」、5級は「クロールで40メートル完泳」とか…。クロールの方が速い分偉かったみたい。けっこう得意の水泳の事だからよく覚えているんだけど、2級が「何でもいいから100メートル完泳と潜水20メートル」。1級は「何でもいいから200メートル完泳と立ち泳ぎ1分」って、今思うとかなり変でしょ。東京のど真ん中の小学校でこれだったんだから、やっぱり昭和なのかな。結局私はと言えば、意地でもスイミング・スクールで教わった“正しい”平泳ぎの足(ドルフィンキック)を曲げなかったので、「平泳ぎ20メートル完泳」の8級に上がれずじまいでした。
もうひとつ、昭和の学校のプールは水が冷たかった。水道水そのままだもん。しかも今みたいにプールって青くなかったんだよ。底も横も全部白のタイル張りでさ、余計に冷たそうに感じたよね。シャワーだってお湯なんか出なかったんだから。今日みたいな曇った日の体育=プールはホント嫌だったなぁ。
いやー参りますね。ひと時代以上前のお話ですからねぇ。
まだまだ「戦後」真只中ですよね。
戦中派の皆様には勝てません。
失礼いたしました
当時、東京の公営プールと言えば、信濃町の神宮プールでしたが、ここはいつも一杯で、少し高い後楽園プールか、日吉の慶応大のプールによく行きました。
一番傑作だったのは、高校のプールで、33.33メートルで、3回泳ぐと100メートルになるという冗談みたいなものでしたが、今は立派な屋内プールになっているそうです。
当時は弘明寺公園プール(小便プールと呼ばれていました)も子供たちの人気でした。
また横浜市営の野毛山プールは競技会の可能な50mプールでした。その後磯子のマンモスプールがオープンしたと記憶しています。
ところで、「さすらい日乗」さんは、朝日カルチャーセンター横浜で、音楽評論家山岸伸一さんの講座『英国伝承歌の世界 フォークソングに秘められた物語』を受講されたそうです。
(私はさすらい日乗さんの読者でもあります)
こういう意外な人の繋がりは楽しいものですね。
33.3メートルの1往復半で100ってすごいですね。基本は尺貫法ですかね。なんか昭和の日本的な匂いがします。
当ブログがコミュニケーション交流の一助になっているとしたら、本当に嬉しいことです。ありがとうございます。
プールネタ、もう少し思い出してもう1回やってみたいと思います。