日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

名門山水破産。「オーディオ御三家」の分かれ道はどこにあったのか

2014-07-17 | 経営
名門オーディオメーカーの山水電気が破産手続開始決定を受けたと報じられました。山水はすでに2012年に民事再生申請をして実質破たん状態にありましたが、結局再建に向けたスポンサー企業が見つからにまま資金繰りに行き詰り事業の終局を迎えたということのようです。

山水と言えば昭和のオーディオ全盛時代には、トリオ、パイオニアと共にオーディオ御三家と呼ばれ絶好調のうちに東証一部上場を果たした戦後生まれの大躍進企業でありました。

その後オーディオブームの後退とデジタル化の波により、オーディオ業界は苦境に陥ります。しかし、トリオはケンウッドとして形を変えながらも生きながらえ、パイオニアは何度もの危機を主力事業の切り替えにより乗り切ってきました。その一方で、山水はあえなく沈没。御三家の明暗を分けたものは何であったのでしょうか。

山水におけるケチの付きはじめは、89年の業績悪化時に英ポリーペックインターナショナルの出資を受けその傘下に入ったことにありました。しかしポリーペックは翌年、突如倒産。経営者による株価操作や株主を無視した利己的な行動が明らかになったのです。

不透明なグループに取り込まれたイメージダウンは如何ともしがたく、91年次に同社に救い手を差し伸べたのは香港のセミテック。しかし同社も99年に倒産。さらに不幸は続き、同じ香港のザ・グランデ・ホールディングズが経営参画するも、11年にグランデは子会社の倒産をきっかけとしてまたもや破綻してしまいます。海外資本頼みによる不幸の連鎖はどこまでも山水を苦しめることになるのです。

一方トリオは、オーディオブームの失速と共にカーオーディオ分野に参入しつつ、大衆向けブランド、ケンウッドによるブランド戦略でなんとか生きながらえる道を模索。その後産業再生法適用を経て、ビクターとの資本統合によりJVCケンウッドとして再スタートし、現在もケンウッドブランドでのオーディオ機器を世に送り出しています。

パイオニアは、バブル崩壊以前にカーオーディオと映像分野に進出。この両分野事業が何度かの同社の経営危機を救ってきたのです。特に、カーオーディオ分野はシェアを伸ばし現在では同社の主力事業に成長しています。また、カーオーディオ分野および映像分野への進出は結果として、ホンダ、シャープ、NTTドコモなどからの資本調達を呼び起こし、パイオニアの事業再編による業績回復に大きな役割を果たしているとも言えるのです。

ちなみに、トリオ、パイオニアがいち早く食指を伸ばしたカーオーディオ業界は、車にとって代わる輸送機器が登場しない限り安定ニーズが見込め、かつ車の買い替えサイクルで需要が発生すると言うおいしい分野でした。山水もバルドのブランドで市場参入こそしたものの、オーディオ性能重視の高級ブランドは一部のマニア以外には受けられることなく、市場から撤退したのでした。

このように御三家の動きを対比してみると、破産の憂き目に会った山水は結局のところ、出だしの苦境時に戦略の再構築よりも実態の見えにくい海外資本に救いを求めたことに、すべての狂いの原点があったのではないかと思えてくるのです。

トリオもパイオニアも、同じような苦境を迎えていながら、その対応策としてまずは事業展開の見直しを最優先し、かつ事業実態があり実態が見える国内企業との業務提携、資本提携を優先して推し進めることで体制の立て直しをはかってきているのです。しかし山水は安易に、資金供給をしてくれる海外資本に救いの手を求め、結果“汚れた体”になることで国内企業からはそっぽを向かれ、民事再生適用後のスポンサーも現れなかったと言えるのではないでしょうか。

山水の社名の由来は創業の精神「山のごとき不動の理念と水の如き潜在の力」だそうですが、同社が求めたものは「山のごとき不動のオーディオメーカーの名声と、水のごとき豊富見えた海外からの資金供給」だったようです。オーディオ御三家の古今物語をみるに、経営危機の状況下におけるマネジメントにこそ、資金調達ありきでない柔軟な発想に基づく長期展望が重要であると改めて思い知らされる思いです。

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