日本国憲法で国民に保障されているものに「法の下の平等」がある。
誰だって裁判を起こせるし、裁判を受けることができる。
成人ならば選挙権が誰だってあるし、年齢に達すれば被選挙権が得られる。
このような法の定める所の権力の行使や権利は、社会的地位や性差や収入は関係ない。
しかし現実社会は不平等である。
「人間皆平等ではない」のである。
会社なら上司が偉くって当たり前である。
学校なら先生が偉くって当たり前である。
家庭なら親が偉くって当たり前である。
病院なら先生が偉くって当たり前である。
この当たり前な「法の下以外の不平等」についての教育が欠落しているのではなかろうか。
治安を守る警察官は尊敬されるべきである。
国家を守る自衛官は尊敬されるべきである。
神官やお坊さんは尊敬されるべきである。
地域の老人は尊敬されるべきである。
戦後、民主国家だ平等国家だと国民を教育したのはいいが、どんな時でも誰でも平等だと誤って教育してしまったのではなかろうか。
学校の先生にタメ口をきく生徒。
警官に食って掛かる違反者。
老人を邪魔者にする若者。
「法の下の平等」は保障されているが「法の下以外では不平等」なのが解っていない。
とある本に「宿命」というものを昨今教えなくなっていると書いてあった。
武士の子は武士、商人の子は商人。
ここまでの「宿命」は背負わなくても良いだろうが、先生は先生、生徒は生徒。
どちらが目上で「格」が上であるかは叩き込む必要があるだろう。
世の中は法の下には平等であっても「格」がある。
一見、自由主義、平等主義が定着していると思われがちな西洋の先進国でも「格」は重視される。
王室、貴族、宗教家の格は非常に高い。
専門職の職人にも高い格が与えられる。
軍隊でも将校は格が高い。
逆に奴隷出身の家系や移民は格が低い。
博愛だ自由だ平等だと言ってはいるが、西洋先進国でさえいわば「宿命」と思われるような「格の違い」を社会が認めている。
「法の下以外の不平等」「宿命」「格の違い」現実社会には目に見えない壁がたくさんあることを教育しない現行のシステムは、ますます社会を駄目にする。
そう小生は思うのであります。