Out of RAGOL

ぜんぶ、ときどきぷそ。

ほしいもの

2010-02-01 22:59:36 | レポート的な
先週の土曜日はスケートに行ってきたよ

高校生かっ!って自分でも思った。しかも滑れね〜〜〜
あまりのかっこ悪さに笑った。でも女の子たちも
楽しそうだったのでいいかなと。
一緒に行った友人Aは翌日「足が筋肉痛で動けない」とメールしてきた。
フハハ、俺は筋肉痛にならなかったぜ!馬のおかげだな。

今日は大学に行く日じゃなかったんだけど、
他の仕事で呼ばれて行ってたら、H先生が例によって迷い込んできた。
「今日はご機嫌じゃないんですか?」
と言われて笑ってしまった。H先生がいらっしゃる限りご機嫌です。
俺研究室で机使う仕事してるときたまに歌ってるので

と言っても鼻歌程度なんですけどね!H先生の部屋には聞こえてしまうんだよ!隣だから!
廊下には聞こえねえよ!

H先生は俺が歌ってるのを壁越しに聞くと、アウトくんは今日もご機嫌だなあ。と思うらしい。
それで人口の話に。
何かの話しの成り行きで、俺が「子孫を残すのは生物普遍の欲求だから、それをお金がないとか、
社会が不安定だとかいう理由で制限されるのはおかしい気がする」と言ったら、
先生は「それもいろんな考え方がある」と言った。
本当に子どもがほしいのなら、どんなことがあっても結局生んで
なんとか育てる。子どもを育てるのにお金がかかるようになったというけど、
じゃあ昔はかからなかったのかと言うと、賃金自体が昔は少なかったから、
必ずしも今のほうが金額が増えているからと言って
相対的にアップしてるわけじゃない。
それにね、そもそもいま日本で少子化対策とか言っているけど、
少子化って本当に悪いことなんだろうか。
今地球ではどんどん人口が増え続けている。支えきれなくなるだろう。
CO2削減するなら、先進国が何割減らしたとか工夫するとかより、
人間の数が少なくなるのが一番早い。
さらに言うなら、今は子どもを産んで育てるのよりももっと楽しいことがたくさんある。
それが最上の欲求ではなくなってるのじゃないかな。

そうかも。俺も子作りより先生と一緒にいるのが楽しい。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

サンクス

2010-01-28 22:15:17 | Weblog
俺とH先生と学生のJはいつもつるんでいるので(なんて語弊があるんだ)
よく他の先生にからかわれる。
先日H先生がアメリカにFAXを送れなくて
やり方を教えてくれって来たので
適当に調べて調べた結果だけ渡したら
H先生には送れなかったらしく、じゃあ俺がやってみますよ
って言ってFAXのところに行ったらH先生とJまで付いて来た。
FAX機見てみたけど古くてぜんぜんわかんない。スゲー。
「アウトくん、もしかしてそのFAX使えませんか?」
「使えません。コレ全然わかんねっすね。やってみますけど」
「アウトくんならなんでも扱えると思ってました!」

どうしていつもそうお思いになるんでしょう。俺はむしろ何もできないですけど。
ぴこぴこ。そのFAX機と意思の疎通がうまくできていなかったので
一度送りそこなったけど二回目で成功。
「なんで??」
なんででしょう。単純にやるのがいいのかもね。

でもそのあと一回目に失敗した分のエラーメッセージが出てきてて、
今日の朝H先生に「やっぱりだめだったかも!」とか言われ、
じゃもう一回ね、と言いつつ送信履歴を出してみて
送れてたので、送れてましたよ、こっちは一回目の失敗したやつ
と言ったらすごい恐縮された。迷惑かけてすみません、ありがとうって。
でもね、本当は最初から俺が
FAX送りたいと言われたときにぱっと受け取って
送っちゃって送信履歴確認して、何もかも万事OKですって報告して
そこまでやって本当の仕事なんで、今回は俺が失敗したんですよ
と言ったら、
よくわかんなさそうな顔をしていた。
他の人から「なんでアウトくんを連れていらっしゃるんですか」と聞かれて
先生は「だってアウトくん、なんでも知ってるから!」と即答した。
すごい恥ずかしくて「違いますよ!H先生がどういうわけかそのように仰るだけです。
私は何もわかりません」
と言ったら、
「だって、私は頼りにしてるから、そうなんです」と真顔で言われて、
余計恥ずかしくてしょうがなくなった。
そんなに頼りにならない。FAXの使い方だってわからない。けど嬉しい。
あとでH先生は、「私も、たいていの機械類は一目見れば使い方が分かる方だと
思っていたのですが、あのFAXはわからなくて」と言った。

トルコのタクシム広場にあったお店の中に入って、
レイアウトというか店内がすごくかわいかったので
写真に撮ろうとしたら、お店の人から
「店内では写真はダメですよ」と注意された。英語で。
俺はとっさに「thank you」と答えてしまったのだが、
そのときは、言ってからサンキュはねーよな今の返答として
と思った。
でも今日アメリカのドラマ見てたら、
やっぱりお店の人に「お子さんに商品を触らせないでください」と言われて
さんきゅうと答えていたので、あながち間違った返答でもなかったのかなあと思った。
そういうちょっとした返答に迷う。適当すぎる。
でもそんなもんでいいのかもしれない。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

ぱかぱか5?

2010-01-25 23:39:54 | Weblog
なんのかんので今日も乗馬に行くついでにH先生の顔を見に。
うそ。逆。H先生の顔を見に行くついでに乗馬に。
そろそろホルダーを持たなくても軽速歩ができるようになってきたので、
俺はもうちょいでビギナーを抜けるらしい。7鞍目。
今日のウマさんは葦毛のすごい年取ったウマさんで、
速歩がものすごく遅い。本人はすごいがんばってというか
楽しんで走ってるのがわかるんだが。
なんか別に年取ってるから足が遅いのではなくて、
普通に彼は足が遅いらしい。ちょっと馬体も小さいので、
もしかしたら競走馬あがりじゃないウマさんなのかも知れない。
というか、葦毛のウマさんは概してマイペースなのが多い気がする。
彼はすごく懐いてくれて、スリスリスリスリされて俺はヨロヨロヨロヨロだった。
うーむ、カワイイ。
鞭を買わないといけないなあ。
俺の大好きなMというウマさんは、今足を怪我しちゃって
お休みだということで、すごいびっくりした。
でもそんなひどい怪我ではなくて、もう少しで復帰らしいのでちょっと安心。
リンゴでも差し入れてやろうと思った。

H先生の顔を見に行くと、
またアメリカの論文のことで質問された。
もう意味もワカンネエのでしらねっすと言ったら
「アウトくんに聞いたらすぐわかると思ってました」とか言われた。
この人の思い込みは一体どこから来たんだ。論文の提出なんか
卒論しかやったことない俺に聞いてもわかるわけないでしょう。
でもちょっと調べたらすぐにわかったので
こうでしたよと教えたら、「さすが!」とか言われて別の話へ。
一時間ぐらいそのまま話す。毎回思うんだけど、
俺こんなにH先生の時間を割かせていいのだろうか。ダメだよね。
とはいうものの、好きなものは好きだからしょうがない。
一個話が片付くと、また新しい話をつい探してしまうんだな。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

悶着

2010-01-17 18:04:42 | トル記
1月12日
この日はもうイスタンブールに行って飛行機に乗るだけの日だった。
アンカラからイスタンブールまで4時間ほどかかり、
昼飯はナシでタクシム広場に午後6時まで放置される。
やいのやいの言いながらとりあえず換金。ユーロが予想やガイドブックや
旅行業者の話と違って意外と使えないので(観光地の入場料とかでは使える)
ちょっとだけリルコリラに。5ユーロが10リラになる。
成田空港で両替すると1トルコリラは80円くらいだったが、
トルコの両替商で換金したり、土産を日本円で買う時にはもっと安くなる。
土産屋だと1リラ60円換算となり、両替商でも70円いかないくらいで1リラがくる。
換金は賢くしなければならないと学んだ。
両替商のところで子どもを連れた女のこじきの人に
トルコ語で金をくれ的に声を掛けられたので1ユーロあげた。
タクシム広場では結構こういう職業的乞食の人がいる。他では見ない。
とりあえずガイドさんオススメの店で昼食。
ずっと食いたかったケバブサンドを食う。うまい。これはマジうまい。オススメ!
他の友達は珍しいからと言って山のように買い、
食いきれなくなりそうになって意地でかきこんで「バカだった」と言った。馬鹿だな。
タクシム広場を行ったり来たり。
途中でトルコアイスであるところのドンドルマがおいしくて有名な店に行って
それぞれ別の味のを頼んで食う。
MADOという店なのだが、ここは他のドンドルマ売りと違って
伸ばしたりなんだりのパフォーマンスをしない。でも種類が豊富ですごくそれぞれがうまい。
抹茶味とかもある。でも酸味がある感じで、確かに抹茶なんだけどいまいち。
俺はブラックベリー味を頼んだ。したら山いちごの味がしてめちゃくちゃ懐かしい。
びっくりしてAに食わせたら「本当だ!懐かしい!」と感動していた。
山いちごとはブラックベリーのことだったのか…
で、リラを使いきりに走る。俺は目玉マグネット2個(各1リラ)と
学生へのお土産のクソ気持ち悪いキーホルダー(いやがらせ)を買ったらなくなった。
他の奴らもボチボチなくして、足が痛くなってきたところで時間に。
信号がなく、道路がなかなか渡れない。
トルコ人はガンガン行くのだが、俺たちには行くタイミングがシビアすぎて
もう無理やり渡ったら、それを見ていたトルコ人タクシーの兄ちゃんから
「なんならタクシーに乗って道路を渡るか?」とからかわれた。えーん

そしてイスタンブール、アタチュルク空港へ。
ここで運転手さんと別れ、あとはチェックインしてガイドさんともお別れ

という時にもめる。

俺たちは来る時もグループじゃなくて個人でのチケットとして乗ったのだが、
今回はグループにしてくれと空港のちょっと偉い人に言われた。
そこでグループの方でチェックインしてみたら、18人のツアーということでは
チケットが出せなかったので、14人グループと二人グループが二つ、というくくりになった。
で、それぞれのグループは適当に客の一人の名前を代表として登録して、
荷物もその代表者の名前で14個、2個、2個とチェックインした。
はいはい、了解了解。別にどうってことないな
と思っていたら、ツアーの中にいたすごい海外旅行慣れした感じだった60くらいのおばさまが、
「チェックインした荷物の番号と手持ちの番号が違ってしまう」と訴えだした。
マアソウネ、でも無事成田に着いちゃえば、手持ちの番号と生真面目に照会してみるやつが
どのくらいいるのかな。
と、俺なんかは思ってしまうのだが、
おばさまは我慢できず、なまじ英語に堪能な方だったので
チェックインカウンターまで殴りこみに行ってしまった。
もし荷物が届かなかったらどうする、迅速に確認できなくなるじゃないかという。

ちなみに俺はエジプトで部屋の鍵がかからなくて、
姉が「誰か部屋に入ったかもしれないから気持ち悪くて寝られない」というから
部屋を変えてくれと言いに行って、
「何も盗まれてないんだし、いいじゃん」と言われたことがあるので、
要するにこっちの人は「結果オーライなら過程は気にしない」という考え方であるのを知っている。
ま、俺の場合は「そう言わんと、変えてちょんまげ」と言って変えてもらったのだが。

なので、「万が一」を想定して起こってもいない事件について騒ぎ立てるのは
こちらの国には通用しない。おばさん、無駄なことをしているなあと思ってみていた。
割とすぐ丸めこまれるだろうと思っていたが(何しろ搭乗時刻までそんなに時間もないし)
一時間近く粘り、俺の連れズは完璧にうんざりしていた。
それでももめるおばさん、手を振り上げて怒って周りに止められる空港の偉い人。
結局ガイドの人が「何を話しているのですか。●●さん(おばさんの連れ)、
もう呼んできてください」と言って
またガイドさんを含めてちょっともめて、結局そのままになった。
おばさんが
「成田に着く前に一度タシュケントで荷物を確認して番号を合わせることにさせたから」
と胸を張って戻ってきた。しかし俺たちは、荷物はそのまま成田行きになっていて
タシュケントではピックアップしないことを知っているので、
タシュケントでまたもめそうだなあと思うにとどまった。
職員が来て、最後におばさんに英語で
「荷物は責任もってお届けしますから」と言うと、
おばさんも英語で
「あなたたちがこんな質の悪いサービスをするからいけないのよ」とくぎを刺した。
職員はニヤリと笑って
「マダム、エコノミーのグループツアーでのご旅行でなかったら
 このようなサービスではありませんから、次からはもっとグレードの高い席でお越しください」
と返した。やるな、職員。おばさんは言い返せなかったようだ。

で、搭乗ゲート前の土産屋で残りのユーロを使い切るつもりだった友人ズは
時間がなくなってできず、そのまま出国審査へ。
俺とAは日本人が多い列が一番早く進むのを知っていたので、
長いけど日本人まみれの列に並び、
15歳弟とMはアラブ系の人がちょっとだけの列に並んだのだが、
俺とAの列の進みがものすごくいいのを見て越してきた。
「なんでだよ!」と言うから
「世界中でいちばん平和な生き物は日本人なんだから、日本人の列が早いにきまってる」と言うと
「そういう風な日本人のイメージを世界中に植えつけた先人は本当にえらいな」と感心していた。
夜のタシュケントを立つ。
このフライトではシートベルトと禁煙マークの明かりしかなく、
誰もルームライトを使わなくて、俺は窓際だったので
星空が見えた。足元まで包み込むように星だった。圧倒的。
プラネタリウムでもこんな夜空はない。
感動して一生懸命写真に残そうとがんばったが、翼のライトにとられてしまって
どうしても写せなかった。
しょうがないから一時間近く一人で眺めていた。
サン・テグジュベリは飛行機乗りだったから、こういう空を見て
「夜間飛行」や「星の王子様」を書いたのかもしれない。
星を見ているのじゃなくて、自分が星のひとつになったような不思議な気持がした。
寝転んで星を見上げるのとも違った感動だった。
タシュケントまで3時間40分。到着してやはり荷物のチェックアウトがないので、
俺は「うわあ、おばさんもめるかな」と思ったのだが、
おばさんは疲れて眠ってしまい、もめなかった。
今回は国内便の待合ロビーから国際線の待合ロビーに移動しなければならなかったのだが、
(国際線はすごく綺麗で広くて近代的だった。国内線ひどいな)
その最中におばさんから「やっぱり荷物のチェックをさせてもらえなかったわ。
ごまかしたのね」と愚痴を言われた。笑ってごまかしておいた。
そして映画の「チャンス!」を見ながら日本へ。
着いて荷物を拾いに行くと一番に俺たちの荷物が回っていたので、
イスタンブールの職員はそれなりに気を使ったのかもしれないなと思った。
俺はもう14日から仕事だったので大急ぎで帰った。

家に着いて猫の訃報を知った。
俺は予想通りだったので、とくに言葉もなかったし泣かなかった。
俺はそのくらいにはあの猫を大事にして、何も後悔がないくらい好きだった。
覚悟もできていた。そんなに苦しまずに死んだのを聞いて安心した。

それで母親から「どうしてこんな冷酷な子に育ったのか」と罵られた。
泣くだけが死を悼むことではないと思うのだが。
とりあえず、トルコ旅行はものすごく楽しかったので、
また金がたまったらみんなでどっか行こうってことになった。
やっぱりちょっともめるくらいの国が面白いよな。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

それから

2010-01-17 17:00:55 | トル記
休みのうちに書けるだけ書いてしまおう
こういうのは記憶が新しいうちに書くに限る

1月12日
やっぱり5時半のモーニングコールで起きる。
絶対友達は起きないと踏んでいたが起きたのでビックリ
で、「アウトは気球いかないんだから寝てていいよ!起こしてゴメン」
と言われつつ、俺は別に起きてもいい気分だったのでせっかくだから起きて
友達を見送って一人でホテルをうろつく。怪しいやつだ。
とはいうものの、俺だってそこまで怪しいやつではないので
6時半を回ってから徘徊スタート
朝ごはんが始まるのが7時からだったので
時間をつぶそうと思ったのだ。
それでもやはり怪しかったらしく、警備員のおじさんに声をかけられる。
写真を撮っていたので、シャッターをついでに押してもらったら
そこまで怪しくないと思ったらしく、いろいろ話す。
あと20分で夜明けらしい。おー、それはいい時に来た!と言ったら
夜明けを撮るベストプレイスも教えてもらい、
そしてこのホテルの歴史とか、周りのホテルのこととかも教えてもらった。
俺たちが泊まったホテルは築150年くらい、
昔は「レスタシオン」だったと言われた。いまだによくわからないのだけど、
とにかくホテルではなかったらしい。ここ7年くらいでホテルになった。
おじさんは去年まではカッパドキアで絨毯の投げ売り(本人が「投げ売り」と言った)をしていて、
去年からこのホテルで警備員になったらしい。
絨毯売りをしていたから、フランス語やポルトガル語、英語、イタリア語、日本語もわかるけど
ぜんぶちょっとだ、と言っていた。実際に日本語と英語で話し、適当にフィーリングで
「わかるまで繰り返して言ってみよう」みたいな会話で、とても面白かった。
そうこうしているうちに一度別れ、(何しろ怪しいのは俺だけではない)
7時近くにおじさんの言うとおり、日の出が来た。
こんなに遅くに日が昇るのかと思いつつ、
何年ぶりに日出なんて見た。

また連写の勢いで撮ってしまったけど、これは友達にえらいえらいって言われた。
そして15歳弟のいるヤツのいる部屋に起こしに行くと全然起きてる気配がない。
この15歳弟のいるやつは一日目に同じ部屋だったのだが、
寝起きが悪くて俺が目をさまして「起きろ」と言ったら
「うそだ。そんなわけない」と言い切ってまた寝たので
しつこく起こす気もなく、捨てて朝食に。
怪しく写真を撮りつつ飯を食っていると、
すごいしょぼくれた顔で気球に行ったやつらが帰ってきた。
妙に早かったのでびっくりしてどうしたんだと言ったら、
上空の風が強くて飛べなかったのだそうな。気の毒に。
そして目いっぱい朝飯を食っていたら15歳弟がやっと起きてきて、
それにも付き合ったので俺は都合3回朝食を食った。我ながらアホだ。
この朝食で、機内食についてくるようなパックのバターと
つぼに入ったバターがあり、何が違うのかわからなかったので、
その辺にいたシェフっぽいおじさんに聞いてみた。
「What is the difference, that butter and this one」
「Butter」
「Same?」
「Butter」
「おんなじ?」(日本語)
「バター」

だめだった。英語はポーターのお兄さんと社長のおねえさんくらいしか
うまく通じない(むろん日本語は誰にもほとんど通じない)。でもみんな人はいい。
なぜかそのホテルの従業員一同との写真の撮影会になり、
最終的に10人くらいの集合写真になった。よくわからん。
でもいいホテルだった。

そしてカッパドキア観光の続きに。三姉妹の岩を見るところまでは快晴。
でもそのあとギョレメ野外博物館につくころには
雨が降り出し、
博物館の見学をしているうちに本気の雨になった。
野外博物館はだから確かにキレイだったけど、
思いがけずそこに住む宣教師やらなんやらの苦労の一端を追体験する羽目になった。
歩いているとぱらぱらと砂が落ちてくる。ずっと浸食が続いているのだ。
Aとあと300年もしたらここはなくなってしまうなと話す。
まだあるうちに来られてよかった。

そして絨毯屋に連れて行かれる。
トルコ絨毯というのは、トルコ人いわく、ギリシャ絨毯よりインド絨毯より長持ちで
500年はもつんだそうな。トルコの田舎では娘は年頃になると
少なくとも一枚は絨毯を織り、それを売って結婚資金にするのだという。
男は男で、ポプラの木を植えて売って家を準備しないと結婚できないんだってさ。
男はそうやって家を用意して、女は絨毯を売った金で家具を用意して結婚するんだって。
たしかに絨毯はすごかったが、値段もものすごかったので冷やかすだけにした。
15歳弟は値切りまくって一枚5000円だったランチョンマットを2500円にさせて買っていた。
こいつ、10日に行ったトルコ石の店でもシルバーの指輪を買っていた。押し売りに弱いな。
昼ご飯はアジの塩焼き。と言うと身も蓋もないのだが、
実際にアジの塩焼きにしょうゆ(トルコ製。日本のと同じなのかは不明)とレモンを絞って食った。
日本と同じ味。
必ずスープ→サラダ→チーズの春巻き→メイン→デザートという順で出てくるのだが、
この昼飯の時、みんなにスープを持ったウェイターが
俺のにひと匙くらいしかついでくれなくて、
ひどいよーと言いながら笑っていたら
「ゴメンゴメン」と言いつつタプタプになるまで盛りつけられた。通常の倍。
そして俺の横に座った15歳弟は「カタカ」だったかなあ?なんかトルコ語で親友の意味の言葉を言われまくり、
ワインを買わされていた。お前…買いますって顔に書いてあるんだな。
俺の顔には「構っていいよ」と書いてあるのであろう。
そしてみぞれの吹きつける中、らくだ石とかを見る。寒くてほぼどうでもいい。
そのあとトルコの焼き物を売っているところで
ヒッタイト人がやったろくろ回しとかを見る。
そこで皿やつぼの白焼きの状態までを作るおじさんがあまりにヒュー・ジャックマンに似ているので
アップで撮ったら「男ばっかり撮ってんじゃねえ」とAから指導が入る。だって似てるじゃんよ。

トルコジャックマン

トルコの陶器のこの工房では、絵を入れる職人のオリジナルの皿はなんと撮影禁止であった。
図柄を盗まれたくないらしい。

次は地下都市へ。どういう経過でそうなるのかまったくわからんが、
とにかくイスラム教徒が攻めてきたときにキリスト教徒が作って
イスラム教徒が去るまで隠れていた8階建て(地下に向かって)の建造物。
狭くてどうやって生きていたのかまったくわからん。
猫がいるのはいい。昔は懐中電灯必携だったらしいが、
電燈がついているのでそれほどでもない。
鎌倉の田谷の洞窟に感じが似ている。
そこを出たところに土産物屋がいっぱいあったので寄る。
結構いろいろあって楽しい。姉への土産を買う。
この時おかしなことがあった。
俺は時間を確認するために自分の携帯電話を取り出した。
俺の携帯の待ちうけは俺の猫のベストショット。それを見た店主が
「これなに」と声を掛けてきた。
「俺の猫だ」と答えたのだが、答えながらふと
ああ、待ちうけを変えなけりゃ、と思った。
なんでそう思ったのかわからないけど、はっきりとそのように思った。
日本に戻ると果たして俺の猫は死んでしまっていた。
虫の知らせだったのだろう。

そして長い間バスに乗ってアンカラに戻る。
ホテルで夕食。デザートにリンゴとオレンジが
切れ目も何もなく丸々一個ずつ出てきたのでびびる。
食べ終わった後、ガイドさんが近所に酒屋があるから行ってみると酒が買える、
この辺は治安はそんなによくないが、ほんの5分でつくから大丈夫と言うから、
行ってみることになった。
本当に近く、5分どころじゃなくてほぼホテルの隣であった。
そこでビールや、ラキというトルコの酒を見たりしていると、
15歳弟がカウンターのケースに「パワーレンジャー」と英語で書かれた
戦隊モノの200ミリリットルジュースパックを見つけ、買いたいと言い出した。
ジュースパックはピンクと黄色と茶色があり、三色一個ずつ欲しい
と単発英語を駆使して言うが、伝わらない。
どう見てもお客のお兄さんが、
「どうもこの日本人はこのジュースパックをそれぞれ一個買いたいらしい」と
店主にトルコ語で取り次いでくれた。
店主がケースから出すと、ピンクと黄色のパックの模様がディズニーキャラクターだった。
ケースの手前と奥では柄が違うのだ。
「俺はパワーレンジャーがいい!掘って出してくれ」と食い下がる15歳弟、
訳してくれる通りすがりのトルコ人お兄さん。
店主はそれを聞いて、
「面倒だから嫌だ」というようなことを言い(顔がそう言っていた)
あきらめた15歳弟は結局茶色だけを買った。
英語を訳してくれた親切なお兄さんは、後でわかったが俺たちが泊まったホテルの従業員の人だった。
こんな客ですまん。ありがとうございました!
コメント (0) | トラックバック (0) | goo