ヘルンの趣味日記

好きなもののことを書いていきます。

ラングの「M」

2017年05月26日 | 映画


「M」は色々な意味でとても面白かった映画です。
上映会にいってよかった。

サイレントの巨匠フリッツ・ラングのトーキー映画でまだモノクロでした。

字幕なしのドイツ語映画でしたが、ストーリーがあらかじめ配布されていましたので結構わかりやすい感じでした。


ベルリンで少女が殺される事件が多発して、警察が必死に操作します。
なかなか解決せず、警察の警戒が厳重なため、犯罪者たちが困り始めます。
彼らにしてみれば「少なくとも少女殺しはしていない」犯罪者までまきこまれるのはメイワクなのです。
そこで彼らが自警団よろしく犯人を捜そうとします。

この時点でかなり異常な感じでラングの物語性がでています。

そして本当の犯人はどういうわけか、少女に懐かれるタイプで、彼が穏やかに近寄ると気を付けるように言われているはずの少女たちはにこにことついて行ってしまいます。
これが不思議なんですが、そういう雰囲気ってあるのですかね。
親からは知らない人についていってはいけないといわれているだろうに。

だから警察と自警犯罪集団の捜査にも関わらず犯罪は続きます。

ところが犯罪集団はついに犯人をみつけます。
そして見逃さないように犯人に目印をつける。

それが「M」の文字です。

殺人の頭文字。

その文字を追ってついに犯罪集団が殺人者を捕獲します。

そして、裁判にかけます。
これがまた面白い。ちゃんと弁護士もつきます。

普通、犯人を殺しませんかね。犯罪集団だし。
それなのにきちんと法廷をひらき検察と弁護側が対立します。

そこで被告はすごい演説をします。

彼はどうやら精神的にどうしても少女を殺さずにいられない病をもっているらしい。

自分でもどうしようもないと叫びます。自己保身ではなく、本心からの叫びです。
主演のピーター・ローレの演技が印象的です。

この映画ではどうしてそうなったのかという、よくある精神分析とかトラウマとかを語りません。
ただ、この殺人者はそうなのだと語るのです。

その叙事性がこの映画をとても面白くしています。


この数年後にハリウッドでラングがつくった「激怒」という映画でも同じなのですが、自分たちは正義だと思って断罪したがる人間たちの醜さ、不思議さを描いています。
とても重いテーマなのですがラングはとにかく面白く美しくつくるので、テーマは見過ごされやすいかもしれません。

ラングは集団のあり方の不思議さ、あやまち、醜悪。
そんなものと同時に追われる孤独な人間をじっとみつめていたような気がします。
彼は集団の醜さを描きますが、それはむしろ追われる人間にスポットをあてるためだと思います。


一人の人間を追い立ててリンチにかけようとする集団。
それをなんと醜いことよ、と告発するのは社会派の監督でしょう。

対してリンチにかけられる側の人間の恐怖の表情、心理を描くのがラング。
彼は芸術家だったのでしょう。
恐怖の表情をうつしとる画家のように映画で表現したかったのかなと思います。

それと彼自身も孤独な個人主義だったから、犯罪者であっても一人の人間としてみつめていたのかもしれません。

ラストは伏せますが、そのセリフ。
これがラングの結論なんだろうなという感じでした。


彼の作品の中で一番印象的な作品です。

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