ヘルンの趣味日記

好きなもののことを書いていきます。

あしたのジョー

2017年05月15日 | 日記


ボクシングを見るのが好きです。
詳しいわけではありませんが、子供のころからテレビで放映しているとみていました。

フレッド・アステアのダンスのような感じで、軽やかな足もとにみとれてしまいます。

伝説のボクサー、モハメド・アリは
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」といわれたそうです。
これはダンサーにとっても理想ではないかと思います。



病院や店の待合室にマンガがおいてあり、待っていなければ手を出さないような作品に出会うことがあります。
順番になってお待たせいたしましたといわれると、残念なくらいです。
そのパターンの状況で最近、ボクシングマンガの名作「あしたのジョー」を読みました。
長いので、最終巻だけです。

私は「あしたのジョー」は苦手でした。
数年前にテレビで放映されていてちらっとみたことがあったのですが
主人公が「ノーガード戦法」というのをやっていました。
ええっ?マジですか? と思いました。
詳しくないのにえらそうですが、
ボクシングは、いかに相手の攻撃をかわし防ぎつつ、相手に自分の攻撃を叩き込むか、ではないでしょうか。

ボクシングはガードに始まり、ガードに終わるといった人がいます。
やっぱりそれが正解でしょう。

だからボクシングマンガとしてはおかしいと思います。
あと、主人公の性格や生き方に共感できないのもあります。


それでも最終巻のラストまでの描写はすごい。
待合室で感動しました。
たぶんスポーツマンガではないところが面白いのでしょう。


主人公が試合をしたら、廃人になるか死ぬかという状況で
プライドの高いヒロインが愛する主人公をなりふりかまわずとめようとします。
結局翻意させられず、試合を見ていられないと、会場を後にします。
でも途中で引き返して見届けます。
それどころかタオルを投げて試合を棄権させようとするコーチを止めるのです。
そして、最後まで戦えと主人公をはげまします。
このあたりの心理の変化の過程にひきこまれました。


スポーツを生命や人生をダメにしてまでするのはナンセンスです。
でも、この描写は説得力があります。
ジョーのボクシングはスポーツではなく、人生そのものなのでしょう。
役者が病気をおしても舞台に立つような感じかもしれません。

前に書いたことがありますが
映画「炎のランナー」では逆にスポーツのために信仰をまげられないといって出場拒否をします。
スポーツ委員会の人が、
彼にとって、走ることは生きることで信仰と深くむすびついている。
だから走ってはいけない、信仰と競技を分けてはいけないのだと理解をしめします。
どちらも競技が単なるスポーツ以上のもの、生きることそのものになっています。


ジョーは最後まで戦って最後のページは白っぽい絵で、伝説の「真っ白に燃え尽きた」ラストです。
満足した表情で、死んだかどうかわかりませんが、どちらにしても彼の人生は終わったのだろうと思わせます。


ダンサーは美しく踊らなければいけませんから、ボロボロになるまで踊り続けることはできません。

でも、アステアは踊れなくなっても映画に出演し続けて亡くなる少し前まで現役だったようです。