東京悪女会/ダンディ・ウーマン(公式ブログ)

東京の女性管理職を中心とした異業種キャリア・ウーマンの集まり。春夏秋冬の集まりには唯一人だけ、旬のホストを御招きする。

ネットの共同購買をトライしてみたら…。。

2011-01-27 10:55:06 |  うねめの鼻息
年末年始の話題はFacebook と
共同購買の「スカスカ御節」事件でした。

私もびっくりしましたが
この事件の為に提供企業の経営者が
退陣するという事態になり社会事件に
発展してしまいました。

実は、私も「共同購買」には興味があったので
G社・R社のネットをブラウズしていました。
宣伝の殆どが食品関係なので写真を見ているだけで
大変美味しそうですし、価格も50%オフは当たり前、
時には70%オフと記載されているので
これは「まゆつば」ではないかとかなり
疑惑の目で見ていました。

が、先日あまりに美味しそうな
「お好み焼き」店の宣伝があったので
チケットを購入しました。

そのチケットをすぐに使用するのは
何だか「はしたない」ような気もしたのですが
「食欲」と「好奇心」の両サイドからの
パンチを受けて私のプライドは木っ端微塵に
飛んでいってしまいました。

その店が宣伝していたメニューは

関西人の大好きな
「お好み焼き」
関東人の大好きな
「もんじゃ焼き」
日本人の大好きな
「てっぱん焼き」
女子会最強メニューの
「あんこ巻き焼き」

で価格は@¥2500!
すぐに販売終了になったので
やはり人気は高かったようです。

写真は「もんじゃ焼き」ですが
それまでに「てっぱん焼き」&「お好み焼き」
を食べていたので完食はちと、厳しかったです。

おまけに「粉モン」というのは
粉+油+肉+ソースという
はっきり言って「太るために食べる食品」
なのでダイエットの大敵なのです。

(といいながら、先週は「粉モン」の代表選手とも
 いうべき「パン」を家で焼いたりしているので
 このところダイエット作戦は完敗状態です}

関西人の私は
「もんじゃ焼き」を初めて見たとき

「な、なんじゃこりゃ~
 このドロドロしたモンは人間の食べるモンではない!」

と絶叫したものですが
今では、「お好み焼き」は長女、
「もんじゃ焼き」は次女、という役割で食べわけ
をしていて、お気に入りメニューの一つになっています。

 (結局、関西人は「粉モン」が好きなようです。)

ところでこの店の肝心の「味」と「満足度」ですが
どちらも◎でした。

この価格では申し訳ないくらい。
お店の方のサービスも良く
ニコニコ笑いながら

「後でコメント投稿、よろしくお願い致しますね」

とお願いされてしまったので約束どおり
投稿もしてしまいました。

たまたま私の選んだ店が合格点以上だったのか
どうかは不明ですが共同購買をトライする時は

「じっくり内容を吟味してから行くこと。
 その店がNGの時にもがっかりしない覚悟でゆくこと」

が正解のようです。


   (うねめ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホームベーカリーでパンを焼いた!

2011-01-26 17:16:18 | うねめのグルメ
先日、会社の新年会のアトラクションで
「ホームベーカリー」が当たった事を述べました。

持って帰るとき、その時は酔っ払っているのと
嬉しいのとであまり気がつかなかったのですが
ものすごい馬力で持って帰ったらしく
改めて家で持ってみるとものすごく重くて
びっくりしました。

でも、ある新聞の調査によると現在の
「家電人気商品ランキング」でナンバーワンなのは
「ゴパン製造機」なのだそうですが
当方が頂いたのは堂々の第2位の自動パン製造機。

とっても嬉しいです。

実は、随分昔ですがある料理学校に
通っていた頃、日本料理コースとパンコース
を取っていたので一応、「食パン」「菓子パン」
「クロワッサン」「菓子類」は作れるのです。

が、お料理される方皆さまご存知のように
パンを作るには時間・材料を揃える・体力・やる気
の4つが必要で大抵は、これらの1-2項目はNG
なのですね。

それらの難問が「ホームベーカリー」で一挙に
解決!となるとパン好きの私にとっては
早く作りたくなるのは当然のこと。

早速、添えられたマニュアルを読むと
ありゃりゃ。 やっぱり指定の材料を揃えて分量を
注意深く図らないと失敗する!と書いてあるでは
ありませんか。

(といっても、水と粉と膨らし粉だけなんですが。)

更に更に読み進めると
これらの面倒があるパッケージを購入すると
一遍に解決、とも書いてあります。

これこれ! ズボラは私にはこれが必要なんですと
うなずきながら早速、スーパーで購入と思いましたが
この商品は普通のスーパーでは売っていないんですね。

ぐすっ。(半泣き)

しかしこんな時に役に立つのが
ネット商店街!

今や数え切れないくらいの商店が
あるというなら、きっとこの商品があるはず
と調べてみると30秒で見つかりました!

そして製造したパンがこの写真。
初回にしては大成功でした。

粉と水を機会に入れるだけなので
失敗のしようがないのですが。 

ぐすっ。(自嘲)

せっかちな私は仕上がり時間を
「速攻コース」にセットので
2時間少しで完成しましたが
出来上がる直前の「あの香り」は
まさしくパン工場のものと
同じで感動しました。

肝心のお味の方も、試食していただいた
方々の感想は、 当方にとって近来稀に見る
大絶賛でした。

ご馳走様でした。


    (うねめ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Face Book - 実存する天才!

2011-01-24 17:50:46 | オール・ザット・エンタテイメント
「右手に仕事、左手に男、背中に子供、
 フトコロに札束」

というコピーを20年前に発表した時の世間の
反応は冷たかったです。

何と欲張りな! 図々しい! 身の程知らず!
などなどゴーゴーたる非難の中で
最後の「フトコロに札束」だけは笑って頂けました。

その笑いは「よく恥ずかし気もなくそんな事が言えるね」
の本音をかき消すようにしか聞えませんでしたが
日本人は「金儲けをしたいくせに、金儲けをする人を
軽蔑する」ヘンな国民だな、とその時気が付きました。

現在、世界最年少の億万長者といわれる
マーク・ザッカーバーグ氏がFace Bookを
立ち上げた時、金儲けの事を考えなかったといえば
嘘になると思います。 が、結果として巨万の富を
入手した彼はどんな過程で「フトコロに札束」が
出来たのか興味があったので映画
「ソーシャル・ネットワーク」を見てきました。

映画の前半はものすごい早いスピードで
IT/PC用語が画面を飛び交うので字幕担当者も
相当苦労されたと思います。

「IT難民」と内外で揶揄される当方に
とって、本音を言えば会話に付いてゆくのが
大変でした。

ストーリーそのものは単純に成功者・反発者・
同調者をめぐって組み立てられるので判りやすい
のでこれは助かりました。 成功するまでの
醜い争いは有名な話なのですが「ここまで
映像化してよいのだろうか」とハラハラしながら
見ていました。 映画のエンド・クレジットで

「この映画は大半が真実に基づいていますが、そうでない所も
 たくさんあります」

としっかり明記されていたのがいかにも
アメリカ映画らしいと思いました。

ただこの映画のすごい所は、主人公が現存する
ハーバード大学の学生で2004年頃まで、キャンパスを
ウロウロして女の子を追っかけていたという所。

最初に女子学生の顔を見比べるゲームを
配信したのでサイト名を「Face Book」 と名づけて
会社名にしてしまった所。

登場人物が全員、(多分)IQ/150 位
と思われるので、監督(デビット・フィンチャー)もそれくらい
頭の良い人に違いない、と確信しました。

現在のこの会社の企業価値は
1月24日現在、1200億円増資して4兆円に
なるそうですが世界中の登録者が5億人を超えると
知ればビル・ゲイツの再来といわれるのも納得です。

ゲイツ氏がハーバード大学からビジネス界
に突入してマイクロソフトを設立した時には
余りにも彼の偉さについてゆけなかったのですが
マーク・ザッカーバーグ氏は掛け値なしの
天才といってよい、と私は思いました。

ただ、天才と騒がれ「フトコロに札束」が有る事だけが
幸せではない、と映画のラストで示唆されていたので
救われました。(これは貧乏人の負け惜しみ、ですね)

最後のエンド・ロールでBeatlesの
「Baby, You are richman」が
流れますが この曲を聴いたのは実に
20年振りくらいだったので
この曲は日本であまりヒットしなかったのは
先述の理由のせいだったのか!
と深く納得しました。

映画から帰ってから
遅ればせながら私も5億人の1人になりました.....


(うねめ)





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年から2011年へ・・・・

2011-01-18 13:53:58 |  うねめの鼻息
年末からお正月にかけての、この約1ヶ月間には
実に色々な事が起こり、一体この日々は何なんだ?
と呆然とする日々でした。

年末の「紅白歌合戦」のステージに
当会のアイドル(とも言うべき) N監督が
登場され、踊っていらした! というのが年末の
楽しいニュースでした。

事前に聞いていましたが
一体どの時間帯に登場されるのか判らず
丁度その時は家事をしていたのですが
「あ、監督が出ていらっしゃる!」という
声でTV画面を覗くとあの独特のヘアスタイルが!

実に楽しそうに踊っていらしたです。

新年になると会のメンバーである某ラジオ局の
女子アナ嬢が電撃結婚!というニュースがWEBニュース
で流れこれにはびっくりしました。

彼女はこのブログにも登場していただいた
事もあり「仲良しさん」だったので本当に
嬉しいニュースでした。

続く横沢氏の突然のご逝去のニュースには
本当に悲しく、余りの早いお別れに悔しい思いもしました。

今年最初の「新年会」は昨年お招きしたホストのお1人から
その会の担当 事務局幹事全員をお招き頂きました。

私もこれまで色々な新年会を主催したり、お招きされたり
しましたが今回は正真正銘、「ドギモを抜く規模の新年会」
でした。

飲んだお酒の酒類と量は、全く記憶にありませんが
普段飲めないような超高級酒で有った事はかすかに
記憶に残っています。

実はこの新年会の頃、腰痛(いわゆる魔女の一撃)の為
強い薬を飲んでおりアルコール類はドクターストップが
かかっていたのです。

が、生まれつき 美味しい食事/お酒/楽しい事の大好きな私。
目の前の美酒にはとても抵抗できるものではありませんでした。

その結果…。
ある時からプッツリ記憶がないのです。
後で同席者達に聞いた情報では
2次会の場所では多芸な人たちが歌い踊り
大変な「大宴会」になっていたそうです。

そういえば私のかすかな記憶で
超・美しい芸者さんが私の側で踊っていたな…。

残念な気もしますが素晴らしい新年会に
同席させていただけただけでも
素晴らしい「お年玉」でした。

会社の新年会では「ビンゴ」の景品として
何と「ホームベーカリー」をゲットー!
昨年はティファールの「野菜蒸し器」が当選したので
2年連続の大当たり。

ばんざ~い…と喜んで上げた両手を ふと天に止め
やべえ、今年の運は早くも使い果たしたか
と一瞬青くなりました。


     (うねめ)



























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横沢彪氏の思い出

2011-01-12 16:11:36 |  うねめの鼻息
2011年になって最初の驚きと悲しみは横沢彪氏のご逝去の
ニュースでした。

共通の知人がいた事がきっかけで
1995年のある夜、居酒屋でご一緒させていただいたのが最初の
出会いでした。

その頃はもう吉本興業に転じていらしたのですが
私には「おれ達ひょうきん族」の牧師役で頭から
水を掛ける仕掛け人のイメージが強く
もっとアクの強いいわゆる「業界人」を
想像していたのです。

実際にお会いしてみると
大変静かにお話になりながらも
当然の事ですが話題の幅が広く、深く
あっという間に時間がたってしまいました。

恐る恐る、東京悪女会/ダンディ・ウーマンの
ホストとしてお招きしてもよろしいでしょうか?
とお尋ねするとあっさりと
「どんな事を話せばよいですかね?」
とお引き受けくださったのです。

その後、赤坂にある横沢氏のオフィスに
何度か通って第30回の東京悪女会/ダンディ・ウーマン
の打ち合わせをしました。

せっかく吉本興行にいらっしゃるのですから
今回はテーマを大阪又は浪速にされてはどうでしょうか
と申し上げると、

「あ、それいいいですね」

とこちらもあっさりとお受けくださり
1996年4月の東京悪女会/ダンディ・ウーマンは
「笑う二人に浪速の春がくる♪」のテーマで
開催の運びとなったのです。

このタイトルは勿論有名な「ど演歌」から
頂いたものですが会場も演歌の歌える所がいいね
という事でカラオケ・パブに決定。

後日、この会場で打ち上げをしたときには
横沢氏とこの歌をデュエットしていただいたことも
懐かしい思い出です。

第30回の本番時直前に横沢氏から
「面白い奴等を連れてゆくよ」
と連絡があったので、さんまさんかな?
たもりさんかな? と一瞬期待しました。

が、当日会場に現れたのは
ただいま修行中の若い漫才師コンビ2組でした。

「今日は皆さんにこの漫才コンビが将来
 出世するかどうか判断していただこうと
 思います。 売れる!と思われる方は
 どうぞ盛大な拍手を。 売れない!と思われる方は
 無視していただいて結構です」

…ということで始まったのですが40名近い
女性を目の前にした若い漫才コンビはカチカチに
緊張されながらも一生懸命ネタを披露してくれました。

「今日のお客さんは極道の姉さんばっかりでっか?」
「あほ、そんな事言うたら今日帰るときは体、バラバラ
 にされまんがな」

などのアドリブを大汗をかきながら大奮闘。
この2組のコンビ名は今もはっきり覚えていますが
残念ながらあまり大成はされなかったようでした。

でも横沢氏は若き漫才コンビに度胸をつけて
上げようとお考えになっていたと思います。

又私たちに対しては他では絶対に見られない
「未来のスター」を紹介してあげようとお考え
になっていたと思います。

そのような仕掛けがあったので
第30回は大いに盛り上がり楽しく
終了しましたがその時の様子を
ある新聞のコラム欄に書いていただき
横沢氏のやさしい視線に心を熱くしたものです。

その後も横沢氏のオフィスに何回かお伺いして
当方のお喋りを聞いていただいただく
機会がありました。

東京と大阪を行き戻りされながら
超ご多忙な日々をお過ごしでしたが
数年前、ご病気になられたと聞き
心配していました。

昨年の年賀状には
長年お暮らしだった碑文谷から広尾に
転居したのでお寄り下さい、と
書かれていたので新住所に年賀状を
お送りしたのですが
今年の年賀状は届きませんでした…。

横沢彪様、どうぞゆっくりと
お休み下さい。

いつかご一緒に「笑う二人に浪速の春がくる♪」と
歌えますように…


      (うねめ)
      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする