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本多忠勝エピソード1「忠勝、吠える!」

2011年07月18日 | 本多忠勝 本多忠朝 大多喜城

本多忠勝を大河ドラマに☆ エピソード1

 

著者は市川市の福富さん(ペンネームは久我原さん)です。 

「本多忠勝を大河ドラマに!」 応援ありがとうございます。

忠勝、吠える!


 秀忠はあせっていた。信州方面の鎮圧を目的に秀忠率いる三万の軍勢は、真田が立てこもる上田城を攻めたが、打ち出しては引く真田隊に翻弄され、秀忠はついに上田を落とす事を諦めて西へ軍を進めた。家康から東海道を西上する本隊への合流命令が来たからである。
 秀忠の率いる大軍隊は中山道を通っていた。秀忠の気持ちはあせる一方だが、ただでさえ曲がりくねった山道を大軍の列は間延びして思うように進軍できず、その上雨で足止めされることもあり、時間は過ぎ去るばかりである。
 そんな秀忠に悪い知らせがあった。いや、徳川にとっては良い事ではあるが、真田に翻弄され、雨にたたられ、山の中で無駄に時間を費やしてしまった秀忠にとっては最悪の知らせである。伝令はこう言った。
「九月十五日、我が軍は関が原にて石田軍と合戦となり、大激戦の末、徳川方の大勝利!」
「なんじゃと、すでに戦は終わった?三成が首はどうした?」
「敵将、石田三成は戦場より離脱し、ただいま捜索中でございます。大谷吉次殿は討ち死に、島津義久殿は戦線離脱。」
「よしっ!三成が首はなんとしても、わしの手で上げねばならん!急ぎ出発じゃ。」
 しかし、秀忠が家康と合流した時はすでに全て終わっていた。

 こうして天下分け目の決戦と言われる関が原の戦いは、秀忠軍の到着を待つことなく、家康を総大将とする諸大名のいわば連合軍の力のみでわずか半日のうちに済んでしまった。
 秀忠と合流するまで家康は上機嫌で諸大名の働きを褒め称えていたが、秀忠の顔を見るなり、
「そちは、今まで何処で遊んでおったのじゃ。戦も勝利のうちに終わったゆえ、ボンはしばらく休んでおれ。」
 戦が終わったからと言って、すぐに休むわけにはいかない。将来自分の部下になるかもしれない諸将の前で、実の父に大恥をかかされ秀忠も黙ってはいなかった。
「それがし、上田にこもる我が家の宿敵、真田を倒すべく全力で事に当りましたが、父上もご存知の通り戦巧者の真田相手で、、、」
「いいわけは良い!」
 いいわけである。秀忠も自分でしゃべりながら、(無駄ないいわけを、、)と思っていた。
「秀忠!わしが呼ぶまでわしの目の前には現れるな!」
 一喝!先ほどの上機嫌とは打って変わった家康の我が子への仕打ちに居並ぶ武将も凍りついた。
 その時なぜか、家康は信長との関係上、やむにやむを得ず死に至らしめた長男の信康の顔を思い出した。
「ああ、信康が生きていたらな。」
と、つぶやくとその場を去ろうとした秀忠はピタリと立ち止まり、その後姿はわなわなと震えた。そして、走り去るようにその場から消えた。
「殿!そのお言葉はあんまりじゃ、、、」
と、本多正信が声をかけると、家康は「しまった。」と思った。
 秀忠が決戦に間に合わなかった事は諸将に対して徳川家の恥をさらした事には間違い無い。家康は恥を恐れた。家康だけでは無い。当時の武士は恥を恐れた。恥をかく事よりは命をかけることの方を選んだものである。勝利の祝いの場で、息子の失態に怒り謹慎処分のようなことを言い、おまけに亡き長兄の信康に比べて自分が劣るような事までいわれて、恥と感じて秀忠が死を選んでも家康は悔いる事はなかっただろうか?家康も秀忠が可愛くないわけではない。秀忠を面前で罵倒するのは計算の上の事、ある意味芝居がかった所があったが、最後の一言は余計であった。家康自身が公衆に知られてはならないと思っていた本音であり、誰よりも秀忠の前では言ってはいけない言葉であった。

秀忠は永遠に父には目通りが許されないと思ったが、意外と早く呼び出しがかかった。大阪城の論功行賞の決定の場である。
 まずは、功績のあったものへの褒美である。福島正則が二十万石から四十九万八千石に加増、加藤清正が二十五万石から五十二万石に加増、山内一豊が六万九千石から二十万二千石に加増されたのをはじめとして、徳川の外様大名には大幅の加増があったのにくらべて、譜代の本多忠勝、井伊直正、榊原康政への加増は十万石程度に抑えられていた。
 その次に、敵方に与したものの処分である。石田三成、宇喜田秀家、安国寺恵瓊らはすでに斬首されており、その家は改易となった。豊臣家の大老であった上杉景勝は会津百二十万石から米沢三十万石へ減封、毛利輝元、広島百二十万石から長門三十六万石へ減封となり、西軍に味方した大名がことごとく改易、減封となったにも拘らず、なぜか島津家だけは現状維持であった。

 そして、誰もがどうなるかと思っていた真田家の処分である。家康が
「さて、真田の処分はどうするかのう。」
と、言うのを受けて、秀忠は、
「昌幸、幸村親子は斬首、信之は改易が妥当と存じます。」
と、答えた。徳川と真田の因縁は深い。真田がまだ武田信玄の家臣の頃から徳川家は散々煮え湯を飲まされつづけた。正直言うと家康も、秀忠が土壇場で西軍についた真田昌幸、幸村親子を上田で葬り去ろうとした気持ちも良くわかる。
「ふっふっふ、そうよのう。、、、そうじゃのう。」
 家康は秀忠の言葉を聞いて本当に嬉しそうに笑った。それにつられて秀忠も笑った。つい先日、父親の諸将の前で罵倒されたばかりであったので、秀忠は父親が自分の意見を受け入れてくれた事が嬉しかった。
「よし。決まりじゃ、昌幸、幸村親子は斬首、信之は改易。」
 それを聞いた本多正信が、
「昌幸、幸村親子の斬首は当然なれど、、信之殿の改易はちと厳しいかと、、、」
と言った。真田信之が上田で、昌幸、幸村親子に投降するように必死の説得を試みていたのを秀忠軍に従った正信はその目でよく見ていたので信之を哀れに思った。その時、当の信之と本多忠勝がやってきた。そして、信之は家康、秀忠親子の前にひれ伏して言った。
「お願いでございます。此度、父昌幸、弟幸村が、徳川殿には多大な迷惑をお掛けした罪、重々承知ながら、何卒、この信之の働きに免じ、命ばかりお助け下さいますよう、お願い致します。」
 すると、秀忠が言った。
「何、そちに免じてじゃと?そちの働きとはなんじゃ?上田攻めでは何の役にも立たなかったではないか。そちも改易じゃ。」
「か、改易、、」
 信之が絶句すると、突然大音声が響き渡った。
「いや、いや、そりゃいかん。殿さん、そんな理不尽はいかん。」
 声を荒げて、無作法にも前に進み出てきたのは本多平八郎忠勝であった。

  

   本多忠勝と乙女      娘 稲姫(小松姫)  http://sengoku-gallery.com/index.html より

 本多平八郎忠勝と真田信之は義理の親子である。
 軍略の優れた真田家を徳川陣営に引き寄せる為に、忠勝は自分の娘の稲姫を家康の養女として信之に嫁がせた。真田信之は忠勝にとっては娘婿であり、その器量を非常にかっていた。信之と稲姫の夫婦仲も非常に良かったという。
 その稲姫が信之の居城で昌幸、幸村親子が家康軍から離れて上田に引き上げていくという知らせを聞いたのは、今から三ヶ月前の七月であった。その知らせを聞くと稲姫は城に残った者たちに武装を命じた。そして正幸、幸村親子が上田に向かう途中、沼田に立ち寄ったとき、稲姫自ら額に鉢がね、なぎなた片手に城門に立ち、昌幸、幸村親子に向かって叫んだ。
「舅といえども敵方を城に入れるわけには参りません。」
 幸村は「無礼な!」と怒ったが、昌幸は、
「今や信之とは敵味方。戦の前にせめて孫の顔を見ながら、嫁の淹れた茶でも飲みたかったが、、、さすが本多の嫁じゃ。あの嫁がいれば沼田も安心じゃ。幸村、これで後顧の憂いは無くなった。思う存分徳川と戦おうぞ。お稲よお、沼田と信之が事はよろしく頼むぞ!」
と大笑し、上田へと引き上げていった。それを聞いたこの稲姫は立ち去る昌幸の後姿に深々と頭を下げた。

 忠勝の娘、稲姫はそんな女性であった。娘が娘なら親も親、と言うべきか、親が親なら娘も娘と言うべきか、、、
 さて、真田家の処分を聞いて思わず大声を上げた忠勝は更に続けた。
「殿さん、そいつはいかん。そんな事は納得できん。」
 家康は答えた。
「なんじゃい、平八。真田の裏切りの罪は大きい、当然の処分じゃわい。秀忠初め、皆もそう思っておろうが。」
「いんや、わいは納得できん。わが婿、真田は今後、徳川つまりは天下の為に必ず、立派にお役に立ちまする。」
「むむ、信之の改易はちと厳しいかのう。秀忠、どう思う。」
 家康の問いに秀忠は勢いづき、
「何を仰せか、真田を信用しては行けませんぞ。必ず、禍根を残します。今、この時、真田を葬り去らねばなりません。」
と、又も本多忠勝は叫び声をあげた。


わいの婿を信用できんのかあ!

 殿さん、わいらの頼み、きいてもらえんなら、

この平八、殿さんに一戦ご馳走いたす。」


 

驚きの言葉に、同席したものは皆、思わずのけぞった。家康ものけぞった。秀忠にいたっては大口を開けて仁王立ちの忠勝を見上げている。すると、それまで、あまりの出来事に呆然としていた同族の本多正行が、
「これ、平八、無礼であろう。言葉を慎め!殿の意見するのも無礼なのに、なんじゃいその態度は?謀反を起こす気か?」
じゃかわしい、この腰抜けが!おのれこそ、殿さんが若く、苦労されているころ、一揆に加わり刃向かったではないか。その後、徳川家を去り、臆面も無く出戻りおって。口先ばかりの腰抜けじゃ。上田で若殿が勝てなんだも貴様のせいじゃろうが。同じ、本多でもわいとおぬしは縁もゆかりも無いわ!」
 忠勝のあまりの言葉に正信はひっくり返った。本当に腰が抜けてしまったようだ。
 家康は目をつぶり、渋い顔をして考え込んだ。どれだけの時間がたったのか、おそらく三十秒とはたっていないだろうが、仁王立ちの忠勝を中心に時間が凍りついたような永遠の時間のように思えた。その沈黙を押し破るよう家康が言った。
「、、、、、仕方ないのう。、、、、、平八と喧嘩になってはかなわないのう。、、、、、、よし、信之の改易は許し、上田に転封に致す。だが、昌幸親子の死は免れんぞ。」
 信之はひれ伏したまま、答えた。
「わたくしの事はありがたきことなれど、父と弟の死だけは何卒、お許しを。」
「婿殿!もう良いわ、早う沼田に戻って戦仕度じゃ!」
 忠勝が信之を促すと、家康は慌てて、
「わかった。平八にはかなわんのう。真田親子はどこぞに流刑に致す。場所は追って知らせる。それでええか?」
と、家康が言った。すると、今まで必死の形相で仁王立ちの忠勝が、倒れるように信之の横でひれ伏し、
「ありがたきし合わせ。上様のご厚情、この平八、一生忘れません。ありがとうございます。今までのご無礼、ひらに、ひらにご容赦を。この上は存分のご処分を。」
と、今までのためぐちとはうって変わって、低姿勢で平あやまりだ。
「平八よう、おめえに喧嘩売られたら、この家康もかなわんよ。なにせ無傷の豪将だでの。」
 家康がそう言うと忠勝は顔を上げて、にっこりと笑い、
「なあに殿さん、そん時は殿さんがはじめてわいの皮を突き破るお人なりましょう。それに、喧嘩を売ったのわいではなくて、殿さんじゃい。」
と言った。家康もにたりと笑った。信之は「ありがたい、ありがたい。」とひれ伏したまま肩を振るわせ泣いている。い合わせた他のものもほっとした表情になっていた。ただ二人をのぞいては。怒りの形相に顔を赤くして小刻みに震えている徳川秀忠と本多正信をのぞいては。

 その後。
 昌幸、幸村親子は紀州九度山に流され、信之は加増のうえ上田に転封された。
 平八郎忠勝は大多喜を次男に譲り、長男と共に桑名へと移った。石高は大多喜と桑名は同じだが、本多家としてはあわせて倍の石高になった事になる。家康の前であれだけの啖呵をきり、切腹でも不思議はなかった平八郎忠勝の本多家が加増の報酬を受けたのは、やはり家康は忠勝を買っていたからだろう。

 しかし、世の中は変わった。関が原の戦で徳川が圧勝し、ついに家康は征夷大将軍になった。徳川に面と向かってたてつくのは大阪にいる豊臣秀頼母子だけとなり、世の中一応は平和となった。そうなると、忠勝のような武人は必要無くなってくる。家康は将軍位を秀忠に譲り、本多正信は幕府の要職となった。
 あの日、忠勝の啖呵に怒り震えた秀忠と正信が幕府の中心人物となり、あの日の主役の家康と忠勝は隠居の身となった。隠居といっても家康はいずれやってくる豊臣との決着の日の準備に、相変わらず政治活動を続けている。一方忠勝は、本当に隠居だ。平和で、退屈な日々を桑名で送っていた。
 ある日、自分の居室の縁側で小太刀の手入れをしていると、つるっと手が滑って親指を傷つけた。忠勝は生まれて初めて、自分の皮膚から血が流れ出すところを見た。
「……、何度、いくさばを駆けずり回ったかのう。敵に傷を負わされた事はないわいが、おのれの不注意で傷を負うとは、もうこれまでじゃ。」
と、独り言を言いがっくりとうなだれた。まるで、それが予言であったかのように十日後、戦場のつわものも、静かに息を引き取った。慶長十五年十月十八日、享年六十三であった。静かな死が忠勝に覆い被さろうとした時、忠勝の目に浮かんだのはいっしょに戦ってきた仲間たちと、初めて得た領地、大多喜の領民たちが新しい町を築いていく姿だった。

                                                     おわり

大多喜城 http://www.chiba-muse.or.jp/SONAN/

NHK大河ドラマ「本多忠勝」誘致実行委員会制作の冊子(下)については⇒こちら


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5 コメント

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Unknown (久我原)
2011-07-20 00:40:47
ジャンヌ編集長~~~

旧作の掲載ありがとうございます。
本編が滞っているのでつなぎかな?

もう、チョイがんばりますのでよろしくお願いします。
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Unknown (倭音)
2011-07-20 12:58:20
エピソード1って事は...エピソード2...その先も...あるって事ですかぁ...楽しみにしていますぅ...

と...言うより...久我原さん...
本名では無かったのですねぇ...

しっかしぃ...何となく...久我原さんには...本名の..福富さん...より久我原さんの方が似合いますぅ

それにしてもぉ...おかげさまで...歴女では無かったはずなのに...すっかり...戦国の世にはまりそうですぅ

久我原さんの小説が読める日が...だんだん..待ち遠しくなってきた...倭音ですぅ

はまり...すぎて...抜けられなくなったら...どうしよう...

と...紹介してくれた...ジャンヌさんが...ほんの少し...と...頭をよぎる...倭音なのでした
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吠えてる姿 (ジャンヌ)
2011-07-20 22:58:29
久我原さんの正体が少しずつ・・・ぎゃはは・・・!!(^Q^)/^

小説は福富さん
戦国画イラストは福田さん
大多喜という縁起の良い地名に「福」がいっぱい。。。
そして、ただ勝つ! ただ、ただ、ひたすら勝つのみ。


すごいでごじゃるの~(*^^)v



弓足軽さんのリクエストでUPされた「忠勝 吠える!」
本多忠勝のいろいろが、10分でわかる秀作です。

極めつけは、人形師・奥村さんの忠勝像!
この「忠勝 吠える!」にぴったりだと思いませんか?
まるで、「じゃかわしい、この腰抜けが!」と言っているようです。



>倭音さん
抜けられなくなったら、大多喜に移住すれば安心ですよ。
ワンちゃんの御殿も建つかもね(^^♪

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エピソード2 (ジャンヌ)
2011-07-20 23:11:20
久我原さん次第です・・・(*o☆)\バキッ

が!!


久我原さんから以前にいただいておりますので、「つなぎ」も安心ですよ~ぎゃはは・・・!!(^Q^)/^




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Unknown (弓足軽)
2011-07-22 22:54:57
恐るべき周到さ(笑)

バックナンバーも読める事ですし、ぼちぼちいきましょ。

しかし、ネットの世界は他のメディアと比べて現在進行形なものなのだと改めて思います。
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