進め! おしごとママ

★働く母はつらいよ!?
 自由人ちびぞうと母のめくるめく毎日★

そんな春です

2017-02-23 14:13:41 | 子育て
 会社員生活も20年近くなりますが、その中でも、この1年半ぐらいは度を超えて慌ただしかった。どうしてと思ったり、でもまあがんばろうと思ったり、試行錯誤してみたり、本筋の仕事をしながらやりたいことをやる方法を発見したり、軌道に乗り始めたところで思わぬことが起きたり…。いろんなことがあったのです、本当に。

 そんな状況でも息子は元気に成長し、間もなく小学校も卒業ですよ。

 この6年間は、息子のことも自分のことも、落ち着いて考えられた貴重な期間だったと思う。
 息子のことでいえば、一番の収穫は「やらせなきゃできない、やらせてみればできる」ことが分かったということ。子どもは自分が思うよりもたくさんの力をつけているんだな、と気づく場面が何度もあった。彼はこの6年でとても成長した。

 私の最大の収穫は、「できない自分を認める」ことが、本当の意味でできるようになったことだ。

 これまで、「できないはずはない」と思っていろんなことをしてきた。その努力はまあまあ立派です。でも、それは「努力してでも自分ができることを証明したい」と思う気持ちが強くて、「できない」ことを認められない裏返しでもあったと思う。でも、できないものはできないから。
 仕事の進め方でも人間関係でも、とにかくひたすらぶつかるか全く触れないか、その二択しかない時期がかなり長かった。それも、自分ができないことを受け入れられなかったからだ。でも、できない自分もまた自分だと納得してからは、なんとなく状況を片付けたり柔らかくやり過ごしたりすることができるようになった。そして、いろんなことが昔より円滑に進んだりするのだ。
 もっと早くこういう感覚を持てていたら、もっといい作用がたくさん生まれていただろうか? でも、今こういう状況になっていることに、何か意味があるのだと思う。

2016年8月

2016-08-23 15:15:50 | 子育て
 毎日暑いですが、お変わりないでしょうか(←誰に問いかけてる)。
 ほぼ1年ぶりに更新しようと思います。理由は特にない。毎度のことですが、この1年もあっという間に過ぎてしまったもので。
 忙しい忙しいっていつも言っているけど、去年の秋ぐらいからさらにもう一段階忙しくなったのです。5月の連休あたりは何だかとんでもなく仕事があって、こんな時間まで子どもを留守番させていていいのかという時間まで会社にいたし。あの時期、一体何をどうやって仕事を全部やりこなしたのか、もう覚えてもいませんよ。現場に出るよりも社内にいていろいろなことをこなす仕事が主になり、そうなると自分ではコントロールできないこともあれこれ発生するもので。はー仕事したくないなーという日がたびたびある。そうは言っても仕事はするんだけど。
 息子は6年生になりました。小学校6年間は本当に早かった。さすがに学童には行かなくなったので、毎日習い事を入れて放課後に誰かしら大人に会うようにしている。行動範囲も広がったし(自転車でどこまでも行く小学生男子)、もう親が何でもかんでも介入する年齢ではなくなりました。最近は週末だけでなく平日も習い事の合間を縫って、とにかく友達と遊んでいる。そんなことができるのも小学生のうちだけだし…と自分を納得させてはいるものの、もうちょっと勉強もしてくれないとなあ。あと、とにかく無鉄砲で自転車で転んだり無茶な行動をとったりして、やたらけがばかりしているのも困りもの。去年は2回も骨折して、それでも懲りてない。とにかく人だけは巻き込まないで、と願うばかりです。
 そんな風に子どもが大きくなったら、仕事をすることに制約や悩みがなくなるかと言えば、これがさっぱりなくならない。
 子どもが大きくなったら職場での役割が変わって、仕事の時間も長くなった。息子が留守番できるようになったので、もう少し、もう少し…とやっているうちに、帰る時間がどんどん遅くなっていく。とはいえ仕事はあって、自分でやらなければどうにもならない。
 ときどき夕飯が10時近くなることがあったり、そうでなくても結構長く留守番させたりで、この生活って何なんだとは思うけど、これ以上どうにもやりようがない。この前ふと、昔の方が料理してたし、家が片付いてたなー、子どもに手がかからなくなったのに何でだろう? と思ったんだけど、あーそうだ、そのころよりも圧倒的に仕事が多いからだ、と気がついた。子どもが育って手がかからなくなった分だけ仕事も増えたら、そりゃそうなるわ。
 子どもが小さいころは、成長すれば問題は全部解決すると思っていたけど、大きくなればなったで、新しい問題が生まれるということまでは考えていなかった。「子どもがいるのでできません」という仕事のやり方をしていたら、こういう悩みもなかったかな? 分からないけど、そういう方法を選びたくなかったんだから仕方ない。ちなみに、これで悩んでいるのは私だけよ。おやじは一貫して変わりなく仕事してるし。「だったら早く帰れば?」みたいな、ぶん殴ったろかと思うような発言をしないだけましだけど。
 来年は息子も中学生。必ず高校受験があるし、もっといろんな悩みとか問題が出てくるだろう。この先、高校生になっても大学生になっても、成人してもそうなんだろうか。悩みが尽きる前に、私が現役ではなくなりそう…。

今年も残り3カ月ですが

2015-09-08 18:59:59 | 子育て
 いやー、もうすっかり秋ですね。ついこないだまで、日傘を忘れて出かけようものなら、干物になって乾き死ぬんじゃないかと思うような、ある種悪質な暑さだったのに。別に、その暑さを惜しんでるわけじゃないけど。
 そして、新年を迎えたのも(私の中では)つい先日だったわけですが、なんかもう9月というのはどういうわけなのか。この間に息子は5年生になり、私は40歳になりました。
 40歳って、もっと落ち着いた人間のイメージだったけどねー。相変わらず、いろいろ締まりのない日々を送っているというこの事実。「四十にして惑わず」と言うけど、そんな境地には全く達してない。新卒のころは、40歳になったらもっとこう、知的で含蓄ある仕事ぶりを発揮してるはず…みたいな幻想があったけど、おかげさまでそんなものは全くありません。
 40代になったなーと自覚するのは、めがねを外した方が新聞を読みやすいとか、会社支給のスマホの画面はちょっと顔から遠ざけないと字が見づらいとか、そういうときだけ。あー、あと格段に体力が落ちた。ちょっと走ったら息切れするし、疲れていても一晩寝たら回復! ということがなくなったし。むかーし、南海にいた門田が40歳でホームラン王になって「不惑の大砲」と呼ばれてたけど、それがいかにすごいことだったのか、今なら分かる。駅まで走るだけでもかなり厳しいのに、40歳で毎日野球の練習して試合出て44本もホームラン打ってるって何なんだ、門田。
 そんな私を尻目に、息子は意気軒昂です。野球熱はさらに燃えさかり、チームの練習から帰ると、卒倒しそうなぐらいユニホームが汚い。練習だけでは満足できないのか、この夏も毎週末、友達と公園に集まって野球をやっていた。よく熱中症にならなかったもんだ。あまり強くないチームにいるので、試合に出てそれなりに結果を出したり表彰されたりして、ますます調子に乗っている。でもまあ、夢中になれることがあるというのはいいことだ。
 この夏は必死で高校野球を見ていたので、それを利用して「勉強が難しい公立高校に行けば、1年生から背番号もらえるよ。そういう学校で野球やってたら、21世紀枠で甲子園出場もある!」とそそのかしています。意外にその気になってるけど、そういう高校に入れる能力があるかどうかはまた別問題だ。
 おやじは特に変わりないっす。土日も関係ない超絶忙しい職場にずいぶん長くいて、そろそろ動くかも! と本人が期待していたところ、異動。しかし行き先は、物理的な忙しさは減るものの、いろんな調整だの何だのが大変な、別の方向で超絶忙しい職場というオチだった。「前と忙しさ変わんねえよ!」と最初は憤っておりましたが、今は普通に働いております。
 そんなこんなで、残り少ない今年もがんばろうと思います。はい。

新年

2015-01-09 15:16:49 | 子育て
 あけましておめでとうございます。
 いや、「あけまして」とか、もう言ってる時期じゃないから。正月なんかとっくに終わって普通に仕事してるし、学校も始まってるし(-_-;)去年は年末に向かえば向かうほど忙しくて、気がついたらきょうになっていました。うそです。ちょっと大げさに書きました。
 年末は2年続けて大掃除もせず(過去記事を見て判明)、散乱した物と物のすき間で人間が生活しています。つまり、今年も去年までと何も変わってない。そんな中、唯一変化しているのがちびぞうでしょうか。
 どれだけ食べても太らない彼は、日々食べ続けてとうとう身長が私と10センチちょっとしか変わらなくなった。体重も40キロ近い。もうとても、「ちびぞう」なんて代物じゃありません。なのに、私の膝に乗ってごはんを食べたり、「だっこして」などとまだ言っている。だっこ、相当厳しい。腰折れそう。
 家では甘ったれですが、念願の野球チームに入り、選抜合宿メンバーに選ばれて表彰されたりとかしてます。ただ、「選抜」とか「表彰」とかいっても、全体のレベルが若干ね…お察しください(-_-;)しっかり野球をやっている子に比べたら雲泥の差。でも本人はその気になってるし、バリバリ野球やってるチームなんて私がついていけないから(気持ち的に(-_-;))いいんだけど。しかしこのチームしょっちゅう合宿があって、集合時間がとにかく早い。その弁当作りが泣ける(ToT)
 ちびぞうはさらに、この冬から塾にも行き始めた。「学童に行くぐらいなら塾に行きたい」と言ったから。本人が行きたがっていたのは友達がたくさん通っているところだったけど、そういう塾だと友達と遊んじゃってろくなことがない。経験者の私が言うんだから間違いない。なので、学区外で、家からちょっと離れているけど歩いて通えて、希望の曜日に授業がある塾を母は見つけてきたね。学童よりも勉強する時間はずっと長いのに、塾の方が楽しいんだってさ(先生の授業が面白いらしい)。身のほど知らずにも、県内でも5本の指に入る難関の公立高校に行きたいと言っているので(理由は野球部の人数が少なくて、1年生からレギュラーになれそうだから)、ぜひがんばってほしいものである。今からこつこつやれば合格も夢じゃないぞ。たぶん。ちなみに、これでちびぞうは平日は全部習い事をすることになった。塾だの合宿だのキャンプだの…子供とは、なぜにこんなにお金がかかるのか。
 学校では相変わらず悪くて、先生の言うことを全然聞かない模様。誰かをいじめたり、学級崩壊させたりするわけでないことだけが救いでしょうか。春からはもう少し落ち着いてほしいけど、どうなることやら。

 そして、私とおやじはほぼ何も変化がありません。

 私…去年の終盤は、私のような立場の者(大きいとはいえ子供がいる人 という意味)が本来なら引き受けないはずの仕事をしたため、一体これは何なんだという気持ちになるぐらい忙しかった。今は仕事を円滑に進めるための事務作業で忙しい。こうなってみると、本筋の仕事で忙しい方がいいね。勝手な人だね。
 あと、長いこと欲しかったけど、高いしなあ…と迷っていたバッグを買った。お店の人に「修理しながら10年使っている方もいますよ」と言われて思い切ったけど、今も鼻血出そう。

 おやじ…忙しい。以上。

 そういえば去年は、忙しいだけでなく、家電があれこれ壊れた年でもあった。真夏に冷蔵庫が壊れた日にはあなた、化粧もしないで家電量販店に駆け込んだね。注文したら翌日届いてびっくりして、さらに古い冷蔵庫をどかした後の床が汚くて悶絶!! でも、テレビ→洗濯機→ファンヒーター→冷蔵庫 と、この2年ほどで買い換えたので、もう大丈夫でしょう。大丈夫だと言ってくれ。
 まあこんな調子ですが、今年もよろしくお願いします。

9月!

2014-09-08 15:10:46 | 子育て
 いつも行っているお店の人に、「ことしもあと3カ月ねー」と言われてびっくりした。いつの間に9月。どういうわけか9月。私は特にこれという変化もなく、仕事して帰ってきてちびぞうの相手をして、今寝たばっかりのはずなのにもう朝かよ! という毎日を繰り返しております。
 この時期、毎年「早いなー」と言っている気がするけど、どの年も生活自体はそんなに変わっていないのだ。ちびぞうは4年生になったけど、ことしも安定の悪さ(-_-;)似たようなタイプの友達と一緒になってあれこれやらかし、口が達者なので、先生ともしょっちゅうやり合っているらしい。彼が落ち着くのはいつのことか。
 そんなちびぞうが、とにかく夢中なのが野球。冬からチームに入って、すっかり野球選手気分である(選手であることは間違いないか)。練習だ合宿だと忙しく、夏休みには大会で表彰され、現在最高に調子に乗っている。「井の中の蛙大海を知らず」という言葉を彼に捧げたい。
 自分がやるだけでなく、ことしのちびぞうは野球を中心に毎日が回っている。去年までまったく関心がなかった高校野球を県大会から必死で見て、球場にも行った。暑くて干物になるかと思いました(-_-;)甲子園にも行ったし、連日高校野球中継を見て、「熱闘甲子園」もチェックして、それだけでなく、プロ野球も見に行った。…どれだけ野球に関われば満足するんだ(ノ#`皿´)ノ~┻━┻まー野球だけじゃなくて、プロレスもちょくちょく行ったけどね┐(  ̄ー ̄)┌ 野球とプロレスが好きって、おまえは昭和の子供か。
 そんなこんなで、気がつけば9月。ことしも無事に乗り切りたいです。

その季節がやってきた

2014-07-09 14:48:08 | 子育て
 ちびぞう10歳、最近、新しい扉を開けつつあるようだ。その扉の名前は、「反抗期」である。
 学校の先生に、「最近、口ごたえすることが多い」と言われたのが2年生のとき。「ちびぞうさんは、学年でも『特に活発なお子さん』です」と、かなーり意訳して伝えられたのが3年生のとき(要するに、「学年で突出してやらかしている」と言いたかった模様)。4年生になったことしは、先生と子どもだけの面談で「もう少し怒られないようにしてください」と注意され、「できるわけねーし」と答えたらしい。最悪だ。
 そしてこの夏、学校だけでなく家にもやってきたね、反抗期が。
 とにかく、私が注意したことに対してなんでもかんでも言い返してくる。言うこともまったくきかない(…のは、今に始まったことじゃないけど)。
 例えば、ちびぞうはテレビを見るとき、やたら画面に近づいて身を乗り出して見る。「後ろに下がりなさい」「身を乗り出すのをやめなさい」と何度言っても、一瞬下がるだけですぐ元に戻る。その繰り返しに腹が立ったので、見ていたテレビを突然消してやった。
 そうしたら、「見てるのに、なんでテレビ消すんだよ!」と怒り始めたわけです。

 私「後ろに下がって、身を乗り出すなって言ってるでしょ」
 ちびぞう「だからって、急に消すことないだろ」
 私「後ろに下がって見てたら、消されることもなかったでしょ」
 ち「でも消すことないだろ!」
 私「注意しても直らないのに、消す以外にどうすればいいの?」
 ち「でも消すことないだろ!」
 私「消されたくないなら、消さなくても後ろに下がって見るようになる方法を教えてください」
 ち「消すことないだろ!」
 私「同じことばっかり言ってないで、質問したことにちゃんと答えてください」
 ち「もういいよ! 消せばいいだろ!」←と言って大声で泣き出す

 こんな調子で、連日何かと反抗してきて口論になり、勝てなくて泣く、ということを繰り返している。同じことばかり繰り返して言うのは、たぶん反抗したい気持ちについていけるだけの言語力がないからだ。いやいや、気持ちについていけるだけの言語力があったとしても、母はむかーしから一つのことをねちねち追及するとか、淡々と嫌味っぽくものごとを問い詰めるとか、ものすごく得意なのよ。そんな私に勝とうなんてまだまだ早い。
 ちびぞうは泣き始めると、いつまでも「消せばいいだろ、もういいよ!」みたいな内容をわめきながら、しばらくギャーギャー泣き続ける。なのでそのまま放っておく。ひとしきり泣きわめいた後はすねて小声で悪態をつく。それなのに、しばらくすると「ママだっこ」とか言って甘えてくる。
 これも、大人になる一つの過程だ。それは分かっているけど、これから先はたいした実力もないくせにどんどん生意気になり、さらに本気で親を怒らせることを選んで言うようになり、「だっこ」みたいにかわいいことも言わなくなるわけでしょ? …まあ、中学生になっても「ママだっこ」とか言ってる方がいろいろ心配だが(-_-;)
 ともあれ、そういう生意気になったちびぞうの姿を想像して、母は今から腹を立てているのである。でも、簡単には負けないぞ! 地獄の果てまでこてんぱんに言い負かしてやるぞ!

戻らないものもたくさんある

2014-06-17 15:11:53 | 子育て
 ちびぞうが10歳になった。子供を育ててとうとう10年過ぎたか。赤ちゃんから最初の5年ぐらいは猛烈に長かったよなあ。ちびぞうも今は話が通じるし、留守番もするし、一人で電車に乗ってきて待ち合わせもできるし、「タイマーが鳴ったらガス止めて」程度の手伝いもできるし…。隔世の感がありますな。
 ちびぞうの成長とともに、私にもいろいろあった。いろいろあったなかで、今もやっぱり思うのは「仕事と子供と両方を100%で手に入れるのは無理」だということだ。
 育休明けで復帰したとき、先を行く女性の先輩からは「仕事と子供を合わせて100%になればいい」とか、「子供がいることで仕事への取り組みも変わる」とかいう趣旨のことをよく言われた。そういう考えもありだと思う。ただ、ここまでの年月を振り返ってみると、私にはそうではなかった。
 ちびぞうが赤ちゃんだったころに比べたら今は格段に働けているし、自分のやりたい仕事も、そもそも社会人になったときの方向とは違ってはいるけどおおむねできている。それでもやっぱり思う。一度手放してしまったものは二度と手元には戻らないし、手放したものの穴は、ほかのどんなに貴重なものでも、穴埋めできることはないのだ。
 「子供と仕事で合わせて100%」という言葉に救われた気がした時期もあった。でも実際には、子供と仕事は互いにまったく違う時代の通貨のようなもので、価値を比べることも合わせることもできない。どっちの通貨に価値があると思うのかは、人によって違うだろう。ただ、片方の通貨をどんなにたくさん集めたとしても、それによってもう一方の通貨の価値をしのぐことは、絶対にない。
 私もずいぶん大人になったので、昔みたいに失ったものばかりを数えたりしない。でもそれは、長い時間をかけて自分と折り合えたからだ。とはいえ、「折り合えた」だけで「納得」できたわけではない。私の人生は子供がいることでとても豊かになった。でも、その豊かさによって私が手放したものが相殺されることは、この先もないだろう。
 だからどうなんだという結論はない。たぶん私は、この先どんな変化があっても一生そう思って生きていくんだと思う。そういうところも全部含めて自分だ。そういうことなのだ。

何気なくさらっとかわす術

2014-05-22 15:09:59 | 子育て
 同じ部署の後輩に、「◯◯さんて、ご結婚されるんですか?」と質問された。
 ◯◯さんは違う部署の先輩で、私は仲がいい。年末に先輩と飲む機会があり、そのときに結婚すると聞いた。でも、先輩自身は結婚することを積極的に広めたくないと言っている。
 同じ部署の後輩は、その先輩とはほとんど接点がない。そして、会社の人のいろんな話をよくしている。彼女に言ったら、たぶんいろんな人に広まるだろうな。

 さあ、この場合どう答えるのがベストなのか!

 …どうにも思いつかなくて「どうなんだろうねー」と答えたら、「今やっている仕事、どうなるのかと思って」と返ってきた。でも、先輩がやっているその仕事は、結婚することにもその後輩にもまったく関係がない。結局また、「どうなんだろうねー」と答えてかなりむりやり終了した。
 こういう感じの事態になるのがいやなのもあって、ちびぞうの学校関係ではお母さんたちとほとんどお付き合いをしていない。それで安心してたけど、会社にも同じような状況があったとは。思えば、今まで会社でそういう話をする人と、あまり親しくしてなかったしなあ。そもそも、仲がいいといえる女性がほぼいない。社外にいる時間が長い仕事が多かったから、こういう状況になるのは初めてなんだよなあ。困る。どう対応したら全面的に丸く収まるのか、本当に分からない。
 そういう状況でそういうことを質問されたときに、感じ悪くなく、でも何気なくさらーっとかわすうまい方法とは、どんなものなのでしょうか。

元気ならいいじゃないか

2014-05-12 13:38:22 | 子育て
 ちびぞうの夢は「プロ野球選手」か「リニア中央新幹線の運転士」。その夢の一つを実現すべく、野球を始めた。
 両親とも土日もイレギュラーに仕事があり、さらに母は「そういうのって当番とかあるでしょ? そんなの絶対に絶対に絶対にできません」という確固たる信念を持っている人間である。しかし、その難題をクリアする野球チームをちびぞうが見つけてきた。自力で。すごい行動力、というか執念。
 最近、ちびぞうのチームも参加した大会が開かれた。
 ちびぞうは、コーチから「野球がうまいと言われている」らしい(ちびぞう談)。果たしてどんなもんかと思って見に行ったけど…。
 母も、仕事でいろんな野球の試合を見る機会があったけど…。
 低学年チームの大会ではあるけど…。

 これまで見てきた野球の概念を覆す、何か新しい競技を見ているような気持ちになった(-_-;)

 いやいや、メジャーの選手も高校球児も、最初はみんなこんなんだったはずだ。最初はみんな、試合中なのにボールの行方を見てなかったり、捕球する最後の最後に目を切って落としちゃったり、投球が自分のポイントに来るまで待った結果、見逃し三振したりしていたはずだ。たぶん。プロ野球を見ながら、なんだこのしょっぱいプレーは! とよく毒づいていたけど、あらためて確認した。プロ野球選手は超絶野球がうまい。野球で食べていけるって、とんでもないことだ。
 それとは対極にあるちびぞうの野球(的なもの)。がっくりしたものの、一方で思ったよ。
 本人が「得意である」と主張する野球で攻守に情けないプレーをしても、学年で突出した〝活発なお子さん〟でも、2時間ドラマばかり見て「これは殺人じゃなくて、過失致死だな」とかどうでもいい知識ばかりつけていても、プロレスラーの真似をした結果足を折っても、生意気で腹立しい口ばかりきいても、勉強が大嫌いでも、

 元気で成長してるなら、もうそれでいいじゃないか。

 …なんか、自分に言い聞かせてる風なのはいかがなものか。

人からの見えかた

2014-04-30 14:37:14 | 子育て
 美容院に行ったら、VERYを渡してくれた。ぱらぱらと見ていて、インタビュー記事で目が止まった。取材者が、インタビュー相手の女性タレントに「いい母に見られたいし」という発言をしていたからだ。
 通勤途中に見た別の雑誌の広告には、「素敵と言われるためにいくら出す?」みたいな見出しもあった。そういうのを見たら、なんか女性の大変さって、女性自身が作ってる面もあるのかもなあ、と思えた。
 「いい母に見られたい」って、そもそもいい母ってどんな母なんだろう。家事も育児も完璧で、おしゃれで活動的で、いつもにこにこしているお母さんか? 見たことない、そんな人。
 誰かから「素敵」って言われたら、そりゃうれしいけどさ。でも、自分が気に入って買ったものを素敵と言われるのと、そう言われそうだと思うものを最初から選ぶのでは、誉められたときのうれしさの度合いとか、種類が全然変わってくるんじゃないかな。
 というか、人からどう見られるかってそもそもそんなに重要? 人からどう見えようと、自分がこれでいいと思ったら、それでいいじゃん。
 人から「こう見られたい」と思った通りに見られるのって、それはそれで苦しくなったりしないんだろうか。思い通りに見られたら、その次に何があるんだろう。「こう見られたい」とか、人からどう見られているかを気にするのをやめたら、いろんなことが少し楽になるんじゃないだろうか。
 ちなみに、どちらも同じ出版社の雑誌だった。記事内容に、妙に納得。