今週平日は毎日青空の見えるいい日が続いているが週末はまた天気がよくないようだ。職場のそばの釜石では有名な醤油工場が解体されている。震災で被災したため工場を造り直すのだろう。重機4台が毎日コンクリートの建物を崩してもう9割ほどなくなってしまった。一時はその美味しい醤油がなくなってしまうのではないかと心配したが、従業員の熱意もあって再建されるようなのでとてもうれしい。これまでに味わったどの醤油よりも美味しい。特に三陸の魚を使った刺身にはここの醤油が一番美味い。その美味い三陸の魚をしばらくは安心して食べられるのか分からない。今回の原発事故後、メディアには多くの研究者が登場し、「安全」を説いていた。科学者が科学者であることをやめて東京電力や政府の立場を代弁するだけの存在になってしまった。しかし、原子力発電が日本へ導入されるころの科学者には今の科学者とは違った科学者がいた。理論物理学者で日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹氏にしても湯川氏とともに研究を進め弟子のノーベル物理学賞を受賞する益川敏英、小林誠を育てた坂田昌一氏などは情報の開示を原則として、それに不誠実な政府のあり方に明確な意思表明をしている。湯川氏は正力松太郎氏への不信感から原子力委員を辞任し、坂田昌一氏ややはりノーベル賞を受賞した朝永振一郎氏は日本学術会議原子核特別委員会委員長として政府の拙速な原子炉の導入に対して「民主」「自主」「公開」の平和利用三原則の前提を盛り込ませることに努力した。彼等には科学者の責任という自覚があった。しかし、一方には広島・長崎の原爆による被爆者の実態の医学的な研究結果を隠蔽する米国の意思に沿って日本に作られた放射能影響研究所や放射線医学総合研究所に関わる医学者たちは一貫して放射線被害を過小評価し続けることに加担して来た。それは核爆弾から核発電に変わっても同じであった。そうした医学者には湯川氏たちと異なり科学者としての社会的な責任の自覚はなく、医学の研究に専念することよりも政府委員や電力会社の顧問的な役割に就くことに熱心であった。従って今回の原発事故後のメディアでの発言もとても科学者などとは言えない非科学的な発言を場当たり的に発言し続けて来た。ただ現代でもごくわずかだが同じ医学者の中にも東京大学アイソトープ総合センターセンター長兼東京大学先端科学技術研究センター児玉龍彦教授のような科学者としての責任を自覚された医学者もおられる。当初から福島県の南相馬市の除染活動に関わって来られ、国会や政府のあり方を子供や妊婦を守る立場から批判されて来られた。釜石でも今月初め国立がん研究センターの方が「放射線の健康への影響」という題で講演をされたがほとんど福島県のアドバイザーと同じく結局は「安心」を説得しているだけの内容でしかない。政府や東電よりの研究者たちに共通するのは具体的なデータを示さないことだ。「プルトニウムは飲んでも安全」とか何の根拠も示さず「100マイクロシーベルト/hrを超さなければ健康に影響を及ぼさない」などと平気で言える人たちを普通の感覚であれば誰も信じないだろう。むしろ不信感を育てているだけである。科学者の世界ではとても相手にされる人たちではない。いわゆる原子力村の中だけで通用する人たちだ。日本の現代の不幸は社会の指導的立場に立つ人たちが社会的責任感を失ってしまっていることだ。子供たちの世代は容易にそうした姿を見抜いてしまう。世の大人の指導的地位に就く者がすべての分野で社会的責務を放棄してしまっている。言ってみれば多くの分野でリーダー不在の日本国になってしまった。そんな大人たちの社会を見れば子供たちは誰も目標とする大人を見出すことは出来ない。目標を失った子供たちが日本には溢れている。


今年も甲子川へやって来たキンクロハジロたち