goo blog サービス終了のお知らせ 

釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで17年6ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

科学者の社会的責任

2011-10-21 19:31:49 | 文化
今週平日は毎日青空の見えるいい日が続いているが週末はまた天気がよくないようだ。職場のそばの釜石では有名な醤油工場が解体されている。震災で被災したため工場を造り直すのだろう。重機4台が毎日コンクリートの建物を崩してもう9割ほどなくなってしまった。一時はその美味しい醤油がなくなってしまうのではないかと心配したが、従業員の熱意もあって再建されるようなのでとてもうれしい。これまでに味わったどの醤油よりも美味しい。特に三陸の魚を使った刺身にはここの醤油が一番美味い。その美味い三陸の魚をしばらくは安心して食べられるのか分からない。今回の原発事故後、メディアには多くの研究者が登場し、「安全」を説いていた。科学者が科学者であることをやめて東京電力や政府の立場を代弁するだけの存在になってしまった。しかし、原子力発電が日本へ導入されるころの科学者には今の科学者とは違った科学者がいた。理論物理学者で日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹氏にしても湯川氏とともに研究を進め弟子のノーベル物理学賞を受賞する益川敏英、小林誠を育てた坂田昌一氏などは情報の開示を原則として、それに不誠実な政府のあり方に明確な意思表明をしている。湯川氏は正力松太郎氏への不信感から原子力委員を辞任し、坂田昌一氏ややはりノーベル賞を受賞した朝永振一郎氏は日本学術会議原子核特別委員会委員長として政府の拙速な原子炉の導入に対して「民主」「自主」「公開」の平和利用三原則の前提を盛り込ませることに努力した。彼等には科学者の責任という自覚があった。しかし、一方には広島・長崎の原爆による被爆者の実態の医学的な研究結果を隠蔽する米国の意思に沿って日本に作られた放射能影響研究所や放射線医学総合研究所に関わる医学者たちは一貫して放射線被害を過小評価し続けることに加担して来た。それは核爆弾から核発電に変わっても同じであった。そうした医学者には湯川氏たちと異なり科学者としての社会的な責任の自覚はなく、医学の研究に専念することよりも政府委員や電力会社の顧問的な役割に就くことに熱心であった。従って今回の原発事故後のメディアでの発言もとても科学者などとは言えない非科学的な発言を場当たり的に発言し続けて来た。ただ現代でもごくわずかだが同じ医学者の中にも東京大学アイソトープ総合センターセンター長兼東京大学先端科学技術研究センター児玉龍彦教授のような科学者としての責任を自覚された医学者もおられる。当初から福島県の南相馬市の除染活動に関わって来られ、国会や政府のあり方を子供や妊婦を守る立場から批判されて来られた。釜石でも今月初め国立がん研究センターの方が「放射線の健康への影響」という題で講演をされたがほとんど福島県のアドバイザーと同じく結局は「安心」を説得しているだけの内容でしかない。政府や東電よりの研究者たちに共通するのは具体的なデータを示さないことだ。「プルトニウムは飲んでも安全」とか何の根拠も示さず「100マイクロシーベルト/hrを超さなければ健康に影響を及ぼさない」などと平気で言える人たちを普通の感覚であれば誰も信じないだろう。むしろ不信感を育てているだけである。科学者の世界ではとても相手にされる人たちではない。いわゆる原子力村の中だけで通用する人たちだ。日本の現代の不幸は社会の指導的立場に立つ人たちが社会的責任感を失ってしまっていることだ。子供たちの世代は容易にそうした姿を見抜いてしまう。世の大人の指導的地位に就く者がすべての分野で社会的責務を放棄してしまっている。言ってみれば多くの分野でリーダー不在の日本国になってしまった。そんな大人たちの社会を見れば子供たちは誰も目標とする大人を見出すことは出来ない。目標を失った子供たちが日本には溢れている。
今年も甲子川へやって来たキンクロハジロたち

メディアのほころび

2011-10-20 19:38:53 | 文化
震災から7ヶ月を過ぎているが職場の建物の大型ボイラーはまだ修理が終わっていない。冬を控えて来月初めの稼働を目指して修理が進められている。監督署ではほんとうに使えるのか疑問視しているようだ。何しろ塩水に浸かっているのだ。熱く炊かれた釜がまともに海水で急冷されたので素材そのものがだめになったのではと疑われている。それだけ稼働前の検査も厳しくなるようだ。こんなボイラーでも現場では厳しく検査を受ける。原発は事故原因すら確定していないのに再稼働が進められようとしている。各電力会社は計画・建設中の原発12基の内7基を計画通り推進予定だ。釜石へ来て初めて秋刀魚の美味しさを知ったが、今年は福島第一原発から海に流された放射性物質が気になって食べることを控えていた。自分だけであればとっくに食べていただろうが、娘がいるので自分だけというのも気が引けて食べないでいた。いろいろ批判もあるグリーンピースだが、そのグリーンピースが東北から関東の計17店の5社の大手スーパーから購入した魚介類60点を調べた結果を発表した。茨城産のワカサギ、岩手・千葉・北海道産のブリ、宮城県産のカツオ、千葉県産のマイワシなどからは多くはないがセシウムが検出されているが、岩手県・宮城県産の秋刀魚からはいずれも検出されていない。秋刀魚は北から南下して来るため影響が今は出ていないのかも知れない。秋刀魚は今が旬なので今のうちに食べておいた方がいいのかも知れない。メディアがまた人の言葉の揚げ足をとって「バカな」批判をしている。福島県二本松市で平野達男震災復興担当相が東日本大震災の津波被害に関し「私の高校の同級生みたいに逃げなかったバカなやつがいる。彼は亡くなったが、しょうがない」と発言したことに対してだ。これなどは親しい友人を失った悔しさを込めた言葉であるに過ぎない。「死の街」も同じだ。メディアの浅薄な言葉狩りにはほとほと呆れる。人の言葉を表層的にしか受け取れないような人たちが言葉を使った仕事に就いていることに愕然とする。その一方で大事な放射性物質の拡散の実態や、東京電力の責任についてはほとんど追及する姿勢を見せない。メディアの本来の機能を忘れ去っているとしか思えない。平野達男震災復興担当相の発言が被災者の気持ちを踏みにじる、と言った論調で各紙が書き立てているが、踏みにじっているのはもっと大事な被災者への支援の実態や被曝の現実を書かないで、発言者の真意もろくに汲み取らずに言葉狩りに明け暮れるメディアの方だろう。藤村官房長官まで平野達男震災復興担当相に「言葉を慎重に選んでほしい」と電話で注意したという。まったく呆れてしまう。国民新党の亀井静香代表は定例会見に出席していた記者たちに「そういう報道をするマスコミはバカのひと言につきる。低俗な連中の集まりだ」と声を荒げ、「あなた方の心ない報道が日本人の心をドンドン裂いてゆく。反省せなダメだな」と釘を刺した。これがほんとうの政治家のとる態度だろう。確たる証拠に基づかないまま小沢一郎元民主党代表の3人の秘書に有罪判決が下された件でもメディアの報道には呆れてしまった。証拠もなく有罪とした裁判のあり方を問題とすることがメディアの務めであるはずだ。今のメディアは単に低俗であるだけでなく、メディアとしての機能を完全に放棄してしまっている。もう20年以上前からメディアの記者クラブ制度が批判されていた。本来親睦会的な集まりであったはずの記者クラブは各官庁などに一室をただで借り受けて行政と癒着することで各社同じような内容になり、行政の一方的な情報をただ垂れ流すだけの機関となってしまっている。さらに悪いことに外国の報道機関や国内のフリーの報道陣を閉め出して情報を独占したり、情報の自己規制を行ったりしている。「報道の自由」も都合のいい「印籠」の役割でしかない。日本の「ほころび」を糾すべきメディア自らがほころびてしまっている。
周辺の山にも色付きが見られ始めた

日本の農業や漁業は守れるのか

2011-10-19 19:35:14 | 文化
都会の喧騒地と違って釜石は海も山も目の前にあり、人の住むすぐそばまで山の動物たちが顔を見せる静かな街だ。こうした東北にはこうした釜石のような街がたくさんある。農業や漁業で暮らす人たちが他地方に比べて圧倒的に多い。狭い国土の日本の中で貴重な地域だ。日本の平均耕作面積が1.9haに対して米国は200haあり、オーストラリアは3000haもある。これだけの差がある中でどうやって日本の農業を守り切れるだろう。小手先だけの農業支援ではとても守り切れるものではない。漁業も今回の津波と原発事故で大打撃を受けた。三陸の大漁場が大きな被害を受けた。企業主体の国家運営の中でどれほどの政治家や官僚が真剣にそうした農漁業の再興を考えているだろう。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への何らの具体案も表明しないままただ参加のみを急ぐ政府を見ていると大いに疑問である。関税が撤廃されれば米国やオーストラリアの農産物はあっという間に国内市場を席巻してしまうだろう。カルフォルニア米など1俵がわずか3000円だという。確かに消費者にとって物は何でも安いにこしたことはない。しかし、日本の食文化というものを考えるときただ工業製品のように価格だけを考えればいいというものではないはずだ。ヨーロッパと米国では農業に対する考えが違っていて、ヨーロッパでは国が農業を守るために様々の支援をしている。しかし米国は広い国土を使って機械化によりまるで工業製品のように農産物を作出している。遺伝子組み換えにも積極的だ。ある意味では大地を利用した工業生産と言ってもいいくらいである。同じ米でも味への微妙なこだわりなど無視してしまっている。大量に産出さえできればそれでいいのだ。農産物から加工品を作るのであればそれでもいいのだろうが、米そのものを主食とする場合には味が問題になってくる。仮にその味が日本と同様のものが作れるとしても、それがかえって日本の農業を完全に崩壊させてしまうだろう。政治家も官僚も今や日本人に関心はなく、米国にのみ関心がある。いかに米国に気に入られるかが問題なのだ。敗戦後産業基盤の弱かった時期には官僚も政治家もともに国内産業を守ることに全力を挙げたが、産業が生育し、国際競争力も付いて来ると次第に自信過剰になり、それとともに一次産業を軽視するようになった。それでなくとも日本の農業や漁業は時代とともに衰退の一途を辿って来た。ここに来てTPPという「自由貿易」が行われるようになればもはや立ち直れないほどの影響が出るだろう。「安全神話」で押し進められた原子力発電が実際には決して安全ではなかったことが明らかになった時にはもう手遅れであったように、TPPへの参加後に価格の安い農産物が市場を埋め尽くした時にはもう後戻りができない。放射性物質で汚染された田畑が簡単に回復出来ないのと同じく、安い農産物で廃業に追い込まれた農家の持つ田畑は荒廃するしかない。離農した農家の田畑を買い集めて多少規模を拡大してもとても米・豪の耕作地の広さにはかなわない。漁業にしても事情はさほど変わらない。種類は違っても安い魚が入って来れば消費者は安い物を買う。増税を口にするような今の政府の無策を考えればデフレからの脱却などとても無理な話なので、経済の低迷は今後も続いて行くだろう。そうすれば給料の上がらない消費者はなおのこと安いものに向かう。大きな輸出産業を抱える経済界はTPP加入によって輸入が促進されれば円安に少しでも向かうので、当然TPP参加に積極的だ。自分たちの産業の競争力にも自信があるのだろう。しかし現在の日本の産業など10年か20年もすれば簡単に中国やインドに駆逐されてしまうだろう。中国には今や自動車会社が国内に500社もある。日本の自動車産業が育った年数よりはるかに早く輸出産業に育って行くだろう。中国のインターネット世帯は5億になっている。4億はブロードバンドだ。そしてその中国はTPPへは参加していない。日本の指導者たちはまるでわざと日本を疲弊させようとしているかのように見える。
甲子川の夕焼け

大型犬たち

2011-10-18 19:21:46 | 文化
今朝の空には秋の筋雲が流れていたが、面白いことに雲の高さが二段に別れていてそれぞれ流れる方向が違っていた。高い雲は北東方向へ、低い雲は東南東へ流れていた。上空で気流が異なっていたのだろう。その筋雲の下で今朝あらためて我が家の二匹の大型犬の顔をよく見てみると二歳年下のベルギー・シェパード(ベルジアン・タービュレン)の方が顔の白髪が多かった。年上のジャーマン・シェパードは黒々とした毛が覆っていて口の回りだけに白髪が見える。ただ動きはさすがに年下のベルギー・シェパードの方が敏捷で歳をとったという様子を見せない。犬や猫も人と同じくそれぞれ個性を持っている。我が家のジャーマン・シェパードは訓練用のそれなりに優秀な親犬たちの子供で、生育の過程で訓練所にも預けて訓練も施した。訓練用の犬はまず生後まもなくその犬の動きで選ばれる。好奇心が旺盛で、動きの活発な犬がだいたい選択される。以前北海道に住んだばかりの時に飼ったジャーマン・シェパードは後に北海道チャンピオンになったが、親犬たちは決して優秀な犬たちと言うわけではなかった。しかし、この犬には確かに風格があった。警察犬として登録もしていたので警察からの出動要請があって何度かこの犬を連れて現場の捜索を手伝ったこともある。優秀な犬は犬が勝手に動いてくれる。攻撃訓練でもかなりの迫力があった。今我が家にいるジャーマン・シェパードは頭はむろんいいが性格がちょっと優しい。その分迫力に欠けるところがある。他人から見ればそれでもそれなりに迫力を感じるのだが。一方ベルギー・シェパードの方はこれも頭はいいが犬種的にナイーブなところがあって訓練犬向きではないように思う。ベルギーでは牧羊犬として昔から狼対策で飼われて来た犬種だ。ともかく走るのは極めて早い。ジャーマン・シェパードと異なり腰高だが走る姿はチーターやレパードのように頭を低くしてかなりの早さで走る。家の回りなどそれこそあっと言う間に一回りしてしまう。ジャーマン・シェパードは年上でもあるがとても走りではこのベルギー・シェパードにはかなわない。ジャーマン・シェパードは好奇心旺盛で臭いの嗅ぎ分けも鋭いが、頭もいいためこちらの顔色をしっかり見抜くので油断ができないところがある。庭で伏せをさせてそのまま「待て」と言って待てをかけておくとずっとそのまま居続けることができる一方で、餌をやる時に指1本を立てて座れの合図をして餌入れの皿を置くと、こちらがいい加減な様子を見せていると、もう、少し腰を浮かせてすぐにでも餌に近づこうとする気配を見せる。むしろベルギー・シェパードの方がその点では生真面目だ。ベルギー・シェパードは甘えん坊で隙をみせるとすぐに体をすりよせて来る。犬は家の中で誰が主かすぐに見分けると言われるが、それは見ていても確かにそうなのかもしれないと思う。他の家族だとやはり甘く見られていることがよく分かる。やってはいけないことをやった時にこちらが強い調子で叱ると図体の大きいシェパードがほんとうに身を縮めるのが分かる。たいていはしかし目に付いた時にちょっとした合図をすると止めてくれる。今は大阪へ行った小型犬二匹も一緒にいた頃小型犬たちには家人がいくつかの芸を教えていた。特にホワイト・テリアは結構高度な芸ができた。その流れで家人は大型犬たちにも何か芸を教えようとしたことがあったが、これは勘弁してもらった。それなりに覚えるだろうが体が大きい分、逆に様にならない気がした。大型犬たちは普通にいたずらをしないでいてくれればいいと思っている。最近ジャーマン・シェパードは歳のせいで耳が聞こえにくくなっているのか、ずるさのせいなのか呼んでもすぐに反応しないことがあるようになった。ちゃんとこちらを見ている時にもそんなことがあるので歳のせいだろうとは思うのだが。犬は好きだが、特別可愛がり過ぎることもない。何事も過剰になればかえって犬のためにはならないだろうと思う。ただ家族の一員であることは間違いない。犬たちにとっても人は大切な存在だろう。それを思うと主のいなくなった福島の犬たちは被曝をした上、ろくな餌もなくさまよっている姿が哀れだ。
仮設住宅のある公園にも秋が深まって来た

東北の一次産業は・・・

2011-10-17 19:16:28 | 文化
今朝早く娘を釜石駅まで送って行った。朝焼けの雲が出ていて予想通り今日は曇天になった。周囲の山ではよく見ると色付きはじめた木が見えるようになった。奥日光の中禅寺湖でもカエデやミズナラが鮮やかな赤や黄色の葉を見せ始めたようだ。今月末から来月始めにかけて釜石近辺の山々も見事な紅葉を見せてくれるようになるだろう。落葉樹が多い東北は秋には目も楽しませてくれる。北海道も落葉樹は多いが赤が少ない。特に道東の知床方向はほとんど黄色で赤はまず見かけない。やはり秋の紅葉は赤が入ることで引き立つ。日光地域で月輪熊の生態調査を行っている茨城県自然博物館と東京農工大学は日光市足尾町内で捕獲した熊から基準値(500ベクレル/Kg)を超える677ベクレルの放射性セシウムを検出している。クマの行動範囲は400平方Kmにもなり、植物の新葉や花、果実、アリやハチなどの食べ物から取り込んだもののようだ。また東京海洋大学の研究グループは東京電力福島第一原子力発電所から流出した放射性物質の影響を調査し、いわき市沿岸3Km付近で採取した 動物性プランクトンを分析した結果、放射性セシウムが669ベクレル/Kgの高い濃度を検出している。IAEAの発表している放射性セシウムの濃縮係数は動物性プランクトン40、植物性プランクトン20、イカ・タコ9、海藻類・エビ・カニ50、貝類60、魚100としており、魚は小魚と大魚で分けていない。陸上動物も海の生物もこれから時間が経って来るとますます濃縮が進んで行くだろう。今月14日東京電力は福島第一原発1号機の原子炉建屋内部をロボットを使って調査したところ4700mSv/hrという高放射線量を検出した。6月が4000mSv/hrで、8月が5000mSv/hrであった。東京電力も政府も事故が収束に向かっていることを印象づけようとして来たが、メルトダウンからメルトスルーまで至った原子炉内にはすでに核燃料はない。へたをするとコンクリートの底部を突抜け土中へ埋まり込んでいる可能性がある。いずれにしろすでに核燃料の失われた原子炉内の温度を測定しても決して安心できる材料にはならない。むしろ事態は深刻だろう。メルトスルーした核燃料をどうやって回収するのか。人類の未経験の事態だ。燃料棒の形態はすでに崩れていて溶けた塊になったものを回収する方法などどの国も経験したことがない。除染も首都圏でも次々にホットスポットが見つかっていながらほとんど手が付けられていない。汚染された丹沢山系や奥多摩、群馬などは首都圏の重要な水源地でもある。政府は簡単に2年で除染できるようなことを計画しているがチェルノブイリ事故後の汚染処理はヨーロッパにおいて25年経った現在でも終わっていない。山林などの除染は不可能であり、そこから流れ出る水や風は常に平地に汚染を流し続けるだろう。汚染された田畑の回復はある意味宅地以上に困難だろう。昨日京都の円山公園で開かれた脱原発を訴える集会で89歳になる作家の瀬戸内寂聴さんが「子どもたちに安心な日本を残して死ななきゃ申し訳ない」と訴えておられる。瀬戸内寂聴さんは 1973年に岩手県の平泉中尊寺で得度され、1987年に同じく岩手県の二戸市にある天台寺の住職をされた。現在も同寺の名誉住職をされておられる。天台宗という宗派には珍しく社会的な発言も活発にされておられる。米の一大生産地である東北が汚染された中で農林水産省は2012年度概算要求で原則45歳未満の新規就農者を対象として年間150万円の給付金を交付する内容を盛り込んでいる。東北の農業がダメージを受けた中で離農者が増える可能性があり、それを新規就農者で補う意図があるのかも知れない。疲弊して行く日本の農業を少しでも支えて行こうとすることは納得出来るが、一方で、国を挙げてTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加を押し進める姿には承服しかねる。同じアジアの韓国や中国、インドも参加していないばかりか、協定の24項目の内容すら明らかにされていない。FTA(自由貿易協定)とは異なり貿易関税についてはいっさいの例外品目が認められず、TPP参加によって日本の農業は壊滅する可能性がある。米国の都合が最優先された協定であり、内容の検討の前に何をおいてもまずは参加と言う熟慮のなさに危うさを感じる。
秋の深まりとともに菊の花を見ることも多くなった

たかが写真なのだが

2011-10-16 19:34:46 | 文化
昼前から雨が上がり午後からは青空が広がって来た。青空が見えてくると気温も上がって少しもったいないのでカメラを持って近所を歩くことにした。釜石の個人の家にはよく花が植えられている。そうした花たちを時々撮らせてもらっている。時には家の人から声をかけられることもある。しかし、今日はむしろちょっと不審がられたようで、何のカメラですか、と訊かれた。時々こうして近所を回って花の写真を撮らせてもらっていることを話すと納得してくれたようだ。今釜石は震災以来様々な人たちが外からやって来るので小さな事件も起きているのだろう。人の家の庭先の花を撮るには大きいレンズの望遠を効かせたものを使うので余計に怪しまれるのかも知れない。単なる風景だとそれほど大きくなくともいいが、庭先の花は中まで入るわけにはいかないので少し離れたところから撮らざるを得ない。そうするとどうしても300mm以上の望遠レンズを使うことになる。誰が見ても望遠レンズだと分かるだろう。望遠だとは思わなくとも何か特殊なレンズという雰囲気は分かる。そんな物で何を撮るのか怪しむのも無理はない。自分の家の庭か空き地に咲く花だと50mmか100mmのマクロレンズという花に近接できるレンズを使う。これだと大きさもずっと小さい。通常レンズに接写リングという部品を付けても近接撮影をすることができる。近接撮影をすると人の目で見たものとは異なった世界が映し出される。カメラというかレンズ特有の世界だ。そこはもうまったく別次元の世界になり、そこにまた魅力が出て来る。よく言われる「バカチョンカメラ」でもマクロ撮影、近接撮影機能が付いているがそこはやはり一眼レフカメラというレンズ交換が可能なカメラとは異なって、写りが違って来る。「バカチョンカメラ」だと近接して撮った花以外の部分のボケ方がまったく違う。ボケが弱く、そのため写った花が際立ちにくい。最近の優秀な「バカチョンカメラ」はそれでもそのボケをデジタル処理で作り出してくれたりする。カメラはデジタルになってからほんとうに進化が早い。同じ一眼レフカメラであっても当初はファインダーというカメラの覗き窓にレンズから入った影像を写し出すためにカメラの中に鏡、ミラーが挿入されていて、そのミラーの部分があるためカメラ全体が大きくなっていたが、最近はそのミラーをなくしてカメラボディを小さくした一眼レフカメラが各社から出されている。ミラーレスカメラだ。このカメラはボディの厚みがないので古いレンズも装着しやすく、ミラーレス一眼カメラの登場でたくさんの古いレンズが使えるようになった。古いレンズにも優秀なレンズはたくさんあり、個性もあるため非常に人気が高くなっている。しかも現代のレンズよりずっと安い。ただ古いレンズはピントを手動で合わせなければならない。最初は面倒に思えるがやってみると結構簡単でしかも写真撮影の基本を教えてくれる。写真に興味が少し出たらばかえって手動のピント合わせをやった方がいいのかも知れない。明日から娘は1週間ほど米国に行くが、その娘も3月の震災以来釜石の被災地や被災者をカメラで撮り続けている。主にミラーレスカメラを使って。今日もNPOの活動の一環で釜石まつりの写真を撮りに朝早くから出かけて行った。もともと少しはカメラに興味があったが、釜石へ来てからずいぶんカメラのことを覚えた。先日も東京から来た女性プロカメラマンと2日ほど行動をともにしてさらにいろいろ教わったようだ。今度東京でそのカメラマンの方が個展を開く時に招待してもらえることになったと喜んでいた。この方はポルトガルに5年以上住んでポルトガルの人たちや風景を撮っておられた。娘も私同様別にプロカメラマンになろうという気はないが、せっかくのチャンスだから教われる時には何でも教わっておきたいと考えているようだ。ただプロとは違って被災者の辛く、悲しい場面などはとてもカメラを向けられないと言っていた。素人でいる限りはそれでいいと思う。カメラはあくまで道具であり、その道具を使って何をするかは自分が決めればいいのだ。いつカメラを使うのかを判断することも大事なことだ。趣味でカメラをやっている限りはやはり越えてはいけないこともあると思う。娘もそのあたりは分かっているようだ。
夕暮れの光

ケインズと坂本龍馬

2011-10-15 19:18:10 | 文化
今日と明日が釜石の本祭りだが残念ながら今日は天候がすぐれない。秋祭りだから晴天であってくれればよかったのだが。かなりもう遅過ぎるのだが釜石でもようやく小学校や瓦礫の集積所で放射線量の測定が始まった。時間とともに雨や風で流されて特定の位置に高濃度に検出される、いわゆるホットスポットがあるだろうと思う。セシウムはしかしなかなか除染がしずらいようだ。ある程度の除染の専門家がやらなければ容易には除染できない。セシウムは高圧洗浄してもこびりついていてあまり線量が下がらない。神戸大学大学院の山内知也教授の福島市渡利地区の除染でそのことを報告している。米も結局何の対策もとられないうちに収穫の時期になってしまって、福島県知事は早々と県下の米の安全宣言をやってしまった。その宣言によってむしろ県下の農業関係者は困ってしまった。放射線量を測定して安全なものだけを出荷しています、と他県に言っていたところへいきなり県下のすべての米が安全ですと宣言されてしまったのだ。これでは逆に不信感を招いてしまう。福島県や国の「安全」はしかしとっくに信用されてはいないのだが。北海道と九州の「やらせ」問題も第三者委員会の調査結果が無視され、相変わらず道や県の必要な一定の緊張関係が損なわれたままになっている。行政や電力会社は信頼を失い続けている。それで再稼働が可能だと言えるのだろうか。日本はこの20年近く経済が低迷しデフレが続いている。世界的にも経済は決してよくない。新自由主義の席巻で世界中が弱体化した。格差が蔓延してしまった。米国からヨーロッパに広がった反格差のデモは今やオーストラリアや台湾にも広がっている。日本同様財政難に陥ったヨーロッパ諸国は緊縮財政をとっている。そしてその緊縮財政がさらに経済の悪化を招く、悪循環を生じている。規制の撤廃という新自由主義の亡霊がさまよい、硬直した緊縮財政と、中央銀行のやはり硬直した体質が国の経済を崩壊させている。75年ほど前に『雇用・利子および貨幣の一般理論』を世に出したジョン・メイナード・ケインズは大恐慌に見舞われた米国の救世主であった。しかし、その後米国は経済が持ち直すに従いケインズの恩恵を忘れ、国内の生産業を崩壊させ、新自由主義の規制緩和と金融商品の創出で所得格差を増大させ、中産階級を崩壊させてしまった。対米従属しか頭にない日本の政治家や官僚たちはたちまち米国の後を追って、もともと低迷しかけていた日本経済をさらに悪化させてしまった。シカゴ学派と呼ばれる新自由主義の流れは今も日本で健在であり、緊縮財政の維持と増税を打ち出している。規制緩和もしかしご都合主義で電力の規制緩和だけはほとんど手が付けられていない。2003年4月16日政府の関税・外国為替等審議会で「日本の政府はデフレ克服策として政府紙幣を増刷すべき」と提唱した人がいた。2001年のノーベル経済学賞受賞者の米国コロンビア大学のジョセフ・E・スティグリッツ教授である。ここに言う政府紙幣は日本銀行券とは異なる。日本銀行が発行する紙幣は日本銀行にとっての負債になる。しかし政府紙幣は製造コストを引いた残りが造幣益として計上される。法的にまったく異なる。政府紙幣は印刷代を除けば政府にとってすべてが増益となる。実際日本では慶応3年に坂本龍馬らによって基本方針が定められ翌年から政府紙幣である太政官札が発行された。この政府紙幣によって明治新政府は富国強兵策を講じることが可能となった。財政規律に固執する財務省は財政破綻を強調し、財政支出を減らし、増税をもくろむ。日本銀行はデフレの現実に目をつぶりインフレを極度に恐れて市中に出回る貨幣量を増やそうとしない。75年まえにケインズの考えで米国が立ち直ったように現在の日本は財政出動により経済を刺激し、市中の貨幣量を増やしてインフレ傾向へ導かなければ現在の低迷状態から抜け出すことはできない。にもかかわらず、むしろ財務省や日本銀行は逆をやろうとしている。特に増税など今やればそれでなくとも落ち込んでいる需要をさらに急落させてしまうだろう。税収はむしろ減少して行くだろう。スティグリッツ教授のいう政府紙幣の発行は明治の経験をみならっても一考に値するものだと思われる。よく「円」への信任が失われるという批判があるが、信任を維持できるかどうかは発行そのものとは関係なく、いかに発行するかによるだろう。財政破綻も財務省による演出の可能性も強い。いずれにしろ民間の投資が縮小している現在政府の積極財政しか今の日本の経済を立て直すことはできない。
音立てるせせらぎ

・・・末の松山波越さじとは

2011-10-14 19:24:08 | 文化
岩手も10月の中旬になって来ると木の葉が少しづつ色付いて来る。内陸は沿岸部よりそれがさらに早い。釜石では今日から「釜石まつり」が始まる。初日の今日は 尾崎神社の宵宮祭 がある。そして明日は「曳船まつり」で、その尾崎神社から神輿が運ばれ海を船に乗せて渡り本来の神社のあったと思われる尾崎半島の奥院へ祀られる。明後日、再び逆に運ばれ神輿が戻される。明日、明後日は市街地でも虎舞や神楽が披露される。尾崎神社の祭神は日本武尊、綿津見神、閉伊三郎源頼基となっている。尾崎半島はもとは大船渡市の尾崎岬にある尾崎神社ともども「御崎」であったろうと思われる。祭神も綿津見神という海の神が最も古いのだと思われる。縄文時代から海の神を祀る場所だったのだろう。震災後でもあるため今年の祭りは議論もあったようだが、今後の復興を祈る意味で決行されることになったのだろう。神輿が渡る海には多くの人たちが眠っている。今回の震災では釜石の北に位置する大槌町の大半が被災し、被害の割合は釜石以上だった。釜石へ来て最初に仕事上で対立して口論した相手の方とその後親しくなった。よくあることだが。その方が大槌町出身で、大槌の美味い寿司屋を紹介して下さった。地元の方が推奨されるのだから並のものではないのだろうと家人と一緒に出かけたが、確かに上手い寿司を食べさせてくれた。そこには宮様の写真が飾られてあり、お聞きするとお忍びでよく来られるとのこと。今回の津波でこの店も流されてしまった。店主の方の無事を祈りたい。東京には今回の震災後に宮城県や福島県の被災者の方たちが多く避難したが、そこを先の宮様が慰問された。案内にあたった作家の副知事は後拾遺和歌集に載る「契(ちぎ)りきな かたみに袖を しぼりつつ 末(すゑ)の松山 波越さじとは」という清原元輔の歌を引いた。すると宮様は即座に「津波は貞観時代ですね」と答えられたそうだ。貞観地震と津波は100年後の京都にも記憶として残っていた。宮城県多賀城市八幡の宝国寺裏山になる末松山にこの歌碑が建っている。海岸に近く川にも沿った位置にあってよく津波がこの小山を越えなかったものだと不思議に思えるほど現在は海が近い。たくさんの人が亡くなった貞観地震と津波の中でこの小山によって助かった人も多かったのだろう。芭蕉もここを訪れたそうだ。昨日静岡市で日本地震学会があった。そこで神戸大学石橋克彦名誉教授(地震学)は東海地震など南海トラフ沿いで想定されている巨大地震が「糸魚川-静岡構造線断層帯」と連動した地震になる可能性を指摘されている。長さ26Kmの富士川河口断層帯との連動はすでに想定されていたがさらに長い150Kmに及ぶ断層帯の連動となる。ユーラシアプレートの一部であるアムールプレートは日本列島の西側を年間で1cmづつ東へ移動させていたが今回の震災で東北日本が東へずれたことでアムールプレートの東進が加速された。そのためひずみが蓄積された可能性があり、連動地震が想定されるというものだ。ただアムールプレートの存在そのものを疑問視する研究者もいる。石橋克彦名誉教授はそれを承知の上で「起きてからでは遅い」と言われている。東京大学の島崎邦彦名誉教授も「過去の南海トラフの地震で(糸魚川-静岡構造線沿いに)被害が点々とあるのは事実」だと述べられている。多くの地震研究者が想定する東海・南海連動地震に糸魚川-静岡構造線断層帯が連動した地震を生じれば静岡県御前崎市にある浜岡原発は強震動と津波に襲われる可能性が強い。現在浜岡原発は運転を停止しているが、原発は停止していても崩壊熱を出し続けるため冷却を続けなければならない。地震と津波によってこの冷却装置に支障が起これば、運転停止中であっても福島第一原発と同様の事故に繋がる可能性は十分ある。電源だけの問題ではなく、配管の損傷であっても事故に繋がる。さらに南海トラフ沿いの地震の影響は愛媛県の佐田岬半島にある伊方原発や鹿児島県の薩摩川内市にある川内(せんだい)原発へも及ぶ可能性がある。先月浜岡原発は高さ18mの防潮堤の建設に着手したが、これも見せかけだけの建造物になる可能性がある。浜岡原発はその名前の通り浜岡砂丘に立地し、砂地に防潮堤が建てられようとしている。最初に起きる地震で地盤が液状化すれば防潮堤は簡単に倒れる。その後遅れて津波が襲えばまったく役には立たない。しかも浜岡原発の真下を通り、高知県の室戸岬に延びる長さ400Kmの巨大な活断層が存在する可能性が名古屋大学鈴木康弘教授(変動地形学)らによって指摘されている。地震活動期に入った日本列島で原発を徐々に減らして行くなどという猶予はない。即時に廃炉にしなければいずれ列島に致命的な災害が訪れるだろう。即時に廃炉にしても電力は十分供給出来る。
木々が色付き始めた

機能不全の日本

2011-10-13 19:26:23 | 文化
天候のいい日が続いているが朝晩は気温が下がるため風邪を引く人が増えている。来月からはもうインフルエンザの予防接種も始まる。寒かった震災時には春の暖かさが待ち遠しかった。暖房は配布された限られた石油ストーブしかなかった。春になるとあっと言う間に夏になり、気が付くともうまた冬が近づいている。最近の朝晩の冷気や秋の愁いが仮設住宅にいる人たちの気持ちも暗くしているようだ。密かに水面下で自殺が増えて来ている。釜石の被災地は旧商店街にあたり、震災前から人の足が遠のく状態だった。各商店は借り入れもしていた。そこへ津波が襲って来た。家や商店を失い、生活の目処が立たない上に借金だけが残された。日本独特の借り入れの際の保証人制度が今や自殺者の増加の原因となっている。狭い地方都市では保証人となった人たちに迷惑をかけたくない気持ちが保険金目当ての自殺に繋がっているようだ。今年度から5年間をかけた復旧・復興予算は19兆円となったが、単純に1年間に5兆円にも満たない。仮設住宅へ入ってからはどこからも経済的な支援はない。福島第一原発事故の家から避難させられた被害者ですら東電から100万円、政府から35万円しかいまのとこ補償されていない。日本は現在経済が低迷していわゆるデフレの「失われた20年」の状態になっている。現在1ドル77円の円高となっている。円高は輸出企業にとって海外との価格競争に不利となる。そこで政府は為替介入というドルを購入することで円を安くさせるよう操作している。これまでそうした操作を繰り返して来ている。それによって1000億ドルを超えるドルを保有している。さらにはそのドル購入のために15兆円もの枠を追加し、一部には枠を取り払って無制限に、という声まで上がっている。そこまでしても一向に円が下がる気配を見せない。復興に当てられたり、原発事故後の避難や避難者への補償にあてられたりする額に比べると円高に対する介入金額はとてつもない金額である。しかもそうした介入をしてもほとんど効果は見られない。普通ならば一定の対策をとって効果が得られなければその対策は間違っていたのだと反省して別の対策を考えるものだ。デフレを放置する財務省、効果のない為替介入を繰り返す日本銀行、官僚たちの言いなりの政治家。官僚や政治家、財界の無策のしわ寄せはあまりにも酷い。デフレとは物価が下がることが基本だ。資本主義経済下ではインフレでなければ投資は行われない。デフレを脱却しない限り経済成長はありえない。売り物よりも貨幣の量が多ければインフレになる。逆に貨幣が少なければ当然デフレになる。現在のようにデフレが長く続くと物価を勘案した実質金利は米国より日本の方が高くなるためドルは円へ変えられてしまう。金利の高い円が買われる。経済の低迷も円高も原因は単純である。要は国内の貨幣が少な過ぎるのだ。貨幣が増えればインフレとなり、投資が誘発され、経済が成長に向かう。インフレになれば実質金利は下がり、金利に魅力がなくなれば円は売られて円高は解消に向かう。これほど単純なことを米国の著名大学にまで留学した官僚や日銀総裁は自己の「理論」に固執してそこから一歩も出ようとしない。その結果がデフレと円高であり、そのつけがすべて経済弱者に回されている。日本には復興や原発事故の補償に回すお金は十分にある。それらを上回る巨額の資金が無駄に使われている。政府の決めた福島県の除染対策費100億円も文部科学省の天下り先である原子力研究開発機構が一手に形式的に除染することになっているが、再委託によって37.5億円も原子力研究開発機構が上前をはねている可能性が強いことをみんなの党の渡辺喜美衆議院議員が記者会見で発表している。官僚たちにとって国民の苦難すら自分たちの権益を広げるチャンスなのだ。自殺に追い込まれる津波の被災者や原発事故によって25年の歳月をかけて育成した特産牛を涙を流して手放さざるを得なかった飯館村の人たち。ほんとうに今の日本は国家として機能不全に陥っているとしか思えない。元通商産業省官僚古賀茂明氏の言う通り「日本中枢の崩壊」としか考えられない状況だ。
白の秋明菊 寒さにも暑さにも強い

地方にふさわしいエネルギー

2011-10-12 19:27:03 | 文化
昨夕はまたすばらしい夕焼けが見られた。残念ながらカメラが不調で写真を撮ることが出来なかった。娘の話ではその夕焼けの雲は地震雲だという人がいたそうだ。そう言われてもいいほどの神秘的な夕焼けだった。ちょうど昨夜は満月も晴れ渡った空を明るく照らしていた。釜石は自然だけでなくこうした自然現象もすばらしいものがある。最近北海道では恵庭市や札幌市のような人口の多いところにもヒグマが出没しているようだ。東北と違って今年の北海道は山の木の実が育っていないらしい。釜石でもおそらくこれからクマが出没するようになって来るのだろう。今日の「復興 釜石新聞」を読むと市の災害ボランティアセンターに風力と太陽光を活用した電力供給システムが設置されたとある。県の事業で研究機関や企業が共同で開発したもののようで釜石の被災した企業も協力していた。試験的なものだから発電能力はまだわずかなものだ。釜石にはすでに和山高原の釜石市、遠野市、大槌町の2市1町にまたがる広大な丘陵地帯に発電用風車が43基設置されている。景観を損ね野鳥に被害をもたらしているという面もあるが。総出力は42,900KWある。2市1町の全世帯に供給可能な出力だ。今回の震災で直後から東北電力の電力供給が止まってしまったが、そうした経験を踏まえて今後の災害時にも電力供給が安定して可能なこうした新エネルギーを多重防災のまちづくりに活用し、エネルギーの「地産地消」を目指そうというもののようだ。雑誌「季刊地域」(農文協)によれば「中国5県(広島・岡山・鳥取・島根・山口)には昭和20年代から30年代に94カ所の小水力発電所が建設され、うち54カ所が現在も健在である。」という。中国電力を辞めた織田史郎氏が「米増産の電源には農業用水路や小河川を利用した小水力発電が最適と考え」昭和22年に地域の水力発電を支える「イームル工業」を設立して農村地帯に次々に小中水力発電所を設置して行った。「小水力の使途は大水力のように大都市や工業地帯の大需要を対象とするものではなく、農村の小需要を地元において供給しようとするものであるから、使用効率が非常に高く、農村の需要電力を大水力に依存している従来の非能率的なやり方と比較にならない利益がある」と語ったそうだ。九州にも土地改良区発電所が設置されている。「『農業とは生きものの力を借りて、再生可能な地球上の希薄資源を集め利用する営みである』、この点が居座りで有限の資源を使っている工業との基本的なちがいなのです」という生物資源管理学の滋賀県立大学西尾敏彦准教授の著書の言葉を引用して、「農家・農村力発電」は原発と異なりまさに農業に適した発電だと主張している。さらに茨城大学農学部小林久教授は、水力は「不確実な予測しかできない状態で海上にまで広く展開するような風力発電や、あらゆる土地に敷き詰めることを前提とするような太陽光発電、あるいは深々度まで掘削する地熱発電のような『大風呂敷の開発』を語ることができない。逆説的な言い方をすれば、小水力は推計に見合った開発が確実に見込める堅実な再生可能エネルギーといえる」と述べている。そして「『限界集落』と後ろ向きに表現されることが多いサトとヤマの境界部(里のフロンティア)こそ、小水力開発に適している」、「小水力は農山村地域、とくに水源域に近い山間農業地域の集落においてこそ、最初に開発すべき再生可能エネルギー」だと述べている。同誌はコストについても「電源別の発電コストは、水力がもっとも高く、1キロワット時11.9円、ついで石油火力10.7円、LNG火力6.2円、石炭火力5.7円、原子力5.3円とされている(総合資源エネルギー調査会電気事業分科会コスト等検討小委員会資料による。むろんこの原子力のコストには、事故処理費用や使用済み核燃料、廃炉等のコストは含まれていない)。しかし、九州の土地改良区発電所、中国地方の農協発電所は、10円以下と推定される売電単価で発電所建設のための借入金を返済するだけでなく、改良区の賦課金を軽減し、地域の農産加工所に助成金を出し、また、地域にさまざまな雇用をつくりだしている。」と記している。茨城県東海村の村上達也村長は第二原発の再稼働について「原子力安全委員会や原子力安全・保安院の信用は失墜した。原子力規制体制を早期に確立しなければ、第二原発の再稼働は受け入れられない」としている。今回の地震、津波、原発事故は地方にとってどういう生活がふさわしいのかあらためて考え直す機会を与えてくれている。また地方には地方を熟知した地方大学の研究者との連携が大事であることも教えてくれた。

昨夜の満月