職場に花巻出身の方がおられるので、先日食べた白金豚やほろほろどりの話をしていると、わんこそば、じゃじゃ麺とともに盛岡三大麺と言われている「盛岡冷麺」の由来を聴かせていただいた。東北には鉱山がいくつかあり、戦争中にはその鉱山にたくさんの大陸からの強制労働者が連行されて来ていた。私の出身地でも別子銅山があり、戦争中は多くの中国人や朝鮮人が収容所に入れられ、強制労働に従事させられていたそうだ。戦後、朝鮮人の一部は残留し、子供の頃、そうした人たちが住むところを「朝鮮」と言う特殊な地域と言う感じで教えられた記憶がある。東北では秋田県大館市の花岡鉱山で起きた虐殺事件が有名だそうだ。800名ほどの中国・朝鮮の強制労働者が現在の鹿島建設の監督官たちから虐待を受け、集団で脱走して、捕まった後、様々な方法で半分の400名が虐殺された事件だ。秋田に比べ岩手の松尾鉱山は扱いが多少違ったのか、そうした事件は起こらず、戦後、朝鮮から来ていた人たちは盛岡に住着き、ごく自然に街に溶け込んで行ったようだ。そうして盛岡に住むようになった朝鮮半島北東部の咸興(ハムフン)出身の方が昭和29年に盛岡で食堂をやり始めて、故郷の冷麺をメニューに入れたそうだ。ただ朝鮮半島での冷麺の本場は半島の北西部にある平壌(ピョンヤン)で、そこの冷麺とも違っていたため「盛岡冷麺」となったと言う。朝鮮半島での冷麺は夏の食べ物ではなく、寒さが厳しい半島の冬の食べ物だったようだ。身体がほてるほどオンドルで暖められた部屋で冷たく酸味のある腰のある麺を食べる。「そば粉の麺に、大根や白菜のキムチ(トンチミ)と豚肉をのせ」て作られたようだ。この「キムチ」は本来は唐辛子を使わないものだったそうだ。確かに冬でも暖房で暖かくなると冷たいものが欲しくなることがある。北海道の冬等は特に暖房が行き届いているせいで、汗をかくことすらあった。冷麺はむしろ北国の生活の中から生まれた食べ物だったのだ。
風で吹き集められた落葉
風で吹き集められた落葉