LiC通信

本の紹介を中心に、その時期に感じたこと思ったことを書いています。

みんなで考えよう世界を見る目が変わる50の事実

2007年06月30日 | ノンフィクション

思いやりがあり、行動力がある人々は、たとえ少人数でも世界を変えられる。

 

実際、それだけがこれまで世界をかえてきたのですから

 

アメリカの文化人類学者マーガレット・ミードのことばです。

 

 世の中を動かしてきたのはナポレオンやクレオパトラではありません。

 

 その時代の中で「何かおかしい、変えなくては」と思い始めた人たちの

 

 小さな思いがだんだん大きくなって世の中を動かす大きな運動エネルギーへと変化していきます。

 

 世の中の矛盾を感じてもそれを変えるためには、事実を知らなくてなりません。

 

 遠い見知らぬ国のことが実はわたしたちに大きく影響しているということが沢山あります。

 

世界は一つで言語や人種や国籍、思想の違いを超えて繋がっているからです。

 

 一見いろんな違いがあってそれぞれ独立しているように見えてもそれは表面のことであり、実は奥深くではみんな繋がっているのです。

 

毎日報道される 信じられないような事件が起きるのも、日本だけのことではけっしてありません。

 

 世界のニュースがITの発展によってだれでもいつでも手軽に知ることができるようになりました。

 

 しかし、それさえ手に入れられる人も情報量も限られています。

 

 例えばこんなことをしっていますか?

 

 タイガーウッズが帽子をかぶって得るスポンサー料は、1日当たり5万5000ドル。

 

その帽子を作る工場労働者の年収38年分。ということを。

 

そこでこの工場労働者たちは、タイガーに直訴しました。

 

せめて最低の生活が出来る賃金にしてもらえるように、「ナイキ」に頼んでもらえないかと彼の滞在中にホテルまで行ったそうです。

 

 しかしタイガーは面接を拒否、そっけないコメントを発表しただけだったようです。

 

 タイガーを批判するつもりはありません。

 

 しかしこのあまりにもかけ離れた生活の違い、

 

スポーツ界ではよくある話ですが、これでいいのでしょうか?

 

 夢を与える仕事だから、サクセスストーリーだから仕方の無いことなのでしょうか?

 

世界の5人に1人は一日1ドル未満で暮らしているとという事実をご存知でしょうか?

 

 1ヶ月たった3500円で暮らさなければならない人たちがいます。

 

食事も満足に取れない、学校はおろか病気になっても治療も出来ない。

 

 貧乏人はいくら頑張ってもそこから抜け出せない。

 

それは本人が悪いのでしょうか?

 

 お金持ちの人は貧乏人より沢山努力しているからなのでしょうか?

 

 これもあなたには関係ないことでしょうか?

 

 世界には今でも2700万人の奴隷がいるのをご存知でしょうか?

 

リンカーの奴隷解放から100年以上もたっているのに、

 

今の方が奴隷の数は多く、売買される価格も昔に比べやすくなっている。

 

親子代々奴隷という人たちが今でもいるという事実。

 

 まだまだ世界では私たちの知らないことが沢山あります。

 

何とか不公平を減らせば世界はずっと安全で幸せな場所になるでしょう。

 

そのために私たちは何が出来るのでしょうか?

 

先ず事実を知ることから始めましょう。

 

そしてあなたも、思いやりがあり、行動力がある人になりましょう。

 

きっと世界は変われる!変えられる!

 

みんなで考えよう 世界を見る目が変わる50の事実


デジタルキッズ

2007年06月29日 | 生活

電車に乗って座ったとたんに老いも若きも一斉に携帯電話を見る風景が普通になってきました。

 

そしてみんなメールを始めます。

 

メールを打ち終わって一瞬居眠りをしているかと思うと、直ぐ返されたメールにまた返信しています。

 

何と忙しいこと。

 

仕事で疲れているのだから、電車に乗ったときぐらいゆっくりすればいいのにと思います。

 

そんなに急いで話さなくてはならないことがあるのでしょうか?

 

確かに緊急の場合はとても便利です。しかし、あるとつかってしまう。

 

緊急でなくても使ってしまう。これが心理でしょうね。

 

今年中学1年になったばかりの息子も携帯がほしいといいます。

 

クラスで何人かは持っているようです。

 

不審者事件が後を絶たない世の中。

 

子どもの安全の為にはとても役立つ優れものです。

 

どんな商品もそうですが、それによって何か良くないことが起こると直ぐにその商品のせいにしがちです。

 

次から次へと新商品が開発されていきます。

 

そこには、もっと便利に、もっと豊かに暮らしたいという人の願望があります。

 

それが現実のものとなると、今度はそれを利用して本来の願望とは別の使われ方がされます

 

そこで問題が起きます。

 

本来の開発された意図だけの商品ではなくなり、別の利用法が1人歩きを始めます。

 

だからそんな商品を開発したことが悪いのでしょうか?

 

そうではなく、それを使う側にも大きな責任があります。

 

やはり節度や、常識が大切です。

 

飛行機では機械に誤作動を起こす可能性が大きいので携帯の使用は厳禁です。

 

これに従わない人は飛行機からおろされます。

 

電車でもバスでも公共の乗りものの中ではやはり使用を遠慮する、体内に医療機器を埋め込んでいる人たちに配慮するということが当然されるべきです。

 

いくらアナウンスで呼びかけても知らん顔で使用している人が後を立ちません。

 

嘆かわしいことです。

 

みんな人を思いやる気持ちや、優しさを失ってしまったのでしょうか?

 

いずれ子どももみんな携帯を持つ日がそう遅くない時期にやって来るかも知れません。

 

そのときに使い方の模範を示せるような大人で居たいものです。

 

子どもたちにも頭ごなしにゲームや、携帯やパソコンの使用をやめさせるのではなく、

 

使い方のちゃんとしたルールを親子で学ばなければなりません。

 

どの機器も使い方によっては、正しく使えばとても便利で役立つ商品です。

 

販売する側も、ただ売るだけでなく利用の仕方、注意点も一緒に伝えてほしいと思います。

 

デジタルキッズ―ネット社会の子育て


神はテーブルクロス

2007年06月27日 | エッセイ

須藤元気1978年生まれ。

 

格闘家としてリングで活躍していたが、2006年12月31日突如引退を表明。

 

その引き際の潔さが話題となる。

 

表題からわかるとおりスピリチュアルな話である。

 

江原さんのおかげか「スピリチュアル」という言葉が随分市民権を得てきた。

 

須藤さんがスピリチュアルに気づいたのは中学生の頃。

 

私もはっきり意識をしたのもその頃かもしれない。

 

いろんなことが、自分が思っていることが現実に起こる不思議を経験してきた。

 

しかし、そのことを人に話しても、

 

「それは偶然よ!」「そういう風に考えるからそういう風に思うだけよ」

 

と半ば相手にされず、もしくは嘲笑される対象だった。

 

しかし、最近は随分理解してもらえることが増えてきた。

 

なぜだろう?

 

何だかわからない異常気象、

 

貧富の差が益々広がる社会、

 

毎日報道される異常な事件の数々・・・。

 

みんなどこか変だ、どこか狂っている、

 

今何とかしなければ取り返しがつかなくなる、と心のどこかで感じているはず。

 

しかし、日々の生活で精一杯。みんな必死で生きている。

 

では、みんな頑張って働いているのは何のため?

 

お金持ちになりたい!家がほしい!旅行したい!有名になりたい!

 

いろいろあるが、結局それらは何の為?

 

みんな最終的には、幸せになりたいからではないだろうか?

 

「しあわせ」 、「幸福」

 

でもこれはどうすれば実現できるの?

 

自分だけがお金持ちになれば、有名になれば実現できるの?

 

よーく掘り下げて考えてみれば、世界中から戦争や、飢えや、差別も無く、

 

沢山の緑豊かな自然に包まれて、自然の一部としての存在を自覚して、自然とともに気持ちよくしあわせに生きて生きたいのではないのだろうか?

 

上辺だけの幸せを追い求めてエゴに生きる時期から、

 

一人ひとりが自分の内側を見つめなおす時期に来ているようだ。

 

今のこの世界の状況が、これら今起きている全てを解決する人類史上最大のチャンスの時期かもしれない。

 

何故ならば、

 

世の中に偶然に起きることは無い。

 

世の中に起きることは全て必然。

 

そして、私たちの思考は現実化する。

 

あなたも一度神秘に関心を向けてみて!

 

きっと今までと違った何かを見つけるはず。

 

神はテーブルクロス


里山の一日 夏の日

2007年06月15日 | エッセイ

「田んぼの中に雑木林が点在する、里山。

 

かつての日本なら、どこにでもあった風景です。

 

小さなあぜ道を歩くと、なぜかいつも心が温かくなってきます。

 

それは、長い歴史の中で、人が手塩に掛けて耕してきた土地の中に、星の数ほどの生き物が暮らしているからでしょう。

 

里山を眺めると、ほとんどの人は『なつかしい』と言います。

 

でも、ぼくの目には、それが『未来の風景』に見えてなりません。

 

将来、身近な自然がほとんどなくなって、

 

生き物がいっぱいいる環境をとりもどそうとしたとき、

 

やはり、くねくねとした田んぼ道がつづく風景を、

 

つくることになるのだと思っています。」

 

静かな語り口で語られたように感じます。自然写真家 今森光彦。

 

子どもたちの間では、昆虫の写真家おじさんで有名です。

 

この里山の風景は、ご自信がお住まいの琵琶湖のほとりの風景です。

 

それぞれの里山の何気ない風景が

 

私たちの気持ちを優しくしてくれるのは

 

人も大自然の一部である証拠では無いでしょうか。

 

地球温暖化や、環境破壊で私たちの一部である大自然が瀕死の状態です。

 

人は自分の体の一部が壊されるような感覚を持つことでしょう。

 

だからこそ、この風景は懐かしさだけでなく、

 

きれいに修復された未来の風景なのかもしれません。

 

未来にはきれいに修復されるものは

 

景色だけでなくキット人の心も含まれることでしょう。

 

そして今度は人も一緒に自然の中で楽しく美しくともに生きていけるのでしょう。

 

子どものころ、田んぼの刈り入れが終わった後、

 

一面に咲く蓮華の花をよく摘みました。

 

それでお花の首飾りを作って友達と掛け合いっこしたことが、

 

昨日のように思い出されます。

 

あの頃はゆったりとした時間が流れていました。

 

みんな優しかった。自然のように。

 

だれもが懐かしいと感じる風景が

 

実は人々のうまれ故郷だからかもしれません。

 

夏の日


林住期

2007年06月13日 | エッセイ

人生50年、いやこの場合は人として世の中で現役で健康で貢献できる年月のである。

 

人の身体は50年で肉体的に故障が起きる仕組みのようだ。

 

現に五木寛之も50歳で体調の不良を覚え、一時期ペンを置き休業をよぎなくされた。

 

私が病気で入院したのも丁度50歳の誕生日を迎えて1ヵ月後のことだった。

 

それまでは全くそんな予兆もなかったように思う。

 

突然に病魔が遣ってきたように思えた。

 

しかし、後々わかることだが病気をした人はそこで何かを悟る。

 

五木もこの50歳での休業が今の林住期にとってとても良かったと話している。

 

林住期とは50歳からの25年間をさす。

 

そしてこの時期は出来れば仕事、食べる為の仕事ではなく、充実した余暇としてすごしてほしいという。

 

誰しも願うところ。

 

50年しっかり働いたら、後は何の心配もなく社会の保証で余暇を悠々自適に暮らしたいと思うものだ。

 

しかし、今世間を騒がしている社会保険庁のことがいい例である。

 

一生懸命働いてきた人たちを待っているものは不安だけだった。

 

 

私たちの大切な税金を預かり、国を運営している人たちはみんなほとんど50歳を過ぎている。

 

50歳以下はお尻が青いといわれる世界だ。

 

先に自殺を図った農水省の松岡も、初心は「政治悪を改革する為」に選挙に出たはずだ。

 

しかし、いつの間にか自分もその悪に巻き込まれる羽目になった。

 

ある意味犠牲者かもしれない。

 

若い時は誰しも正義感に燃えているもの。

 

その若い力が結集すればもっときれいな世の中を作れるかも知れない。

 

少なくとは今よりマシな。

 

しかし、林住期を向かえ、まだそれ以上の年齢の人たちの集まりの中では、保身から来る自分勝手な「エゴ、欲」しかのこらないのだろうか。

 

一般社会では定年制でどんどん企業は若返っていくのに、政界だけは林住期以上の人たちがやっとみとめられる世界だ。

 

議会中、よく居眠りをしているおじいさんを見つける。

 

あの年代のおじいさんは家にいればほとんど寝ている。

 

イギリスの議会では立っている人がいる。全員に席があるわけではないようだ。

 

みんな真剣に議論している。日本とは大違い。

 

こんな林住期集団に未来を託して大丈夫なのだろうか?

 

不安ばかりがよぎる。

 

私は今正に林住期である。残念ながら生活のために働く毎日である。

 

林住期が臨終期にならないように生きて生きたいものだ。

 

林住期


おじいさんならできる

2007年06月08日 | 絵本・児童書

ヨゼフが赤ちゃんの時、おじいさんが素敵なブランケットをぬってくれました。

 

だんだんヨゼフも大きくなり、ブランケットが汚れて破けて古くなりました。

 

お母さんは捨てようとします。

 

しかしヨゼフは「おじいちゃんならきっと何とかしてくれる」ともって行きます。

 

おじいちゃんはよーく眺め、それから「ちょきちょきちょき、すーいすい」と古びたブランケットが素敵なジャケットに早代わり。

 

そのジャケットも何時しか小さくなります。

 

またお母さんは捨てようとします。

 

おじいさんはまたジャケットを今度はベストに変身させます。

 

それからネクタイになり、ハンカチに、最後はボタンになります。

 

一つのものを大切に作り変え作り変えそのたびに新しい命を吹き込まれてよみがえります。

 

私のこどもの頃は生活の全てがこんな感じでした。

 

今の使い捨て社会に育った人たちには想像もつかないでしょうか。

 

手作りのものはなかなか捨てられません。

 

単に物という前に心が、それを作ってくれた人の思いがこめられているからでしょう。

 

息子が生まれたときに、手作りパッチワークのおくるみいただきました。

 

息子の次に今は孫たちに使われています。

 

色こそあせていますが、充分使えます。

 

パッチワークの一針一針にこめられた思いを考えるとそう簡単に捨てられません。

 

ヨセフもおじいさんの心のこもった物がお気に入りのようです。

 

でもなぜお母さんは直ぐに捨てようとするのでしょうか。

 

最後ボタンになってから、ヨゼフはそのボタンを一つなくしてしまいます。

 

もうおじいさんもどうすることも出来なくなります。

 

でもヨゼフは、このおじいさんからもっと大切なものをもらっていました。

 

そうです、おじいさんとヨゼフの心の交流です。

 

ヨゼフはこのことを本にしました。物語はこうして出来るのでしょうね。

 

  この絵本にはもう一つおまけの物語が付いています。

 

おじいさんがリサイクルする時に「ちょきちょき」と切りますね、

 

その端切れが、床板の隙間を通じて床下のねずみの家族のもとへ。

 

そこではお母さんねずみが、「ちょきちょき、すーいすい」カーテンになったり、お布団になったり、テーブルクロスになったり。

 

ヨゼフがなくしたボタンも、ちゃんとねずみの家族に使われていました。

 

私たちには「もったいない」と言う素晴らしい言葉があります。

 

物を大切にすることが何時しかかっこよくない風潮があります。

 

でも、もう一度私たちの豊かになりすぎた生活を見直す時期かもしれません。

 

おじいさんならできる


ぼくのいぬがまいごです!

2007年06月07日 | 絵本・児童書

「ミー ペーロ セ ア ペルディード!」

 

 ホワトニーは、二日前にプエルトリコからニューヨークへ引っ越してきたばかりです。

 

 スペイン語しか話せません。

 

 初めての町はだれにでもワクワクドキドキです。

 

 そこには期待と不安が入り交ざっています。

 

外国ではなく、国内に行ったときにでもそんな感情を覚えたことがあります。

 

初めて東京に行った時のことです。

 

 何となく感じる冷たい視線、聞こえてくることばは冷たく突き刺さるように聞こえます。

 

そんな中で1人「関西弁」を話すことはとても勇気が要ります。

 

 知らず知らず変な日本語をしゃべっていました。

 

ホワトニーのように全くことばの違う異国への引越しは、さぞかし不安だったことでしょう。

 

ことばがしゃべれない、友達が出来るのだろうか、いろんな不安が渦巻いていたことでしょう。

 

 おまけに愛犬が、この初めての地で迷子になってしまいます。

 

途方にくれますが、彼は勇気を出して町へ探しに出かけます。

 

 はじめは1人であちらこちらを探します。

 

 聞こえてくることばは聴いたことのないことばばかりです。

 

そんな時、ふと見た建物の大きなガラス窓に

 

 「スペイン語の方もどうぞ」という張り紙を見つけます。

 

きっとスペイン語を理解してくれる人がいるはず。

 

 思い切って入り「ミー ペーロ セ ア ペルデイィード」といいます。

 

するとおじさんが紙に「ぼくのいぬがまいごです」と書いてくれました。

 

 うれしかったでしょうね。それを握り締めて、また町へ。

 

中国人街にやってきます。紙を見せます。

 

中国人の兄弟は持っていたクレヨンの箱を指差しながら「どんな色なの?」

 

かれは自分今着ている服を指差します。

 

 「ぼくのいぬがまいごです」という紙1枚と、後はお互い手振り身振りです。

 

下町で出会う人に順番に紙を見せ、犬の特徴を表現しながら聞いていきます。

 

出会った7人が一緒になって探します。

 

おもて通り、裏通り、バスどおり、遊園地、商店街も。

 

みんなくたびれてあきらめかけた時、ついに「いぬが」見つかります。

 

 そのときには7人はすっかり友達になっていました。

 

ことばで通じないことも、犬を探したいという気持ちはみんなに通じたようです。

 

 それを通じてみんなで一つのことをやりきった達成感が心をつないだのでしょう。

 

そうやって人と人とのつながりが出来ていくものなのですね。

 

ぼくのいぬがまいごです!


せかいいいち うつくしい ぼくの村

2007年06月06日 | 絵本・児童書

スモモ、桜、なし、ピスタチオ。

 

 春、アジアの真ん中、アフガニスタンにある、パグマンの村は、花でいっぱいになります。

 

 そして夏、沢山実った木の実を家族総出で取り入れします。

 

一年で一番楽しい時期です。

 

 しかし、今年は兄さんがいません。 戦争に行ってしまったのです。

 

その実りを、小さな少年ヤモはお父さんと一緒に町へ売りに行きます。

 

ヤモの初めての経験です。

 

 うきうき、でもドキドキしながら、初めての町で始めての経験をします。

 

 「さくらんぼー、バグマンのさくらんぼー」と大きな声を上げて。

 

 はじめはだれも見向きもしてくれませんでした。

 

小さな女の子が「バグマンのさくらんぼ頂戴」と声を掛けられてからは飛ぶように売れ始めました。

 

戦争で故郷のバグマンを追われた人たちが、懐かしむように買ってくれました。

 

ひとりの人は戦争で片足をなくしていました。

 

モヤはそのおじさんの姿を見てお兄さんが心配になりました。

 

1980年ごろ始まった戦争は、国内の意見の違う民族同士の内戦に発展していきました。

 

 悲しい話です。

 

 この村は多くの実りに恵まれて、広がる大草原、自然がいっぱいのとても美しい国だったのです。

 

人々はずっと平和に暮らしていました。

 

ヤモとお父さんは果実を売ったお金で山羊を一頭買います。

 

家族が1人増えました。

 

 次の春には兄さんが帰ってくる予定です。

 

一頭増えた新しい家族と一緒に、ヤモは「お兄さん早く帰っておいでよ、家族が増えたよ。」と心待ちにしていました。

 

 しかし、次の春が来る前に、今年の冬に村は戦争で破壊されてしまいます。

 

お兄さんが帰れる村はもうないのです。

 

 ヤモの優しい家族の笑顔も、実りの多いきれいな村ももう見ることは出来ません。

 

 アフガニスタンにはこのような村が他にもたくさんあります。

 

戦争はだれのために、何の為に、そして何を残していったのでしょうか?

 

せかいいちうつくしいぼくの村