LiC通信

本の紹介を中心に、その時期に感じたこと思ったことを書いています。

錬金術?

2006年01月26日 | 実用書

ホリエモンが世間を騒がせています。

彼がマスコミに登場したとき、何を職業としている人かわかりませんでした。

IT関連企業というだけでなんとなく今風のイメージだけが先行し、

それだけで何やらわかった風な勘違いを起こさせます。

特に私のようにITに疎い人には理解しがたいものです。

しかし彼がTV局を買収しようとしたとき、マネーゲームの世界だと言うことがわかり始めました。

所詮私には関係のない世界です。

サラリーマンや中小業者がまじめに汗水流してコツコツ働いて

一生かかっても手にすることの出来ないお金が一瞬のうちに彼らの懐に入ります。

お金はお金を産み、お金はお金のあるところにどんどん集まってきます。

「金が人生の全てではないがあれば便利、ないと不便です。べんりのほうがいいな」

これは相田みつおさんの言葉です。

人の正直な気持ちが上手く表現されています。

本当にあれば便利です。

何でも買えるし、どこへでもいけるし、好きなことが出来ます。

でも人の気持ちまでは買えません。

ホリエモンは「人の心も金で買える。」と言ったそうですが

そうなったらそれは人間ではないし、そんな人間社会なら怖いです。

お金はほどほどにあるのが一番。

お金があるがために見えないものがたくさんあります

何でもお金で解決してしまおうとします。人の心も、そして命も。

金持ち父さん貧乏父さんと言う本を思い出しました。

公務員の貧乏父さんと商売人の金持ち父さん。

金持ち父さんは公務員の貧乏父さんを小ばかにし、お金にお金を産ませることが賢くて金持ちになる方法だと子どもに教えます。

金持ちになることがまるで良い生き方のようです。

お金をいかにして沢山儲けて自分のものにするかが良い生き方でしょうか?

お金を何に使うか、それによって金持ち父さん、貧乏父さん、と言われるならば納得もします。

お金に人は翻弄されます。儲かる得すると言う言葉にはめっぽう弱い。

誰だってお金がほしい、いい生活がしたい。

でもこの欲望はとどまることを知らない。

「もうこれ以上お金はいりません。」と言うときがくるのでしょうか

 

仏陀はお城の中で何不自由ない暮らしをしていました。

一歩門の外で病人や、飢えた人、老人、死人を見てショックを受けます

ただ北門から出たとき、

托鉢のおわんを持った気高い出家者を見、自分も気高い人を目指して出家をするという「四門出遊」という有名な話があります。

当然このお話は少しオーバーかもしれません。

しかし、私も精神的に気高い人にやはり惹かれます。


誘拐

2006年01月20日 | Weblog

 

宮崎被告の判決が出た。

去年の暮れから子どもという弱者を標的にした犯罪が後を絶たない。

私たちが子どものころ、夕方は早く帰らないと「子取り」にさらわれるぞ!とよく脅されたものだ。

実際小学生のころ、夕方遊びから帰る途中そんな目に遭いそうになったことがある。

自宅のほんの手前に路地がある。そこである日オジサンに呼び止められた。

オジサンは今はあまり見かけなくなった荷台付きの自転車でその荷台におおきな箱とその箱の中におおきな袋を持っていた。

「おじょうちゃん、この袋に入りなさい。」なんかこんなことを言われた記憶がある。

今思えば、北朝鮮の拉致だったのかもしれない。

とにかく怖くて逃げた覚えがある。

現代は「不審車・不審者」だが昔は「自転車」このことが一つの時代を物語っている。

私の年代の人の記憶に新しいのは「大久保清事件」

これは画家を装い7人もの女性をモデルにと言う誘いで殺してしまった。

そしてもっと古く戦後最大の身代金目的誘拐事件として「よしのぶちゃん」事件がある

このことを小説に書き上げたのが、「本田靖春」である。

いまは少なくなった「言うべきことを臆せずきっちり話すジャーナリストの鏡のような人」

近年惜しまれつつも亡くなられてしまった。

戦後の貧しい時期での事件。

現代の豊かに物があふれかえった時代の事件とは質を異にする。

「坊主を預かったのはオレダ」東北訛りの脅迫電話。

目の前で身代金を奪われた警察のあせり。捜査は行き詰まりを見せた。

極貧と障害への差別の中で育った東北訛りの犯人。

これを単に犯罪と言う視点からではなく、彼の置かれて状況から描く。

「戦後」を問い続ける孤高のジャーナリスト

本田靖春集〈1〉誘拐・村が消えた


内視鏡検査

2006年01月19日 | Weblog

昨日内視鏡による腸の検査をしました。

前日の夜に飲んだ下剤が朝の4時ごろに効いてきました。

腸がぐるぐる動いているのが解ります。

それからひどい腹痛、おかげでほとんど眠れませんでした。

寝不足の体にポカリスエットに生姜を混ぜたような下剤を2Lも飲まないといけません。

2時間かけて何とか飲みました。

後は検査を待つだけです。

時間が来ました。専用の服に着替えです。

ズボンはお尻の部分が開いている、前後ろ反対のような感じです。

いよいよ検査開始。

先ず点滴です。そこに軽い麻酔を入れていきます。

始めますよ、カメラが入りました。

そこまでは覚えているのですが、後は意識朦朧としています。

気がついたときは可なり奥まで入っていました。

「ハイ、これが大腸の入り口ですね。」

朦朧とした中でモニターを見ながらうなずく私。

先生と助手のような人、何やら話しながらぐるぐる腸の中をカメラで覗いていきます。

「奥に隠れていることがあるからね。」といいながら何度も何度も腸の中を行ったりきたり。

朦朧としながらモニターを見る。ボーとした時間が続きます。

時計を見ると初めから1時間ほどたっていました。

終わる間際に何だか切っていたような気もします。

「ハイ、終わりましたよ。」しばらくそのまま休んでいてください。

およそ1時間ほど横になって麻酔が覚めるのを待ちました。

「何だかお腹がパンパンに膨れ上がって痛いです。」

「腸に空気が入っていますからガスをだしてください。」

1時間の間に3回も長ーいガスがでました。気持ちのいいこと。もちろん無臭です。

気分はお腹を膨らまされた蛙のようです。

昔子どものころ男の子達が蛙のお腹に空気を入れて遊んでいました。

さぞ蛙くん辛かったでしょうね。

胃を突き上げ腸はパンパンでなんとも言えない気分です。

結局ポリープを1つ採りました。

家に帰ってもまだ麻酔が残ってふらふらしています。

その様子を見て孫の彩音が「しんどい?だいじょうぶ?」と気遣ってくれます。

この言葉で少しは疲れも取れました。

後は検査結果を待つだけです。

何もないことを祈ります。

 

 


小さい彩音ちゃん

2006年01月16日 | 絵本・児童書

今日は小春日和といってもいいような暖かで気持ちのいい日になりました。

冬の寒さの小休止といったところでしょうか。

体調もいいので久しぶりに彩音とゴンタをつれてお散歩です。

久しぶりのお散歩に彩音も楽しそうです。

何やら一人でぶつぶつ 。

彩音はとってもおしゃべりで、私達の冗談も通じます。

「アヤチャン、着替えようか。おさんぽいこうか」

「おさんぽ?ままも行く?大ちゃんも行く?」

「母ちゃんとゴンタといくの。」(私はおばあちゃんですが、うちにはもう一人おおばあちゃんがいるので私のことを母ちゃんとよばせています。)

「母ちゃんとゴンタと?」

「長ズボンはこうね」「うん、長ズボンはこうね、あったかいね。」

「アヤチャンの靴は?」「げんかん、げんかんにあるよ」

この会話、どっちが彩音かわかります?後者のほうなのですよ。

いよいよお散歩です。玄関の階段も手をつなぐともう一人で下りられます。

うれしそうに走り出しました。ゴンタもついていきました。そのとたん「ぎぃやーーーーー」」

ゴンタの紐に絡まってこけてしまい大泣きです。彩音の声はとにかく大きい。

声だけ聞いたらどうなったのかと思うくらい大変です。

ブログで声をお届けできないのが残念です。

でも立ち直りも早いです。

ひとしきり泣いた後はすっきりしたようにケロリとしています。

又元気よく歩き出しました。少し歩くとため池があります。

彩音はその池を見るのが大好きです。「あった、あった、おおきなおふろ」

彩音はお風呂に見えるらしく、池と教えても「いけ?のおふろ」といいます。

その池の周りを歩いて、今度は道路に出ます。歩道は少し上り坂、でも一度も抱っこをねだったことはありません。

何やらおしゃべりしながら歩いています。すると急に「きゃっきゃ」と笑いながら走り出します。

何に笑っているのか解りませんが、きっと何か彼女なりに感じるものがあるのでしょう。

風とか草とか周りの景色でしょうか?それとも一人なんかを想像しているのでしょうか?

こんな時の子どもの心って覗けるなら覗いてみたいきがします。

お散歩から帰って庭で少し遊びました。庭から息子の通っている学校が良く見えます。運動場で子ども達が何かしています。それを見た彩音は、学校のほうへ向かって

「お兄ちゃん(彩音は息子のことをこう呼びます)こっちへおいで、いっしょにあそぼ」

これを何回も繰り返します。大きな声で。ひょとしたら聞こえてるんじゃないかと思うくらい。

彩音の声は学校の後ろにそびえる金剛山に跳ね返されておおきくひびきます。

何度か叫んでも反応がないとわかると「もーいいか。」と自分に言い聞かせるようにつぶやきながらゴンタとあそんでいます。

まだ2歳になったばかり、そうまだこの世に生まれて2年しかたっていないのに目覚しい進歩です。

この子達の1日は私の1年ぐらいのスピードがあるような気がします。

当然のことですが子どもの成長ってみんな同じような道をたどるものですね。

毎日彩音や大地そして息子を見ていてつくづく感じます。

私がおばあちゃんだからゆっくり観察できるのでしょうね。

 

松谷美代子さんの「ちいさいアカネちゃん」シリーズを思い出します。

娘によく読んであげた本ですが、子どもの描写がなんとも言えずリアルで、かわいくて大人の私達もとりこになりました。

娘は松谷美代子さんの本に大変お世話になりました。

生まれて3ヶ月目から「いない、いない、ばー」「おさじさん」「あなたはだあれ」など赤ちゃん絵本シリーズがぼろぼろになるまで読みました。

そして保育園に行くころからこのアカネちゃんシリーズに。

今も読み継がれているようです。

本屋さんにちゃんと並んでいます。又シリーズも増えたようです。

心温まる子どもの成長が手に取るように感じられます。

子育て中の若いお母さんには自分の子どもの成長に合わせて是非一緒に読んでみてほしいです。 

 ちいさいアカネちゃん


ケネディ

2006年01月11日 | 絵本・児童書

新学期が始まりました。

5年生の息子は正月ボケした眠たそうな顔で登校していきました。

始業式だというのにもう宿題をもらってきました。

国語の本読みです。

漢字が大の苦手、読むのは何とかなりますが、書くのは本当にだめです

明日習うところを予習という意味で宿題に出されたのでしょう。

本読みをちゃんとしたかどうか親がサインしなければなりません。

「お母さん聞いて。」「はいはい」初めは黙って息子の本読みを聞いていたのですが、

私も用事をしながらのながら聞きです。

良く聞くと何やら意味不明な言葉を読んでます。

ストップをかけて、教科書に目をやりました。

『緒方洪庵』の話です。

緒方洪庵が読めなくて「○×△・・・」と読んでいました。

聞いてるほうは何のことかさっぱりです。

それからしばらく一緒に本を見ながら読ませたのですが、なかなか前に進みません。

難しい漢字がたくさん出ています。

予習してきなさいということなのでしょうが、

漢字を全部調べないと読めないし読んでも意味が通じません。

そこで、私が読み聞かせをすることにしました。

そうすると大雑把に内容がつかめたようです。

面白かったのが、私達が本を読んでいる横へ

孫のアヤチャンが自分のいすを持ってきてチョンと腰をかけ

同じように本を読み始めました。

教科書と同じような大きさの本を開いて私の口真似です。

私も息子もこれには参りました。笑ってしまいました。

そしたらアヤチャンから「ちゃんとよんで。」とお叱りまで受けました。

それにしても難しい文章を習っているものです。感心するばかりです。

私も漢字は苦手でした。でももっと苦手だったのは歴史です。

歴史を勉強する意味がわからなくて、又歴史の授業で楽しいと感じたことがなかったことが原因かもしれません。

最近この年になってやっと歴史の面白さや学ぶ大切さが理解できてきたようです。

この冬休み息子と一緒に歴史マンガを読みました。その中の一つが「ケネディ」です。

アメリカの大統領を一人揚げろといわれれば「やはり「ケネディ」でしょう。

大統領の席にはわずか二年十ヶ月しか在籍しなかったのに

全世界の人々に強烈な印象を最後のなくなるときまで与えた人です。

知っているようで知らないことがたくさんありました。

たまには子どもと一緒に読むのも楽しいものです。

 ケネディ―銃弾に倒れた若き大統領


正月はなぜめでたいか

2006年01月09日 | 実用書

新年明けましておめでとうございます。

昨年の暮れは予想以上の雪でこの地域にも交通に支障が出ました。

その雪の中を例年通りお餅つきをしました。

今年はえびとのりを加えて三色のお餅をつきました。

市販のものでは味わえないおいしさがあります。

お正月、元旦は昨年の雪のお天気が嘘のように、

抜けるような青空にぽかぽか陽気が、今年の幸先を占っているようでした。

昨年の病気のおかげでゆっくりとした年末年始を迎えることが出来ました。

暮れには初めておせち料理に挑戦しました。

黒豆に棒だらの煮物、酢レンコンに根菜の煮付け、そしておぜんざい。

後は出来合いのもので上手に重箱へ。

なかなかのできばえでした。

家庭ならではの味付けで、薄味です。

市販のものはどうも甘すぎたり辛すぎたりで好きにはなれません。

素材の味を生かした手作りは、子ども達にも評判がよくたくさん食べてくれました。

一昨年は門松まで手作りをしたのですが、今年は雪のため中止です。

手作りの暖かさや大切さが少しは子どもや孫達にも伝わったでしょうか?

今すぐにではなくてもいづれ「おばあちゃんのおせち料理はおいしかったね」

「家でついたお餅は一味違うね」と思う日が来ることでしょう。

世の中なんでも簡単になりすぎて、お鏡さんまでプラスチックでは何だか味気ないです

門松、お鏡、おせち料理、などそれぞれに意味があります。

そして毎年何とはなしに迎えるお正月もなぜめでたいのでしょうか?

そんなことをゆっくり考えたこともなかった今までです。

でもこれを機会に少しゆっくり生きていくのもいいかもしれません。

もうそうゆう年頃なのでしょう。

今年は一日一日大切にゆっくり生きて生きたいと思います。

どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

正月はなぜめでたいか―暮らしの中の民俗学