大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

少子高齢と地方(14)地方再考

2014-05-28 10:11:29 | 社会問題

 現政権の「戦後レジームの見直し」は、アメリカに与えられた憲法の見直しを主軸として、「戦争放棄の平和主義」を「積極平和主義(キナ臭い)」に、「与えられた民主主義」を「本来の日本道徳」に変えることが目的である。その意味では、岸、中曽根、小泉に継ぐイデオロギー的政治を目指し、政治理念は明快である。イデオロギーを背後に押しやって、徹底的にアメリカを受け入れた吉田、安保を封じ込め経済オンリーで活躍した池田、長期の平和と繁栄を見守った佐藤、地方発展を掲げた田中は、今日の日本の経済と国際社会における地位を築いた。

 人々は、イデオロギーよりも経済社会が栄え安定する方を歓迎する。それは、戦後の歴史を見れば明らかである。海外でも同様、経済政策を成功させたクリントンの方が悪の枢軸を叩くことに躍起となったブッシュ・ジュニアよりも余程アメリカ社会を安定させた。イデオロギー政治は国の安定が危ぶまれるときに使われる。大躍進政策で大量の餓死者を出した毛沢東が、文化大革命というイデオロギー運動で権力闘争を行ったのは有名な話だ。中国は今も、西域の不穏や国内経済格差を抱え、対外的に強硬イデオロギーを使って人々の関心を外に向けようとしている。イデオロギー政治の危うさは、よく知っておく必要があろう。

 前置きが長くなったが、地方自治というイデオロギーも、アメリカから、民主主義と同様に「与えられた」ものである。しかし、これについては、現政権は目標を持たない。地方分権推進法、三位一体改革、地域主権など2000年代に入って地方自治改革は行われてきたが、必ずしも、一般分かりするものではなく、画期的と思われるような内容でもない。90年代に流行った改革派知事も消え、大阪都構想も頓挫し、現在は地方の英雄がいない。米軍基地や原発再稼働を巡って国と対峙する場合でも、どこまでできるかが課題だ。しかも、首長選挙は、政党の後押しを受け、「国に従うか否か」を争点としている。真の地方自治はどこににあるのか。

 日本の民主主義は、欧米の民主主義から個人主義を引いたような形で、それなりに定着していると筆者は考える。しかし、地方自治は、明治憲法下の中央集権を払拭できていない。地方政府があって中央の連邦政府ができたのではなく、中央政府の支所として地方政府ができたという感覚が自治体にも、住民にもある。その原因となったのが、明治以来、そして戦後はさらに、地方出身で教育を受けた人が東京に行きっぱなしになったからである。欧米では、都市生活を好まず、遠い田園地帯から都心に通い、また、生まれ育った地方都市で職に就く者が多い。なぜ日本はこうも東京一極集中してしまったのか、地方に教育を受けた者の職がないのか、改めて反省する必要があろう。

 地方に、職場と居住性をもたらさねば、いつまで経っても、地方自治の真髄は現れない。明治以来の都会流入を逆流させる流れを作らねばならない。そのために、少子高齢社会政策がある。都会よりも地方の方が子育てしやすい環境なのは言うまでもないし、中高年で定年のない農業に従事したい人もいよう。教育機関や文化施設で惹きつけ、Uターン人口を増やすことは夢ではあるまい。ヨーロッパやアメリカの地方都市の美しさを思うとき、シャッター通りや荒れ地だらけの日本でも変わることができると確信する。

 少子高齢社会政策を使って地方Uターン現象を巻き起こすことができれば、それこそ日本の起死回生である。現政権にも、地方自治のイデオロギー改革を一考するよう注文をつけたい。

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少子高齢と地方(13)規模と福祉

2014-05-26 09:44:47 | 社会問題

 2000年代、新たな政令指定都市が続々と増えた。長年、10大政令指定都市として認識されていたが、現在では20市が存在している。2005年に静岡市が人口70万で政令都指定市に移行して以来、最近指定された政令市は必ずしもかつての百万都市ではなくなった。同時に、平成の市町村大合併が進み、3200余市町村が、合併の結果、約1800になった。地方分権推進法の立法に引き続き、政府主導によって地方自治体の数が減り、一自治体当たりの人口が増加した。

 明治の大合併も昭和の大合併も、基本は財政規模を大きくして行政効率を高めることが目的であった。今回も、合併特例債の特権を得るべく、多くの市町村が伝統を乗り越えて合併に進んだ。これに加えて、民主党政権が成り立つまでの間、与党自民党では道州制の議論が盛んであった。市町村の数を減らしたら、次は都道府県の数を減らすとの順序だったのだろう。

 しかし、道州の数、市町村の数はどの位が理想なのか、目標が見えてこない。目指す日本の統治機構が見えてこないのである。さらに、橋下徹大阪市長が主張する大阪都構想は、府と政令都市との二重行政を解消する策として提唱したのだが、地方自治体を二段階に分ける必然性が何なのかも明確ではない。

 県議会の答弁の多くは、「それは国の制度だから仕方がない」「それは市町村に任せている」の二通りに分かれる。まさに、都道府県は、国と基礎自治体の調整役として存在し、計画は作っても実施者になることは少なく、その計画は国の法律に縛られている。他方、たとえば保育所は市町村に任せても、要保護児童の扱いは、児童相談所に専門職を置く余裕のある都道府県でなければ実行できない。

 都道府県ほどの規模は必要なくても、住民需要から、広域連合の行政が行われることもしばしばである。古くは水道事業などで行われてきた。介護保険制度や後期高齢者医療制度では、いくつかの市町村が広域連合を作る場合があるが、事業の責任者が曖昧になる。住民にとっては、誰が実施者か責任者かが明確でないと、行政の評価ができないことになろう。その意味では、広域連合と同様、都道府県は住民にとってさらに遠い存在とならざるを得ない。

 現在1800もある市町村の状況の下では、都道府県の調整機能は、国にとっても市町村にとっても必要である。しかし、一部の業務が都道府県を通さずに国と直結してできる特例市(人口20万以上)、中核市(人口30万以上)も増えている。この場合、事業者イコール自治体イコール責任者であり、住民にとっては最も好ましい形になる。その中で、殆どの業務を国と直結して行えるのが政令指定都市(人口50万以上)であるが、この規模になると専門性は高まるが自治体の顔が見えにくくなる。政令指定都市は行政区を設けることになっているので、出先の区役所が「本庁に訊かないとわかりません」との窓口判断が多くなると、住民は失望することになろう。

 翻って、江戸時代は300藩が日本を治めていた。参勤交代などを通じて中央集権国家を形成したものの、藩は独自の治政や文化を育んだ。江戸時代の人口は3000万人だから、一藩あたり10万の平均人口ということだ。今なら、人口が4倍になっているから、ひとつの自治体規模が40万人、つまり、中核市と政令指定都市の間に位置する。江戸時代260年にわたって形成してきた300の文化圏をあるべき自治体数のめどにするのもよいだろう。これは、歴史を踏まえた経験則による賢い方法かもしれない。この場合には、調整機能としての都道府県も道州制も不要であろう。

 北海道は、既に道州制を実施している。北海道は、沖縄北海道開発庁の存在が示すように、現在でも「本土」と別の存在とされている。しかし、本庁と支庁からなる組織は、決定が遅いと言われ、また、本庁の敷居が高すぎるとも言われ、決して模範例にはならない。道行政の特色も近いところにある東北地方とは異なる。一例を挙げれば、東北では一人あたりの医療費が低いが、北海道は全国的にも高い。処々方々に広すぎるが故のマネジメントの困難さが見て取れる。

 さて。少子高齢社会政策をすすめるには、事業者イコール自治体イコール責任者であることが望ましいと思う。現在ならば、国と直結してかなりの福祉の仕事を進められる中核市を多くして、その経験を検証すべきだろう。少子高齢社会政策だけを念頭に置けば、人口構造や産業構造の「高尚なる改造」ばかり検討している国や都道府県よりも、実施する事業者としての市町村の規模と権限をどうするかの方が先決だと思う。

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少子高齢と地方(12)学童保育

2014-05-23 09:52:41 | 社会問題

 子育て支援事業の第一は、保育所待機児童ゼロ対策が挙げられるが、その次に要望が多いのは学童保育であろう。1997年の児童福祉法改正によって法制化された学童保育は、法律上の文言が一般化して「放課後児童クラブ」と呼ばれることが多い。実は、学童保育の文言は、共産党が長年、予算化・法制化を要望してきたときに使われた言葉で、一政党に偏る感があるとして行政は使わないできたものの、学童保育という言葉が一番体を表すであろう。

 実は、この事業は最初に文部省(現文科省)が始めた。1966年、留守家庭児童会育成事業として学校に残る児童の会に補助をつけたのだが、1971年、校庭解放事業への移行とともに廃止されることになり、厚生省(現厚労省)が引き継ぐことになった。1976年、都市児童健全育成事業として予算化されたが、補助金は、一般会計ではなく、児童手当特別会計の児童健全育成事業から行われることになった。

 すなわち、教育の一環から予算措置のある健全育成事業となり、1997年に放課後児童育成事業と法定化されることによって、第二種社会福祉事業に位置づけされる歴史を歩んだのである。現在では、90万人近くの学童が2万余りの学童保育所を利用している。場所は、児童館、学校の空き教室、民家などさまざまであり、運営も自治体、法人委託、父母会など多岐にわたっている。言うまでもなく、多くの父母は、自治体の関与と公設の施設、専門の指導員を望んでいるが、保育所のように1947年から第二種社会福祉事業として児童福祉のメインを歩んできた福祉にはとても追いつかない状況にある。学童保育自体がない自治体も相当にある。

 現在の学童保育の運営は、法制化当時よりも工夫がされている。たとえば、児童の習い事や外遊びができるようになり、児童が家庭にいるのと変わらぬ生活ができるように工夫されている。しかし、交通事故や変質者への対応などを学童保育所にすべて責任を持たせるのは難しい問題であり、保護者管理下の場合に比べれば、児童の行動規制は必要にならざるを得まい。

 1997年、学童保育の法制化は歓迎されたが、保育内容については議論があった。その議論は、保育という言葉は相応しくないというところから始まった。学童の年齢になれば、友人を選び、遊びを自分で選ぶのが児童の発達段階として望まれるのに対し、児童の安全確保の面から、子供を「隔離・保護」する実態が見られたからである。つまり、児童を保育するのではなく、健全に育てる観点からの事業展開が必要であるという議論であった。ちなみに、保育とはもともと哺育であって、ミルクを飲ませて育てるという意味で、保護の必要な幼少時に限られた方法を指す。

 この議論は、これから先も保護者に一定の警告を発することになろう。「子供の安全だけが保たれればいい、安心して働き、自分の帰りに合わせて子供を迎えに行けばいい」は、親の視点だけである。子供は、自分の玩具やさまざまの持ち物を早く帰って使いたいと思っている。他人の環境での長すぎる滞在は、子供が自分自身に還る時間を遅らす。それは、保育所の延長保育についても同じことが言える。

 筆者は、子育て社会化の積極的肯定論者である。かつての「三歳児神話」が盛んなときでも、子供の少なくなった今の社会で、保育所は早くから、子供同士の経験ができる有意義な世界であると信じてきた。しかし、だからと言って、長すぎる保育については、潔しとしない。なにがしかの工夫が必要である。大人にとっても長時間労働は過労を招くのだから、いわんや子供においてをや、である。

 都会から発達した学童保育は、今、地方で伸びようとしている。子供の発達に合わせ、地域のお婆ちゃんを組織化するなどして、送り迎えなど「ちょっとした労働力」を貸していただくことも併せ考えねばなるまい。また、子育て期はそれほど長くはないので、保護者は、人を雇うなどのため、涙を呑んで「金を使う」ことも必要である。

 子育ては、個人の人生にも、社会にも、人類にも、最大の仕事であることを認識したい。

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少子高齢と地方(11)地方自治

2014-05-22 11:21:11 | 社会問題

 少子高齢社会政策は、地方自治体が、独自性を発揮すべきなのか、それとも国の政策の手足として一定水準を保ちつつすべきなのかは大きな議論とはなっていない。医療・介護は社会保険によって全国一律に運営され、それより格段に予算の少ない子供政策は、児童福祉法による保育制度をこなすのが精いっぱいであり、地方の独自色は現実的に難しいであろう。地方自治体のほとんどが行う乳幼児医療の自己負担無料化を国の制度とすべきとの要望を毎年行っている事実を見ると、地方自治体は、独自性よりもむしろ国の責任を追及する姿勢がみられる。

 現在、集団自衛権を巡って、憲法9条と安全保障が国民的課題になっているが、民主党政権以前は、自民党が提案した道州制議論が盛んであった。憲法92条には、地方自治の組織・運営は地方自治の本旨に基づいて法律で定めるとあるので、都道府県制を道州制にするには、憲法改正は不要である。しかし、憲法の地方自治に関しても、92条の「地方自治の本旨」が何かは議論が分かれるところであり、これもまた、9条の平和主義や憲法を貫く民主主義とともに、上から下へ、否、もっとあからさまに言えば、アメリカから日本に与えられた「プリンシプル」なのである。

 アメリカの地方自治は、言うまでもなく、初めから分権制度である。なぜなら、先に州があって、連邦政府が後にできたからである。日本は、明治憲法下の中央集権国家から、突如、首長と地方議会の二元性民主主義が導入され、住民自治と団体自治が保障されたと解される。アメリカの制度がそのまま日本に導入されて、自治権の拡大に次第に目覚めた地方自治体と財政上の必要性もあった政府によって、2000年、地方分権推進法が施行された。直後、小泉改革では、三位一体改革と称して、地方へのひも付き補助金の廃止などを目指した改革を実施したが、結果的には、交付税を減額することになり、地方の不満を募らせた。

 続く民主党政権では、地方分権という上から下へ与える印象の言葉でなく、地域主権という言葉を使って、都道府県に自由度の高い交付税を実現することにより、地方からは好意的に受け取られた。しかし、これが実現したのは、都道府県までであり、市町村においては、「自由度の高い交付税」に反対で、導入はできなかった。その理由は、人材的に市町村が独り立ちするのは時期尚早だからである。

 であるとすれば、現在は、財源上も、地方公共団体が独自性を出して少子高齢社会対策を実現するのは無理だということになる。市町村では、長いデフレ不況の間に、若者の公務員志向や、かつての情実人事から試験制度への移行が行われたことによって、政策力が向上しているので、時がたてば状況は変わるであろう。

 「独自性」「自治」は耳触りの良い言葉である。しかし、日本全国津々浦々で「必須科目」の少子高齢社会対策を実現するためには、地方自治体に丸投げでよいはずはない。国は、明治時代に日本国中に義務教育を普及させたその行政手腕で、少子高齢社会対策を行き届かせねばならない。介護や保育の現場の人材のために財源を提供するのは国、住民の需要を正確に測るのは地方、この両輪がうまく働くことを願う。

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少子高齢と地方(10)女性の活用

2014-05-19 09:53:20 | 社会問題

 日本女性の社会進出度は国連で使われるGEM指標によれば、109か国中57位と、先進国の中で突出して低い。北欧、アメリカ、他の欧州の先進国はおよそトップランクに並んでいる。アジアの国でも、フィリピンなどは上位に入る。

 このことは、長らく指摘されてきたが、男女雇用機会均等法をもってしても、男女共同参画法をもってしても、日本はランク向上に至らないままだ。勿論、各分野での女性活用は、1980年、日本が国連婦人会議で女性差別撤廃条約に署名した時点に比べれば、格段の進歩はしている。当時の日本では、初めて女性大使が就任した、霞が関で女性課長が就任した、有名デパートで女性役員が就任したなどが珍しいニュースとして取り上げられたが、現在ではこれらは当たり前になっている。

 日本の問題は、象徴的に女性を高い地位に就けるということは常習化したが、大部分の女性の地位改善が行われていないところにある。つまり、ボトムアップができていないのである。トップに就いた女性は、「トップに就かせてくれた男性社会」に感謝して終わってしまい、下でひしめく多くの女性の地位向上に努力しない傾向がある。

 地方で男女共同参画が本格的に取り組まれたのは、2000年の男女共同参画法に基づき、各自治体で男女共同参画条例を制定した時からである。しかし、都道府県の条例が制定された後、市町村段階で、条例の内容は一挙に後ろ向きになった。失われた十年の後、日本は経済も社会も疲弊し始め、バブル期ならいざ知らず、女性の権利を高らかに唄う時代ではなくなっていた。社会における女性・若者の保守化も、この傾向に拍車をかけた。

 地方紙は、今も、人事の季節に、組織のトップに立った女性を採り上げる。就任した女性は必ずと言っていいほど「特に女性であることを意識しませんでした」と答える。地方の場合は、東京で独身で一日24時間をささげてトップに立つ野心家タイプの女性は少なく、三世代同居で子育ての心配なく淡々と仕事をこなしてきたタイプが多い。しかし、よくよく本音を聴けば、セクハラあり、足を引っ張られることありで、必ずしも毎日を平穏に送ってきたわけでないことを吐露する。だから、まだ多くの女性集団が地位向上を望めないまま、あるいは本人が望むことをしないままの状態なのである。

 理科学研究所の研究不正事件には、あまり指摘されていない問題点がある。それは、研究分野における女性優遇政策である。かつては、女性であることを理由に排除されていた研究の世界で、女性の進出を図るための優遇措置がとられている。小保方さんが女性でなかったら、ユニットリーダーになることもなっかたであろう。この事件によって、客観性の高い研究分野で女性を優遇することの是非が問われることになるかもしれない。今後、かつてあったように、女性の失敗はすべての同門の女性の失敗とみなされる傾向があり、根拠なく女性が排除される惧れもある。

 言うまでもなく、人口減少社会である日本にとって、女性、高齢者、そして外国人の労働市場参加は必要不可欠である。東京で野心家が女性のトップになっていくのも悪くはないが、地方で、足元を踏み固めながら、多くの女性労働力を生かしていく方が、国全体にとって大きな貢献になる。少子高齢社会のサービス産業は、既に多くの女性の手によって担われている。その雇用環境を優れたものにしていくことが地方において最も重要であろう。

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