大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

日本の社会と社会政策(7)福祉の序列

2024-04-23 09:30:10 | 社会問題

 行政の分野には、言わずと知れた序列がある。外交ならば、国別で言えばアメリカが最も重要で、次が中国、その次が韓国だろう。あとは場合によって是是非非だ。財務ならば、国家予算担当の主計局が最も脚光を浴び、税や理財はその陰にある。序列は、国益への関わりや国民の関心度などから歴史的に作り上げられたと考えられるが、その仕事を担う役人は、序列を意識し、出世コースか日陰コースかの観念を持つ。いかなる仕事も国を動かす役割を持ち、序列はありえないと思われるが、行政マンが序列意識を持ち、また、それ以上に、政治家が選挙民の関心のみに政治活動を傾けることから、序列が厳然と存在する。

 社会保障の分野では、厚生省と労働省が省庁再編により厚生労働省になったのだが、厚生が先に、労働が後になったのは、序列通りと理解される。労働省最後の事務次官は、省庁再編の主唱者である橋本龍太郎首相に詰め寄って、いったんは労働福祉省の名称を勝ち取ったが、医師会の反対などで、厚労省に収まった経緯がある。役人にとっては自分の「偉さ」を表す序列が重要であることを語るエピソードだ。筆者は厚生省の出身なので、不文律である旧労働省の序列については詳しくないが、旧厚生省の序列は当然に知る。まず、保険局長になった者が事務次官になるという慣例は保険局が省のトップを表している。

 保険局に次ぐのが同じ社会保険である年金局だが、現在では基礎年金の半分が税によって構成されていて重要性は増大している。しかし、年金法は付則が多く難解であり、医師会相手に振る舞う保険局と比べると年金族は「コマネズミ」のごとく働く役人にしか見えない。国民皆保険は1961年、それまでは福祉が旧厚生省の序列のトップであった。戦後の名官僚は、社会局で生活保護法の立法事務を行った小山進次郎氏と医療費亡国論を唱えた保険局長の吉村仁氏であろう。時代の序列トップにふさわしい仕事を後輩の我々に見せてくれた。二人とも、部下の書いたものを読まない、自分の言葉で語る情熱と説得力のある人物であった。

 戦後の一時期は公衆衛生局の防疫課が肺結核撲滅の仕事を担い、最も花形の行政で序列のトップであった。だが、肺結核がストレプトマイシンの普及で急速に治まる中、序列は一気に下へと移行した。そのことが後々のコロナ禍対策の失敗につながる。医療については、ガンなどの生活習慣病対策の序列が高く、公衆衛生局改め健康局はその下にある。国費をより多く使う仕事が序列の上にくるという考えだ。

 さて。福祉の中で、さらに細かく序列がある。児童福祉はこども家庭庁に出て行ったが、財務省と金融庁の関係のごとく、少なくともかなりの期間は厚労省の出店であり、人事も一体であろう。特に、こども家庭庁は、少子化問題に最も多い方法論を提供すべき教育が文科省から移管されなかったので、独自のこども政策調整などできはしない。内閣府と合体しても、もともと内閣府は福祉の専門ではなく、こども家庭庁は実態的に厚労省の一部局であり続ける。その前提で、福祉の中での序列は、高齢者、児童、障碍者の順である。

 高齢者は言うまでもなく、この国の人口の三分の一を占め、政治家が膨大な票を相手に関わりたがる。そのおかげで介護保険法が2000年に施行され、介護保険の総費用は今や14兆円余である。序列二位の児童福祉は、言うまでもなく少子化政策で花形となっているはずだが、既存の保険料への上乗せなど、財源を「ケチっている」ところからみれば、未だ政府の本腰が入っていないというべきであろう。人口減少が国益にかかわる認識を持てば、堂々と税による予算要求をすべきであるし、それが難しいのならば介護保険のような仕組みで出生・子育てを社会で支援すべきだろう。残念ながら、児童福祉が序列のトップになりえないのは、政府の及び腰による。

 障害福祉は、介護保険創設の時に、年齢にかかわらず障害者を含めての立法が働きかけられたが、当時の担当部局は消極的姿勢であった。介護保険法に遅れること15年、ようやく障碍者自立支援法ができ、高齢者や保育事業などで先行していた利用者本位の事業に取り組むことになったが、身体障碍者436万、知的障碍者108万、精神障碍者419万という数は、国全体の高齢者や児童の福祉に比べ対象数がはるかに少なく、さまざまの意味で後回しになる可能性が強い。また、序列が下ということで、行政マンの意気も上がらないのではないかと危惧される。

 90年代に宮城県知事に就任した浅野史郎氏は厚生省出身で、障碍者の行政を優先することを掲げた。こんな政治家は稀有である。票の多い対象の行政を掲げる政治家の中で、浅野氏は一定の成果を挙げた。障害行政は、街全体のユニバーサルデザインにもつながり、社会参加や労働の場の提供で新たな才能やビジネスチャンスが発見されることもある。つまり、障害行政の敷衍が地域発展の発端となる。障害行政の専門を誇りに思って、ビジネスチャンスを見つけてほしいものだ。また、専門性が低いこと、世の関心が低いことを狙って、何の専門性も持たぬ政治家が、障碍者のための事業に担い手になり、収益を得ているのを放置してよいのか。

 序列は人の心に食い込んで、仕事の出来に影響する。どの仕事も成功させるには、政治家にせよ、行政マンにせよ、専門性を持たせ、プライドを以て専門性に生きるようにしなければならない。

 

 

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日本の社会と社会政策(6)児童手当の財源と政府の本気度

2024-04-16 09:54:36 | 社会問題

 岸田内閣は、少子化政策の雄、保育所整備から児童手当に舵を切った。大都市で叫ばれ続けた保育所待機児童ゼロがほぼ達成されたからである。しかし、なぜ児童手当なのかは十分に議論されたとは言いがたい。そもそも1971年に児童手当が制度が導入されたときには多くの議論があった。当時欧州で行われていた児童福祉政策の中で唯一導入されていなかったのが児童手当であったが、導入反対の議論が強かったからである。

 その理由の一つは「子供は私的な存在」であり、育児に金銭を補助するのはおかしいという議論。もう一つは戦後出来上がった年功序列の日本の賃金体系では、子供の成長とともに賃金が上がり、必要経費が賄われるようにできているという議論であった。さらに、金銭給付は、子供のために使われるかどうか保障がなく、お父さんの酒代、パチンコ代に化けるという議論も加わった。

 子供は私的な存在であるとの認識は時代を経てだいぶ変わった。子供が減ると、日本の生産力も社会保障制度も保てなくなる。つまり、国力も先進性も失うのである。国や公共が乗り出して、国の運営のために子供は、間違いなく「公的な駒、公的な存在」として育む必要が出てきた。この「子供は公的な存在」という意識は、実は戦前にもあった。「富国強兵」を掲げる日本政府にとって国を担う労働力や兵力のために「産めよ増やせよ」の政策をとった。豊かな国を目指すという意味では、今も変わらない認識だろう。

 ただ、国がどう考えようと、子供は私的な存在である方が大きい。戦前ならば、農家や自営業を継ぐ跡取りとして、子供は生産財であり、年取った親の生活保障であった。高度経済成長後は、子供はもっぱら消費財となり、家業は継がないし、高学歴を与える存在にもなり、カネがかかる一方である。親の生活保障は社会保障にとって代わられ、育児の喜びという便益以外はコストのかかる消費財として考えられるようになった。90年代バブル崩壊以降は、子供は消費財から贅沢財までに変化した。デフレ社会で、結婚し、子供を持つこと自体が、別の言い方をすればジャパンアズナンバーワン時代の中産階級ならだれでもできたことが、贅沢になってしまったのである。

 したがって、国は子育てを補助しなければ、黙って国の生産力のもととなる贅沢財を産んでもらえなくなった。かつてより児童手当の意味が大きくなったのである。では、年功序列の賃金体系が子育てに有利だった状況に変化はあるか。小熊英二著「日本社会のしくみ」に詳しいが、いわゆる日本型雇用は官庁・大企業を中心に残っているものの、その恩恵を被るのは勤労者で言えば三分の一くらいという。大企業でも非正規雇用が伸び、日本型の恩恵を受けない労働者は多くなった。親子四人でお父さんが大黒柱の「昭和家族」は三軒に一軒だ。だとすれば三分の二に対しては、児童手当で補完する必要がある。

 子供が公的に認められた存在になり、従来の賃金体系で養えなくなった人が多くなれば、児童手当が俄然その地位を得ることになる。そもそも児童手当が欧州を起源とするのは、欧州では、日本と異なり、賃金は職務給であり、同一労働に対し同一賃金で、年齢に関係なく支払われる。だから、子育てでカネが必要になった場合に児童手当を必要としてきたのである。日本も、30年にわたるバブル崩壊後のデフレ経済と非正規雇用の増加により、状況としては欧州に似てきたのであり、まさに児童手当が必要とされる時代になった。

 では、最後の問題、金銭給付は「お父さんの酒代、パチンコ代に化ける」についてはどうか。民主党政権がこども手当を始めた時の調査では、手当の給付の使い道として、一に貯金、二に家賃、三に子供のための費用となった。公共政策学では、金銭給付は政策の効果が最も低いと言われてきたが、まさにその通りであることが分かった。教育費の無料化、給食費の無料化の方が確実に子供に届く。子供の医療費は自己負担分を自治体が補助する政策が普及しているが、保育料については財政状況の悪い自治体では、かなりの高額が保護者にのしかかっている。児童手当という中途半端な給付よりも、こうした現物給付を確実にする方が子育て家庭には効果があるはずだ。

 会社員対象の児童手当も、いわゆる健全育成政策と呼ばれた児童館の設置や活動も、児童保護を対象とする福祉ではないという考えから社会保険の事業主負担を上乗せして財源としてきた経緯がある。福祉ならば憲法25条の生存権を根拠にするものであるから、当然に税を財源にするのであるが、一般児童に対する健全育成は将来労働力として受益する事業主が負担すべきであるとの考えによるものだった。しかし、上述したように、子供が個人の贅沢財ではなく、国の生産力になる財である見方に変わった現代社会においては、要保護児童のみならず子供全体に対して、租税を財源とする政策が堂々と行われてよい。

 新たな負担は増えないなどと言いながら、児童手当の給付について医療保険から捻出する方法を模索している今の政府は、まだ堂々と少子化政策に取り組む気がないと言っても過言ではあるまい。

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日本の社会と社会政策(5)社会政策を時間で計る

2024-04-09 09:12:26 | 社会問題

 戦後、日本の社会は、1970年に国連の定義する高齢化社会(65歳以上人口が総人口に占める割合が7%)、1994年に高齢社会(同14%)、超高齢社会(同21%)へと移行してきた。現在その数値は30%を超えた。社会政策の為政者は、90年代から特に、生産年齢人口4人に対し年寄り1人を支える状況から、3人に1人、2人に1人、さらには1対1の状況になることを警告してきた。それに合わせ、介護保険法や後期高齢者医療制度などを整備してきた。つまり近未来の数値を目標に政策が行われてきたのである。高齢者の人口に関することは、近未来がほぼ確実に予測でき、経済や戦争などと異なって将来に向かっての政策が可能である。医療の進歩や国民の健康意識などは予測以上だったとしても、高齢のプロセスはおおむね正しく把握されてきた。

 これに対し、同じ人口の領域でありながら、少子化の把握は稚拙を極めた。実際には、70年代から始まっていた人口置換率以下の出生率低下を第三波ベビーブームによって回復するとの楽観的な見方から、また人口問題を児童問題に置き換え、児童政策は「女子供の政策」という軽薄な認識から、人口政策は「失われた30年」を費やすことになった。未来の設計を業とするはずの政治の過ちである。いつまでも同じところに留まり、時間の観念を持たぬ貧しき政治が行われてきたのである。

 この人口に関して言えば、出生率にだけ注目するのは、また間違いを繰り返すことになる。人口の維持を目的とするならば、高齢出産の一般化は人口を減らすことを警告しなければならない。25歳ごとに2子を産む繁殖のサイクルと35歳ごとに2子を産む繁殖のサイクルでは、100年間に前者がひ孫を16人、後者が孫を8人を残す計算であり、同時期の人口数に大きな違いをもたらす。また、35歳から子を産み始める夫婦は、妊娠率や体力などから二人目をあきらめる場合が多く、逆に25歳の夫婦は3人目を考える可能性が高い。したがって、今の少子化問題に欠けている時間の観念、つまり、「いつ子供を持つか」のための政策が取り上げられなければならない。

 筆者は、かねてから学齢を一年下げ、大学卒業年齢を21歳にすべきと議論を提示してきた。学業修了と結婚年齢には相関関係があり、早く学業が終われば結婚年齢も下がるからである。園児を奪われる幼稚園業界からの反対や初等教育の混乱に対する危惧があるかもしれないが、今の日本に優先すべき政策は人口政策だと筆者は信じる。また、学齢を早めることは教育格差を縮める役割も果たし、学校給食の無料化によって子供の貧困の一部を救うことにもなろう。学究を志す者は、より早く大学院での研究に進むことができる。学齢引き下げのメリットは大きい。このことによって、同時に大卒のための職業教育や博士号取得者の雇用を制度的に担保すれば、少子化は収まる方向に向く。仏作って魂入れるには教育改革が必要である。社会政策と隣接の教育改革は同時に行われねばならない。

 高齢者対策においても、年金の繰り下げ、医療の自己負担の見直しが行われ、少子高齢社会の時間的緩和につながるが、そのためには働ける高齢者に対する雇用政策がもっと効果を上げなばならない。高齢者は若者に比べヒューマンエラーが多いが、AIを活用するなどエラーを極小化する方法はいくらでもとれる。そのためのAIではないのか。逆に、高齢者は人生経験から労働集約的な対人サービスに長け、保育、教育、カウンセリング等に力を発揮する。高齢者の特性を生かした労働市場を明確にし、雇用に結びつける社会政策が望まれよう。

 広井良典京大教授は、著書「ポスト資本主義」の中で、生産性を上げれば雇用が減り、今の時代はむしろ労働集約的で時間のかかる生産性の低いサービスの方が望まれていると述べる。確かに、個別医療の発展はその考えだ。広井氏いわく、経済成長が甚だしいときは、スピードが求められ、短い時間で財やサービスを大量に完成することが生産性向上に不可欠だった。しかし、それは必ずしも人間を幸せにしないし、下り坂の日本にもうそれほどの財やサービスは求められていないから、生産性の低い、時間のかかる社会にしていくべきと述べる。長年、ILOやOECDから日本は生産性が低いと指摘されてきたが、これは面白い反論である。経済政策のみならず社会政策においても時間の観念を変換した効果や効率を求めるべきと言い換えられよう。

 出生率が低いと言われれば出生率の数値向上ばかりに着目したり、生産性が低いと言われれば労働時間を減らし迅速に働くことだけを目指したりの社会政策では、現代社会はもたないのである。受験教育や概念教育が主で職業教育に欠ける日本の教育に使われる「長い時間」や労働時間削減で流通や医療に打撃をもたらしている事実を踏まえ、高齢者や女性の余剰労働力や丁寧に受け入れる移民の労働力を活用する方が正しい。一時的な効率よりも、時間の観念を変え、ゆったりと社会を動かす政策が必要だ。

 

 

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日本の社会と社会政策(4)働き方改革

2024-04-01 10:01:48 | 社会問題

 安倍政権は安保法制を強化したことで知られるが、社会政策にも新たな取り組みを行っている。そもそも安部元首相は当選して間もない90年代前半は自民党社会部会に属し、社会政策に関心を示していた。筆者はそのころ、官僚として説明に行ったことがあるが、質問を受けたことはない。当時は寡黙な議員だった。社会部会は、若手で独自のテーマを持たない議員がとりあえず属する部会でもあり、大所帯だった。その安部首相は、2018年、入管法の改正(いわゆる移民法)と働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律(いわゆる働き方改革関連法)を成立させた。

 ある意味ではこの二つの法律は画期的である。移民を毛嫌いする日本に対して、移民に対し表と裏と両方の門を開けた。半開きに開けたと言った方が正確だろう。そして、過労死が社会問題となり、長時間働き自慢の国柄を変える働き方改革という新しい観念をもたらした。働き方改革でよく引き合いに出されるのは、オランダとイギリスである。オランダは80年代からワークシェアリングの考え方が普及し、同一労働同一賃金を実行することによって、就業者の4割近くがパートタイム労働である。しかし、日本より労働生産性が高い。イギリスはアメリカと並んで労働時間の長い国であったが、子供の貧困や子育て対策の一環としもワークライフバランスの導入が2000年前後に行われた。日本はこれらの国に学び、かつ、EUの90年代からの労働規制の指令を採り入れて、働き方改革法を成立させた。

 この二法は、労働力と労働生産性に関わる画期的な法律であり、社会を変える内容であった。しかし、社会の変革がドラスティックに行われたわけではない。むしろ、徐々に労働の多様性と意識の変化が観察される。トラックの運転手や医師など分野ごとの労働規制が進んでいるが、人口減少と相まって、流通の迅速な対応や医療の休日サービスなどは困難になっていくだろう。若い人たちは、有給休暇の消化を権利として行い、時間外の職場仲間との付き合いを制限し、男女ともに子育て時間を増やす動きはあるが、まだ数値としては現れていない。

 移民と働き方改革が、中でも働き方改革がdecent work(尊厳を保てる働き方)をもたらすには、働く意味や価値が問われている。日本の文化では、長時間我慢して働くことが、会社への忠誠を表し賛美されてきた。働かざる者食うべからずの日本でもある。しかし、一方で、デレデレと長時間職場に居残って残業代を稼ぎ、また、上司が居残っていれば帰宅できない非生産的な労働もあり、労働生産性の低い働き方が指摘されてきた。こうした文化は、一挙には変えられない。日本は勤勉さを高い価値とみなす文化が元々あり、西洋では、マックス・ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に書いたように、ギリシャ時代から労働は悪で奴隷に任せるべきもの、カトリックはそれを受け継いできたがプロテスタント教会がその考えを覆し、勤労の美徳を教えた。プロテスタントの強い米英のアングロサクソン系が働き者なのはこのことによる。

 したがって、長時間働くことはいいことだ、の世代が消えない限り、非効率な労働環境は残っていくであろう。そして、その非効率さの最たるものが、霞が関官僚の労働環境だ。労働環境の改善を唱える野党ほど、夜に対応しなければならぬ国会質問を多く出し、役人は非効率と知りつつも、専門性の低い大臣サポートのためもあって、夜中資料作りに追われる。小熊英二著「社会のしくみ」によれば、身分制、給与、働き方などすべてが官僚の世界から始まり、大企業がまね、やがて全国に広がっていった歴史がある。霞が関の権威が明治以降で一番落ちた現今とはいえ、その働き方を変えねば、法律の趣旨を汲んで働き方改革に取り組む企業や団体は少ないのではないか。

 筆者がインドに在住していたころ、インドの官僚に聞けば、国会質問は2週間前に提出しなければならないとのことだった。イギリス系の制度をとる国々は、議場が日本と異なり、先生が生徒に答弁する教室型ではなく、与野党の閣僚などが一つのテーブルに向き合って座り、文字通り議論しあう。日本のような答弁読み上げは考えられない。数字など基本的なことを問う質問には資料で対応すれば十分であろう。議場では、政治討論して、まさにやりあうのが仕事だ。日本の議場は、紙で書かれたやり取りを読むのが中心で、だから、面白くなく、議員自身がよく眠っているではないか。

 国会の非効率、官僚の非効率を改めることによって、全国のさまざまの組織がまねて改められる可能性は高い。それには、日本の組織のトップが専門性を持つことも重要だ。日本は資格や職業教育を重視しないから、何の専門性もない大卒を組織の卵として育て、いわばたたき上げでトップまで登る。技術系を除き、事務方がみなジェネラリストという形態が多い。たたき上げに時間をかけるから、長時間労働自慢の文化が保たれるわけだ。

 働き方改革の究極の目的は、労働生産性の向上だろうが、それは、単に労働時間を削るだけでは達成されない。職務に専門的に従事できる教育を受け、かつその専門性を維持できる人事を行わねば、いつまでたっても、日本は労働生産性の低い、集団主義ジェネラリストの国をやめることができないであろう。大学教育まで遡らねば企業文化の改革はできそうもなく、安倍政権の遺産である社会政策は牛歩の歩みである。

 

 

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日本の社会と社会政策(3)相対(あいたい)の制度

2024-03-26 09:44:04 | 社会問題

 介護保険制度は、さまざまの見方がある。90年代、核家族化した社会で、老親の介護が離職や介護疲労の惹起する事件などを増加させ、介護の社会化を制度化したとみるのが一般的だ。慢性疾患や福祉施設の不足で高齢者が病院ベッドを奪うため、第二の医療保険として発足させたとみることもできる。家族の変容への対応と医療保険財政への対応の入り混じった選択だと言っても間違いはない。

 90年代は、バブル崩壊後の日本の長いデフレ時代に突入し、80年代、スタグフレーションに苦しむ先進国の中で唯一経済発展を続けた日本が打って変わって欧米に負ける時代に突入した。家族ケアを前提とした子育てや老人の介護が本格的に社会化されねばならぬ時が来た。90年代後半には生産年齢人口が減り始め、少子高齢化の「実害」が出てきた。子育てや介護で特に女性の労働力が阻まれることは許されなくなった。90年代、政府が予算を組む時の三大スローガン、高齢化、国際化、民営化の中でも、突出して重要なのは高齢化への対応だった。高齢者の数と増加のスピードは世界に類例なく、89年にゴールドプランと称して老人ホームなどの量的整備は始まっていたものの、従来の福祉制度ではすでに人口の14%を超えた高齢者に対応できないことが自明であった。

 当時、厚生省(現・厚労省)はチームを作って介護保険制度の創設に急いでいたが、少子化対応の児童福祉法改正(97)は、検討中に「介護保険で精いっぱいだ。余計な改正はやめろ」と次官に咎められた。同様に、社会福祉の基礎構造改革に対応する社会福祉法(2000)は年金法の改正に邪魔になるとの判断で国会提出が遅れた。高齢者にかかわる制度改正が優先の中で起きたことだ。児童福祉法と社会福祉法については、介護保険や年金とは異なり、マスコミの後押しや政治家の関与があったのではなく、いずれも官僚が必要性を唱えて始めた改革であり、現在の上目遣い「忖度官僚」の時代とは異なる意気を感じる。

 90年代は、細川護熙首相による政権交代があり、厚生省は事務次官の収賄事件があって、省全体の体力は落ちていた。そもそも内務官僚は自民以外の政権に後ろ向きであったし(ちなみに民主党政権についても実質認めていなかった)、収賄事件にまつわる自称選良たちの意気は落ちた。自称選良たちは、時の最大トピックである介護保険制度創設にかかわっていたものが多い。その意味では、児童福祉法にせよ社会福祉法にせよ、権力志向よりも福祉理論、福祉哲学を追いかけた新たな人脈が組織の中で芽を出し、改正につながったといえる。

 児童福祉法は、結果的には、保育の措置制度改革には至らず、保育所の選択性をもたらしたにとどまったが、社会福祉法は、介護保険がとった利用者制度を福祉全般に敷衍する役割を果たした。つまり、上から下への「施し」の福祉を改め、福祉サービス供給者と受け手である需要者が市場で出会い、福祉サービスを利用するかどうかを決めるのを基本としたのである。中央社会福祉審議会委員長の木村尚三郎東大名誉教授(故人)は、社会福祉基礎構造改革の審議にあたって、フランス文化の専門家であって福祉には素人でありながら「これは相対(あいたい)の制度だね。市場で相対するとはいいことだ」とコメントされた。

 市場に出された「福祉」だから、財・サービスの取引の場にふさわしい「福祉サービス」「利用者」の言葉を使ったことが審議会委員を驚かせた。「福祉の世界にも、市場原理が入ったんだ。隔世の感がある」。前回触れたように、この背景には、アメリカが日本の奥座敷にある社会保障制度にまでも介入するようになった事情がある。筆者をはじめ官僚も、のちに格差社会を招く要因になった市場原理を、デフレ時代の救世主として歓迎した。当時、銀行ビッグバンをはじめ、思いもよらぬ司法改革まで、アメリカ的合理性を追いかけることに疑いを持たなかったこと思い出す。

 しかし、措置制度に浸かってきた福祉関係者からはすでに反対の声は上がっていた。「福祉サービスの供給主体まで拡大するとなると、弱者は選ばれずに福祉サービスの利用者になれないのではないか」。しかし、官僚は、経営努力なしに公費である措置費が入ってきて漫然と経営できる措置制度に胡坐をかく議論だと取り合わなかった。筆者は「長年福祉をやってきた我々に失礼だ、謝れ」とある名の知れた女性社会福祉法人理事長に怒鳴られたこともある。しかし、介護保険が先行し、より多くの人を対象にした制度にするためには、新たな保険制度を創設し、新たな財源を確保するとともに、市場原理による効率化も求められた。現在、岸田政権が保険料から少子化予算を出す案を検討しているのも、こうした過去の経緯があるからだ。

 また、児童や障害など新たな社会保険制度を作るのが難しくても、福祉制度から自立する必要性を市場原理は含んでいた。弱者にとっては厳しい制度になる可能性がある。2009年の民主党政権への交代の時、与党自民党支持である医師会が民主党政権実現に一役買ったのは、弱者である患者を対象とする医師たちの怒りが原動力となっている。医療保険は相対の制度ではあるが、医師と患者は情報の非対称性が指摘されていて、患者側が弱者になることが多い。後期高齢者医療制度の創設を弱者いじめと見た医師会の行動であった。

 相対の制度、言葉を換えれば準市場原理の福祉は21世紀とともに始まった。

 

 

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