大沼法竜師に学ぶ

故大沼法竜師の御著書を拝読させていただく

魂のささやき

2008-06-17 13:08:07 | Weblog
41 全滅するまで

 救われた者の幸福、永遠に生くる真生命を得た慶び、
天上天下に類いなき妙法を体験した嬉しさ、往生は一定の大自覚、
身も心も南無阿弥陀佛の生活、摂取光中の法悦、
広大無辺の佛恩を報謝せずには居られないではないか。
貧困の時に恵まれた金銭は僅かでも涙を流し、
難破船の時九死に一生を得た其の御恩を一生忘れ得ぬではないか。
況んや、昿劫已来流転を続け、現在も不実悪性の心に悩まされ、
無常の風の吹くも知らず、名誉に地位に財産に憧れて居た心の夢を覚まし、
大自然の大霊、佛智不思議の救済、大願業力に救われた嬉しさ、
地団駄踏んで求めた者の赦された嬉しさは踊躍歓喜せずには居られない。
嬉しうないの、有難うないの、喜ばれないの、報謝が出来ないの・・・
など文句の出る人は、未だ未だ真剣味が無い。
真の求道者は一も生命がけ、二も生命がけである。
畢竟するに自己の罪悪が知れないから法の尊さも知れない。
法の成就が届いて居ないから機の決定が無い。
万歳々々此の嬉しさ、久遠のみ親に逢わして頂くのは今じゃ。
進め進め、息の続く限り、進軍ラッパを吹き続けよう。
何の不足もなく不平もない。現在に満足し未来も安住、
生命を賭して求めた嬉しさ、信仰には妥協を許さない。
親子の魂の一致の前には権勢も名誉も動かし得ぬ権威がある。
大胆に而も鋭く、真仮の分済を正宗の名刀で乱麻を截つが如く
説破さして下さるのは佛智満入の賜である。
六月十五日から、九月十五日まで、満九十日の間、二百五十七席、
示談は布教に出ない時は毎朝二時間宛、最後には卒倒し、終に喉は破れた。
閉目合掌してみ佛様の前に跪き、にっこり微笑んだ時、嬉し涙は頬を伝った。
 無言の偉大さ!涙の尊さ!南無阿弥陀佛!
 親子一体の心境、親は子を知り子は親を知る。自己を知る者の為に命を捨てる。
極悪不善の私に正定聚の新生命を吹き込まれた嬉しさには
未だ未だ報謝は足りない。
 法龍よ名誉の負傷じゃのう!!
 み佛様、まだ残っています。右の手、左の手、喉が破れて説教が出来なければ、
ペンを走らして両手の折れる迄は九十五種の邪道、方便仮門、
自力の執心と闘わねばなりません。身業説法も意業説法も恵まれている私、
三業共に破るるまでは一歩も後へは引きません。
一身全滅した時、み親の里に帰ります。合掌。
(『魂のささやき』p.83-85)