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仏像彫刻教室

2012-09-30 15:07:56 | 日記
今日、ここ数年来通っている仏像彫刻教室の作品展示会があった。

自分は教室の中でも進歩が遅く、確実にへたくその部類に属するのだが、
先生(皆川閑慶先生)の作品はやはり圧巻であるが、こうして多数の
生徒さんの作品が一同に会すると、それはそれですごいなと思った。

皆川閑慶先生の作品はやはり、すごすぎて、神がかり的であり、
あのレベルに至るには、一体何年、何体の仏像を彫らなければならないのか
と気が遠くなってしまうであろう反面、自分の作品は、ご覧になられた人々に
とっては、「自分もできるかも、自分もやってみようかな…」という勇気や希望を
少しは与えたのではないかと自分で自分をなぐさめている。

私以外の生徒のみなさんはしっかりと仕上げてきていて、
中途半端な自分の作品が少しはずかしかった。

それでもいい経験をしたと思っている。

実は私は今まで教室の作品展や発表会というものには懐疑的だった。
とくにジャズの発表会(私も何回もエントリーしたことがあるが)は、
アドリブが命なので、なおさらだった。

どうしても発表会のために、アドリブラインを含めすべてを準備しすぎてしまう。
つまりそれはアドリブというより、書きリブであり、即興演奏ではなくなって
しまう。譜面のあるピアノやエレクトーンの発表会ならまだしも、ジャズにおいては
それではあまり意味をなさない、そう思っていた。

でも実際に(ごくたまにだけど)ジャズを人前で演奏するようになって考え方がかわった。
結局自分もライブ演奏の前にさんざんフレーズを考えて、仕込み作業をしているからだ。

もちろん、綿密にひとつのラインを書き上げて、その譜面をみながら演奏する、
などということはないのだが、その分、自分の考えうるフレーズの可能性を何パターンも
身体が覚えてしまうまで、いく通りも何回も繰り返し練習する。
即興演奏とは常にひらめきと記憶が交錯するものなので、必然的にそうなってしまう。
でもそういうことを繰り返しているうちに、見えない線というか、自分のガイドライン
というか、ある種の法則性(やり方)がみえてくるようになる。

自分のフレーズをしっかり考えるという作業はアドリブにおいても不可欠のものである。
スケールやコードだけを覚えても何を弾いたことにもならない。

書きリブであろうが何であろうがちゃんと最後まで自分の作品として仕上げる
というチャンスを与えてくれる発表会(ジャム・セッションも含めて)は貴重な体験だと
思うようになった。

皆のてんでバラバラな作品の一つひとつに適切なアドバイスをしながらも、
その一刀によって、私のへたくそな作品に仏性を発現させる皆川先生にしても
アドリブやっているようなものだからね。

先生の一刀の中には、どれだけの試行錯誤、黄金比率、絶対的な美意識がこめられて
いるのだろうと思う。それこそが見えない線であり、ガイドラインだ。

先生は「守破離」という言葉をよく使われる。
この「守」という段階を私は「考える」段階だと思っている。

考えるという前提でいうなら、質より量が大切、
量をこなせば必ず質は向上する、と信じてはいるが、

「あいかわらず、君は自分の感覚だけで彫ってるねえ」

といつもいわれてしまうのは、残念で仕方がない(笑)。




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今は、もう秋

2012-09-22 16:15:28 | 日記
最近ライブが連続しているので、深夜の帰宅、あるいは朝帰り
の生活を繰り返している。

昨日は西東京市にある姉の家にお邪魔した。
深夜に到着したので、姉もだんなも娘も既に就寝中、
わんこ(犬)のみどりちゃんだけがお迎え。

私の職業は土日祝日にかかわらず、また時間を問わず、
仕事の依頼がくることが多いため、いつもモバイルパソコンを
もちあるいており、ライブ中もパソコンをつないで、こそっと
仕事をしている。

昨日もライブが終わった後、姉の家で一人3時まで仕事をしていたので、
朝目が覚めた頃には、やはりわんこのみどり以外、家族はすでに
外出してしまっている。

みどりにわかれをつげ、吠えて噛み付かれそうになりながら、
逃げるように姉の家を出る(鍵をひとつ預かっているのだ)。

鎌倉に着く頃には連日の疲れと睡眠不足でもうクタクタである。

とりあえずひと眠りしようと、寝室にいくと、



あっ、このやろ、なんで俺の枕を占領してるんだよぅ!

しかたがないので、残りの仕事をかたずけちゃおうと机に向かうと、



(……)

我が家の猫どもはマイペースすぎて怒る気もしない(どこの家もそうか…)。

ままよ、掃除洗濯でもすっぺ…。

最近はザーッと雨が降ったかと思えば奇跡のように晴れ間が出る。
今がチャンスとばかりに一気にやるべきことをやる。

明日もライブなので、ついでにその練習とギターの弦も張り替えちゃえ!

そうこうしているうちに、寝そびれてしまった。

とりあえず、コーヒーでもいれるかと2階のリビングにいくと、

あんれ~??



さっき俺の枕で寝てたと思いきや、あろうことか洗いたてのシーツの上に
いる。しかも今干しているのに…。

…そうだよな、気持ちいいもんな。

今は、もう秋なんだなあ…。


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2012年9月のライブ情報

2012-09-16 16:38:02 | 日記
9月はひとつの週にライブが集中している。
1週間のうちリハーサルも含めれば4日間演奏することになる。
もちろんすべて夜なのだが、よりによって1週間内にこれほど
上手に分散されるとは…。
したがって来週は割り切ってモバイルパソコンをもって外で
仕事をするつもりでいくしかない。

まずは20日(木)、これは高円寺の「楽や」におけるコイケココローという
希代のソウルシャウターのバックで何曲かやる。

ココローは私の知りうる限りではナンバーワンのヴォーカリストだ。
その吸引力たるや半端ではない。うかうかしているとこっちが引きずり込まれて
しまうような迫力がある。彼とやる時はまるで格闘技をやっている気持ちになる。
多少の緊張はするだろうが、まあ武者震いってやつさ(笑)。

翌21日(金)は高田馬場ディグライトでのセッションライブ。
飛び入り自由の楽しいライブだ。

「私はいついかなる時でも誰の挑戦でもうける」というアントニオ猪木さんの
ような境地でやれれば最高だが、中にはとんでもない難しい曲をもってくる人がいて、
ベースの人にコードを耳打ちしてもらいながら、冷や汗をかきながらやることもあり、
それはそれで結構スリルがあってよい。
まあ、腕に覚えありの方もそうでない方も気楽にご参加ください。

そして1日休んで23日(日)は池袋のBarrel Houseでのライブ。
これは「江古田倶楽部ブルースバンド」という最近結成したバンドのライブで、
もともと別の方がギターを弾かれていたのだが、その方が病気ということも
あり、私が参加することになり、バンドも改名することになった。

新加入は私一人なのだが、なにしろ長くやっているバンドでレパートリーが多すぎる。
1回のリハーサルで20曲以上やらねばならず、あまりに過酷で、先日など
「少し休ませろ!」とメンバーに怒鳴ってしまった(笑)。体がもたないよ…、実際。

ともあれ、なんとかライブまでこぎつけられそうだ。



普段、専業で音楽やっていられればよいのだが、自宅で仕事をしている身だし、
土日を含め、昼でも夜でも仕事が入ってくるのでちょっと大変だけど、
こういったストレスは実際やってみればなんとか乗り切られるものだ。
今まで何度もこんな風にしてやってきたしね。

だから文句をいわずに、全力でやるぜ、よろしく!!!


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日本人の精神風土

2012-09-14 17:29:30 | 日記
昨日、「ひるおび」の八代弁護士のコーナーを見ていたら、
一つのケースを紹介していた。

私は弁護士ではないし、六法全書など見たこともないのだが、
ストーリを思い出せるかぎり自分なりにかいつまんで説明すると、

【ケース】
A子さんは、ある観光バスツアーに参加しました。
そして観光地である買い物をしました。
買い物がすんで観光バスは一路帰宅の途につきました。
その車中でA子さんは買い物の時に1,000円多く支払ってしまっていたことに
気づきました。
すぐに買い物をしたお店に電話をかけ、確認したところ、
確かにお店側は1,000円多くもらっていることを認めました。
A子さんは、
「書留か何かで超過分の1,000円を送り返してください。」といいました。
お店の人は、
「お宅が間違ったのだから、そちらから受け取りに来てください。」
といいました。
しかしすでにバスは発車してしまっており、今から戻ることはできません。
このケースではどちらの言い分が正しいのでしょうか?

といった内容だった(と記憶している)。

それに対する八代氏の答えは、

「お店側(債務者)に送付の義務があり、郵送料も負担しなければならない。」

というものだった。

ここで、その判決(八代氏の判断)がどうこういうつもりは全くないのだが、

私は「アメリカならこういう問題って起きないんだろうなあ」と思った。

私は逆に「お宅が間違ったのだから、そちらから受け取りに来てください。」
などと平気で言える店主って日本じゃ多いんだろうな、と思った。

アメリカは訴訟の国であるとはよく言われるところである一方で、
日本は「和をもって尊しとなす(いわゆる何でも話し合いで解決しなさい)」
も日本について語られる際によく言われるところである。

それは日本人の精神風土として確かによい面もあるのだろうが、
「あいまいさにかまけて、ものごとをうやむやにする、あるいはごまかす。」
ことにもつながっている。

「知らない」ことをかさに平気で勝手な主張をする。
そういう人は多い。

アメリカ人とこんなことを話したことはないのでよくわからないが、
彼らは日本人以上に、ひとつのスタンダードの上でものごとを判断しているような
気がする。
それがどんなスタンダードかは知らないが、日本人が考えている「常識」など
という生半可なものではないはずだ。
私からいわせれば「常識」という言葉ほど、いい加減なものはない。

「もちやもちや」で自分が不得意なところは考えてみるということすらしないのも
日本人の特徴だ。

すべてにおいて専門である必要はないと思うが、「少しは考えてみたら」といいたい。

例えば、企業の社長が「会計は専門ではないから」といって、すべて経理担当に
任せていたら、会社はとんでもないことになるでしょう。
稲盛和夫さんは、徹底的に会計部長とディスカッションし会計の本まで書いているし、
渡邉美樹さんにしても、ワタミを起こす前は会計の勉強をしたと、なんかの本に
書いてあった。

日本が大変な時だ。「政治のことは知らない」ではすまされないのだ。

もっとも、原発のことをはじめとして、日本の専門家といわれる人たちからして、
かなり怪しいわけだが…。

いつまでもこんな精神風土にしがみついているようじゃ、夜明けは遠い(と思う)。


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PDF-XChange Viewer

2012-09-13 17:29:51 | 日記
今日iphone5の発表のニュースを見た。

軽量、薄型でいろんな新機能が追加されたのだろうが、やはりジョブスという
「未来からやってきたカリスマ」を失ったせいか、あの頃の華やかさや、
人を惹きつける神通力のようなものがなくなった気がした。

とはいえ、それはAndroidを使用している私個人の感想にすぎない。


ところで私は普段翻訳業を営んでいる。
近年のインターネットの普及によっては印刷の仕事もほとんど受けていないので、
必然、PDFなどの電子媒体での納品が主流だ。

翻訳という仕事は、実にいろんなドキュメントを扱うわけで、お客さんの
要望も様々なので、必要最低限のソフトウェアはそろえておかなきゃならない。
Microsoft Officeはもちろん、Adobe IndesignやPhotoshop、Illustratorなどの
レイアウトやグラフィックスソフトも必要だ。
OSもそうだが、こうしたアプリケーションは実に頻繁にアップグレードされてしまうし、
その度にお金もかかる。

中には下位バージョンとの互換性のないものもあり、せっかくお金をためて
やっとの思いで購入したのに、そうなると「もともこもない」と思ってしまう。
また、アップグレードといっても、どう考えてもマイナーバージョンアップでしか
ないものもあり、まるでソフト会社の権益を確保するためにやっているとしか
思えないものもある。

現在は「フリー化の時代」といわれる。
Googleなどの出現により、ソフトウェアのように実態のない商品を売る会社は
いかにして利権を確保するかで躍起になっている。

一体誰が決めたルールにしたがって我々はお金を払っているのか…。


一方で今インターネットでは本当に沢山の便利なフリーウェアが出回っている。
これは自然の流れだと私は思う。

なるべく経費を節約して、タダでできることにお金をかけないのが
私の信条だ(自慢か!!)。

だいたい、自動車や骨董品を買うんじゃないんだぞ!!

翻訳は設備投資で儲けを出す産業ではない。
どんな高いソフトウェアだって3年以内に償却すべきだし、それに見合った収益が
得られる見込みがないなら、その買い物は無駄なのだ。

だからというわけではないが、私はしょっちゅうフリーウェアを検索している。

「何だ、これは!! おもちゃか…」

と思ってしまうものもあるが、中には結構使えるものもある。

今日は「PDF-XChange Viewer」という優れもののPDF編集ソフト(フリーウェアと
シェアウェアがある)だ。
面白くなって、仕事そっちのけでいろいろといじくっている(笑)。

新しい技術や新しい知識がイノベーションを生むことは稀である。
そうではなくて、誰も気がつかなかったこと、ひとつの素材に対する新しい
発想がイノベーションを生む。それが情報化の時代だ。

カラーテレビや自家用車がステイタスの象徴である時代、いわゆる
プロダクトアウトの時代はとっくに終わった。
それは誰もが理解しているはずだが、

新しい酒を古い革袋に入れ(to put new wine into old wineskins)ている
だけのような気がする。

今の日本の産業、そして政治をみていると言葉だけが独り歩きしていようだ。
特に外資系の日本法人企業はその傾向が強いと思う。
実践がともなっていない、ってか本当の意味で理解できていいないとしか思えない。

実はユーザーの方がつねに先にいるということを改めて考え直したほうがいい。



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