仕事上、しょっちゅう都内に出かける。
「鎌倉からきました。」というと
「そんな遠いところからわざわざ…。」と
お客様からお礼をいってもらうことも多いのだが、
北鎌倉から品川まで45分もかからないし、しかも1本なので
自分には遠いという意識はまるでない。実際10年近く同じ職場に
通っていたしね。
埼玉や茨城から通勤している人も大勢いるわけで、
実は、中央線で品川まで通っていた時の方が不便だった気がする。
時間もかかるし、超込みだし、乗換えが非常に中途半端で
本を読むことすらできない。
サラリーマンの頃は通勤電車が貴重な読書タイムだった。
仕事の勉強もよくしたし、1年間で分厚い音楽理論の本を
2冊ほどマスターしたこともあるし、英会話のテキスト
(i-Podでリスニングをしながら)もマスターしたし、
ポルトガル語もマスターしたし、それにもあきたらず、
電車でたったままの姿勢で作曲までしていた。
まあ、自分の場合、電車の中のアイデアはあんまりたいしたものでない
のでやめてしまったが、それでも先日数えてみたらなんと50曲近く作っていたことになる。
まあ、同じ職場に10年近く通っていれば、そのくらいにはなるか…。
その頃になると、電車の進行方向に対し、どういう角度でどの辺に
たつのが、ペンを動かしやすいかまで熟知していた。
今はそういうことにあてる時間をなんとかねん出しようと
工夫はしているが、どうしてもダラダラしてしまうことが多い。
反面電車の中は半強制的に勉強時間となっていたので、
ものごとを続けるということが楽だった気がする。
時折、そういう時が懐かしくなる。
電車のもう一つよいところは、世の中の動き(様子)がよくわかることである。
4月頃は山の手線などは超込みである。フレッシュな新入社員が
多くいる。そういう状況も5月になると少し落ち着く。各地に配属が決まるからか、
5月病なのかよくわからんが、そういうことを推測するのも楽しい。
希望に胸をふくらませ、社会人となり、
研修を終えた新人どおしが互いの理想を語りあう。
「新聞は読まなくちゃダメだよ。私は毎日くまなく読んでるよ。」
(そんなもの自分が関心のあるところを飛ばし読みすればいいよ。
見出しだけでも十分さ。だいたい日経新聞をくまなく読むってことは
新書を1冊読むのと同じ文字量だぞ、続くわけがない…。だいたい新聞
読んでいる奴は重役出勤で仕事もろくにないようなお偉いさんばかりだぞ。
そのうち、あんたも口をつぐむか、せいぜいスポーツ新聞に乗換えること
になるだろうよ。)
などと、そういう新人たちの会話にいちいち無言の突っ込みをいれる
自分がやましく、悲しい。
まあ、そういう自分に気付いただけでもよしとするか…。
自宅を仕事場にしていると、とにかく気持ちを切り替えることが難しい。
だから、テレビやラジオ、読書などの誘惑からのがれるために、
禁則事項は依然よりも増えてしまっている気がする。
ただし、生活がよりシンプルになることは事実だ。
誰からも強制されないということは、裏を返せば、自分の
やりたいことはなんでもできるということなのだから。
実は自分が本当にやりたいことは何か、これを突き止めることは
すごく難しいことなのだけどね。
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト
「鎌倉からきました。」というと
「そんな遠いところからわざわざ…。」と
お客様からお礼をいってもらうことも多いのだが、
北鎌倉から品川まで45分もかからないし、しかも1本なので
自分には遠いという意識はまるでない。実際10年近く同じ職場に
通っていたしね。
埼玉や茨城から通勤している人も大勢いるわけで、
実は、中央線で品川まで通っていた時の方が不便だった気がする。
時間もかかるし、超込みだし、乗換えが非常に中途半端で
本を読むことすらできない。
サラリーマンの頃は通勤電車が貴重な読書タイムだった。
仕事の勉強もよくしたし、1年間で分厚い音楽理論の本を
2冊ほどマスターしたこともあるし、英会話のテキスト
(i-Podでリスニングをしながら)もマスターしたし、
ポルトガル語もマスターしたし、それにもあきたらず、
電車でたったままの姿勢で作曲までしていた。
まあ、自分の場合、電車の中のアイデアはあんまりたいしたものでない
のでやめてしまったが、それでも先日数えてみたらなんと50曲近く作っていたことになる。
まあ、同じ職場に10年近く通っていれば、そのくらいにはなるか…。
その頃になると、電車の進行方向に対し、どういう角度でどの辺に
たつのが、ペンを動かしやすいかまで熟知していた。
今はそういうことにあてる時間をなんとかねん出しようと
工夫はしているが、どうしてもダラダラしてしまうことが多い。
反面電車の中は半強制的に勉強時間となっていたので、
ものごとを続けるということが楽だった気がする。
時折、そういう時が懐かしくなる。
電車のもう一つよいところは、世の中の動き(様子)がよくわかることである。
4月頃は山の手線などは超込みである。フレッシュな新入社員が
多くいる。そういう状況も5月になると少し落ち着く。各地に配属が決まるからか、
5月病なのかよくわからんが、そういうことを推測するのも楽しい。
希望に胸をふくらませ、社会人となり、
研修を終えた新人どおしが互いの理想を語りあう。
「新聞は読まなくちゃダメだよ。私は毎日くまなく読んでるよ。」
(そんなもの自分が関心のあるところを飛ばし読みすればいいよ。
見出しだけでも十分さ。だいたい日経新聞をくまなく読むってことは
新書を1冊読むのと同じ文字量だぞ、続くわけがない…。だいたい新聞
読んでいる奴は重役出勤で仕事もろくにないようなお偉いさんばかりだぞ。
そのうち、あんたも口をつぐむか、せいぜいスポーツ新聞に乗換えること
になるだろうよ。)
などと、そういう新人たちの会話にいちいち無言の突っ込みをいれる
自分がやましく、悲しい。
まあ、そういう自分に気付いただけでもよしとするか…。
自宅を仕事場にしていると、とにかく気持ちを切り替えることが難しい。
だから、テレビやラジオ、読書などの誘惑からのがれるために、
禁則事項は依然よりも増えてしまっている気がする。
ただし、生活がよりシンプルになることは事実だ。
誰からも強制されないということは、裏を返せば、自分の
やりたいことはなんでもできるということなのだから。
実は自分が本当にやりたいことは何か、これを突き止めることは
すごく難しいことなのだけどね。
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト