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大峰の河童

法螺貝を習得中 

考古学付属博物館に展示している木弓を見てきました。

2010年07月09日 | 日記
常設展示物の中に古墳から発掘した数本の木弓が展示されています。 木弓の木の種類は表示されていませんが中には真弓の木も有りそうです。

展示物の木弓は見た目で150cmぐらいです。 意外と長さが短く感じました。 古代の日本人の身長が160cm程度とすると、長弓とはいえません。
ただ、真弓の木で弓を作るとして節のない(枝分かれがしていない)部分で200cm以上の幹を確保するのは非常に難しいと思われます。 河童は奥駈け中や里山探索時に真弓の木を捜していますが、200cmより高い木を未だ、捜し出していません。 弓の途中に節が有ると破損率が高いので、発掘された弓の長さが実用的か?

今では、手製の竹弓と木弓の2張を作り、一手分の削りをしている竹矢で的前に立ち、早く的中率を比べて見たいと各工程の作業方法を調べています。 その時は、麻弦も手作りの計画。

博物館の隣にある弓道場で大会が開催されていました。 一度に9名が行射できる広い道場です。 見学中に4射皆中の方が数名いましたが、その中にアメリカ人の青年が居ました。

北奥駈けは雨の中の修行でした。

2010年06月28日 | 日記
新客3名、9年連続?の女行者、二匹の鬼が捕らえられた里(鬼取町)の行者、多彩なメンバー14名で、洞川から前鬼(捕らえられた鬼が住んだ里)までが今回の大峰奥駈けです。

出発の洞川、大橋茶屋では不思議探偵団ロケハンの話を聞いて、洞辻茶屋で一服。(ロケハンの哀川翔や宮川大輔は歩いて登らず。) 西の覗き等の行場はスルーして山上宿坊で一泊。

次の日は2時起きで3時に出発、雨の中を前回往復した小笹宿で朝食・行者還岳小屋で昼食。トンネル東から登ってきた別動隊3名と合流するまで登山客に会わず。弥山小屋で一泊。 

前日に引き続き雨の中を3時に出発して、硬い蕾の「オオヤマレンゲ」をライトで照らしながら八経ケ岳は夜明け前。 楊子ノ宿小屋で朝食をとり、キレットが口を開けた両部分け・楊の鼻で肝を冷やして釈迦ケ岳へ。 深仙小屋で昼食後、太古の辻から前鬼へ下る。

例年、この行程は梅雨時で河童の水補給は比較的、楽で有るが2回横切る前鬼川の増水や山ヒルの襲来に注意。 来月の南奥駈けは夏真っ盛り、河童は3.5リッターを持って頭の皿に絶えず水分補給を行います。

河童の矢竹造り、「荒矯め作業に挑戦」

2010年06月23日 | 日記
梅雨時、屋外での作業は蚊の大群と格闘しながら今年、採取したヤダケの荒矯めを完了。

バーベキュウ用の炭3KG X 3箱を使用して4日がかりで終了。
一本の竹を矯めるたびに、一切れの炭を七輪に投入し、絶えず火力を保つ。 レンガで天井を作り、トンネル状にして熱が籠る様にした。 

何組か、揃った竹は丁寧に荒矯めを行う。 矯めは根元から、一節、一節、矯めていって、節の部分は最後に真直ぐにする作業を進めたが、マングローブの炭は熱源として弱いのか? クネクネ曲った荒矯めとなった。 又、加熱と力加減の不具合で矯め瑕を何本も付けてしまった。矯め木のサイズは竹のサイズに合わせて4個を使い分ける。 

湿度が高い季節なので一週間程度間をあけて大峰奥駈(河童の遊び場)から帰って来てから元に戻ってしまった竹の曲りを二度目の荒矯めで手直しする必要がある。
 
カビの発生が心配。大半のサイズ違い(60本)や失敗作は簡単な荒矯めに留め、法弓用にお譲りする予定。

ブブゼラと法螺貝

2010年06月14日 | 日記
サッカーW杯競技場や街中で吹き鳴らされる「ブブゼラ」が法螺の教室で話題になる。
テレビの司会者がサッカー応援グッズの「ブブセラ」を紹介して鳴らして見せるが、顔を真っ赤にして息を噴き込むがウンともスンとも鳴らない。 法螺貝の初心者も陥る吹き方です。 

法螺貝の教室では上級者と初心者が各々境内の中を移動しながら、練習を行っています。 法螺師の姿が見えなくても、音色で何方の貝か?判ります。 勿論、所属する寺院の違いで音階(メロディー)が分かれていますが、澄んだ音色で判別できます。

サッカーW杯では観客が吹く「ブブゼラ」の大きな音色に惑わされずに、集中して初戦突破を願う。
(日本のサポターも「ブブゼラ」を手にして応援?。)

河童の水掻きに皮手袋をして、矢竹の荒矯めを

2010年06月11日 | 日記
「チビタケナガシンクイムシ」に食われた矢竹の選別をした結果、数本の被害で済んだ。 箆中節と袖摺節の長さを測り、区分けをして見たが、25~27CMの節間が最大数を占める。 他の2節が揃うのが何本有るか? 楽しみ。

節位置を測る前に、試しに荒矯めを行いました。 開始早々、節割れ(縦割れ)、間折れ(横折れ)が3本続いた。 しかし、昨年、一度経験した力加減が甦り、又、枇杷の木の矯め木が使いやすく、真っ直ぐな竹は少ないが何とか荒矯めは順調に進む。 

気が付けば3時間が経過。 皮製の手袋をしていても、炭火で熱くなった矢竹が箆に変化していく過程が伝わってきます。 本日の作業は30本、失敗作は4本。 弓具店で一度見た、中国製の箆に何本近づいた?

河童の竹矢造り、「矯め木を作り、バーベキュー用の炭を準備」

2010年06月10日 | 日記
乾燥させた竹をよく観察して見ると、小さな穴が空いています。 竹を好む「チビタケナガシンクイムシ」です。 日中は天日に当て、夜は軒下で夜露を避けていたが、河童の棲家は森や竹林が多いい山間僻地なので、竹の切り出し時期が適時であっても注意が必要。 塩ビ管を購入して、竹を中に入れ薫蒸する。
 
箭作りの次の行程である荒矯め作業用に矯め木を作りました。 ネットで調べると「矯め木が割れる。」との記事があったので、木刀を作るために乾燥させていた枇杷の木の端材で作ってみました。 荒矯め作業は七輪に耐火煉瓦を並べ、壁にして100本の矢竹を矯めて1~2組の箆が出きれば今年の目標は達成? 

早朝、法螺の練習がてら、バレンを作りの竹皮採取に竹林の入るが、時期が早かった。 春先の低温で昨年は不作の筍(真竹)が今年は今が旬。 竹弓作り時の楔の準備に再度、筍採取に行く必要がある。

吉野からの大峰奥駈が始まりました

2010年06月01日 | 日記
河童の奥駈修行が始まりました、第一行程は吉野から山上まで。 天気が良く、気温も低めで歩き易い早朝、お茶と水を合わせて2.5リッターを持って金峯神社を出発。
 四寸岩を巻いて二蔵小屋、大天井ヶ岳も巻いて五番関で昼食。 此処で女性軍は下山(洞川泊)、男性軍10名が山上を目指す。 
多量の水を持参しているので適時、頭の皿に補給していたが、洞辻茶屋の手前の鎖場で両足が痙攣、今年もペースダウン。 宿坊に到着する迄、絶えず痙攣に襲われる。

 翌日も快晴、本堂でお勤めしてから小笹宿を折り返し、レンゲ辻から稲村小屋へ。 小屋で女性軍2名と別働隊2名が洞川から合流。 大日・稲村ヶ岳を回って洞川・母公堂へ下る。

(写真は山上から稲村ヶ岳、遠方が弥山)

河童の手作り弓具、「箙と蟇目」

2010年05月27日 | 日記


時代祭りの武者行列で源平・鎌倉や室町時代の鎧兜を着用した武将級が装着する箙に注目し、数枚の写真をとりました。 しかし、遠目の撮影で、詳細が不明。
 武者姿が描かれている合戦絵巻などでは扇状態になった飾り矢の印象が強く、矢把(やばね)、筬(おさ)や緒の組み方などが判りません。 

詳細を悩むより実行あるのみ。 弦巻作成時の残りエコテープで作成開始。
平胡籙(ひらやなぐい)のように蟇目鏑矢1本と蓬矢(ほうや)5本を扇状に飾り開き、弓に素早く番える工夫を施した箙が完成。

材質は方立ての面や脇はエコテープ、高頭、端手、欄干は竹ひご、矢把緒の替わりに竹で把ね部分を試作、筬は波板状に一本、紋は厚紙で加工。塗りはカシュで小豆、こげ茶、朱の混色。 以前、作った蟇目鏑とセットで撮影。 請緒と後緒は思考中。 箙のサイズは高さ32cm、横巾13.5cm、厚み10cm。 蟇目は長さ18.5cm、直径6.5cm。

奥の細道「百代の過客」と犬鷲の「大石打羽」のはなし

2010年05月26日 | 日記
愛媛県美術館で書道作品展を観てきました。作者は六回目の寅年を迎えて、書作百余点を出展していた。 大峰の河童も日頃から写経を試みているる。
 書作展が開くまでの僅かな時間を利用して近くにある弓具店を尋ねました。目的は戦前の武徳殿弓道場の事情を聞く事でしたが、矢師のご主人から矢羽根の入手状況をお聞きしていると気付かぬまに1時間半近くたっていました。 珍しい貴重な鷲や鷹の羽根が在庫されていて、高価なイヌワシを観ました。 又、矢竹の採取時や乾燥時の作業などの箆作くり注意点を聞く事が出来ました。

(ご主人の手元にあるのがイヌワシ、数十万円の高価な石打羽です。)

弓の名人は「日子国夫玖命」

2010年05月19日 | 日記
神代に山城国の和訶羅河で軍勢が両岸に対峙して忌矢を射掛けあう際、先に射掛けた「建波邇安王」の矢は命中しなかったが、副武将である「国夫玖命」が矢を放つと、真っ直ぐ「建波邇安王」を射て、死んだ。

白鳳時代を遡る事、崇神天皇の時代は天之麻迦古弓(阿豆佐由美、荒木真弓、はりまゆみ、腹檀弓、等)といわれる命中率の低い木弓である。 その木弓で、戦闘の初めの矢合わせで忌み清める矢が河幅のある木津川で命中させる腕前は名人級。

弓の名人「国夫玖命」が丸邇臣の祖とすれば、その一族の子孫、小野長弓が誤って矢に当たり倒れ、祭られたストーリーは出来すぎか?

真弓姫は聖徳太子の妃か?

2010年05月17日 | 日記
「皇極2年山背大兄王一族は蘇我入鹿軍に追われ生駒山へ逃亡。母真弓姫は山中で自害、子弓削王のみのがれ丹波へ行く。」との記述を見つける。奥附の年表です。 

 記述内容に注目して他書を見ると、襲撃した主将格の一人「土師娑婆連」は「奴三成」の箭に当たって亡くなる。 軍勢は恐れて退却するが、軍の衆は一人当千(ひとりひとちなみ)と「三成」と称えた模様。 弓の使い手として名を残した、始めての武将か?

聖徳太子には勿論、多くの妃が居たが母君の真弓姫は馬子の娘、刀自古郎女の別称か? 又は、小野妹子に繋がる一族の姫で別人の真弓姫を誤植したか? (本文にも年表と同様な記述がある。)

竜間の集落から古堤街道を歩いて生駒白庭台駅まで

2010年05月12日 | 日記

明治19年測量と昭和21年印刷の地図と最新の地図、3枚を見比べながら古道の探索に出かけました。 先達(84歳)と5名で龍間から白庭台まで歩きました。 先達は数十年、古道の調査をされている方です。

出発地は龍間の「右 たはら いが たかやま きつ いせ」石標から、龍間の不動尊、龍間公会堂、一石六地蔵、龍間神社、府警の訓練センターグランドの南、㈱植田建設正面から北行へ、阪名道路旧料金所跡、大阪パブリック、北谷公園を右折、一筋目を左、矢の的石を左に田原城跡の小川堤道、住吉神社、郷蔵跡、両国橋、出店辻、新塔堂、役の行者石像、長髄彦本拠碑、白庭台の「右なら、不鮮明 左 きつ、不鮮明」石標まで。 

1.出発地の近くには伝説で龍の頭が落ちたという「龍光寺」、境内の鬼瓦は菊水。
2.近くから移転した「称迎寺」には一石十三仏坐像。同じく移転してきた龍の胴体が落ちた廃寺「龍間寺」。
3.龍間神社の少し上で畑仕事中のご婦人にお祭りについて「地区長が神主を務めて祝詞をあげ る。」、「10月19,20日がお祭り。」、「区長が替わったので、今年は何時か判らない。」とお話を聞く。
4.田原城跡では古堤街道越しに田原対馬守が「本丸」と「矢の的石」間で弓の練習をした距離を目測する。 
5.近くの「月泉寺」で対馬守の位牌や寺口遺跡「旧千光寺」の出土品等、話を聞く。
6.出会い辻は昔高山から生駒に行くバスが狭い道を左折していた、付近は昔の繁華街。
7.役の行者石仏、長髄彦の本拠地石標。

法螺貝の教室です。

2010年05月09日 | 日記
本日は初回の方がご夫婦で体験入学?。 替わりに上級者の吹螺師は、一人も来ていませんでした。 山上の戸開式後一週目です。 山に登って立螺しているのかな? 大阪城で法螺の練習時、ラジオに取材された体験談を聞きたいと思っていましたが、欠席でした。

練習の合間を見ながら山門風景をスケッチしていると、後方でもハイカーの方が同じアングルでスケッチしています。 練習は少し手を抜き、新緑鮮やかな雰囲気を是非、版画にしたいですね。
 
初めて法螺を手にした初回参加の方は熱心な音出しの半日経験で、大変、法螺の音に感激されていました。 上達するには甲音、揺り、止め等は練習あるのみです。 

スケッチや山菜取りに練習時間を割いていては、上達はまだまだ先の事です。 今夜の食卓の肴は天然の「独活」のてんぷら、和え物でした。採集時期は1ケ月、遅いのですが、地中の根元はまだ充分に美味しく食べる事が出来ました。

大峯山寺戸開式から帰ってきました

2010年05月03日 | 日記
3日早朝に開催された戸開け式に行き、先ほど山里に帰着。 帰途の途中、河童の棲家(秋野川)を尋ねて見たが、藤谷の綺麗な水の深い淵には河童は不在でした。

山上には前夜の11時30に大橋を出発して休息無しで3時間掛かってしまいました。 途中の拝所では法螺による法楽か単なる音出しか、練習不足です。 洞辻茶屋で法螺長に挨拶して、西の覗きに立ち寄り奈良・大阪・神戸の明かりを(夜景)楽しむ。

宿坊(龍泉寺)に入って、セター、フリーズ着込み本堂へ向かう。 1番、2番鐘が既に鳴っていて、広場では早朝の山の冷え込みは有るが(残雪は無い)風が無いので阪堺役講の鍵渡式の儀式終了を待ってまで皆さんと再会の挨拶。その後、騎馬の上で鍵が披露され、本堂横では柴燈護摩が厳修された。(今年は龍泉寺)

山降りは日の出を待ち、再度の再会を約しながら3時間半かけて大橋着。 この山行で月末からの奥駈け用に身が絞れたのでは?(早速、体重計測定を試みる)

河童の竹弓造り、「弓作りの過程で真竹にカビが発生」

2010年04月29日 | 日記
1月に採取した竹弓(外竹・内竹)8張り分を軒下で自然乾燥していたが、カビが発生。 
雨が多いい、近頃の気候が悪いのか? 乾燥場所に湿気がこもるのか? 真竹の採取時期が遅かったのか? いずれにしても、黒かびが目立つようになってきたので、鉈で側面を5mm程度削りカビを除去した。

天気の日には風通しの良いところに持ち出し、内側を太陽に向けて乾燥をしています。 採取した時に比べ水分が抜けて随分軽く成りました。 乾燥が進むにつれて表面の小さな瑕が目立ってきました。(毛布に包んで山出しして持ち帰ってきた。)又、芽通りを確認して芽竹を持ち帰ってきたが、根元に近い部分は多少、曲がっている。次の行程の木炭であぶり、油を拭き取る時に現れる瑕が心配。 

今年は竹弓作りのデーター収集のつもり。 来年に繋がる1張りの弓を作ることが目標。次の行程は1ケ月先? 来月に入ると河童の体力が試される大峯の戸開けと吉野からの奥駈けで山に入る日が増え、弓矢作りや版画も忙しく成ってきた。