人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

読書日記:日文協2013年度大会関連

2013-11-10 13:52:31 | 学会レポ
こんにちは。
日文協の大会に行くつもりにしてるんで、いちおう関連書籍読んで予習してます。
去年書いたんで、今年は学会印象記頼まれることはないと思うけど…

文学の方のシンポは、2013年11月17日(日)13時~
於:青山学院大学渋谷キャンパス
テーマは「流動化する世界と文学」。

* * *

◎ひとりめの報告者は鈴木健さん。『なめ敵』で話題の人。
いちおう、「なめらかな社会と文学」という題目が出てるんですが、「発表要旨」は未定(笑)。
まだ比較的若い方なんで、要領よくなんとかはしてくるんでしょうが、ちょっとどんな話になるのか、想像がつきません。

なめらかな社会とその敵』、システムの話なんですよね。
境界を区切って敵と味方を分けるような「個」的発想を否定しながら、
2000年以降流行ったような完全にフラットな世界像もまた否定し、
なめらかに変化するような社会像を提案します。
で、そのためのいくつかのシステムを提案する…貨幣、投票(民主主義)、社会契約に関して。
数式が登場するような本は久々だったし、とりわけ順列組み合わせは苦手だったので(爆)、
詳しい内容は省略します。

で、これが文学の話とどう結びつくのか。
単純に考えれば(そして企画者側の意図としてはたぶん)、
近代文学は「個」を前提とするから今の社会にはそぐわないし、
フラットな社会像も商品として消費されることと結びつくから問題があって…
というところで、鈴木氏の提案する「なめらか」な社会像に希望を見出したのでしょうが。
どうも読んでいてそういう発想の人ではない気がします。

個人的なポイント。「核・膜・網」の比喩。
論理の過程は省略しますが、核は意思や脳、制御の比喩、膜は境界、網は(そのまま)ネットワークで、
「なめらかな社会」は網のイメージで捉えられてるんですね。
で、気になるのは、私たち文学の世界には、(膜的なものである)皮膚=織物=テクストという比喩が存在することです。
これは必ずしも統一された主体に制御されるようなものばかりを指すのではなく、
切り刻まればらばらになった、あるいは、微妙なバランスでつながっているような皮膚=テクストを表象することもあります。
さらにこの比喩は、網=編み物とも結びつく。

皮膚=織物=テクスト≒編み物=網

ギリシャ神話のアラクネの物語、みたいな、ね。
私のなかでは飛浩隆の『グラン・ヴァカンス』ですが…。
『なめ敵』的な「核・膜・網」の比喩と関わってゆく部分があれば面白いと思います。

ちなみに、「はじめに」で書かれてるベルリンの壁のエピソード、
文章も美的でふつうに文学的で、この本が売れた理由が何となく分かります。


◎ふたりめの報告者は千田洋幸さん。近代分野の会員から。
題目は「パラレルワールドを超えて」。
『ポップカルチャーの思想圏』が関連書籍、になるのかな。

ポップカルチャーの思想圏』では、「偶有性」(たまたまそうであること)と「有限性」(時間に限りがあること)をキーワードにいくつかの作品を考察していたので、その続きで、もっと最近の作品を考察するんだと思います。
「偶有性」の感覚から、1990年代後半から2000年代には、パラレルワールドを描くものが多かったけれど、
2011年以降、どのような転回を見せたのか…ということのよう。

『ポップカルチャーの思想圏』に関してちょっと気になったのが、
一貫して男性の側に立って、なおかつ商品化の問題を無視している点。
何かオブセッションでもあるんじゃないかと思う(笑)。
例えばAKBに関して、「偶有性」をキーワードに考察する場合。
とりたてて特長のない女の子がトップアイドルとなり、
たまたまそうなったものとしてかけがえのない自己も否定されたときに起こるのは、価値の暴落です。
同じような商品を大量に売ろうとすると、暴落しますから。AKBは安すぎる。
最近のアイドルの、というか女の子そのものの、価値の暴落は半端ない。
ちょっとやばいと思う。

もう一点、一貫して男性の側に立っていることとも関係すると思いますが、読みに関して気になったことが。
『少女革命ウテナ』の考察に関する部分(「90年代アニメは「外部」をどう語ったか」)。
私見てないので間違っていればご教示いただきたいのですが。
主人公の天上ウテナが王子様となって、ヒロインの姫宮アンシーを救おうとする、というのが基本設定のようです。
しかし終盤で、主人公が逆に「王子様」であるラスボスの登場人物に惹かれていることを察し、
「あなたは私の王子様にはなれない。女の子だから」とヒロインは言います。
ヒロインは背後から主人公を刺し、倒れた主人公に対し「おせっかいな勇者様」云々、と言う場面について。
「二人の関係の変容を追いつづけてきた視聴者はすくなからず困惑せざるを得ないだろう」
「思考の一貫性や連続性、葛藤を経ての「成長」などといった内面性を決して見出してはならないキャラクター」
とあるのですが。
これを二人の恋愛として読めば、主人公は浮気したことになりますから、
どんなに尽くしていても一回相手が浮気した途端に、ひどいことをする、のは女の子像としてそんなに変じゃないと思います。
確かに「あなたは私の王子様にはなれない」の科白、拒絶とも読めるんですが、もう少し深読みすれば、
「女の子のまま女の子を愛することはできないのか」、「王子様なんかいらない、女の子のままのあなたが欲しい」
と言っているようにも読めるんですよね。
女の子はよくそういう話法を駆使します。
まあ、私は実際見ていないのでどう読んでもそうは読めない、のかもしれませんが…


◎三人目の報告者は助川幸逸郎さん。古典分野の会員から。
「〈女房〉という無意識―テクストに〈向こう側〉はあるか?」という題目です。
『源氏物語』宇治十帖の女房について考察するようです。

「精神分析を援用して、今の日本で言うべきこと 想像界的なるものへの批判」
(高木信、安藤徹編『テクストへの性愛術』所収)、が関連するようです。
この論文の最後で、「想像界的なものに救済を求める」ことの「不毛」さが指摘され、
今後の可能性のひとつとして、女房同士の結びつきを読むこと、「小さなユニット同士の結びつき」を読むことで、
「各ユニットが(中略)絡みあって、錯綜した結びつきが形成される」様子を考察することが提案されていますので、
そういう話になるんだと思います。


◎と、こう、順番に並べてみると、
「パラレルワールド」(境界のあるもの)を超えて、という部分と、
女房同士のネットワーク(網)という部分で、
核(制御)・膜(境界)・網(ネットワーク)という比喩と関係してくるのかな、という感じがしてきました。

実際にどんな話になるのかは、行ってみないと分かりません。

追記:助川さんのお名前の漢字、間違っておりましたので訂正致しました。
たいへん申しわけありません。…知っているはずなのに、ダメだなあ、私。
すみません…。









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