今日の福音箇所はヨハネ4:5~42。
”救世主よ、祭期の中節において、
我が渇けるたましいに
敬虔の水を飲ませたまえ、
けだしなんじは衆人に呼べり、
渇く者は我に来たりて飲め、
我が生命の泉たるハリストス神よ、
光栄はなんじに帰す。”
大斎の時もそう思ったけど、祈祷文読んでると何か刻々追体験してんのねーというか、先達に励まされてる(聖神゜が降るまで残り半分だお!)というか、そういうのが楽しいというか、嬉しいというか。
とこにょでこの福音箇所についてだけど、三浦綾子さんだったか田中澄江さんだったか忘れたが、42節(もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方が本当に世の救い主だと知っているのです)に関連して河野進牧師の「ぞうきん」という詩を紹介していたのがものすごく印象的で、毎年これを思い出す。
こまった時に思い出され
用がすめば
すぐ忘れられる
ぞうきん
台所のすみに小さくなり
むくいを知らず
朝も夜もよろこんで仕える
ぞうきんになりたい (河野 進)
あてくしのプライドというものはチョモランマより高いので、このサマリヤの女のような仕儀に相成ったら「なんちゅう恩を知らない連中や!」とプンスカしかねん…崇めろとは言わないけど、お蔭様で、ぐらい言ったっていいじゃんとか…
喜んで捨石になれるような人になりたい。
ぞうきんになりたい、と言える人になりたいな。
この年になってそんなん言ってるようじゃ駄目だろうけどorz
”救世主よ、祭期の中節において、
我が渇けるたましいに
敬虔の水を飲ませたまえ、
けだしなんじは衆人に呼べり、
渇く者は我に来たりて飲め、
我が生命の泉たるハリストス神よ、
光栄はなんじに帰す。”
大斎の時もそう思ったけど、祈祷文読んでると何か刻々追体験してんのねーというか、先達に励まされてる(聖神゜が降るまで残り半分だお!)というか、そういうのが楽しいというか、嬉しいというか。
とこにょでこの福音箇所についてだけど、三浦綾子さんだったか田中澄江さんだったか忘れたが、42節(もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方が本当に世の救い主だと知っているのです)に関連して河野進牧師の「ぞうきん」という詩を紹介していたのがものすごく印象的で、毎年これを思い出す。
こまった時に思い出され
用がすめば
すぐ忘れられる
ぞうきん
台所のすみに小さくなり
むくいを知らず
朝も夜もよろこんで仕える
ぞうきんになりたい (河野 進)
あてくしのプライドというものはチョモランマより高いので、このサマリヤの女のような仕儀に相成ったら「なんちゅう恩を知らない連中や!」とプンスカしかねん…崇めろとは言わないけど、お蔭様で、ぐらい言ったっていいじゃんとか…
喜んで捨石になれるような人になりたい。
ぞうきんになりたい、と言える人になりたいな。
この年になってそんなん言ってるようじゃ駄目だろうけどorz
って、心にズンとくるお言葉を感謝です。
ご無沙汰しながら、恥ずかしながら、なのですが、
今日ブログ立ち上げました。
おひまなときに遊びに来てくださいませ!
あのぉ、ブックマークに貼らせていただいてよろしいでしょうか?
(私のはけっこうですから~。)
それと、私の方のお返事に5/20のイェフテのオラトリオのこと書いたので(こっちにすれば良かった…)
チェックに来てくださいね。
サマリヤ人って今千人いないんですよね~。
でも古代イスラエルの宗教の正統な後継者はユダヤ人じゃなくてサマリヤ人だという自負があるそうな。
>もときっちょむ姉
開設のご連絡ありがとうございました~。
このようなフザけたブログでよろしければ…(照
用がすめば
すぐ忘れられる
ぞうきん
台所のすみに小さくなり
むくいを知らず
朝も夜もよろこんで仕える
ぞうきんになりたい (河野 進)
に、心動かされ、自分のブログで感想を述べてしまいました。
もし、都合が悪ければ連絡下さい。
いやー私も載せていいものか?と思いましたが、結構皆さん引用しているので大丈夫かな、と…ドキドキ