シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

グレゴリイ・パラマスの主日

2007-03-05 00:10:31 | 正教会及び宗教全般
大斎第二主日はヘシカスム(静寂主義)の擁護者グレゴリイ・パラマスを記憶する。
ヘシカスムの話はむじゅかしいのでおいといて(ぉ
何故この時に彼が記憶されるかというと、これは先の大斎第一主日と同じように、反対する者に対しての勝利という意味合いがあるからだ。
また彼が訴えた、人間が精神と肉体の両方を統一させて祈ることの正当性は、大斎を祈りと節制をもって過ごそうとする我々にとって大いなる指針となる。
パラマスのイコンはふつうに髪の毛があるものと画像のようになっているものと。
これはトンスラか、それともてっぺんハ、うわなにをするやめろ(以下略

聖人と言えばこんなニュースが。
17世紀の日本人殉教者188人が聖人に次ぐ「福者」に(朝日新聞) - goo ニュース
すごい人数。
でももっと沢山の人たちが殉教してるんだよね…
有名どころでは天正少年使節の中浦ジュリアン、徳川家康の直臣だった原主水、当時にしちゃあものすごい巡礼旅行をしたペトロ岐部(中公新書の伝記面白かった。オ○ムの岐部は一族の末裔だったんだよね)、生月のガスパル様西玄可など。
もし今ものすごくキリスト教が迫害されるようなことになったら、あてくしなんか真っ先に転びそうな気がするよ…
というか、自分が拷問されるのはまあガマン出来るとして、ダンナが拷問されたら一発だ。
「信じます。信仰のない私をお助けください(マルコ9:24)」

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10 コメント

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「信じます。信仰のない私をお助けください(マルコ9:24)」 (伊望)
2007-03-05 11:05:29
>パラマスのイコンはふつうに髪の毛があるものとこれはトンスラか、それともてっぺんハ、
はい、これはトンスラです。
聖職者が髪を伸ばすようになったのはオスマン帝国以降で、それまではトンスラ頭でした。

世界総主教が正教徒のエスナルフ(ミレット長)としてオスマン帝国内の正教徒を管理することになったときから、皇帝・貴族や官僚の髪型を取り入れ、それが下々まで伝わりトンスラは廃れてしまいました。ちなみに主教がフェロンに変わってサッコス(これは元々皇帝の衣装でした)を着るようになったのもこの時代、オスマン皇帝からの『ローマ皇帝代理』である世界総主教への下賜でです。

閑話休題

キリシタンの殉教凄いですよね。彼らの信仰の篤さはただただ頭が下がります。ペテロ岐部の話もっと詳しく読んでみたいです。
それにしても僕もいつも偉そうなことを言ってますが、迫害されたら転びそうです。
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教えてくれてありがとうございます (もときっちょむ)
2007-03-05 14:09:20
知りませんでした。
「銃と十字架」はうちになかったです。
夫が遠藤文学が好きで、私は本読まないもので恐縮ですが
「あるかも?」と思ったけどなかった。
読みます、読みます!
殉教ものではフランスオペラの「カルメル会修道女の対話」というのを見たことがあり、これはフランス革命下で宗教が弾圧されたときの実話なんですが、
殉教とはまた別な視点が非常に心に残っています。
どう信仰を守るか?
私は日々サタンにやられています。こんな順境の時ですら!
なんと信仰薄いものでしょうか!主と憐れみ給え。いえ、本当に。

さて、明日井上さんの手術です。
ご存じかとは思いますがお祈りの支えお願いいたします。
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キリシタン (ニコライ)
2007-03-05 17:15:30
殉教の冠を讃えますが、彼らの残した翻訳には頭がさがります。「どちりな・きりしたん」から「御ぱっしょんの観念」まで。ニコライ訳が漢文の雄なら、こちらは室町の和文の華。素晴らしい訳です。特に「御ぱっしょん」には受難の福音が殆ど含まれていて、「聖ぺとろと申すは、あぽすとろすの御大将」などという思わず微笑んでしまうような戦国時代らしい表現も出てきます。詳しくは岩波書店の「日本思想体系」第25巻で。
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コメントありがとうございます (シスターみみっく)
2007-03-05 23:33:31
>伊望兄
解説ありがとうございました。
トンスラなんですね!
てっぺん(略)とか思ってしまってすみません聖人。

兄はそれこそ十字架にかかってまで伝道しそうなフンイキかと…
そんで転んじゃったあてくしが人垣の間からおずおずのぞいている、とか(泣
そんなご時世に間違ってもなりませんように。

>もときっちょむ姉
実は「銃と十字架」は読んでいないんですよ。
私が読んだのは松永伍一の「ペトロ岐部」という本で、しばしば「銃と…」が引用されていますが、松永氏はどうも遠藤氏の見解に否定的な感じです。
というわけでどんな本か、私も読んでみなければ。
私たちはみんな弱いです。
一日一歩~みーぃっかで三歩~♪
よく四歩も五歩も後ずさりしてたりしますがorz

井上姉の手術が無事終わりますように。
一日も早く回復されますように。

>ニコライ兄
御大将www
大黒屋光太夫への聞き書き「北槎聞略」の露語和訳に「Господи помилуй(ゴスポジ・ポミールイ)=念仏」って書いてあった時以来のインパクトw
そういえば「ぎやどペかどる」や「こんてむつすむん地」が見たくて天理図書館まで行ったなー。
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ペトロ岐部 (100ans-de-solitude)
2007-03-06 02:11:22
ペトロ岐部ついさっき買ってきたよ.
ドン・フランシスコと3個ずつの詰め合わせ.
いやそういう名前の焼き菓子があんの.
http://www.kikuya-oita.net
2003年モンドセレクションのグランプリドールだそうな.
大友宗麟は茶人でもあったので結構いけそうだが
ペトロ岐部ってのはお菓子の名前としてどうなんだろ?
ちなみに泊まったホテルは大分市《府内》町にあり
思わず, おぉクワトロ・ラガッツィの舞台だよ!
と舞い上がってしまったのは言うまでもない.
夕方の JAL 便で東京に帰ってきたら大雨でした.
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トンスラ (ニコライ)
2007-03-06 02:23:11
それではカトリックに古い形が残った訳ですね。他にもそういう事があるのでしょうか?正教の大聖入よりカトリックの奉納行列(奉献台ではなく聖堂の入り口辺りから祭壇に持って行く)のほうが古い形だと聞いたことがありますが。
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質問にお答えいたします (伊望)
2007-03-06 04:30:56
>他にもそういう事があるのでしょうか?

いっぱいあります。例えば普段の聖体祭儀(ミサ)における旧約書の読み、入祭行列等等。

>正教の大聖入よりカトリックの奉納行列(奉献台ではなく聖堂の入り口辺りから祭壇に持って行く)のほうが古い形だと聞いたことがありますが。

はい。奉献礼儀はかつては別の建物或いは前堂などの別室で行われていて、大聖入(=奉献行列)時に宝座(祭壇)に持ってきていました。

現在でもギリシャ系の慣習では、大聖入は聖堂内を大廻りしますが、これはその名残です。

また新スキト修道院では上記の習慣を再興。奉献堂から大聖入時に祭品が入堂します。

ちなみに聖ウラディミルでは、新スキトのような別の建物ではありませんが、至聖所北面に奉献室兼小チャペルがありそこに奉献台があります。そして大聖入時には北門ではなくて奉献室から行列、チャペル内を大回りして王門へ向かいます。
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いやいや (伊望)
2007-03-06 04:36:54
>兄はそれこそ十字架にかかってまで伝道しそうなフンイキかと…

イタイの嫌いなので、そんなこと出来ないと思います(笑)。ね、だから日本のキリシタンとか強制収容所でも悪と闘い続けたパリの聖マリアとか凄いと思います。
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なるほどねぇ (ニコライ)
2007-03-06 12:21:26
よく解りました。一概に全てが正教会のほうが古いとは言えないのですね。ところで、ユニアティズム(東方カトリック教会)には聖フランチェスコのトロパリや、ルルドの聖母のカノンなどがあるそうですが、日本26聖人のトロパリやイコンがあったら、面白いなぁ。
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コメントありがとうございます (シスターみみっく)
2007-03-06 14:38:27
>100ans-de-solitude兄
買って…って、え?
お菓子かあ。あるんだねえ。知らなかった。
リンク先見てきましたよ。
てか貴兄、タイミングよすぎだっつのw
海外のスイーツや料理にも微妙なネーミングのものが結構あったりするから、まあ、これはこれでということで。
こしあん、クリーム、栗の三位一体の風味とな。
三位一体なら神じゃマイカ…そんなん恐れ多くてよう食べーんw

>伊望兄
解説ありがとうございます。
イタイの嫌いなんだ?
(・∀・)人(・∀・)ナカーマ

>ニコライ兄
フランチェスコのトロパリかあ。
「鳥に教えを説きしフランチェスコよ、我らのために云々」
って感じでしょうか。
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