12月28日(月)
当日の行程:(車) → 【峰定寺あたり】 → 【常照皇寺】 → 【光厳天皇山國陵・後花園天皇後山國陵・後土御門天皇分骨所】 → 【山國護国神社】 → 【山國神社】 → 【周山城址】 → 【福徳寺】 → 【志明院】 → 【上賀茂神社】
白雉元年(650)役の行者が創建し、その後、天長6年(829)に弘法大師が淳和天皇の命により再興した。
私どもは、鴨川の源流を見たくて、という理由でこちらを訪れた。
聞けば、歌舞伎十八番の『鳴神』の舞台でもあるという。
それから、司馬遼太郎が『梟の城』を執筆したのはここ志明院だとか。
それからそれから、宮崎駿は司馬遼太郎の紹介で志明院を訪れ、『もののけ姫』が生まれたのだとか。
ほかにも、興味深いお話をたくさん伺った。
楼門
運慶と堪慶作といわれる金剛力士像は、現在は本堂に安置されているのだそうだ。
こちらの楼門の先は、撮影禁止。
言われてみれば、「物の怪」が現れそうな雰囲気でもあった。
ちょろちょろと音を立てているこの小さな流れが、あの鴨川になるのだな、と思うと不思議だ。
いったい、どの位の時間をかけて、水は、街へ流れていくのだろう。
「探偵!ナイトスクープ」にでも依頼して調べてもらおうか、とばかなことを考えた。
これは、志明院を出てすぐに撮影したもの。
ほんの滴であったのに、もうこんなに大きな流れになっている。
志明院の御朱印
当日の行程:(車) → 【峰定寺あたり】 → 【常照皇寺】 → 【光厳天皇山國陵・後花園天皇後山國陵・後土御門天皇分骨所】 → 【山國護国神社】 → 【山國神社】 → 【周山城址】 → 【福徳寺】 → 【志明院】 → 【上賀茂神社】
白雉元年(650)役の行者が創建し、その後、天長6年(829)に弘法大師が淳和天皇の命により再興した。
私どもは、鴨川の源流を見たくて、という理由でこちらを訪れた。
聞けば、歌舞伎十八番の『鳴神』の舞台でもあるという。
それから、司馬遼太郎が『梟の城』を執筆したのはここ志明院だとか。
それからそれから、宮崎駿は司馬遼太郎の紹介で志明院を訪れ、『もののけ姫』が生まれたのだとか。
ほかにも、興味深いお話をたくさん伺った。
楼門
運慶と堪慶作といわれる金剛力士像は、現在は本堂に安置されているのだそうだ。
こちらの楼門の先は、撮影禁止。
言われてみれば、「物の怪」が現れそうな雰囲気でもあった。
ちょろちょろと音を立てているこの小さな流れが、あの鴨川になるのだな、と思うと不思議だ。
いったい、どの位の時間をかけて、水は、街へ流れていくのだろう。
「探偵!ナイトスクープ」にでも依頼して調べてもらおうか、とばかなことを考えた。
これは、志明院を出てすぐに撮影したもの。
ほんの滴であったのに、もうこんなに大きな流れになっている。
志明院の御朱印