宅間が事件後も生き恥をさらしてくれたおかげで、犯行の動機などが解明できたわけだけど、考えていることはいたって平凡といえるかも。
人を殺すためには、いかなる論理が必要か、という観点から宅間を見直した場合、彼の言葉はそれを裏付けてくれるだろう。
自分が死ねば、喜ぶ奴がいるから、自殺できないでいる。むしろ、この喜ぶ奴に対して復讐するのはどうすればいいだろうか。
この疑問に対しては、標的への攻撃を除いてはありえないわけだが、「大量に人を殺せば、甲女も自分と知り合ったことを後悔するであろうし、世間の多くの人間も最愛の家族、友人、知人を失い自分と同じような絶望的な苦しみを味わう」だろうと、脱線してくるのが犯罪者特有のひねくれた考え方というべきか。
再構築次第であるが、現状は、犯罪思想の点から言えば、不作といえるのではないか。
「殺害場所は、放生の場所」といえるならば、宅間の怒りの放生の場所が大阪教育大付属池田小学校といえるのでないか。
>宅間、犯行を決意
「被告は、01年6月7日夜、大阪府池田市内の自宅で、これまでの経緯を振り返り、すべてを甲女の責任に転嫁して恨みを抱いた。同時に、甲女との裁判でまとまった金を手に入れようとした当ても外れ、将来の見通しが全く立たないとの絶望感にかられた。被告は『自殺をしても甲女らが喜ぶのみだ。自分が死ぬくらいなら、自分が味わっている絶望的な苦しみをできるだけ多くの被害者とその家族に味わわせてやろう』という思いを抱いた。被告はかねてから社会に適応できず、学歴コンプレックスや劣等感から社会や世間に対して根強い不信感と不平等感を抱いてきたため、他人や社会に対して責任を転嫁する性格や攻撃的な性格と相まって、その対象を社会や世間に向け、仕返しをしてやろうと考えるに至った。被告は不特定多数の人物に向け『めちゃくちゃやってやろう。大量に人を殺害しよう』と考え、そうすれば、甲女も自分と知り合ったことを後悔するであろうし、世間の多くの人間も最愛の家族、友人、知人を失い自分と同じような絶望的な苦しみを味わうと考えた。被告は日曜日に大阪市内の繁華街にダンプカーで突っ込むなど大量殺人のための幾つかの犯行方法を考えたが、中でも、小学生を襲えば、体格も小さく、逃げ足も遅いため、多数を殺害できると考えた。具体的な対象として、かつてあこがれ、ねたましく思ったエリート校とされる付属池田小の児童を無差別に殺害することを決意した」
午前08時頃
起床
午前09時30分
アパートの賃貸人にも復しゅうしようと考え、マンションを出る前に火を付けたたばこを布団の上に置く。午前9時30分過ぎに部屋をでる。火は自然に消えた。
午前09時40分
猛スピードで発進する車が住民の取り付けたビデオに録画 京都新聞
午前10時頃
池田市槻木町7-15秋田刃物店で7480円の出刃包丁を購入 時事通信
午前10時10分
大阪教育大附属池田小学校、自動車通用門に到着
12分頃?
体育館東側付近にて2年南組担任の教諭と遭遇する。教諭は宅間を父兄と勘違いして会釈する。宅間、そのまま校舎へと進む。
午前10時13分
南校舎に近づき1階の2年南組教室の窓越しに5名の児童を発見する。5名の児童は偶然、教室に残っていた子供たちだった。 同教室テラス側出入り口より襲撃、5人全員を刺殺
午前10時15分
宅間はテラスに出て、東に隣接する2年西組の教室を襲撃。
午前10時18分
学校より110番通報
午前10時20分
児童が逃げ込んだスーパーより119番通報
午前10時24分
学校より119番通報
午前10時25分
河上洋介教諭、矢野克巳副校長が宅間守を取り押さえる
HP[宅間守資料]:http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/takmar.html
仮に、「殺害場所が、放生の場所」といえるならば、「放生」というところの「生」は、「幼児的万能感」といえるのではないか。
言い換えると、付属池田小事件の真犯人は、薬でもなく、ましてや宅間守でもないとすれば、病的な「幼児的万能感」ということにならないか。