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横断者のぶろぐ

ただの横断者。横断歩道を渡る際、片手を挙げるぼく。横断を試みては、へまばかり。ンで、最近はおウチで大人しい。

非英雄論11■続続・名古屋通り魔殺傷事件の伊田和世被告■総括

2008-07-30 16:01:37 | Weblog
この事件は、精神科医に対する不信感を背景とした、慢性的なスランプ状態に陥った女性の、苦し紛れの脱出法が、かかる通り魔事件を引き起こしたのではないかと考えました。

医師への不信■「1993年(平成5年)ころ、和世は自分が飼っていた愛犬の死にショックを受け、精神的に不安定になり、精神科を訪れ投薬治療を受けたが、効果がなく、抑うつ状態になった」(「無限回廊」)

実父の入院■「1999年(平成11年)、仕送りをしていた実父が入院した。和世は病院に見舞いに訪れていたが、退院後は毎月1回程度は、岐阜の実父を訪ね、寂しさを紛らわせていた。ところが実父には愛人がおり、身の周りの世話などをしていた。和世は実父に甘えられないのを愛人のせいにした。(同上)

精神科医の助言が「悪魔のささやき?」に■月に50万円の仕送りがあったものの、趣味のアンテイーク(自註:仏語・古美術品)品につぎ込み切迫していたことと、精神科医からのこのままではいけないとの助言で将来に不安を感じていた・・・」(「傍聴記」)

犯行の直前はどんどこのスランプ状態?■「3月30日(犯行当日)午後1時ごろ起床。用事も済ませ、再びベッドで仮眠するが、悶々とした思いに取りつかれる。<誰も自分の相手をしてくれない。どうして自分だけがこんな目にあわなくてはならないのか・・・>」(「無限回廊」)

 スランプとは、「一時的な不調」で、原因不明とされていますが、「努力に比して結果か評価のいずれかが伴わないことから起きる、心の病で、慢性化すると人格の荒廃をまねく」というように、私は理解しています。

 秀才が学業不振に陥るのは、努力に比して結果が思うように出ず、一方で、評価ももらえないことから、「オレは何のために勉強しているんだ」」みたいな、無意味感・脱力感に襲われたりするからではないんですか。原因がわかればいいんですが、わからないまま放置されると、廃人になる可能性もありますから、やはり気をつけたほうがいいと思います。
 対策は、努力に対して他人の評価をあまり期待しないことですか。

 言い換えますと、努力とは人間に向けられた発信行為でありながら、周囲の人が一人として受信しなかったり、無視することから起きる、人間的な心の病。

 たとえば、女子社員をスランプに陥れることほど簡単なものはありません。散髪してきれいな髪で出勤してきたとき、みんなで無視すると、イチコロでしょう。

 それが裏目になって極端な形で表現したものが「和歌山の毒カレー事件」だそうです。

「≪殺意を持っている人に実際に殺人を犯させるにはどうしたらよいか。それは彼に誰も話しかけないことだ≫と、こんなふうに言っている犯罪心理学者もいます。

 和歌山で起きたカレー毒物事件では、犯人とされる女性がやって来たとたんに、それまでのにぎやかなおしゃべりが止まり、誰一人彼女にあいさつさえしなかったといいます。検察側の主張が正しければ、そのあと彼女は激しく怒って毒を入れたということです。(『心の散歩道』)」


 スランプによる一時的な精神の変調を勘違いして、重篤な心の病(抑うつ反応?)として診断し、薬を用意するも治せなくなって、症状を悪化する例が多いのではないでしょうか。
(スランプは、外発的な人間的な心の病であるのに、内発、あるいは、心因的な心の病と理解しているのではないですか)

 伊田被告の場合、近所付き合いはなく、ビーバー人形とペットに囲まれた孤独な生活を送っていたわけですから、薬よりも生活環境の改善・指導を処方すべきではなかったでしょうか。

 被告の精神の変調は、実父の入院に始まったと見ています。
 これは前にも書きましたが、弱った実父を見て芽吹いた母性感情(親越え=恩返しをテーマとした物語的感情の誕生・潜伏期)は満たされずにいると、統合されないまま、次のように、二つに割れると考えています。

烈しさの封印■「愛人」なる外敵の出現に対して、烈しい感情の赴くままに追い出し行動をとるも、失敗する。それだけではなく、実父から出入りを禁じられる。
やさしさの封印■外敵とは異なる「実父」なる子の出現には、溢れてくるような優しい気持ち(被告は、「甘えたかった」と表現)を満たそうと思って、内への取り込み行動をはじめようとすると、失敗した。それだけではなく、実父から出入りを禁じられる。

 結局、被告はこの相異なる二種の感情のハザマで、攻撃的な感情を鎮めようとして人形を解体しては不満を感じ、甘い気持ちを満たそうとして窃盗を試みるも不満感情を残したことは十分に考えられます。

 その一方で、首のない人形や血の付いた生理品などの大量のゴミをご近所にばら撒くなどの奇行を行っています。(無限回廊)

 犯行の直前は、精神科を訪れています。それでいながら、セルフコントロールすらできないでいる自分に自分が戦いている様子が伝わってくるのです。
 作家の桐野夏生は、「グロテスク」の中で、ヒロインの一人超少女に対して「怪物」と呼んでいましたが、被告の中でそれが誕生したとも考えられます(顕在期)。

 それが「スランプ」といえるかどうかはわかりませんが、それの脱出に「置き換え」が密に関わっていると見ました。
 下がそのノート。

この事件の持つ特徴■垣間見る「置き換え」の連鎖反応

A スランプ状態からの脱出が身勝手な殺害動機に置き換えられている。
B 精神科医の助言が「悪魔のささやき」に置き換えられて、被告の背中を押している。
C 感情表現が下手なのか、「欲望」に置き換えることで、安易過ぎる行動化に結び付けている。
D 「自己の取替え」とは、かかる置き換えの連鎖反応のひとつの表れか。

 最後に到達したのが、下の式。

「アグレッシブな感情+甘え=母親なる感情」?


 断定的なことはいえないなんて、当たり前のことで、誰もお前のいうことなんてこれっぽっちも信じてねえよ、と腹はそんなもんだと思っていますから、改めて断る必要はないと思っています。

 被告はリッチな生活を送っていましたが、弱った実父を見て、心が弱くなり、お金よりも人肌のぬくもりの方(あるいは、コミニケ、甘え等等)がほしいと思ったのではないでしょうか。



下は、すべて工事中。未着手?

判決文に見られるスキ■

被告を弁護するやり方とは?■

通り魔事件から何を学び取るべきか?■

通り魔事件を機に、社会をどう変えるべきであろうか■


画像は、「バービーファッションブティックMaiko 」さんとこから無断借用。
http://www.gimlet.to/doll/charm1.htm

 伊田被告は、バービー人形に向かってどんなことを話しかけていたんですかね。

 そういうことは、気になりません?

 それよりも少女趣味の持ち主だろうって?

非英雄論⑩■続・名古屋通り魔殺傷事件の伊田和世被告■「若い女性+α」=「母親」?

2008-07-30 10:41:31 | Weblog
発症歴■「1993年(平成5年)ころ、和世は自分が飼っていた愛犬の死にショックを受け、精神的に不安定になり、精神科を訪れ投薬治療を受けたが、効果がなく、抑うつ状態になった」(無限回廊)

「1999年(平成11年)、仕送りをしていた実父が入院した。和世は病院に見舞いに訪れていたが、退院後は毎月1回程度は、岐阜の実父を訪ね、寂しさを紛らわせていた。ところが実父には愛人がおり、身の周りの世話などをしていた。和世は実父に甘えられないのを愛人のせいにした。(同上)


 見られるように、被告の精神的不安定は、「愛犬の死にショックを受け」たものとされ、実父の入院は、著しい病変はもたらさなかったようです。
 ただ、退院後に、愛人との間で確執をおこしています。


 事件は、2003年(平成15年)3月30日夜8時ごろ、名古屋市北区水切り町の路上で、看護士の菅谷悦子(22)を包丁で突き刺し、一緒にいた友人の手提げカバンを奪って自転車で逃走。
 その2日後の4月1日の深夜にも、名古屋市千種区日進通の路上で、遠藤美里さん(当時22)が襲われ、バッグを奪われ、全治1ヶ月の重傷を負わされています。

 この事件が「通り魔」と処理されたのは、野放しにされていた危険人物による無差別殺傷事件と処理されたからだと見ています。
 しかし、「通り魔」にしては、「強盗目的」も兼ねていますから、正確にいうならば、半通り魔的半強盗的無差別殺傷事件なわけですよ。

 マルチ目的といいますか、通り魔をやるなら、ついでに、「強盗」もと、そう受け取られても仕方のない、非常にさもしい事件ですが、これが貧しい女性の犯行であるならば、なんの怪しみも生まれません。
 ところが、調べてみると、被告は二人の男性から月々50万もの援助を受けて、リッチな生活を送っているんですから、何でまた「強盗」までやる必要があるのかと、私に限らず、誰しもが持つ疑問ではないでしょうか。

 その点に関しては、「傍聴記」では、次のように記されています。

「月に50万円の仕送りがあったものの、趣味のアンテイーク(自註:仏語・古美術品)品につぎ込み切迫していたことと、精神科医からのこのままではいけないとの助言で将来に不安を感じていた・・・」

仮に、そうだとしても「切迫」していたから、「強盗」と単に短絡したとは考えにくいと思いますよ。なのに、理解不能な行動だから、「短絡的な犯行」ときりあげるのは、もはや見慣れた日常的な法廷風景?
 ここで留意されたいのは、精神科医の助言が「悪魔のささやき」と置き換えられて、被告の背中を押していることです。

通り魔事件とは、自己と似て非なる他者へのアイデンティティ殺人事件である■

 通り魔(無差別)殺傷事件とは、自己の取り違いから引き起こされた事件ではないかと考えています。

 被告は、女性である以上、豊かな母性をたたえるはずが、その一欠片も見せずに半女性を生きたとみています。
 これは、自らの母性を抑圧して生きてきたことと無関係ではないはず。

 それが父親の入院で、被告の意識の深いところで眠らせていた母性が揺さぶり起こされた可能性が十分にあります。

註三■この場合の「母性」とは、「やさしさ」と「烈しさ」という二つの相反する感情の組み合わせからなるもので、「烈しさ」とは、外敵の出現に対して追い出す行動に適した感情をいい、「やさしさ」とは、外敵とは異なるわが子の出現に対して、内に取り込む行動に適した感情を言います。

 ここで仮に、弱った父親に対して「護りたい」という欲望・感情が芽生えたとします。しかし、愛人の存在などで満たされずにいると、その欲望・感情は「出口」を求めて路上を浮遊するのではないでしょうか。

「2003年(平成15年)3月ころ、和世は人を刺せば自分のイライラした気持ちがスッキリするのではないかと思った。だが、思いとどまり、代わりに万引きすることでウサを晴らしていた」(無限回廊)

「3月30日(犯行当日)午後1時ごろ起床。用事も済ませ、再びベッドで仮眠するが、悶々とした思いに取りつかれる。<誰も自分の相手をしてくれない。どうして自分だけがこんな目にあわなくてはならないのか・・・」(同上)

 上の引用で留意されたいのは、「どうして自分だけが・・・」と日々の不満を「心的内傷」に置き換え、かかる傷の治癒目的とさらに置き換え、それを殺害動機に結び付けている点です。

 こうして連続・通り魔の襲撃を受けたのは、22歳の若い二人の女性です。

 これが「無差別」ではなく、「自己の取り違え」からおきた事件とするならば、二人の被害者は、被告の分身か、母親ではなかったか、と絞り込むことができると思います。

 ここで、通り魔事件としては、一種夾雑物として立ちはだかっていた「強盗目的」がヒントになるのではないかと考えました。

「若い女性+α」=「母親」

 どういうことかといいますと、母親に抱いていた憎しみの感情を抑圧していたことが、「若い女性+α」にむかって爆発したということです。

自己の分身に強盗目的の加わった何かが、母親ではないかと思いました。
置き換えると、次のような式として、表われると思います。

「アグレッシブな感情+甘え=母親なる感情」?

仮定される行動理論■通り魔殺人事件が仮に、内圧と外圧の接点において起こる現象とするならば、「心的内傷」の持つストレスは内圧として働く。一方の外圧は、自己と似て非なる他者である。

 彼は彼が恋人のように思えてならず、襲撃する?

通り魔事件関連ニュース■記事のみ

2008-07-30 02:26:02 | Weblog
■八王子・通り魔殺人 犯人・菅野「無罪」の可能性 (ゲンダイネット)
 東京・八王子市の通り魔事件で逮捕された会社員、菅野昭一(33)はどれだけの刑になるのか。

 卑劣な無差別殺人だから、当然、死刑――と思いきや、なにやら怪しい雲行きになっている。検察当局は菅野の精神鑑定をするために「鑑定留置」をする方針を固めたというのだ。

 実際、この事件は「父親を困らせようと思った」という稚拙な動機もさることながら、菅野の言動には不可解な点が目に付くのだ。

 菅野は中央大4年の斉木愛さん(22)ら2人を刺した後、包丁を持ったまま数分間、現場の書店内にとどまっていた。店内を歩き回り、表情はウツロで放心状態。書店を離れたのは、他の客が一斉に逃げ出し、周囲に誰もいなくなってから。現場に現金や身分証明書が入った財布を放置し、包丁は地上に降りるエレベーター内で捨てた。

 逮捕されたのは、犯行の30分後。警官の職務質問に抵抗せず、素直に犯行を認めた。現場から、わずか300メートルしか離れていない場所だった。逃走の意思はなかったようにみえる。

「取り調べで犯行時の状況を聞かれても、満足に答えられない。犯行場所に書店を選んだ理由や店内にとどまった点をただしても、曖昧な供述を繰り返してばかりです」(捜査事情通)

 事件前の約1週間は「親の顔を見たくない」と、ひとりで市内の旅館やホテルを転々。菅野が「困らせようと思った」という父親(69)は「思い当たる点はない。親子の確執はなかった」と報道陣に答えていた。父親と本人の証言はかなり食い違っている。菅野が精神鑑定で「責任能力なし」と診断される恐れはないのか。

「責任能力の有無は、犯行が計画的だったかどうか、善悪の識別がつくか否かで決まります。逃走の意思があれば『悪いことをやった認識があるから、逃げた』となり、責任能力が認められる。事件の厳罰化の流れからか、最近は人格障害の傾向が多少見られても、責任能力を認定するケースも目立ちます」(上智大名誉教授の福島章氏=犯罪心理学)

 何の落ち度もない女性を殺した菅野は許しがたい男だが、心神喪失について定めた「刑法39条」が気になる。

【2008年7月26日掲載記事】

[ 2008年7月29日10時00分 ]
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_phantom_killer__20080711_3/story/29gendainet02037810/



 公共の場で通行人や買い物客が刃物で襲われる事件が相次いでいる。

 東京・八王子の駅ビルでは女性店員が殺害され、神奈川県平塚市のJR平塚駅では7人が切りつけられるなど、先月8日の東京・秋葉原の無差別殺傷事件以降、少なくとも7件の事件が発生した。

 「だれでもよかった」「うっぷんを晴らしたかった」。容疑者たちの供述がよく似ているのも特徴だ。

 警察庁は当面、街頭などに多数の制服警察官を配置することで同種事件を抑止する方針だが、警察内部からは「対策には限界がある」との声もあがっている。

 今月15日夜、東京都青梅市のスーパーで女性店員(53)が突然、バタフライナイフで右胸などを刺されて重傷を負った。近くに住む会社員大越 粒巧 ( りゅうた ) 容疑者(22)が間もなくナイフを持って交番に出頭、銃刀法違反の現行犯で逮捕された。大越容疑者は「仕事のことで社長に文句を言われた。誰でもいいから刺して騒ぎを起こし、社長を困らせたかった」と供述。当初は近くのコンビニエンスストアで人を刺そうとしていたが、客が多かったため断念していたことも判明、26日に殺人未遂容疑などで再逮捕された。

 翌16日には茨城県東海村石神外宿の河川敷で散歩中の会社員の男性(61)と長女(25)が包丁で背中や腕を刺されて重傷を負い、付近にいた同村の無職寺島喜一容疑者(32)が殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。寺島容疑者は被害者親子とは面識がなく、「仕事がなくてムシャクシャしていた」などと供述している。

 25日には甲府市内の路上で飲食店従業員の女性(35)がペティナイフで刺される事件が発生。傷害容疑などで逮捕された調理師桜林清容疑者(37)も取り調べにこう語ったという。「上司から仕事で注意され、うっぷんを晴らすために刺した。だれでもよかった」

 さらに27日、北海道名寄市の名寄短大敷地内の公園で、散歩中の男性(53)が刃物で刺された事件で、無職三浦義将容疑者(20)が銃刀法違反容疑で現行犯逮捕された。三浦容疑者は調べに対し、「腹が立って人を刺した。だれでもいいから刺そうと思った」と話し、北海道警は殺人未遂容疑で調べている。

 警察庁は秋葉原事件後、全国の警察に、パトロールの強化などを通達。その後も見ず知らずの人を刃物で襲う事件が続発していることを受け、24日には繁華街に制服警察官を配置する「見せるパトロール」を徹底するよう改めて指示した。ただ、逮捕覚悟の犯行には効果が薄いのが現実。7件の事件の容疑者は過去に同種の事件を起こした前歴はなく、警察庁は今後、事件の傾向を分析し、政府の犯罪対策閣僚会議で総合的な対策を検討する方針。

[ 2008年7月29日14時32分 ]

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_phantom_killer__20080711_3/story/20080729_yol_oyt1t00451/


非英雄論⑨■名古屋通り魔殺傷事件の伊田和世被告■「若い女性+α」=「母親」?

2008-07-29 09:48:38 | Weblog
名古屋通り魔殺傷事件の伊田和世(38)被告の場合、ちょっと難しいぞと思って、避けたい気持ちが強かったのですが、何とかこうにかクリアできたみたいで、思うところをありのままに書くことにします。

 伊田和世(38)被告の場合、父親が母親に虐待された幼児期の光景がPTSD(心的内傷?)として固着しており、ここから女性を敵に回す一方で、男性には仕えるというように、両極端な性格が生まれ、ソープランド嬢を経験するなど、その後のラブ・マシーン的な基本路線を生きたかなという感じを持っています。

註一■この場合の「基本路線」とは、「非自己確立」の道を言います。

註二■PSTDとは、「Post Traumatic Stress Disorder(心的外傷後ストレス障害)」:強烈なトラウマ体験(心的外傷)がストレス源(ストレッサー)になり、心身に支障を来し、社会生活にも影響を及ぼすストレス障害。アメリカでベトナム戦争後の帰還兵の問題行動が社会問題になったときに、その原因として強烈なストレス体験がトラウマとなりそれらが、精神的な障害として行動に現れたとして議論された神経症。「はてなダイアリー」http://d.hatena.ne.jp/keyword/PTSD
 これに対して、「心的内傷」を仮定すべきだと思っています。彼は別段虐待を受けたわけではないのに、他人の虐待や殺されるシーンを見て、「心身に支障を来」す場合です。
 この義は、ベトナム戦争後の帰還兵の体験に近いから、これを「内傷」とし、殺されかけるほどの虐待を「外傷」と区別する必要があると思います。
 ですから、彼自らが戦場で人を殺さざるを得なくなった時の光景が「強烈なトラウマ体験」として彼を苦しめているならば、それは「内傷」といえるのではないかと思っています。
 伊田被告の場合は、「父親が母親に虐待された」幼児期の光景が「心的内傷」となり、その時に、自分=母親というアイデンティティを殺し、代わりに、自分=父親という一種ねじれたアイデンティティを獲得したことが、女子→母親という自己確立の道ではなく、非英雄の「非自己確立」の道を進ませたのではないかと、拝察。


 幼児期の伊田被告は、男勝りの激しい気性の持ち主であったと想像していますが、そのころに芽生えた善悪の観念によって、反・自己規定(自分はこういう母親には絶対にならない)を行う一方で、少女時代を駆け足で卒業。

「小中学校では和世は不登校児だった。たまに登校したかと思ったら、フリフリのスカートにつば広の帽子という奇抜な格好で現われ、同級生を驚かせたりしたが、クラスの大半とは口も利かなかった。気性が激しく、目が合っただけで「何よ!」「見んなよ!」と怒鳴ったりした。勉強には無関心で、教師に叱られても反抗的な態度を示した。その反面、おしゃれには異常な関心を示して、服装だけではなく、当時から薄化粧をしていた。顔立ちは美人なので微笑むとキレイだった。(『無限回廊』「名古屋自転車通り魔殺傷事件」)http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/jitensya.htm

 見られるように、義務教育期間をいやいやながら生きています。不登校児の時折見せる顔は、女子生徒に対しては、戦闘的、男子生徒に対しては、挑発的です。
 一匹狼の彼らスケ番の合言葉は、ブランクに「思い出は残さない」というように、足跡の削除が特徴的と見ています。
 なぜ「思い出」を「残さない」かというと、「思い出」という「思い出」が暗転して、マイナスの符号を持っているからではないんですか。
 ですから担任教師の「よし、クラス全員がメモリアムの思い出を心に刻み込むため、運動場でダンスをしょう」なんて、不用意な発言をすると、かれらからぶっ殺される可能性が出てきます。

ところで、「中学卒業後、和世は進学も就職もせず」(無限回廊)とありますが、本当なんでしょうか?
 かりに、そうだとすると、一転しての、開放的な少女の時間を生きたという感じでしょうか。
 換言すると、モラトリアム期間を生き、次に、満を持しての巣立ち。

「17歳のときからスナックやクラブでホステスのアルバイトを始めた」(同上)
「23歳ころから和世はソープランドで働」(同上)き、2年ぐらい稼動したあと、「自営業の妻子ある男性が毎月17万円の援助」(同上)を受けてやめるわけですが、この辺は、『傍聴記』によりますと、次のようになります。

「・・・その後ブランド品を購入するために、ソープ嬢になったが、そこで不愉快な思いをした。だがそこで知り合った鉄工所経営の男性と、実父から一月50万もの仕送りがあったこともあり、25歳で仕事をやめた」(『傍聴記』)URAが不明m(_ _)m

 こうして通り魔事件を起こす直前まで、二人の男性から50万円もの援助を受けていながら、なぜ路上デビューをと疑問に思ったわけですが、この理由として考えたことは、父親が入院したときに精神が不安定になり、幼児時代のPTSD(心的内傷?)がぶり返してきて、被告を苦しめたのではないかと。

 ですから、この苦しみから逃れるには、通り魔的な殺害しかないと考えたのではないでしょうか。

非英雄論⑧■新宿・渋谷バラバラ事件の三橋香織

2008-07-29 07:05:12 | Weblog
被告の弁護のやり方とは?●


■もし被告が妻の身であるにも関わらず、他に愛人のいる「セレブ嬢」という生き方が基本路線と受け止めていれば、結婚後の路線変更は考えにくくなります。
 そうした場合、自らの基本路線を妻が事前に打ち明けるなど、他方の夫も婚前に承知しておるならば、結婚後のトラブル(民法上の)は起きなかったと考えられます。
 ところが妻の基本路線が結婚後に発覚した場合、「結婚」という合意した契約内容に違反する行為でありますから、夫の側には契約を解除する権利が発生し、かつ、精神的苦痛に対する慰謝料などの請求する権利が生じるケースです。(拙記事より抜粋)

 ですから、夫の側が離婚訴訟を起こせば、妻の側は敗訴。債権者は夫とする慰謝料名目の債務を背負わされる可能性が残ります。

 従って、これを回避するには、婚前から続いていた愛人との関係を清算・謝罪して、夫の譲歩を引き出して、和解する方法です。
 つまり、妻の責に帰すべき結婚生活の破綻を、妻自らが認め、愛人との関係を清算し、新しい結婚生活を再建するべく誠意ある努力を行うという意思を夫に対して明示する必要があるわけです。

 この自己努力をもとめられる和解の道を選択せずにいると、敗訴後に妻を待ち受けているのは、借金を背負わされたバツイチの独身女性です。
 ということは、その間の結婚生活は「ブランク」と還元される一方で、ゼロ状態どころか、借金を背負わされたマイナスの状態からの再出発を余儀なくされていることになります。

 これ(離婚))を人生最大のピンチと受け止めるかどうかは、人それぞれだと思います。

 確かなことは、三橋香織被告は、「離婚」を人生最大のピンチと受け止めたということでしょう。

 そうやって追い詰められたとき、被告の中に潜む魔女の手に、自分の運命を託したんではないんでしょうか。

 一方の夫は、一時的に暴力を振るうなど、DVのバタラーに変じるなど荒れましたが、妻の側から公正証書を突きつけられたことで、法的な対処法を勉強して、冷たい夫として回復を遂げたようですね。

 この夫も、人の子、まだそれとは決まっていないのですが、債権者の持つような権力を振りかざし始めていますね。
 すぐに離婚をするのではなく、離婚をちらつかせながら、という感じですか。



■仮に、弁護人が被告人を弁護しようとするならば、罪の大筋を認め、離婚をちらつかせてくるやり方を、「隠れたDV」として、夫の側にもまったくの非がないではない、とこの事件の持つ情状酌量の余地を示すことで、被告に有利な判決をもらうことではないでしょうか。


 これに対して、検察側がその点について反論してくれば、両者の間の議論は意味があると思いますがどうでしょうか。

未今昔のジョーク■黄砂・カンキセン問題

2008-07-26 10:14:21 | Weblog
黄砂問題■昔から今のジョーク


(フグ総理の息子)「また中国の黄砂が飛来してきて、ぼくの新車がまっ黄。あ~あ」

(中国の某主席)「ワシらには、まるで関係のないことだな。そうだな」



カンキセン問題■未来のジョーク


(オオイズミ元総理)「オラオラ、お前んとこのカンキセンの排出口を日本に向けるんじゃねえ。おかげで、日本人の顔がススで真っ黒けだ。バーロ」

(中国の某主席)「オオイズミのいうことなんか、・・・・・・(チョンチョンチョン、ホレ♪)・・・・・・」

未今昔のジョーク■セミと酔っ払いなど

2008-07-21 15:31:10 | Weblog
セミと酔っ払い■昔から今のジョーク

 --お前か、昨日の19日に公園デビューしたとかいう、ミュージシャンは?

 --はい、夏ゼミでございます。

 --やかましくてかなわんから、よそさ行ってやれ。



セミと酔っ払い■未来のジョーク

 --お前か、昨日の19日に公園デビューしたとかいう、ミュージシャンは?

 --はい、夏ゼミでございます。

 --聞くところによると、お前はあわてて出てきたんで、胃袋をおなかに取り付けるのを忘れてきたちゅうわな。里のご両親もさぞや心配しておられよう。今すぐにでも、取りに戻れ。でね~と、早死にをするぞ。

 --すると、酔っ払いさんもですか。

 --何をふざけたことをこきやがるか。わしはお前とちがって、立派な胃袋をもっておるぞ。

 --それは失礼しました。ぼくはミュージシャンとして、「1曲を歌いきる」ために、公園デビューしました。ですから、のどがすべてなんです。のどが渇いたとき、声が出やすいように、のどを潤してしまえば、後はどうでもいい作りの体の構造なんです。胃袋がないのは、教科書を忘れたりする小学生のように、忘れてきたからではありません。

 --そうかそうか、気の毒じゃわのお。そういわれてみると、わしものお・・・。コラ~、夏ゼミい、わしをおちょくったな。もう許さん。よそさ行ってやれ。



キリギリスと公園ホームレス■昔から今のジョーク

 --お前、まだ歌っていたんか。しかしだ、7月19日にデビューしたときと比べて、今のお前は格段にうまい。ガンバレ。

 --失礼ですが、ぼくは秋のキリギリスです。



キリギリスと公園ホームレス■未来ののジョーク

 --お前、まだ歌っていたんか。しかしだ、たまには働いて銭さこしらえておきゃ~。でねーと、厳しい冬は乗り越えられんぞ。

 --失礼ですが、ぼくは秋のキリギリスです。でも、いいんです。ぼくは歌がすべてなんです。ぼくの歌が生き残って越年できさえすれば・・・。ですから、犬死は覚悟の上です。

 --お前は、スケベーの夏ゼミと違って、スケールが何倍もでかいぞ。エライ。実はなあ、わしもなあ、お先真っ暗かんの何とかかんという奴で、明日は路上死を待つ身の上よ。しかしだ、お前は、聞くところによると、来年は歌手としてプロデビューするちゅうわな。あ~ん、どっちなんだ?

 --実を言いますと、歳明け早々にも、歌手として晴れの初舞台を踏めそうなんです。これも皆様からの支援の賜物かと承っております。そのときは、キリギリスは廃業です。ところで、路上死するって、おじさんは、金持ちのアリさんではなかったんですか。

非英雄論⑦■女性の不良デビューは、「ブランクと不良デビュー」の最たる例か?

2008-07-20 13:43:04 | Weblog
女性の場合■犯行主体は「セレブのお嬢」?

 入り口の顔と出口の顔がまるで異なる、その間の空白の時間を個として生きた「ブランク」の例は、離婚沙汰や夫殺しが挙げられると思います。
 この場合の、夫殺しなどの妻の不良デビューは想像を絶した結婚生活のブランクを背景として、空間的同時的に現れるのを特徴として有し、女性の通り魔殺傷事件は、ブランクを線形として描かれるような時間の延長線上に顕われるのが特徴・・・・。

 私は最初にそういう仮説を立てて、女性の起こした殺人事件の分析を試みようとしたところ、まるで違っていたことに気づきました。

 どう違うのかと聞かれても、返答に窮するようなところがあってうまくいえないのですが、強いて言えば、犯行主体が「セレブのお嬢」になっている点でしょうか。
 「ブランク」が見当たらない点もですね、混乱の原因になっているのではないかと思っています。
 緊急点検の必要を痛感しています。

 それで、今回、改めて調べた事件は、渋谷バラバラ事件の三橋香織被告、秋田2児連続殺人事件の畠山鈴香被告、名古屋通り魔殺傷事件の伊田和世(38)被告の三件です。

 これら容疑者に共通するのは、生活費をくれる父親とパトロンの存在です。ただし、香織被告は例外で、そのような父親はおりません。
 仮に、これが例外でないとすれば、殺された夫の三橋祐輔さん=当時(30)は、生活費をくれる父親代わりの夫ということになります。
 これも厳密に言うと、畠山鈴香被告の例は例外で、特定のパトロンはおらず、複数の愛人の存在が噂されております。


 まあ、とにかく、彼らは、三人三様のセレブのお嬢様を演じているところがあるわけです。
 ところが、父親が病気で倒れたりすると、その後に、不良デビューを行って、世間を騒がせています。
 ただし、香織被告の件は、例外。

 これが例外中の例外なのは、父親代わりとして選んだ自らの夫を殺害しただけではなく、遺体をばらばらにしているんですね。

 死体損壊は、作家の江戸川乱歩がすでに非力な女性などが死体をばらばらにして持ち運びやすくするためのものといった、まあ、うがった説を立てており、一方で、被告自らの言うように、完全犯罪を狙ったことも考えられますから、二つの説があってしかるべきです。
 しかし、私は、そういう考えには納得できずにいます。
 等身大の人間ではできないことを彼らはやったとみています。
 この点はいずれ書きます。


 次の記事は、産経ニュースより引っ張ってきました。
 いつまでも保存してくれているので、助かっています。


■【冒頭陳述=弁護側(1)】「逃げようとする歌織被告をテープで縛った」
2007.12.20 14:11産経news

裁判記録

初公判での三橋歌織被告。被告席で係官にはさまれ、法廷でのやりとりをじっと聞いている=昨年12月20日、東京地裁(イラスト・成冨淳二) 歌織さんは祐輔さんを殺害してしまいました。

 妻が夫を殺すという痛ましい事件。どうして殺害したのか、何があったのか、それを明らかにします。

 結婚当初から、歌織さんは祐輔さんから肉体的暴力などのDVを受けていました。祐輔さんは自由にしてくれませんでした。逃れるために犯行を犯したのです。

 2人は平成15年3月に結婚。結婚前から暴力があったが、結婚後、DVはさらに進みました。歌織さんが電話をしていると、電話を取り上げ顔を殴られることもありました。

 東京都品川区のマンションに引っ越した際、水道の手続きを行っていなかったため、顔を殴られ、倒されて首を絞められました。日常的にDVは行われ、逃げようとする歌織さんをベルトやテープで縛りました。また逃げ出さないようにクレジットカードを折りライターで焼き、かばんや服も切り刻まれました。

 直接的暴力だけではなく、監視も。

 祐輔さんは仕事中にも、電話やメールでどこで何をしているのか追及しました。歌織さんが「買い物している」と言っても信用しなかった。外出中に周囲の風景の写真を撮ってメールで送るよう命令されました。

 家に帰ると祐輔さんは歌織さんの体のにおいをかぎ、たばこのにおいがすると、暴力をふるわれました。祐輔さんが帰宅する前に風呂に入ると「怪しい」と言われ、また暴力をふるわれました。祐輔さんは朝帰りが多かったので、風呂に入る時間もなかった。朝起きて化粧していても暴力を振るわれました。

 日常の全てで暴行を恐れ、緊張し、眠れない日々を送った。祐輔さんの帰宅を恐怖に感じていました。

 「逃げればいいのでは」と考える人はDVに無理解だ。

 祐輔さんはDVをしないときは全くの別人で、歌織さんに謝罪しました。歌織被告が出ていこうとすると追いかけて連れ戻し、謝罪する。だから歌織被告も信じようと思った、そしてまた暴力。これは、DVの典型です。

 知人に暴行の事実を話しても理解されませんでした。

 一度だけ歌織さんは実家に帰ったことがあります。

 もともと歌織さんは父親との確執があり、実家には戻れないと思っていました。

 しかし、生活から逃げる最後の手段として16年に新潟の実家に帰りました。

 だが、父が受け入れを拒否し、絶望の中で家に戻ったのです。


 上の引用のエンデングに注目してもらいたいのですが、「父が受け入れを拒否」とあります。
 これは、書くまでもなく、父親が「セレブの嬢」と見抜いての対応と考えています。
 それにしても弁護側の提示した冒頭陳述は、ひどすぎますね。冒頭に「明らか」にするとした言葉は、うわっすべりの弁護論に終始していて、もとより整合性に欠いています。まるで小学生以下の作文ではないですか。
 といいますのは、弁護側は、夫の祐輔さんはDVのバタラーとし、日常的な暴力を振っていたから、香織被告は被害者として人間が壊された等を述べているわけですが、結婚前から存在していた愛人の問題ついては、被告人はどのように処理するつもりだったのでしょうか。
 さらに弁護人は、その愛人の問題をどう受け取ったのでしょうか?
 公判では、本末転倒の議論をやってたんじゃないんですか。
 この新妻の犯した許されざる愛人の問題を閑却したまま、夫の祐輔さんはDVのバタラーとし、日常的な暴力を振っていたから、香織被告は精神的肉体的な苦痛を受け、かといって、どこにも逃げ場所がないことから、夫の殺害に及んだというのは、流行作家並みのシナリオしか用意できない、人間に対する決定的な認識不足をさらしているのです。

 その点に関しては、私はこう思いました。

 もし被告が妻の身であるにも関わらず、他に愛人のいる「セレブ嬢」という生き方が基本路線と受け止めていれば、結婚後の路線変更は考えにくくなります。
 そうした場合、自らの基本路線を妻が事前に打ち明けるなど、他方の夫も婚前に承知しておるならば、結婚後のトラブル(契約上の)は起きなかったと考えられます。
 ところが妻の基本路線が結婚後に発覚した場合、「結婚」という合意した契約内容に違反する行為でありますから、夫の側には契約を解除する権利が発生し、かつ、精神的苦痛に対する慰謝料などの請求する権利が生じるケースです。

 法律に明るいはずの弁護士が結婚にまつわる契約問題を閑却したまま、DV問題化したり、精神鑑定で「心神喪失」論を持ち出すというのは、芸がないというか、そんな小手先だけの不毛の議論のやり取りは、そろそろ卒業してはどうなんですか。
 廃業しろといいたくなりますよ。


 ところで、香織被告を指して「セレブのお嬢」としましたが、彼ら被告だけに顕われる人格、もしくは、願望なのでしょうか。
 他方では、「セレブのおぼちゃま」という宮崎勤みたいな人間は特別な人間なのでしょうか。

 私の考えを言えば、「セレブな自己」への願望は誰しも持っていると考えます。
 それが犯罪へと傾斜させるというのであれば、私たちはみな犯罪傾向を持つ人間ということなり、、彼我の間に一線を画することができなくなります。
 それが本来的な人間なのだ、といっていいものか、それとも、そんな人間論は安価と片付けるべきなのでしょうか。

 この場合、罪を犯すのが本来的な人間の姿とするならば、努力している意味がなくなります。
 アキバ事件の加藤智大ではないですが、「そうかよ」で人間を辞めてしまえばいいわけです。
 すると、加藤の例は、本来的な人間論の正しさを証明することになるでしょうか。
 そうではないでしょう。

(書きかけ)

こちら愛知、19日9時前5分に「梅雨明け宣言」■蝉ちゃんのH話?

2008-07-20 03:18:56 | Weblog
近くの民家の木に止まった、ワシワシ蝉が鳴き出して、これが蝉ちゃんの告げる”梅雨明け”。
昨日も鳴いていましたから、実際に鳴き出したのは、7月18日。あるいは、2、3日前ぐらいですか。

温度計の目盛りは、32度を表示。
室内温度が朝からこれでは、う~ん、暑い!!

それにしてもワシワシ蝉の鳴き声が続きません。
初鳴きのせいでしょうか。
普通だと、明け方の6時ごろから12時まで鳴きつづけて、正午にはぴたっと鳴きやみます。その後の夏の舞台をアブラ蝉が引き受けるかのように、ジリジリジリと鳴き始めます。
ところが、正午を過ぎても、アブラ蝉の引継ぎがありません。
そのせいか、ワシワシが飛び去った後の森閑とした空気を朝方に覚え、午後になっても引きずっています。

ご存知のように、蝉は地下生活が長くて、地上に出るのは交尾目的で、数日で死んでしまいます。
なぜそうなるかというと、消化器官を持っていないからです。ですから、オス蝉の腹は、空洞です。
 メス蝉の腹には、生殖器官が詰まっています。ですから、この意味での生殖器官(=排泄器官)は、雄蝉も蓄えていることになります。

(ここで書いたことは、おかしいですかね?)

しかし、蝉は樹液を吸って、数日は生き長らえているのではないか、というイメージを持っています。
というのは、捕虫網で捕まえ損ねると、よくションベンをひっかけられるからです。
 この意味するものこそは、排泄器官の存在を裏付けるものではないかと、この辺は、解剖学的なことがわからなくて弱っています。
 排泄器官を持っているのならば、ストローで吸い込んだ樹液を通す食道があって、胃袋がないから空洞の腹へ垂れ流し。

 いいですか、外は30度を越える真夏日なんですよ。その中を一滴の水も飲まないっていうのは、考えにくいですよ。
 ですから、乾いたのどを潤しさえすれば、後はどうなってもいい、という作りの体の構造になっているんじゃないんでしょうか。

 と書きますと、呑ん兵衛みたいな論理になりますけど、夏の一番のうまみは、なんたって冷たい水を飲んで、ウマカ~、って感ずる瞬間じゃないんでしょうか。

 蝉は、蝉。炎天下で汗まみれで仕事している建設作業員ではなくて、風通しのいい木陰で涼しんでいる生き物だって?

 そうですかねえ。

 じゃ~、たとえばですね、駅前のミュージシャン。いくら木陰にいるったって、歌っている限りは、喉はからからになってきますよ。
 蝉だって、同じじゃないんですかねえ。

 そうやってからからに干からびた喉をひんやりとした樹液で潤すと、美声を回復するだけでなく、幸福の絶頂感が訪れやすいように、脳内モルヒネを分泌させて、良心の働きをちょっと痺れさせて、このとき検閲をパスしてはじめて出現するのが「美しい世界」っていうもんじゃないんでしょうか。

 いくら蝉ちゃんがセックス目的で地上に現れたといってもですねえ、何の美もまじえることなしに、乱交○ーテイーなんてやれないと思うんですよ。

 一方の、めんゼミなんですけど、昆虫の常として、全然お化粧なんてしていないんですからね。

ところで、「乱交○ーテイー」なんて書きますと、禁止された語の羅列取り扱いされる可能性が出てきますが、蝉の行動を注意深く観察していますと、人間みたいに誰でもいい(?)、みたいな交尾なんてやっていません。

 大体は、おんゼミが鳴き出しますと、どこからともなくめんゼミが飛来してきて、舞台デビューしたばかりの初々しいおんゼミの近くに止まります。

 このときの距離のとり方が、女子高校生(無論、昔の)的で、絶妙。めんゼミも一端の女の子なんだな、なんてわけのわからぬ感慨に浸ったりしています。

たとえば、鳴いているおんゼミと同じ高さの位置に10センチ以上の距離を置いて、幹の上にめんゼミは止まったりします。
 すると、おんゼミは「!」と反応した瞬間、蟹歩きをはじめて、めんゼミの背中に前足をかけます。
 この時の足のかけ方が悪いのか、めんゼミはどこかに飛んで行ってしまいます。

「おう、ねえちゃん、一発○らせてくんろ」
「なあ、気持ちの○いことやろうぜ」
 といった声のかけ方では、肘鉄を食らう感じですね。

とすると、次なる手は、「今日は、放生祭だね」と声をかけて、それとはなしに「Hしたいけど、どお~」といったメッセージを伝えるやり方。
あるいは、「ねえねえ、ピュアな人体実験をやりたいって思わない。たとえば、Aなる化学物質とBなる化学物質を試験管の中に入れて、かき混ぜた後に、熱を加えるといかなる超化学物質Cが誕生するかという化学実験をだね、人体を通してやってみるのは、どお?このとき、「愛」なる感情を注入した相異なる性を持つ、二個の個体だと、ヤバイというか、後々にしこりを残すからさあ、《愛》抜きで・・・」


・・・・・・(ただいま、削除を検討中につき、しばしのご猶予を)


 一方のめんゼミは、「あんた好き、(即)○れて」といった単刀直入のメッセージは出していないことは、明らかですね。

 それでも、めんゼミがおんゼミの頭の上に、いわば「尻を向け」て止まると、成功の確率が高いのではないかとみています。

 蝉の場合の交尾成功のキーポイントは、やはり、メスの握っている「奪って・・・」ですか。

 一方の雄には、鳴き始めると、ボリュームを最大化するまでの歌い方(デイスプレイ)が課せられていると思っています。

 雄同士が角を突き合わせて、1匹の雌をめぐってガチンコなどしない、平和的な生き物と言える反面、言論の自由をバックに「ボリュームの最大化」で競い合っているみたいですね。
 ですから、非常にやかましいんですよ。


ですが、その「1曲を歌いきる」行動は、外敵の攻撃を雄蝉自らが引き受け、且つ、雌蝉を守る仕組みが隠されているのではないかと見ています。

 いや、これはどこかのテレビ放送が頻繁に垂れ流すメッセージでしたね。
 知らず知らずのうちに、毒されていたとは、トホホ。


 ところで、日々の情報に暗い一面があって、梅雨明け宣言はどうなっているんだろうかと気になっていたら、ワシワシ蝉が鳴き出したほぼ同時刻に、気象庁の「梅雨明け」宣言。
 ただし、次の記事を見られるとわかりますように、「宣言」はあっても科学的な根拠が示されておりません。

(「高気圧」云々は、ガセに近いんでしょう?ではなくて、マジ?としても、決定力不足は否めないと思いますよ)

 気象庁も、人の子よろしく蝉に情報依存しているんですね。

 周りの自然観察重視?
 それで、いいんじゃないんでしょうか。

 できれば、ソースは正直に申告?すべきなのでは。

■東北・北陸・関東甲信・東海地方が梅雨明け
 気象庁は19日午前、東北から東海地方が梅雨明けしたとみられると発表した。 夏の高気圧が強まって本州付近は19日朝から夏空となり、気象庁は東北・北陸・関東甲信・東海地方が梅雨明けしたとみられると発表した。これで、すべての地域で梅雨が明けたことになる。 東北・北陸地方は平年より3~8日早く、関東甲信・東海地方はほぼ平年並みの梅雨明けとなる。 日本付近はこの先1週間も晴れる日が多く、厳しい暑さが続く予想。[ 19日11時45分日テレnews24 ]

追記■ションベンを精液と置き換えると、ここで書いた矛盾が解けると思いました。つまり、雄蝉の腹には、精液が充満しているのです。

非英雄論③■アキバ事件、こう思います■自己確立をいつまでも浮遊させる(囚人型)モラトリアム人間?

2008-07-19 20:21:11 | Weblog
「非・英雄」の「非・自己確立」論■自己確立をいつまでも浮遊させるモラトリアム人間?

 法廷に姿を現わした宮崎勤の印象は、マニアックな一面を持つ小太りの・オタクとは程遠い、まるで手足をもぎとられた昆虫のように、おとなしいモラトリアム人間でありました。
 であるにもかかわらず、オタク論の中心的な人物としてミヤサキが語られる・無邪気な状況が今日まで引き継がれています。

 オタクという非・英雄は、マスメデイアの「主役」として脚光を浴びると、時代の「英雄」として華やかな自己(セレブ)をテレビのバラエテイ番組などで演じますが、刑事事件の容疑者として逮捕されると、それまでの自己を退化させて、前身のモラトリアム人間の殻にこもり、自己責任を免れようとするのがドラエモン、いや、ライブドアのホリエモンであり、宮崎勤などのオタクなのではなかったでしょうか。

 と、オジヤな書き方をしましたが、このまま続行。

 そこに見られる三種の自己とは、つまり、オタクとセレブな自己とモラトリアム人間は、どのような関係にあるのでしょうか?

 このような問題がなぜ生じるかというと、「自己確立」論において単体に宿る自己は単一とされてきたものが、実は、単体には三種の自己が宿るとなって、それまでの常識論を蹴破ってしまうからです。
 つまり、「自己確立」論において、「不変性と連続性」と考えられていた自己が「易変性と不連続性」を持つ自己ということになり、混乱してくるからです。


 ここで、宮崎は飽くまでもオタクであって、セレブでもなければモラトリアム人間でもないと、反論を提示されるかもしれません。

 私の不確かな記憶によれば、1988年(平成元年)の夏に逮捕、その後に始まった宮崎勤の初期報道は、「鬼畜」という声が大部分の中で、「セレブのおぼちゃま」や「ビデオ収集マニア」や「若奥様のナマ下着なるエロ本を読みふけるスケベーのロリコン野郎」『クイズマニア」というように、種々のイメージのごっちゃになったもので、セレブに関しては、修業後?に、印刷業を営む宮崎家の家業手伝の身分として入社した際に、集金用にと、200万はするニッサンのラングレー車を母親がぽんと現金で買い、そのまま宮崎にプレゼントしたエピソードが週刊誌で報じられています。
 親掛かりの「セレブのおぼちゃま」、孤独なロリコン男の「倒錯のデパート」と揶揄される一方で、大塚孝志らの唱える現代若者論に取り入れられて、(「死体損壊」は、「死後に始まる、対話」という説が支持された関係もあって)収集マニアの宮崎はオタクと定義されたために、明るい宮崎論(どこにでもいるミヤサキ=オタク)が主流を占めるようになったと見ています。
 一方の、宮崎のモラトリアム人間ぶりは、4人もの幼女を殺しておいて「(殺されて)喜んでいる」というように、一言も謝罪することがなかったわけで、罪を認めようとしない、欠格ぶりは明らかなはず。

 ここで私の言う「モラトリアム人間」は、従来用いられた意義を逸脱するものですが、ですから、この点について、私の考えを書きます。

■学生など、社会に出て一人前の人間となる事を猶予されている状態を指す。心理学者エリク・H・エリクソンによって心理学に導入された概念で、本来は、大人になるために必要で、社会的にも認められた猶予期間を指すが、日本では、小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』(1978年)等の影響で、例えばニートのように社会的に認められた期間を徒過したにもかかわらず猶予を求める状態を指して用いられることが多い。(wikipedia「モラトリアム」)

 上の引用に明らかなように、「自己確立」に必要な助走期間をいい、この期間を限りなく延長しているのが親がかりの「モラトリアム人間」であり、ニートです。
 これが非英雄の容疑者の態度として現れれば、彼は自己の犯した罪に対して、逃れようとして、無邪気さを装うのが、彼ら囚人型「モラトリアム人間」の共通点です。
 ですから、宮崎は個人の罪に帰すべきですが、組織のトップでありながら、犯した罪の主導的役割を拒否する、ホリエモンや煎時津風親方の双津竜関や麻原彰晃なども含まれます。特徴は、出世コースからの離脱を余儀なくされた際の自己防衛反応として、退化した「モラトリアム人間」を演じている点です。

 一日でも早くと、罪を認めることを周囲の人が期待しているのに、拘留を無実の「助走期間」と勘違いしている囚人たちです。


 こうして残された問題は、「自己確立」論等における自己とは、「不変性と連続性」か、あるいは、「易変性と不連続性」であるかいなかに絞れると思います。

 私がイメージするオタクの自己とは、まだまだ卵の彼は、親掛かりのセレブな自己とモラトリアムの自己が同居しており、一方で、オタク的に好きな趣味に没頭している状態です。

 自己とは限りなく進化を続けるといえるならば、彼は過渡的に現われる自己です。
 助走して巣立とうとしているのが、若鳥といえるならば、若鳥はオタクです。その巣立ちをずるずると引き延ばしているのがモラトリアム人間です。


 かかる自己は、モラトリアム状態にある自己を「基地」として内蔵しており、戦闘で翼が傷ついたりすると、帰還して修理する場所でもあります。

 やがて、彼はマニアックな趣味をビジネスの活用に成功して、大金を手にして、セレブの仲間入りを果たして、一躍全国区の有名人になります。

 ここで問題になるのは、「夢の手段」で功成り遂げた「全国区の有名人」であっても、彼らは本当に「時代の英雄」なのかどうか、ということです。
 言い換えますと、彼らはもともとは「非英雄」の「非自己確立」者なのだから、「時代の英雄」と持てはやされても、それは一過的な仮の現象にすぎず、不変性をキープしているのは、「非英雄」の「未確立」の自己ではないかということです。
 ですから、それを裏返しますと、彼非英雄がオタクであるならば、その自己は過渡的な、易変性を繰り返す存在といえるはずです。

 次に、「連続性」については、オタクの自己は、モラトリアムな自己と頻繁な交代が観察されるものですから、「連続性」については否定せざるをえませんが、「非英雄」の自己としてみれば、彼らなかよしグループで固まった自己は、「連続」しているといえるのではないでしょうか。

 ここで、「英雄」論の中の「自己確立」論の提示をやりたいところですが、割愛。

 この後の総括は、片手落ちでおかしいと思われるかもしれませんが、遅かれ早かれ、次のようになります。

・・・「自己確立」論と「オタク」論は、「英雄」論と「非英雄」論の関係にあるといえるならば、両論は互いに、「相似」的且つ「平行」の関係にあるといえると思います。


(とすれば、両論は、構造論的逸脱論的横断論的関係にあると、いえることになります)


追記■参考は、桜井芳生氏の高論『「若者」の「自己意識」確立のための一考察― 』
URL:http://homepage3.nifty.com/sakuraiyoshio/nakama.htm