この事件は、精神科医に対する不信感を背景とした、慢性的なスランプ状態に陥った女性の、苦し紛れの脱出法が、かかる通り魔事件を引き起こしたのではないかと考えました。
医師への不信■「1993年(平成5年)ころ、和世は自分が飼っていた愛犬の死にショックを受け、精神的に不安定になり、精神科を訪れ投薬治療を受けたが、効果がなく、抑うつ状態になった」(「無限回廊」)
実父の入院■「1999年(平成11年)、仕送りをしていた実父が入院した。和世は病院に見舞いに訪れていたが、退院後は毎月1回程度は、岐阜の実父を訪ね、寂しさを紛らわせていた。ところが実父には愛人がおり、身の周りの世話などをしていた。和世は実父に甘えられないのを愛人のせいにした。(同上)
精神科医の助言が「悪魔のささやき?」に■月に50万円の仕送りがあったものの、趣味のアンテイーク(自註:仏語・古美術品)品につぎ込み切迫していたことと、精神科医からのこのままではいけないとの助言で将来に不安を感じていた・・・」(「傍聴記」)
犯行の直前はどんどこのスランプ状態?■「3月30日(犯行当日)午後1時ごろ起床。用事も済ませ、再びベッドで仮眠するが、悶々とした思いに取りつかれる。<誰も自分の相手をしてくれない。どうして自分だけがこんな目にあわなくてはならないのか・・・>」(「無限回廊」)
スランプとは、「一時的な不調」で、原因不明とされていますが、「努力に比して結果か評価のいずれかが伴わないことから起きる、心の病で、慢性化すると人格の荒廃をまねく」というように、私は理解しています。
秀才が学業不振に陥るのは、努力に比して結果が思うように出ず、一方で、評価ももらえないことから、「オレは何のために勉強しているんだ」」みたいな、無意味感・脱力感に襲われたりするからではないんですか。原因がわかればいいんですが、わからないまま放置されると、廃人になる可能性もありますから、やはり気をつけたほうがいいと思います。
対策は、努力に対して他人の評価をあまり期待しないことですか。
言い換えますと、努力とは人間に向けられた発信行為でありながら、周囲の人が一人として受信しなかったり、無視することから起きる、人間的な心の病。
たとえば、女子社員をスランプに陥れることほど簡単なものはありません。散髪してきれいな髪で出勤してきたとき、みんなで無視すると、イチコロでしょう。
それが裏目になって極端な形で表現したものが「和歌山の毒カレー事件」だそうです。
「≪殺意を持っている人に実際に殺人を犯させるにはどうしたらよいか。それは彼に誰も話しかけないことだ≫と、こんなふうに言っている犯罪心理学者もいます。
*
和歌山で起きたカレー毒物事件では、犯人とされる女性がやって来たとたんに、それまでのにぎやかなおしゃべりが止まり、誰一人彼女にあいさつさえしなかったといいます。検察側の主張が正しければ、そのあと彼女は激しく怒って毒を入れたということです。(『心の散歩道』)」
スランプによる一時的な精神の変調を勘違いして、重篤な心の病(抑うつ反応?)として診断し、薬を用意するも治せなくなって、症状を悪化する例が多いのではないでしょうか。
(スランプは、外発的な人間的な心の病であるのに、内発、あるいは、心因的な心の病と理解しているのではないですか)
伊田被告の場合、近所付き合いはなく、ビーバー人形とペットに囲まれた孤独な生活を送っていたわけですから、薬よりも生活環境の改善・指導を処方すべきではなかったでしょうか。
被告の精神の変調は、実父の入院に始まったと見ています。
これは前にも書きましたが、弱った実父を見て芽吹いた母性感情(親越え=恩返しをテーマとした物語的感情の誕生・潜伏期)は満たされずにいると、統合されないまま、次のように、二つに割れると考えています。
烈しさの封印■「愛人」なる外敵の出現に対して、烈しい感情の赴くままに追い出し行動をとるも、失敗する。それだけではなく、実父から出入りを禁じられる。
やさしさの封印■外敵とは異なる「実父」なる子の出現には、溢れてくるような優しい気持ち(被告は、「甘えたかった」と表現)を満たそうと思って、内への取り込み行動をはじめようとすると、失敗した。それだけではなく、実父から出入りを禁じられる。
結局、被告はこの相異なる二種の感情のハザマで、攻撃的な感情を鎮めようとして人形を解体しては不満を感じ、甘い気持ちを満たそうとして窃盗を試みるも不満感情を残したことは十分に考えられます。
その一方で、首のない人形や血の付いた生理品などの大量のゴミをご近所にばら撒くなどの奇行を行っています。(無限回廊)
犯行の直前は、精神科を訪れています。それでいながら、セルフコントロールすらできないでいる自分に自分が戦いている様子が伝わってくるのです。
作家の桐野夏生は、「グロテスク」の中で、ヒロインの一人超少女に対して「怪物」と呼んでいましたが、被告の中でそれが誕生したとも考えられます(顕在期)。
それが「スランプ」といえるかどうかはわかりませんが、それの脱出に「置き換え」が密に関わっていると見ました。
下がそのノート。
この事件の持つ特徴■垣間見る「置き換え」の連鎖反応
A スランプ状態からの脱出が身勝手な殺害動機に置き換えられている。
B 精神科医の助言が「悪魔のささやき」に置き換えられて、被告の背中を押している。
C 感情表現が下手なのか、「欲望」に置き換えることで、安易過ぎる行動化に結び付けている。
D 「自己の取替え」とは、かかる置き換えの連鎖反応のひとつの表れか。
最後に到達したのが、下の式。
「アグレッシブな感情+甘え=母親なる感情」?
断定的なことはいえないなんて、当たり前のことで、誰もお前のいうことなんてこれっぽっちも信じてねえよ、と腹はそんなもんだと思っていますから、改めて断る必要はないと思っています。
被告はリッチな生活を送っていましたが、弱った実父を見て、心が弱くなり、お金よりも人肌のぬくもりの方(あるいは、コミニケ、甘え等等)がほしいと思ったのではないでしょうか。
下は、すべて工事中。未着手?
判決文に見られるスキ■
被告を弁護するやり方とは?■
通り魔事件から何を学び取るべきか?■
通り魔事件を機に、社会をどう変えるべきであろうか■
画像は、「バービーファッションブティックMaiko 」さんとこから無断借用。
http://www.gimlet.to/doll/charm1.htm
伊田被告は、バービー人形に向かってどんなことを話しかけていたんですかね。
そういうことは、気になりません?
それよりも少女趣味の持ち主だろうって?
医師への不信■「1993年(平成5年)ころ、和世は自分が飼っていた愛犬の死にショックを受け、精神的に不安定になり、精神科を訪れ投薬治療を受けたが、効果がなく、抑うつ状態になった」(「無限回廊」)
実父の入院■「1999年(平成11年)、仕送りをしていた実父が入院した。和世は病院に見舞いに訪れていたが、退院後は毎月1回程度は、岐阜の実父を訪ね、寂しさを紛らわせていた。ところが実父には愛人がおり、身の周りの世話などをしていた。和世は実父に甘えられないのを愛人のせいにした。(同上)
精神科医の助言が「悪魔のささやき?」に■月に50万円の仕送りがあったものの、趣味のアンテイーク(自註:仏語・古美術品)品につぎ込み切迫していたことと、精神科医からのこのままではいけないとの助言で将来に不安を感じていた・・・」(「傍聴記」)
犯行の直前はどんどこのスランプ状態?■「3月30日(犯行当日)午後1時ごろ起床。用事も済ませ、再びベッドで仮眠するが、悶々とした思いに取りつかれる。<誰も自分の相手をしてくれない。どうして自分だけがこんな目にあわなくてはならないのか・・・>」(「無限回廊」)
スランプとは、「一時的な不調」で、原因不明とされていますが、「努力に比して結果か評価のいずれかが伴わないことから起きる、心の病で、慢性化すると人格の荒廃をまねく」というように、私は理解しています。
秀才が学業不振に陥るのは、努力に比して結果が思うように出ず、一方で、評価ももらえないことから、「オレは何のために勉強しているんだ」」みたいな、無意味感・脱力感に襲われたりするからではないんですか。原因がわかればいいんですが、わからないまま放置されると、廃人になる可能性もありますから、やはり気をつけたほうがいいと思います。
対策は、努力に対して他人の評価をあまり期待しないことですか。
言い換えますと、努力とは人間に向けられた発信行為でありながら、周囲の人が一人として受信しなかったり、無視することから起きる、人間的な心の病。
たとえば、女子社員をスランプに陥れることほど簡単なものはありません。散髪してきれいな髪で出勤してきたとき、みんなで無視すると、イチコロでしょう。
それが裏目になって極端な形で表現したものが「和歌山の毒カレー事件」だそうです。
「≪殺意を持っている人に実際に殺人を犯させるにはどうしたらよいか。それは彼に誰も話しかけないことだ≫と、こんなふうに言っている犯罪心理学者もいます。
*
和歌山で起きたカレー毒物事件では、犯人とされる女性がやって来たとたんに、それまでのにぎやかなおしゃべりが止まり、誰一人彼女にあいさつさえしなかったといいます。検察側の主張が正しければ、そのあと彼女は激しく怒って毒を入れたということです。(『心の散歩道』)」
スランプによる一時的な精神の変調を勘違いして、重篤な心の病(抑うつ反応?)として診断し、薬を用意するも治せなくなって、症状を悪化する例が多いのではないでしょうか。
(スランプは、外発的な人間的な心の病であるのに、内発、あるいは、心因的な心の病と理解しているのではないですか)
伊田被告の場合、近所付き合いはなく、ビーバー人形とペットに囲まれた孤独な生活を送っていたわけですから、薬よりも生活環境の改善・指導を処方すべきではなかったでしょうか。
被告の精神の変調は、実父の入院に始まったと見ています。
これは前にも書きましたが、弱った実父を見て芽吹いた母性感情(親越え=恩返しをテーマとした物語的感情の誕生・潜伏期)は満たされずにいると、統合されないまま、次のように、二つに割れると考えています。
烈しさの封印■「愛人」なる外敵の出現に対して、烈しい感情の赴くままに追い出し行動をとるも、失敗する。それだけではなく、実父から出入りを禁じられる。
やさしさの封印■外敵とは異なる「実父」なる子の出現には、溢れてくるような優しい気持ち(被告は、「甘えたかった」と表現)を満たそうと思って、内への取り込み行動をはじめようとすると、失敗した。それだけではなく、実父から出入りを禁じられる。
結局、被告はこの相異なる二種の感情のハザマで、攻撃的な感情を鎮めようとして人形を解体しては不満を感じ、甘い気持ちを満たそうとして窃盗を試みるも不満感情を残したことは十分に考えられます。
その一方で、首のない人形や血の付いた生理品などの大量のゴミをご近所にばら撒くなどの奇行を行っています。(無限回廊)
犯行の直前は、精神科を訪れています。それでいながら、セルフコントロールすらできないでいる自分に自分が戦いている様子が伝わってくるのです。
作家の桐野夏生は、「グロテスク」の中で、ヒロインの一人超少女に対して「怪物」と呼んでいましたが、被告の中でそれが誕生したとも考えられます(顕在期)。
それが「スランプ」といえるかどうかはわかりませんが、それの脱出に「置き換え」が密に関わっていると見ました。
下がそのノート。
この事件の持つ特徴■垣間見る「置き換え」の連鎖反応
A スランプ状態からの脱出が身勝手な殺害動機に置き換えられている。
B 精神科医の助言が「悪魔のささやき」に置き換えられて、被告の背中を押している。
C 感情表現が下手なのか、「欲望」に置き換えることで、安易過ぎる行動化に結び付けている。
D 「自己の取替え」とは、かかる置き換えの連鎖反応のひとつの表れか。
最後に到達したのが、下の式。
「アグレッシブな感情+甘え=母親なる感情」?
断定的なことはいえないなんて、当たり前のことで、誰もお前のいうことなんてこれっぽっちも信じてねえよ、と腹はそんなもんだと思っていますから、改めて断る必要はないと思っています。
被告はリッチな生活を送っていましたが、弱った実父を見て、心が弱くなり、お金よりも人肌のぬくもりの方(あるいは、コミニケ、甘え等等)がほしいと思ったのではないでしょうか。
下は、すべて工事中。未着手?
判決文に見られるスキ■
被告を弁護するやり方とは?■
通り魔事件から何を学び取るべきか?■
通り魔事件を機に、社会をどう変えるべきであろうか■
画像は、「バービーファッションブティックMaiko 」さんとこから無断借用。
http://www.gimlet.to/doll/charm1.htm
伊田被告は、バービー人形に向かってどんなことを話しかけていたんですかね。
そういうことは、気になりません?
それよりも少女趣味の持ち主だろうって?