まさよっち放浪日記 - Masayochi's Wanderings-

アフリカから、何故か、中央アジア、そして気が付いたら日本へ。ふと心に浮かんでくる何気ない事を書きとめてみました。

エリトリアのサッカー代表12人、ケニア遠征で難民申請

2009-12-26 02:09:34 | News
ごめんなさい、続けて難民関係の話です。。。

現勤務地であるエチオピアでは、ソマリア、エリトリア、スーダンと隣国からの難民を受け入れている。エリトリアでは18歳から50歳の男性及び18歳から27歳の女性は、18ヶ月の兵役が法律上、義務付けされている。2008年、世界銀行の統計では、推定32万人が、現在、兵役に服しているとの事だ。

人権団体 Human Rights Watch によると、国境を越えようとして捕まった場合は、射殺命令が適用されるにも関わらず、何千というエリトリア人が、徴兵制を逃れようと、国外に脱出している。隣国エチオピア北部では、難民を受け入れるため、新しく難民キャンプをオープンした。エリトリア政府は、脱走者の家族から、5万ナクファ(US$3,300)の罰金を徴収するが、その家族が支払えない場合は、土地を没収するか、監禁する。

以下のニュースでも報道されているように、このようにスポーツ選手が海外遠征に参加し、そこで難民申請をするケースが増えるようであれば、今後、エリトリア政府は預託金を増額するか、もしくは、スポーツ選手の海外遠征を認めない方向に動くかもしれない。

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朝日新聞 2009年12月22日付
エリトリアのサッカー代表12人、ケニア遠征で難民申請


【ナイロビ=古谷祐伸】アフリカ東部エリトリアのサッカー代表選手12人が、ケニアでの国際大会後、ケニア政府へ難民申請した。政府が強権的と批判される母国への帰国を拒んでいる。

大会は、東部・中部アフリカサッカー協会(CECAFA)主催のシニアチャレンジ杯。ルワンダやザンビアなど地域12カ国の代表が参加して11月下旬から今月13日まであり、ウガンダが優勝した。

エリトリアは予選リーグを経て、12日の準々決勝でタンザニアに0―4で敗退。同夜、ナイロビ空港から帰国の予定だったが12人は現れず、16日、国連難民高等弁務官事務所のケニア事務所に来て難民認定を申し出た。ケニア政府の保護を受け、移民省で手続き中だという。

エリトリアは1993年にエチオピアから分離独立、反エチオピア闘争の指導者イサイアス氏が大統領になった。政府の報道や宗教などへの締め付けが厳しいと批判され、国民の国外流出が深刻化している。国連推計では、2009年だけで人口約500万人中数万人が難民化した。

サッカー選手も例外ではない。帰国を拒んだケースは06年以降、これで3回目。政府は07年から国外遠征する全スポーツ選手に、10万ナクファ(約60万円)の預託を義務づけている。

CECAFAのムソニェ事務局長は「今後、エリトリア政府が代表選手の国際大会参加を認めないのではと懸念している」と話している

スリランカ難民:日本政府初認定

2009-12-26 00:40:34 | News
難民保護・難民認定に携わる者として、以下のタミル人が母国を逃れた事情から判断すると、この認定は妥当ではないかと思う。

難民認定を行うとき、母国に戻った場合、迫害を受ける可能性があるかどうかを判断する。その際、出身国の情報が必要不可欠となってくる。スリランカ政府軍による反政府軍及びタミル人への人権侵害は、国際的にも問題となっているが、反政府軍によるタミル人への人権侵害はどうなのだろうか?彼のように、LTTEへの協力を拒否した人は他にいるのか?いるとしたら、同じように脅されたのか?実際に命を落とすような目にあったのか?(LTTEの残党がタミル人にお金を要求してあると述べてあるので、ただ単純に私が知らないだけなのかも。。)

何故LTTEが彼に協力を依頼したのか?タミル人の誰にでも協力を依頼したのか?それとも、元公務員とあるが、彼のポジションと何か関連があるのか?

また、このケースの場合、男性の配偶者が、多数派シンハラ人とあり、異民族間の結婚である。そのことにより、残された子どもたちに影響があるのか?人権侵害の対象になっているのか?といったことも気になる。

このケースがスリランカ難民・日本政府初認定なのか~と思うと、なんと言ったらいいのか。。。Anyway, 今後もスリランカ難民が日本に入国する可能性があり、スリランカ難民受け入れの拡大につながるといいのだが。。


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毎日新聞2009年12月21日付
スリランカ難民:日本政府初認定 家族を呼び寄せるのが夢 支援者、日本政府に感謝


日本ではスリランカ人として初めて難民認定された、50代の少数派タミル人男性=茨城県在住=が、東京都新宿区の難民支援協会で毎日新聞の取材に応じた。男性は「タミル人は、脅迫されても被害を警察に申告できない状況だ。内戦終結後も民族対立が終わる見通しはない」と語り、受け入れに尽力した支援者や日本政府への感謝の気持ちを表した。

男性は元公務員で、コロンボ近郊に多数派シンハラ人の妻と、今は10代の長女、長男と4人で暮らしていた。シンハラ人中心の政府軍と、タミル人中心の反政府組織「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」の民族紛争が激化した06年4月ごろから、食料や隠れ家などをLTTEに要求されるようになった。断ると「家族ともども殺す」と脅された。「タミル人はLTTE協力者だ」という偏見が強まっており、警察に被害を申告できなかった。

同年7月、1人で短期滞在ビザを取得し、日本に入国した。ブローカーが用意した千葉県の農家に住み込み、働いた。日本での難民申請方法を調べ、入国管理局に出頭しようとした矢先の07年6月、不法滞在を理由に警察に逮捕され、入管施設に収容された。不眠や頭痛、高血圧に苦しみながら、翌月に難民申請した。

認定で在留特別許可(定住)を得て、健康を取り戻した。今も母国ではタミル人がLTTEの残党に金を要求される事態が続いており、「二度と戻れない」と残念がる。「家族を呼び寄せるのが楽しみ。平和な社会で子供たちに教育を受けさせたい」と夢みている。【花岡洋二】

難民認定3分の1に激減 1~9月、申請は最多に -日本ー

2009-12-25 23:39:00 | News
下記のニュースでも報道されているように、日本は難民を受け入れないと言われている。この点については難民認定制度だけではなく、実際に難民を受け入れる社会・文化があるのかどうかという問題も挙げられる。

例えば、言語の問題。英語を話す機会が増えてきてはいるが、それでも日本語が主流である。よって日本語が話せないと仕事を探すのも難しい。また、アジア諸国からの難民にはまだ親しみがあるかもしれないが、アフリカからの難民はどうだろうか?

日本政府は、来年アジアからの難民の第三国定住を受け入れる予定である。過去にインドシナ難民の第三国定住を受け入れてきた経験があるが、課題は山積みである。最近、難民問題について日本でも取り上げられるようになってきたが、この不景気で逆方向に戻らなければいいのだが。。。

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共同通信 2009年12月20日付
難民認定3分の1に激減 1~9月、申請は最多に


日本で難民認定を申請する外国人の数が今年1月から9月まで、過去最多だった昨年同期を上回ったのに、認定された人数は約3分の1にとどまったことが20日、分かった。難民支援者は「海外から“難民鎖国”といわれてきた状態がさらに悪化しているのでは」と懸念する。

法務省の資料によると、1~9月の難民申請者は計1123人で、2008年同期の1100人を超えた。これに対し、法務省に難民と認められたのは1~9月は15人と、08年同期の46人を大きく下回った。一方、難民とは認定されなかったが、人道に配慮して在留を特別に許可されたのは1~9月は399人で、08年同期の293人から急増している。

認定者数の減少について、法務省入国管理局は「難民に該当するかは個別に判断しているので、多くなる年も少なくなる年もある。認定・不認定の結果が出るまでに平均1年以上かかっており、申請者数が増えてもすぐに認定者数に反映されるわけではない」と話す。