観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

ミクロ生物学が「わかる」

2012-11-02 13:51:08 | 12.10
高槻成紀

いやなニュースばかりで気がめいっていたが、山中 伸弥教授がノーベル賞を受賞したということで、少し気が晴れたような気がした。なにげなく見ていたテレビの特集番組を見ていて次第に引き込まれ、見終わって深い感動に包まれた。
 私は中学高校のころ、生物は大好きだが、「生物学」が好きなわけではなかった。だから高校生のころ、大学の理学部で生物学を学びたいとは思っていたが、大学に入ってミクロな生物学をしなければならなくなったらどうしようかという不安があった。なぜかといえば、単純に「むすかしくてよくわからない」からだった。いや、はじめてメンデルの遺伝の話を聞いたときは実におもしろいと思ったし、生物の体の中でそういう合理的なことが起きていることを知ることはすばらしいことだとも思った。だが、それを理解することはできても、そういうことを自分が発見したり、ほかの人よりもすぐれた研究をするという自信がまるでなかったからである。
 大学院の教員として、年度末にはたくさんのミクロ生物学の実験成果発表を聞くことになるのだが、ほとんど理解できない。「理解できない」にもいろいろあるが、たいがいはハナから専門用語がわけがわからない。ほとんどは3文字か4文字のアルファベットがならんでいて、「EFGがPQRになったから、XYZが起きているということになります」といった言葉が続く。とても日本語とは思えない。そういうわからなさもあるが、それよりも、いきなり「こうこうこういう実験をしました」ということから始まると、そもそも何のためにそういう実験をしたのか、どこがおもしろいのかがまるで伝わって来ない。
「この人たちは、ほんとうに自分の実験成果を人に聞いてもらいたいと思っているのだろうか」と思いながら、理解出来ない発表に耐えに、耐える。どう考えても専門分野の人がわかればいいと考えているとしか思えない。
 それに比べて山中先生のiPS細胞の研究の重要さの、なんとわかりやすいことか。基礎生物学としての普遍性もまちがいなく革命的だし、もちろん応用的な可能性も無限といえるものであろう。
「ああ、すぐれた研究とは、わかりやすいんだ。」
私はあたりまえのことを家人につぶやいていた。どうまちがっても難解な院生の研究より、山中先生の研究が「わかりやすいからレベルが低い」ことはない。私には「専門的な研究だからふつうの人にはわからないほど高級なのだ」と言わんばかりの発表をする若者の心の内側が気がかりである。
 そのテレビ番組ではほかにもいくつかのエピソードが紹介された。小さな大学にいた若き山中先生が大きなプロジェクトの申請をしたときに採択した人の度量の大きさや、偶然的な要素のある実験課程でのハプニングなども聞いていて楽しくなるものだった。だが、なんといっても私がうれしく思ったのは、山中先生が徹底して自然に対して謙虚であるということだった。
「私が先生ではない。先生は自然だ。」ということばの精神は、「生物はすごい。生命現象は現実にすごいことをやっているが、私たちはその一部しか知らないし、思い込みなどでまちがった解釈をしているかもしれない。知りたいことは真実なのだ」ということにあるようだった。だからこそ、「予想外の結果が出たとき、がっかりする学生が多いが、私は逆に興奮した」ということばが出てくるのだろう。
 そうした考えには大発見をしたから到達したのかもしれないが、どうやらそれは山中先生のもともとの人柄によるところが大きいからのように思った。そうでなければ、成果を惜しげもなく公表し、独り占めしないということはありえないだろう。会見でフワッと肩の力が抜けるような冗談を言える山中先生をみて、これはとてつもないビッグな人だと思った。
 これまでにも物理学や化学などでノーベル賞をもらった日本人は少なくないが、これほどすばらしい人が生物学者であることに格別のうれしさを感じた。

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