観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

西表島いきもの紀行

2012-06-30 21:18:35 | 12.6
工事中

4年 鏡内康敬

 2012年3月初旬、大学の部室を出発し、羽田空港を飛びたった私は、探検部の仲間とともに沖縄本島、石垣島を経由し、西表島へと向かった。西表島の秘境「幻の湖」への到達と、生物踏査が目的だ。
 幻の湖は浦内川の支流にあたるイタジキ川源流に在る、直径50mほどの小さな湖。西表島上空を飛ぶ南西航空(現JTA)の石垣-与那国便の飛行機から山中に池のようなものが見えるということがきっかけで発見されたそうだ。2万5千分の1地形図でもその存在は確認できるが、そこに到るには十分な装備、登攀を含めた高度な登山技術とルートファインディングが必要とされる。そう、易々と人目につかないからこそ「幻」なのだ。
 今回、我々は西表島の北へと流れるユチン川から遡行、最高峰である古見岳を経由し、分水嶺を越え、幻の湖へ到達。その後は、イタジキ川を下降し、浦内川沿いの横断道を西へと抜けた(図を参照)。
 行程の大半は、ヘドロが沈む瀞(とろ)(流れのほとんどない川)を泥ラッセルし、亜熱帯林での鉈を片手に数時間も続く薮漕ぎに費やされた。ときに滝が現れ、その雄大さに圧巻され、その美しさに魅了され。


亜熱帯林での鉈を片手に数時間も続く薮漕 ぎに費やされた。


ときに滝が現れ、その雄大さに圧倒され、 その美しさに魅了され。


ユチン三段大滝(高さ30m)


マヤグスクの滝(高さ10m,幅15m)


マヤグスクの滝上部の滝を下降

 滝を懸垂下降することもあった。ルートファインディングに迷っては戻り、斜面でのビバークを余儀なくされることもあった。蚊の襲撃凄し。
 そんな我々の前に、3日目にしてそれは突如現れた。深い瀞を進んでいると、滝の音が聞こえ、視界が大きく開けた。眼下には、澱みの無い青く澄んだ水面が広がり、底には沈没船のような不思議な形をした岩が横たわっていた。“幻の湖”に間違いない、そう感じた我々は握手してその喜びを分かち合った。


幻の湖

 西表島滞在中は多くの生き物に出逢った。
鳥類:カンムリワシ、チュウサギ、リュウキュウコノハズク(声)、リュウキュウオオコノハズク(声)、リュウキュウアオバズク(声)、シロハラクイナ、キセキレイ、イシガキシジュウカラ、イシガキヒヨドリ、イソヒヨドリ、リュウキュウメジロ、オサハシブトガラス、猛禽sp.
爬虫類:サキシマキノボリトカゲ、サキシマスベトカゲ、ホオグロヤモリ.


サキシマキノボリトカゲ


サキシマスベトカゲ

両生類:コガタハナサキガエル、ヒメアマガエル.ポッドホールで卵(不明)確認
甲殻類:ベンケイガニ、ショキタテナガエビ、テナガエビsp.
昆虫類:ヤエヤマカラスアゲハ、ミカドアゲハ、オオゴマダラ、リュウキュウアサギマダラ、イシガケチョウ、シンジュサン、シナコイチャコガネ、アマミナナフシ、オオモリゴキブリ、タカサゴシロアリ、アカアシチビツユムシ、リュウキュウベニイトトンボ、他不明種多数.


リュウキュウベニイトトンボ

クモ類:コアシダカグモ、サキシマスベザトウムシ.
多足類:アマビコヤスデ、ヤエヤママルヤスデ.


ヤエヤママルヤスデ

ヒル類:サキシマヤマビル.
魚類:ヨシノボリsp.
植物:シラタマカズラ、イリオモテソウ、コウシュンモダマ、オオハマボウ、サキシマスオウノキ、イリオモテクマタケラン、クワズイモ、ハブカズラ,アダン、ツルアダン、コミノクロツグ、ソテツ、ヤブレガサウラボシ、ヤエヤマオオタニワタリ、ヒカゲヘゴ、クロヘゴ、ナンヨウリュウビンタイ、他不明種多数.


アダン


クワズイモ

 クワズイモの塊根は有毒で、これを試食した探検部OBは数時間「笑い」が止まらなかったらしい・・・。
 西表島には、イリオモテヤマネコなど固有な哺乳類が生息しているが、今回、それらを見つけることは出来なかった。イリオモテヤマネコを見たければ、森林内を探すよりも、深夜に道路を車で走る方が高確率だとか。道路での目撃件数、時間帯を考慮すると、確かにそうかもしれない。下山後に民宿で会った人もそうして探しに出かけていた。我々には時間的に厳しく、実行に移すことは出来なかった。それ以前に、そのやり方自体が探検部のポリシーに反していたので、乗り気ではなかったのだが。

生き物〈番外編〉

石垣牛


民宿「やまねこ」のヤギ


上原港の「ヤマネコ」

「東洋のガラパゴス」西表島
是非、もう一度探検したい地であった!


図.西表島概念および行動ルート  ※C(数字)は幕営場所を示す



水上の忍者の下に

2012-06-30 06:08:18 | 12.6
修士2年 嶋本祐子

 みなさんはこれ、何だかご存知ですか?晴れた日、アファンの森で調査前に湧水を飲みに行くと、この影が透明な水の底を泳いでいました。



 影の上にいたのはおなじみのアメンボ。アメンボが水上をすいすい滑ると、下の影もすいすい泳ぎます。
 小さい頃はよくアメンボを追って遊んでいましたが、影をまじまじと見たのはおそらく初めて。このまるはなんだ?体も足も細いのに、この影はなに?私はしばらく不思議に思って見ていました。



 アメンボが密生した足の毛によって水をはじき、水面に立つことができるのは知っていましたが、この影は、それによってできた水面のくぼみが原因のようです。くぼみが凹レンズのようになり、太陽光が水面を通る際に光を屈折させるため、水底には光が当たらない影の部分ができるのですね。アメンボの足先を見ると、水面のくぼみには光が集まっていました。




 濁りのない湧水だから、こんなに水底の影をはっきり見ることができたのかもしれません。自然の中には常に発見があっておもしろい!と改めて。
 色々なことに対して、当たり前と思うのではなく、そうなのかと驚いたり楽しんだりする感性を持っていたいと思います。

空にも色々ありまして

2012-06-28 23:26:08 | 12.6

3年生 大貫彩絵

 先月、研究室の親睦旅行で山梨県の早川町に行った。昼間の散策や夕飯も楽しかったが、校庭で見上げた時の星空も印象強かった。自分の住んでいる横須賀も比較的街灯が少なく星は見える方だと思っていたが、早川町ではいつも見ている倍以上の星が夜空にあったように思う。流れ星を見たのは何年振りだったろうか。
 「何年振り」といえば、この間金環日食があったが、あれはどうやら129年ぶりのことらしい。金環日食とは太陽が月の影に隠れ、一部または全体が見えなくなる日食が起こったのち、月の外側に太陽がはみ出すことでその光がリング状に見えるという現象だとか。私の住んでいる地域でも見えるとのことであったので、日食グラス片手に朝早くから外に出て太陽を探したが、生憎の曇り空。かろうじて薄い雲の向こうに太陽の輪を確認することはできたが、綺麗な金環はテレビの中継に任せた。
 古代から、日食や月食といった現象は天変地異の前触れとして人々に恐れられていたようだ。確かに、大きな存在である太陽や月がなくなってしまったら不安に思うだろう。しかし、一度なくなっても再び太陽が現れることから、復活を意味する現象としても捉えられていたようだ。実際に日本では天照大神の岩戸隠れの伝説は皆既日食によるものではないかという説があるらしい。
 まだ宇宙の事が何も分かっていなかった時代、人々は色々と考えを巡らせたり思いを馳せたのだろう。電灯は使わなかったのだから、夜は暗く、天体は今よりも一層の存在感があったはずだ。そうでなければ藤原道長のあの有名な歌は生まれなかったであろう。宇宙や天体の事が徐々に分かってきた今でも、それはほんの一部にすぎないわけで、夜空を観れば遠い星の事を考えずにはいられない。思い返せば、金環日食だけでなく最近いくつかの天体ショーがあった。5月には月が14%大きくなるスーパームーン、3月には夜空に金星、月、木星が一直線に並んでいた。昨年の12月には皆既月食があり、赤い満月を見ることができた。寒空の下、ダウンを着込んでまでベランダから眺めた。
 昼間の空は天気や雲によって、その表情を変える。それに比べたら、夜の空はその変化があまり分からないと思う。しかし、私たちには見えない遠いところできっと今日も何かが起こっている。そんなことを考えながら、私は今日も空を眺める。

カメムシの色

2012-06-28 23:24:31 | 12.6

修士2年 八木愛

 5月下旬のことである。里山で調査をしていた私は1匹の昆虫を見つけた。その昆虫の名前は、アカスジキンカメムシ。緑色のメタリックなボディに名前の通り赤い模様が入るとてもきれいなカメムシである。どうやら、「歩く宝石」と呼ばれているらしい。太陽の光に反射して、きらりと光る姿は本当に宝石のようだった。図鑑で見た通りの風貌で、私の中で「最近気になる昆虫トップ5」に入る種なだけに見つけた時は思わず大はしゃぎ。しばらく手の上で遊ばせて、眺めていた。しかし私がアカスジキンカメムシに興味を持ったのは、単に「色がきれいだから」ではない。それも理由の一つではあるが、きっかけは幼虫と成虫の違いにある。
 カメムシは、蝶とは違って、さなぎにならずに成虫になる(不完全変態)。そのため、翅がない、複眼であるという違いはあるものの、幼虫は成虫と同じような色・形をしている。アカスジキンカメムシの成虫と幼虫では、色が大きく変わる。成虫は、メタリックな緑色でとてもきれいなのだが、幼虫は黒と白のシンプルな色合いなのである。同じキンカメムシ科には、ニシキキンカメムシというカメムシがいる。このカメムシは、アカスジキンカメムシよりも少々模様が派手だが、アカスジ同様とてもきれいなメタリックな緑色をしている。そして、幼虫もニシキという名にふさわしく、きれいな色をしている。しかし、アカスジキンカメムシは成虫と幼虫で全く違う。子どもの頃は赤色など現れていないし、成虫になると緑色のメタリックカラーになるなどと、まったく想像ができない。どうしてそのような色合いになったのだろう。不思議である。
 幼虫は見たことがないのでインターネットで検索をしてみた。どうやら、幼虫も色は黒ではあるが金属光沢に近い輝きがあるようである。そして、幼虫が白黒なのは、鳥の糞に擬態しているからという文章も見かけた。しかし、そうなのだとしたら、成虫も白と黒で良いのではないかと思う。緑色なら、葉っぱの上にいる時にわかりにくいから?とも考えたが、それなら幼虫の時から緑色でも良いだろう。なぜ成虫になるとメタリックな緑色と赤い模様へと変わるのだろうか。そして、金属光沢は確かにきれいだが、どうして自然の中でそのような色が出るのだろうか。
 黒白の幼虫が脱皮をして、成虫になりたての頃はまだ白っぽい状態であるらしい。そして徐々に緑色の金属光沢が出てくるのだという。ぜひ幼虫を見つけて、脱皮の様子などもじっくり観察してみたい。



美しい田園地帯をみて思う不条理

2012-06-28 23:14:21 | 12.6

教授 高槻成紀

新学期は慌ただしいものの、この季節にしかできないことも多く、週末を利用して山梨や長野をよく訪れました。天候にも恵まれて田園風景の美しさに見とれることがありました。
 長野や山梨には人が営々と利用しながら作ってきた「半自然」があふれています。遠くにまだ白い峰を望み、その手前に青黒い森林のある山があり、近くには緑色の雑木林や田圃や畑がある、というのが典型的な景色です。こうした景色を見るたびに、美しさにため息が出ます。



 こうした田園地帯がある一方で、狭い土地にぎゅうぎゅうづめになり、人が溢れながらもその誰とも面識がないという、異様な都市生活があります。そうであるのに、同じ国のこの田園地帯では人口流失が起きて、社会が維持できなくなっているという現実があります。なぜ、こんなすばらしい土地が「限界」にならねばならないのか。
 私は経済というものがちっともわかりません。働くということの基本は産み出すということで、一次産業がそれをするものであるはずです。産み出せば豊かになる。産み出すというのは自然から利用できる物を引き出すということです。だからこそ生命を産み出す神に感謝した。産み出したものを加工するのももちろん「働き」つまり「仕事」でしょう。でも、誰かが産み出したものを流通させることは「仕事」か。情報を流す工夫をすることは「仕事」か。何十年も毎日毎日畑に出て作物を作って、一生のあいだに作ったたくさんの作物からいくばくかのお金を得て暮らし、中には家の立て替えをするほどがんばる人もいる。社会はそうした努力に支えられてきたし、努力をした人がおおむねそれに応じた豊かさを手にして来ました。しかし情報流通の思いつきをしたあんちゃんや、伸びそうな企業の株を狙って買ったおばさんが、一晩でその何百倍も何万倍も儲け、そうした人がヒーローのようにもてはやされるというのは、どうにも理解ができず、納得もできません。少なくとも感覚としてわかりません。
 多くの人が感じている、そういう「なんだかおかしい」感じがこの国ではますます大きくなり、どうにもならないところに来つつあるのではないか。以下のことはすこし飛躍がありますが、「なんだかおかしい」でつながります。
 原発の犠牲者が苦しみ、津波を生き延びたのに自殺をする人がいます。一方で、加害者である東電は反省のようすはまるでなく、それに対するマスコミの甘さも眼に余ります。これだけの恐ろしい体験をし、その原因究明ができていないどころか、4号炉はメルトダウンの危険があるという状況にあるにもかかわらず、活断層の上にあることがわかっている大飯原発を再稼働することが決まりました。これまでのライフスタイルを維持しようとすれば少し電力が足りないからというのが理由だといいます。正気の沙汰とは思えません。ごく常識的に考えれば、「日本列島は災害列島であり、原発は危険かもしれないと思いながらも、安全策をとり、豊かな電力を産んで来たので、生活もよくなった。これはよいことだと思って来た。しかし、それはとんでもない間違いだということがわかった。今後すべきことは、再発防止のために少し生活は以前にもどるが、国民の安全を守り、世界の放射能汚染を避けるためには、原発は稼働できません。電力使用抑制に協力してください。」となるはずです。そういう常識的な見解を述べていたかにみえた地方のリーダーたちも、ある日、突然「しかたがない」と手のひらを変えたように再稼働を容認してしまいました。おかしいです。
 香港やモナコのように土地が狭いのではない、モンゴルのように木が育たないのではない、ヨーロッパのように地震が少ないのではない、アマゾンのように自然利用の歴史がないのではない、北朝鮮のように恐怖政治をしているのではない、世界のどこの国民よりも勤勉な人が多い、その国がどうしてこうもわけのわからない国になってゆくのか、どうにも納得ができません。

追記:この原稿は5月末に書いて、6月23日に手を入れたのですが、22日の夜のニュースでは、首相官邸をとりまく再稼働反対のデモ参加者が増えているということです。民意というものが反映されない国だとあきらめ気味でしたが、何かが動くかもしれません。そうあってほしいと思います。