観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

最後の登り

2014-03-09 09:45:26 | 14
教授 高槻成紀

 2014年3月、恒例の金華山のシカ調査に行った。今年は関東、中部の太平洋側が豪雪で、人の生活も緊急事態になるほどだった。テレビでは東北太平洋側でも大雪と報じていたので、さぞかしすごいのだろうと思い、1984年のことを思い返していた。このときは仙台で「クリスマス豪雪」といわれ、伝説的な大雪であった。送電線がたくさん折れ曲がり、停電になった。金華山は最高点が450mであるが、200m以上の場所に1m以上の雪がつもったために、シカは低い場所に降りて枯葉から枯れ草まで食い尽くし、200頭以上が餓死した。私は若かったので、当時院生だった鈴木和男君の協力を得て、島中を歩いて死体を回収した。今年はあの年の雪に匹敵するのではないかと思い、調査ができないのではないかと延期を考えたのだが、現地に電話をしたら、そうでもないということだったので、行くことにした。ただし、危険のない範囲で慎重におこなうことにした。
 鮎川港から船が出て島が見えると、意外なことに雪はあまりないように見えた。ほっとした気持ちで上陸し、日陰斜面などを見たが、本当に例年並みだった。
 その日は半日を下見に使い、山の歩き方、地図の読み方、GPSなどの機器の使い方等を説明したり、シカの見方を解説し、自然観察をしたりした。
 翌日はシカの頭数調査にした。島を区画に区切って、その区画を歩いてシカを発見したら記録するという方法でおこなっている。私が受け持つのは毎年島の最北端にある仁王崎で、ここは一度頂上近くまで行ってから北の主稜線を歩いてから急な尾根を降りるコースである。かつては調査が終われば西の海岸線を歩いて戻れたのだが、数年前から道が土砂崩れで歩きにくくなり、ことに2011年以降は大回りをしたり、上下移動をしなければならず、かなり危険でもあるので、西回りは採れなくなった。そこで来た道を戻ることにしたのだが、そうすると標高300mほどをまた登ることになるので老体にはこたえる。
 仁王崎は草原で、かつてはススキ群落だったが、今はシカが増えてススキがほとんどなくなり、ワラビ群落になっている。毎年シカの死体をみつけ、角も何本か拾う場所だ。今年も角を10本以上拾い、オスジカの白骨死体も見つけた。



 頭骨は標本としていつも持ち帰るが、今回は学生の勉強になると思って四肢骨も持ち帰ることにした。そうするとけっこうな重さになる。袋に入れてバックパックにとりつけると、どっしりと背中にこたえた。
 仁王の草原を小一時間ほど早足で歩いて、食べたか食べないかわからないような昼飯をしてから、戻りの登りにかかった。早足で歩いたあとなので足がよたついてしまい、大股ではとても登れず、少しずつ登るしかなかった。気温は2、3℃だったが、体が熱くなり汗をかいてしまった。何度も立ち止まって息を整え、また登るという具合だった。その登りを一歩一歩あるきながら、
「こうして金華山で学生を集めてのシカ調査はこれが最後かもしれない」
と思った。
 金華山に初めて来たのは大学の3年生だから、それから40年ものあいだ通ったことになる。院生時代は毎月のように来ていたし、その後もよく通った。1994年に東京に来てからは回数は少なくなったが、それでも毎年通い続けた。我ながら長いあいだ、よく続けたなと思う。自然を相手にしていれば
「もう十分だ」
ということがなく、金華山に来るのはあたりまえのことのようになっていた。しかし物事にはいつか必ず終わりが来る。私も来年の今頃は退官になる。そのときがそろそろ近づいているのだと思い、感慨があった。
 そんなことを思いながら、その登りだけで1時間ほどかかってしまった。
 
 そうは言いながら、大学をリタイアしても、個人として金華山に来ることはもう少し続けたい。決着をつけたいことはいくつかあるし、やりはじめたら継続するのが自分のやりかただという思いがあるからだ。
 そんなことを思っていたところだったので、調査から帰ってすぐあとに開催した卒業研究の発表会のあとの懇親会で、複数の学生、それも大学院に進学するのではなく、社会人になる学生が
「これからも少しずつでも調査を続けたいと思います」
と言ってくれたことは本当にうれしかった。
 私は麻布大学に来て、大学生が研究をいやいやすることが不愉快でならなかった。いやならなぜ大学に入ったのか。それに、就職が目当てなら、ほかによい研究室がある。野生動物学研究室を選んだ以上は、研究に没頭せよとはいわないまでも、進んで研究をしてほしいと思って来た。適当にやって、楽をして、言われたことを最低限して卒業することを「自由で楽しい」研究室だと思うような了見がいやだった。そのために厳しい発言をしたこともある。
 そうした中で、数は少なくとも、自然を調べることがおもしろいと思い、生き物観察が「一生もの」と思ってくれる学生がいるということは大学人として何よりもうれしいことだ。ミッションとはそういうもののように思う。大学では講義という形で知識を教え、試験をして覚えたことを確認するようなことを教育としているが、本来は学生の生きる姿勢に影響するような考え方を伝えるべきであるはずだ。私には生き物の魅力あるいは生き物を調べることのおもしろさを伝えることしかできないが、それが学生の中に宿ったとしたら大学にあるべき教育が実現できたことになる。
 聖書のヨハネ伝に「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん。もし死なば、多くの果を結ぶべし」という言葉があったが、金華山の急な登りを息を切らして登りながら、自分の大学人としての時間にピリオドが近づいていると感じたこともあって、そのことばの意味が実感として感じられた。

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